天才、大村益次郎

司馬遼太郎の小説『花神』で描かれている
村田蔵六の人物像をご紹介します。

大村益次郎(村田蔵六)
大村益次郎(村田蔵六) [1]

村田蔵六(後の大村益次郎)

彼は、日本の近代兵制の創始者であり、
幕末に徳川幕府を倒した討幕軍の司令官でもありました。

そのときの功績を評価され、明治維新後には、
最初の兵部大輔(軍事大臣)となりました。

しかし、それだけではなく、彼は

西洋医学を学んだ医師
西洋の科学技術を研究した学者
西洋の近代な軍事を研究した兵学者

などさまざまな顔をもっていました。

このように多方面にわたって才能を発揮した彼は、
まさに「天才」だったといえるでしょう。

著者である司馬遼太郎は、
村田蔵六の人物像についてこのように述べています。

壮大な新国家像を想定する能力があり、さらには軍事的天才というほかない人物だった

(司馬遼太郎 『花神 (下巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.394)

適塾

彼は、若いころは蘭方医
(オランダ語を通じて入ってきた西洋医学を学んだ医者)として
西洋の医学を学んでいました。

医学を学ぶために彼が入門したのは、
名医の呼び声高い緒方洪庵が主催し、
当時、日本一の医学塾であるといわれていた
大阪の「適塾」でした。

ちなみに、「適塾」という名前は、
緒方洪庵が「適々斎」と名のっていたことに由来します。

この適塾は全国から優秀な人たちが集まってくる場所として有名でした。

適塾で学んだ優秀な人材のなかには、
あの福沢諭吉もいました。

しかし、福沢が適塾に入門した時期は
蔵六よりもすこしあとのことだったので、
福沢は蔵六の後輩にあたります。

ですが、福沢が適塾に入門した時には
蔵六はすでに適塾を離れていたので、
福沢と蔵六はともに学んだ者同士というわけではなく
はじめ二人は面識がありませんでした。

とはいうものの、お互い全国の俊才が集まる適塾で主席になるような
才能の持ち主同士であったので、互いのことは風の噂で知っており、
やがて出会うことになります。

もっとも、福沢と蔵六は、お互いに
生涯、相手のことを嫌な奴だと思っていたようです(苦笑)。

ちなみに、
この適塾は、巡りめぐって現在のマンガ文化にも関係してくるのですが、
それはまた別の機会に。
(「幕末の適塾と現代のマンガ文化の不思議な縁」)

さて、閑話休題。

日本全国から俊才が集まるこの適塾のなかでも
蔵六は際立って学業優秀であったために、
わずか一年で最上級のクラスに進級し、
後には、師範代ともいえる塾頭にまでなります。

軍神、大村益次郎

晩年に討幕軍の司令官であったときには、
まわりからの評判は次のようなものでした。

 ――あの人は甲冑火縄銃の時代のひとではない。木筆をみてもわかるように、地球の規模で物事を考えていくさをなさる。
 と、受け取るものが多い。「地球」というのは幕末の流行語のひとつで、世界というほどのいみである。そのようにうけとるひとびとは、蔵六を一種の神人のように思い、その頭脳からわき出る韜略(兵法)に神秘的なものを感じ、さらには蔵六の作戦の命令がいかに意外なものであろうともそれに服しようという姿勢をとった。

(司馬遼太郎 『花神 (下巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.332)

さらに、維新後に西郷隆盛が起こした西南戦争を、
実際に戦争が起こる9年も前に予見していました。

それについては、暗殺者に襲撃されたときに負った傷を治療するために
入院していた際に、以下のような遺言を残しています。

 遺言らしいものは、二つしかない。見舞いにきた門人の山田顕義に対し、
「四斤砲をたくさんつくっておけ」
 ということがそのひとつである。西郷の反乱にそなえるためのものであり、げんに八年後の後の西南戦争でこの砲が九州の山野で咆哮した。西郷の死は蔵六の死よりも遅かったが、しかしながら相討ちだったかもしれない。

(司馬遼太郎 『花神 (下巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.417)

 蔵六は、士族の特権を廃止して百姓・町人を基盤とする兵制を考えている。このことが洩れて「士族のあいだで不穏の空気がある」と木戸は蔵六にいった。ゆくと殺される、とまでいったが、蔵六は翻意しなかった。

(司馬遼太郎 『花神 (下巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.391)

また、
この小説『花神』の巻末に、解説文を寄せている赤松大麓は
木戸孝允の言葉として次のように書いています。

彼が果たした役割について、木戸孝允は晩年つぎのように語っている。
「維新は癸丑(ペリーが来航の嘉永六年)いらい、無数の有志の屍のうえに出できたった。
 しかしながら最後に出てきた一人の大村がもし出なかったとすれば、おそらく成就はむずかしかったにちがいない」

(司馬遼太郎 『花神 (下巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.423)

 


脚注
  1. (大村益次郎(村田蔵六)(Painted by エドアルド・キヨッソーネ From 国立国会図書館、「近代日本人の肖像」))[Back ↩]