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NHKの豊富な英語の音声&映像(初級~上級レベル)を、インターネットを通していつでも無料で視聴し、英語学習に活用する方法 【図解・全33ページ】 の紹介

 

NHKの豊富な英語の音声&映像(初級~上級レベル)を、インターネットを通していつでも無料で視聴し、英語学習に活用する方法【図解・全33ページ】


利用できる英語コンテンツは、映像、音声、文章と多様です。

映像や音声が多いので、特にリスニングの教材として効果的です。

 

教材としての質は、やはりNHKだけあって高レベルです。

また、利用対象者の英語習熟度は、初級~上級レベルと幅広いです。

 

利用はすべて無料です。

真夜中でも、真昼でもいつでも好きなときに利用できます。

 

本文中では、画像を多用して分かりやすく解説しています。
【図解・全33ページ】


このレポートを読んで、

ネイティブスピーカーが普段、話し・聞き・読んでいる本物の英語を

思う存分、無料で学びましょう!

 

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「英語ネット独学のすすめ」 運営方針

「英語ネット独学のすすめ」では、インターネットを活用して英語を学習する方法についての情報を発信しています。


この「英語ネット独学のすすめ」の運営方針は、次の一節に要約されています。

人間の知識の歴史のうえでは、

「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。

(…中略…)

人間が、なにかを学ぼうとするとき、

たよりになるのはじぶんじしん以外には

なにもないのがふつうなので、

「独学」以外に学問の正道はなかった。

     (加藤秀俊 著 『独学のすすめ』 より)

 
たしかに、学校に通って講義を聞くことは学習の基本といえるでしょう。

しかし、なによりも大切なことは、自主的に学ぼうとする気持ちです。

その気持ちさえあれば、

たとえ金銭的・時間的な事情などにより

学校で学ぶことができなかったとしても、

独学で立派に成果をあげることができます。

 

とくに現在では、インターネットに代表されるIT技術の進歩により、

いつでも、どこでも、どんな人でも

少額、あるいは無料で、膨大な情報に触れることができるようになり、

また同時に、多くの便利なツールを使うこともできるようになりました。

そのため、昔に比べて独学することがはるかに容易になっています。

このような革命的な状況は、

これまで金銭的・時間的な制限を受けていた人にとっては

とりわけ大きなチャンスをもたらしてくれています。

しかしそれはまた、もはや言い訳ができないということでもあるのです。

なぜならば、その気になればいくらでも学ぶ機会があるからです。

 

この「英語ネット独学のすすめ」では、そうしたインターネットを活用した学習法の中でも、

インターネットを活用した英語の学習法についての情報を発信しています。

ここから発信する情報が、少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。

 

倉田 幸暢

たまたま巡り合った学校の先生より、もっといい先生が本を書いている

何と言っても、自分で自分を教育するよりないですよ。(中略)たまたま巡り合った学校の先生より、もっといい先生が本を書いているわけでしょ。それを読むほうが速いですよ。読むと空想力ができる。活字というものは、空想力の刺戟のために存在しているようなもので、テレビはイマジネーションを画面にしてくれますから空想力は落ちますよ。(中略)活字に刺戟してもらうことによってしか、人間は人間らしくなれませんよ

司馬遼太郎

(大阪市立図書館が発行している「図書館通信」の昭和46年12月号に司馬氏が図書館についての思い出を語った談話より)

司馬遼太郎がゆく―「知の巨人」が示した「良き日本」への道標』 p.242より
半藤一利、山折哲雄ほか、2001年、プレジデント社

人間の知識の歴史のうえでは、「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。

よくしらべてみると、これまで東西の大学者、思想家と呼ばれる人たちのすくなからぬ部分が、学校教育をうけることなく、独学で勉強していたことがわかる。

いや、学校に入らなければ学問はできない、などという思想は、ついこのあいだ出来たばかりの新興思想にすぎないのであって、人間の知識の歴史のうえでは、「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。

だいいち、学校などというものが、こんなにいっぱいできたのはここ二、三十年の新世相だったのである。

人間が、なにかを学ぼうとするとき、たよりになるのはじぶんじしん以外にはなにもないのがふつうなので、「独学」以外に学問の正道はなかった。

加藤秀俊

独学のすすめ』p.18、1978、文春文庫、文芸春秋

自分にとって最も分かりやすい教科書

自分にとって最も分かりやすい教科書やテキストというのもは
市販の既成品のなかには存在しません。

自分にとって最も分かりやすい教科書やテキストは
自分で書き込みを行ったり
アンダーラインやマーカーを使って

ある意味、自分で育てていくものです。

ですので、ある程度質のいい教科書を選ぶ必要はありますが
市販の教科書に完璧を求めることはあまり意味のないことだとおもいます。

自分にとって最も理解しやすい教科書が欲しいのであれば
買う前にあれやこれやと悩むのではなく
他人の書評などを参考にして、過不足ないと判断した時点で
早めに買ってしまって、
一刻も早くその教科書を自分流にアレンジしていくことが必要だとおもいます。

書き込みがまったくなく、きれいなままの教科書なんて、何の価値もありません。

むしろ、書き込みが多く、
他人から見れば汚いと思われるほどに使い込んだ教科書にこそ
真の価値があります。

自分自身の教科書であって、他人の教科書ではないのですから
他人から見た評価なんてなんの意味もありません。無意味です。

とにかく、学習の過程で気付いたことや考えたこと、疑問に思ったことは
どんどん書き込んでいくべきだとおもいます。

自分から自発的に考えたことに関する事項は
記憶に定着しやすいです。

逆に、自分にとって最も理解しやすい教科書が欲しいのであれば
「自分自身が教科書を作っていく」という意識と努力が必要になるのです。

他人の頭を通して理解していたものを
自分の頭を通して理解できるように努力するです。

自分からひきはなし、もぎとろうとしても、決して、もぎとられない、血肉化した学問、知識を身につけていく学び方

 独学とは、自分自身を中心にして、自分自身のために、現実から一歩一歩学びつつ、確実に現実を自らのものにし、征服することである。自分自身をふとらせていく学び方である。頭だけでなく、身体全体をふとらせていくことである。自分からひきはなし、もぎとろうとしても、決して、もぎとられない、血肉化した学問、知識を身につけていく学び方である。試験や就職のために、学ぶのではない学び方である。

 あなたが、現在の不満だらけで、面白くない状態から脱出しようと思ったなら、まず、これまでに学んできたもの、現在のあなたを支えている知識を再検討してみることである。そこから、あなたの本当の人生の第一歩が開かれるであろう。現代という時代は、それを、なによりもあなたたちに求めているからである。

池田 諭「<はじめに> やりがいある独学・生きがいある人生

(池田 諭の会HPより)、

独学のすすめ―自分なりに生きよう (1965年)』より

自らの欲望を開発し、自らの感覚をとぎすましながら、それらを基調にしていく勉強は、他人がきめたコースを、安易に、無自覚に学んでいくところからは生まれない。

 くじけたりいいかげんに妥協したりすることがなく、たえず前進をつづける学力と知力こそが、それらを身につけた人々を人生の輝かしい勝利者にし、さらに新しい時代を築いていく。

 このように、自らの欲望を開発し、自らの感覚をとぎすましながら、それらを基調にしていく勉強は、他人がきめたコースを、安易に、無自覚に学んでいくところからは生まれない。それは、学校に学ぼうと学ぶまいと、それに関係なく、自らの道を自問自答しながら、自学自習をつづける独学によるしかない。

池田 諭「<はじめに> やりがいある独学・生きがいある人生
(池田 諭の会HPより)、
独学のすすめ―自分なりに生きよう (1965年)』より

学校は、すべての人が、それなりに一人立ちできることを目標としながら、その実、八割近い人々に、無力感や劣等感をうえつけ、一人一人将来を切り拓くかわりに、その夢や希望をつみとっているのである。

 現在の学校教育は、これらの能力を身につける上で、むしろマイナスの作用をしているといってもよかろう。しかも、長い間こういう雰囲気の中におれば、いつか、一、二割の学校秀才と、一割にみたない有名校の学生、生徒をのぞく大部分の人々が、自信を失い、劣等感のとりこになっていくしかない。学校は、すべての人が、それなりに一人立ちできることを目標としながら、その実、八割近い人々に、無力感や劣等感をうえつけ、一人一人将来を切り拓くかわりに、その夢や希望をつみとっているのである。こうして人々は、ファイトを失い、あきらめを身につけさせられる。

 私でなくとも、この事実を考えたら、「学校よ、くたばれ」といいたくなろう。

 学校教育をうけなかった者の中には、学歴がないということで差別をうけたり、いわれのない劣等感に悩まされることはあっても、自分自身の能力を勝手にゆがめられたり、無力感や劣等感をうえつけられることもないままに、ぐんぐんと成長し、のびのびと生活をしている者がある。非常にすぐれた仕事をやっている者もある。それは、妙な足カセ、手カセをはめこまれることのなかったせいともいえる。

 学校教育の渦中にある者は、この事実をよくよく、胸に深く刻みつけることが必要である。

池田 諭「<はじめに> やりがいある独学・生きがいある人生
(池田 諭の会HPより)、
独学のすすめ―自分なりに生きよう (1965年)』より

学校教育制度が整備されればされるほど、本来あるべき独学の姿勢をますます喪失していっている現状

私は、学校教育制度が整備されればされるほど、本来あるべき独学の姿勢をますます喪失していっている現状、学校教育をうけることのできなかった人達は相もかわらぬ、いわれなき劣等感のとりことなってその人生をゆがめている現状に対して、知識というものへの再検討とともに、独学の必要をすすめないではいられないのである。

池田 諭「序 独学時代がやってきた(現代は独学時代)

(池田 諭の会HPより)、

独学のすすめ―現代を生きる技術 (1963年)』より

独学の姿勢こそ、学ぶ姿勢

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