「名言」の記事一覧

加藤秀俊さんについて

  

わたしは、オーケストラの指揮のできる首相だの、考古学的発掘をみずからこころみる実業家だの、といった、はばの広い大きな人物のいる社会は、ほんとうに学問だの知識だのがたのしく生きている社会なのではないか、と思う。そして、そんなふうに多面的な人間をそだてる社会は、きっと、いい社会なのだろうと思う。

――― 加藤秀俊、『独学のすすめ』 (*1)

  

ここでは、社会学者の加藤秀俊さんについての情報を、ご紹介させていただきたいとおもいます。
m(_ _)m

(参考)
加藤秀俊 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/加藤秀俊

  

目次
  1. 『独学のすすめ』
    1. 「「独学」とは、主体的に学ぼうとする姿勢のことにほかならない」
    2. 「「専門」とはなにか」
    3. 「情報時代の自己教育」
    4. 「「問題」とはなにか」
    5. 「創造性というもの」
    6. 「「しごと」の意味」
    7. 「読書について」
    8. 「わがままな期待」
  2. 『生きがいの周辺』
  3. 「縁の考察」
  4. 「二宮金次郎が薪を背負って歩きながら読んでいた本はいったいなんだったのだろうか」
  5. 『なんのための日本語』
    1. 「「通じる」ことがことばの基本」、「第二章 ごちゃまぜ言語」
    2. 「基礎語をしっかり」、「第三章 日本語のくみたて」
    3. 「半分以下に減った和語」、「第六章 日本語の責任」
    4. 「わかりやすさを第一に」、「第六章 日本語の責任」
  6. 『加藤秀俊著作集』
    1. 『加藤秀俊著作集 1』(1巻「探求の技法」)
    2. 『加藤秀俊著作集 2』(2巻「人間関係」)
    3. 『加藤秀俊著作集 3』(3巻「世相史」)
    4. 『加藤秀俊著作集 4』(4巻「大衆文化論」)
    5. 『加藤秀俊著作集 5』(5巻「時間と空間」)
    6. 『加藤秀俊著作集 6』(6巻「世代と教育」)
    7. 『加藤秀俊著作集 7』(7巻「生活研究」)
    8. 『加藤秀俊著作集 8』(8巻「比較文化論」)
    9. 『加藤秀俊著作集 9』(9巻「情報と文明」)
    10. 『加藤秀俊著作集 10』(10巻「人物と人生」)
    11. 『加藤秀俊著作集 11』(11巻「旅行と紀行」)
    12. 『加藤秀俊著作集 12』(12巻「アメリカ研究」)
  7. 『加藤秀俊社会学選集』
    1. 『加藤秀俊社会学選集 上巻』
    2. 『加藤秀俊社会学選集 下巻』
  8. 加藤秀俊データベース
  9. 加藤秀俊さんについての関連記事

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  1. (加藤秀俊、「「専門」とはなにか」、『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、1978年、190ページ) [↩ Back]

「犀の角のようにただ独り歩め」

Rainbow Warrior (*1)

「犀の角のようにただ独り歩め」
『スッタニパータ』「第一 蛇の章」「犀の角」より) (*2)

犀の角

あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩(なや)ますことなく、また子を欲するなかれ。況(いわ)んや朋友(ほうゆう)をや。犀(さい)の角(つの)のようにただ独(ひと)り歩(あゆ)め。

交(まじ)わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍(わざわ)いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

朋友・親友に憐(あわ)れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

子や妻に対する愛著(あいじゃく)は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡(あいから)むようなものである。筍(たけのこ)が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴(おもむ)くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

仲間の中におれば、遊戯と歓楽(かんらく)とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭(いと)いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。

四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々(もろもろ)の苦難に堪(た)えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

出家者(しゅっけしゃ)でありながらなお不満の念をいだいている人々がいる。また家に住まう在家者(ざいけしゃ)でも同様である。だから他人の子女にかかわること少く、犀の角のようにただ独り歩め。

葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを棄て去って、在家の束縛(そくばく)を断(た)ち切って、健(たけ)き人はただ独り歩め。

もしも汝(なんじ)が、〈賢明で協同し行儀(ぎょうぎ)正しい明敏(めいびん)な同伴者〉を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。

しかしもしも汝が、〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。

われらは実に朋友を得る幸(しあわせ)を讃(ほ)め称(たた)える。自分よりも勝(すぐ)れあるいは等(ひと)しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過(つみとが)のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金(おうごん)の腕輪(うでわ)を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

このように二人でいるならば、われに饒舌(じょうぜつ)といさかいとが起るであろう。未来にこの恐れのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。

実に欲望は色とりどりで甘美(かんび)であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱(かくらん)する。欲望の対象(たいしょう)にはこの患(うれ)いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

これはわたくしにとって災害であり、腫物(はれもの)であり、禍(わざわい)であり、病(やまい)であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

寒さと暑さと、飢(う)えと渇(かつ)えと、風と太陽の熱と、虻(あぶ)と蛇と、―これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。

肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群(むれ)を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

集会を楽しむ人には、暫時の解脱(げだつ)に至るべきことわりもない。太陽の末裔(まつえい)(ブッダ)のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。

相争(あいあらそ)う哲学的見解を超え、(さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。

貪(むさぼ)ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇(かつ)望することなく、(見せかけで)覆(おお)うことなく、濁(にご)りと迷妄(めいもう)とを除(のぞ)き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。

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  1. (画像の帰属先:Rainbow Warrior, By Hartwig HKD, on flickr) [↩ Back]
  2. ((翻訳:中村元)、「三、犀の角」、「第一 蛇の章」、『ブッダのことば スッタニパータ』、岩波文庫、岩波書店、1984年、17~22ページ) [↩ Back]

自主制作3Dアニメ「最大の恐怖は自分の計り知れない力だ」

「最大の恐怖は無力と知ることではない
 最大の恐怖は自分の計り知れない力だ」

・・・という出だしで始まる有名な一節を引用して、自主制作アニメ(3Dアニメーション)として、3種類の映像で表現してみました!
(o≧ω≦)O


星空の下で

大画面&高画質で見るには、コチラをクリック!

YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=ZMdkZeCzj44

 


図書館にて

大画面&高画質で見るには、コチラをクリック!

YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=tQroTplYWqg

 


星空とともに

大画面&高画質で見るには、コチラをクリック!

YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=mSRDQ8Sja3I

 

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「最大の恐怖は無力と知ることではない 最大の恐怖は自分の計り知れない力だ」 "Our deepest fear is not that we are inadequate. Our deepest fear is that we are powerful beyond measure." (映画『コーチ・カーター』より)

映画『コーチ・カーター』(「Coach Carter」)

「最大の恐怖は無力と知ることではない
 最大の恐怖は自分の計り知れない力だ」

("Our deepest fear is not that we are inadequate.
  Our deepest fear is that
  we are powerful beyond measure.")

この言葉は、映画「コーチ・カーター」(「Coach Carter」)で、チモ・クルーズがカーターコーチにお礼を言う場面で引用されていた言葉です。

チモ・クルーズがカーターコーチにお礼を言う際に
「最大の恐怖は・・・」("Our deepest fear...")の言葉を引用する場面

最大の恐怖は無力と知ることではない

最大の恐怖は自分の計り知れない力だ

恐ろしいのは自分の闇ではなく光

自分の力を隠し、周囲の者たちを不安にさせないよう縮こまっていては世界を照らすことはできない

小さな子供らと同じように輝こう

すべての人の内に光がある

自分自身を輝かせれば、まわりの者たちも自然と輝きはじめる

恐怖から解き放たれさえすれば、まわりの者達も解き放つことになる

  

「コーチにお礼を言いたかったんです

 命を救ってくれた」

  

「私こそ感謝する

 君らみんなに」

(チモ・クルーズのお礼の言葉と、ケン・カーターの感謝の言葉、『コーチ・カーター』)(*1)

Our deepest fear is not that we are inadequate. Our deepest fear is that we are powerful beyond measure. It is our light, not our darkness, that most frightens us.

Your playing small doesn't serve the world. There's nothing enlightened about shrinking so that other people won't feel insecure around you. We are all meant to shine, as children do.

It's not just in some of us; it's in everyone. And as we let our own light shine, we unconsciously give other people permission to do the same. As we're liberated from our own fear, our presence automatically liberates others.

  

"Sir I just wanna say thank you...

 You saved my life."

  

"Thank you, sirs.

 All of you."

(Timo Cruz のお礼の言葉と、Ken Carter の感謝の言葉、『コーチ・カーター』)(*2)

この言葉の出典元は、 続きを読む

  1. (チモ・クルーズのお礼の言葉と、ケン・カーターの感謝の言葉、映画『コーチ・カーター』、1:45:16~1:47:37、パラマウント映画、2005年) [↩ Back]
  2. (チモ・クルーズ(Timo Cruz)のお礼の言葉と、ケン・カーター(Ken Carter)の感謝の言葉、映画『コーチ・カーター』、1:45:16~1:47:37、映画『コーチ・カーター』、2005年) [↩ Back]

たまたま巡り合った学校の先生より、もっといい先生が本を書いている

何と言っても、自分で自分を教育するよりないですよ。(中略)たまたま巡り合った学校の先生より、もっといい先生が本を書いているわけでしょ。それを読むほうが速いですよ。読むと空想力ができる。活字というものは、空想力の刺戟のために存在しているようなもので、テレビはイマジネーションを画面にしてくれますから空想力は落ちますよ。(中略)活字に刺戟してもらうことによってしか、人間は人間らしくなれませんよ

司馬遼太郎

(大阪市立図書館が発行している「図書館通信」の昭和46年12月号に司馬氏が図書館についての思い出を語った談話より)

司馬遼太郎がゆく―「知の巨人」が示した「良き日本」への道標』 p.242より
半藤一利、山折哲雄ほか、2001年、プレジデント社

人間の知識の歴史のうえでは、「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。

よくしらべてみると、これまで東西の大学者、思想家と呼ばれる人たちのすくなからぬ部分が、学校教育をうけることなく、独学で勉強していたことがわかる。

いや、学校に入らなければ学問はできない、などという思想は、ついこのあいだ出来たばかりの新興思想にすぎないのであって、人間の知識の歴史のうえでは、「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。

だいいち、学校などというものが、こんなにいっぱいできたのはここ二、三十年の新世相だったのである。

人間が、なにかを学ぼうとするとき、たよりになるのはじぶんじしん以外にはなにもないのがふつうなので、「独学」以外に学問の正道はなかった。

加藤秀俊

独学のすすめ』p.18、1978、文春文庫、文芸春秋

天才軍師の条件は小心者であること。 孔明・仲達・大村益次郎

最近、久しぶりに横山光輝著、マンガ『三国志』の
52巻「街亭の戦い」~55巻「祁山夏の陣」あたりをなんとなく読み返してみました。

ちょうど天才軍師と呼ばれた
蜀の諸葛亮孔明と、魏の司馬懿仲達、
この二人の天才が火花を散らす場面です。

読んでいて感じたことは、
この二人に共通しているのが、「とても慎重であった」ということです。

この二人は、自軍の将からもたびたび、
「慎重すぎる」とか、「小心者」「心配しすぎ」「用心深い」「臆病者」と
揶揄されるほど大変に慎重な人だったようです。

しかし、彼らは、小心者といわれるほど非常に慎重であったからこそ、
天才軍師とよばれるほどの戦果をあげることができたのだということを改めて感じました。

そんなことを考えているときに、
ふと、司馬遼太郎の『華神』という小説の一節にも
これと似たような話があったことを思い出しました。

この本は幕末に、討幕軍の総司令官として戦い、
日本の近代兵制の創始者となった、大村益次郎という人物の物語です。

そしてその一節というのは、
ある人が大村益次郎のことを、「あいつは小心者だ」と言ったのに対して、
かの西郷隆盛が、
「小心者であるからこそ戦に勝てるのだ。その点、大村先生は流石だ」
といった意味のことを言う部分です。

どうやら、大局的に物事を動かしていく役目を担う人には
このように小心者といわれるほど「非常に慎重」であるということが必須のようです。

自分からひきはなし、もぎとろうとしても、決して、もぎとられない、血肉化した学問、知識を身につけていく学び方

 独学とは、自分自身を中心にして、自分自身のために、現実から一歩一歩学びつつ、確実に現実を自らのものにし、征服することである。自分自身をふとらせていく学び方である。頭だけでなく、身体全体をふとらせていくことである。自分からひきはなし、もぎとろうとしても、決して、もぎとられない、血肉化した学問、知識を身につけていく学び方である。試験や就職のために、学ぶのではない学び方である。

 あなたが、現在の不満だらけで、面白くない状態から脱出しようと思ったなら、まず、これまでに学んできたもの、現在のあなたを支えている知識を再検討してみることである。そこから、あなたの本当の人生の第一歩が開かれるであろう。現代という時代は、それを、なによりもあなたたちに求めているからである。

池田 諭「<はじめに> やりがいある独学・生きがいある人生

(池田 諭の会HPより)、

独学のすすめ―自分なりに生きよう (1965年)』より

自らの欲望を開発し、自らの感覚をとぎすましながら、それらを基調にしていく勉強は、他人がきめたコースを、安易に、無自覚に学んでいくところからは生まれない。

 くじけたりいいかげんに妥協したりすることがなく、たえず前進をつづける学力と知力こそが、それらを身につけた人々を人生の輝かしい勝利者にし、さらに新しい時代を築いていく。

 このように、自らの欲望を開発し、自らの感覚をとぎすましながら、それらを基調にしていく勉強は、他人がきめたコースを、安易に、無自覚に学んでいくところからは生まれない。それは、学校に学ぼうと学ぶまいと、それに関係なく、自らの道を自問自答しながら、自学自習をつづける独学によるしかない。

池田 諭「<はじめに> やりがいある独学・生きがいある人生
(池田 諭の会HPより)、
独学のすすめ―自分なりに生きよう (1965年)』より

学校は、すべての人が、それなりに一人立ちできることを目標としながら、その実、八割近い人々に、無力感や劣等感をうえつけ、一人一人将来を切り拓くかわりに、その夢や希望をつみとっているのである。

 現在の学校教育は、これらの能力を身につける上で、むしろマイナスの作用をしているといってもよかろう。しかも、長い間こういう雰囲気の中におれば、いつか、一、二割の学校秀才と、一割にみたない有名校の学生、生徒をのぞく大部分の人々が、自信を失い、劣等感のとりこになっていくしかない。学校は、すべての人が、それなりに一人立ちできることを目標としながら、その実、八割近い人々に、無力感や劣等感をうえつけ、一人一人将来を切り拓くかわりに、その夢や希望をつみとっているのである。こうして人々は、ファイトを失い、あきらめを身につけさせられる。

 私でなくとも、この事実を考えたら、「学校よ、くたばれ」といいたくなろう。

 学校教育をうけなかった者の中には、学歴がないということで差別をうけたり、いわれのない劣等感に悩まされることはあっても、自分自身の能力を勝手にゆがめられたり、無力感や劣等感をうえつけられることもないままに、ぐんぐんと成長し、のびのびと生活をしている者がある。非常にすぐれた仕事をやっている者もある。それは、妙な足カセ、手カセをはめこまれることのなかったせいともいえる。

 学校教育の渦中にある者は、この事実をよくよく、胸に深く刻みつけることが必要である。

池田 諭「<はじめに> やりがいある独学・生きがいある人生
(池田 諭の会HPより)、
独学のすすめ―自分なりに生きよう (1965年)』より

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