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とある変態三人の桃園結義(Otaku Rebel Rant)(オタクレベルラント)

とある変態三人の桃園結義(Otaku Rebel Rant)

 
 

Remember Oct. 20, 2012.

 
 
 
 
 
 

なんで「ワードプレスナビゲーター」をつくったの?

僕は、たくさんの人がもっと自由に自分の思いや考えていることを表現できるようになれば、もっと楽しい社会になると思っています。

いろいろな人が、世界に対して、自分の思いや考えていることを表現することで、その人が学んだことや、経験したこと、考えていること、おもしろいと感じたことなどを世の中に還元することができると思っています。

そうすることで、他の人のわくわくする気持ちを刺激することができ、その結果として、目を輝かせてなにかに夢中になれる人を増やすことができるのだと思います。

そして、そのような世の中は、きっと、いい世の中なのだろうと、僕は思っています。

ワードプレス(WordPress)は、文章や写真や動画や音声など、さまざまな表現方法で、自分自身を表現することができる、とても便利な道具です。

ですから、WordPressは、人々が自分が学んだことや、経験したこと、考えていること、おもしろいと感じたことなどを世界に対して情報発信していくための、心強いプラットフォームになると思います。

ちなみに、僕は、ビジネスというのは、自分を表現するための方法のひとつだと思っています。

ビジネスにたずさわっている人は、誰でも、大なり小なり、なにか世の中を良くしたいという気持ちがあるものだと思います。

そのための方法、つまり、その人がたずさわっている仕事は人それぞれですが、その人がする仕事は、その人自身を反映した、その人なりの表現だと思います。

このような理由から、「ワードプレスをビジネスのために活用する」という観点からのお話もしています。

ですが、ワードプレス(WordPress)は、決してビジネスの観点からだけ、優れているわけではありません。

ビジネス以外の分野でも、きっとあなたの思いを世界に向かって表現する手助けをしてくると思います。

初心者のためのワードプレスの使い方の入門講座である『WordPress ことはじめ』を作った理由は、いくつかあるのですが、そのなかのコアといえる部分は、ワードプレス(WordPress)を自己表現のためのプラットフォームとして使う人を増やして、もっとたくさんの人に、その人が学んだことや、経験したこと、考えていること、おもしろいと感じたことなどを発信していってほしいと思ったからなのです。

僕がWordPressをおすすめする理由をいろいろとお話してきましたが、結局のところ、本当の理由は僕がWordPressが好きだということです。

あなたにも経験があると思いますが、好きで好きでしょうがないものを、ほかの人にも紹介したくなってしまった、というのが本音のところです。

WordPressに関わっているほかの人と同じように、WordPressが大好きです。

WordPressを使い始めれば、あなたもきっとWordPressを好きになると思います。

「ワードプレスナビゲーター」が目指すもの

人間万事 Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)

どうも、倉田幸暢です。

ここでは、なぜ、僕がこのウェブサイトをつくったのかということ、つまり、このウェブサイトのテーマについて、お話します。

「WisdomMingle」ってなに?

このウェブサイトのタイトルである、「WisdomMingle」という言葉は、「ウィズダム・ミングル」と読みます。

この言葉は、「wisdom」という言葉と、「mingle」という言葉の2つの言葉を使って、僕が作った造語です。

wisdom」(ウィズダム)という言葉には、「知恵」という意味があります。

ここでは、「古今東西のさまざま人々の叡智」というような意味で、この「wisdom」(ウィズダム)という言葉を使っています。

もうひとつの、「mingle」(ミングル)という言葉には、「混ぜ合わせる」という意味があります。

なお、あとで紹介するように、ここでは、この「mingle」(ミングル)という言葉に、「ごちゃまぜ」というニュアンスもこめています。

また、この「mingle」(ミングル)という言葉には、ほかにも、「人と話をする」、「人と交わる」、「加わる、参加する」といった意味もあります。

そして、この2つの言葉を組み合わせた「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という言葉を、ここでは、

「知恵を混ぜ合わせてひとつにすること」
または、
「知恵が混ざり合ってひとつになっている状態」

といった意味で使っています。

より正確に言うと、僕は、この「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という言葉に対して、次のような意味をこめています。

「いろいろなことを学んでいくなかで、過去から現在に至るまでの世界中のさまざま人々やものごとと出会い、それらと対話することで、新たな知恵が生まれる」

これが、僕が言う「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という言葉の真意です。

そして、この、「いろいろなことを学んでいくなかで、過去から現在に至るまでの世界中のさまざま人々やものごとと出会い、それらと対話することで、新たな知恵が生まれる」ということが、このサイトのテーマです。

それはまた、僕自身のテーマでもあります。

ちなみに、僕がこの「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という考えにいたったきっかけは、加藤秀俊さんの著書である『独学のすすめ』という本でした。

加藤秀俊さんの『独学のすすめ』から受けた影響

ここからは、この加藤秀俊さんの『独学のすすめ』という本のなかで、僕が「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という考えにいたるきっかけとなった部分をご紹介します。

 アメリカの小学校の実験学級というものを見たことがある。実験学級であるから、あくまで、その運営のしかたはアメリカの教育の現状からみて例外的というべきだろうが、見ていて、たいへんおもしろかった。どんな点でおもしろかったのか。要するに、この学級では、わたしたちが一般的に知っている「教科目」がごちゃまぜになっているのである。いや、ごちゃまぜ、というよりは、そもそも「教科目」というかんがえかたじたいがそこでは極力、排除されているのである。
(中略)
 べつな時間は、まず、メリケン粉、砂糖、タマゴ、などの食料品を机のうえにならべて先生が話しはじめる。メリケン粉はデンプンである。デンプンの存在はどうやってたしかめるか―ヨード実験をやってみる。砂糖というのは、どんなふうにつくられるか―砂糖生産のスライドが用意されていて、砂糖キビ畑というのがどんなものか、子どもたちは教えられる。タマゴについても、その生物学的な説明がほどこされる。
 ひととおり、これらの学習がすむと、これでケーキをつくってみよう、ということになる。材料をまぜあわせ、かたちをつくり、オヴンにいれるまえに、目方をはかる。焼いているあいだは、なぜ、ベーキング・パウダーをいれるとふくらむか、についての化学の授業がある。ケーキが焼きあがると、そこでふたたび目方をはかり、水分がどれだけ蒸発したかを計算する。そして、できあがったケーキを、そのグループの子どもたちが公平にわけるとすると、ケーキの中心角は何度であるか、の計算が命ぜられる。六人、九人、などというキリのいい人数ならば計算は簡単だが、七人、十一人などだと、いくらやっても割り切れない。割り切れないから、そこで循環小数というものについて説明があり、概数のとらえかたが教えられる。そして、ひととおり済んだところで、ケーキを切りわけ、みんなで食べて、それで授業がおわる。このばあいには、「教科目」的にいうと、理科、算数、社会、家庭の各科が一体化しているのである。
 実験学級の子どもたちは、こうした授業をおもしろがっている。算数とか理科とか、ひとつひとつの科目がバラバラに切りはなされているときには退屈する子どもでも、このような実験授業には、目をかがやかせて惹きつけられている。そういう姿を見ながら、わたしはかんがえた。いったい、「教科目」とはなんなのであろうか。
 もともと、人間の知識というのは、かなりの程度まで総合的なものである。べつだん、われわれお互いの頭の中にたくさんのヒキ出しが用意されていて、これが数学、こっちが歴史、というふうにきっちり知識が区分けされているわけのものでもない。

(加藤秀俊 『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、p.179-181)

この話を聞いていただければ、「ごちゃまぜ」(「mingle」、ミングル)ということが、いかに楽しく、有益なものなのかということがお分かりいただけると思います。

そして、また、この話のなかにあった、「目をかがやかせて惹きつけられている」という言葉は、このサイトのもうひとつのテーマである、「Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)」という言葉につながっています。

この「Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)」という言葉については、あとでお話します。

以下は、さきほどの『独学のすすめ』の一節のつづきの部分です。

およそ「教科目」というのは、ひとつの歴史的な産物であって、こんな妙ちくりんなものにおつきあいしながら「教育」がおこなわれるようになったのは、ごくさいきんのことなのである。
 日本でも西洋でも、ついこの間までは「学問」とは、しょせん「学問」ということであり、その「学問」とは、要するに知識を探求する、ということ以外のなにものでもなかった。知識の領域は、ぼんやりとわかれていたけれども、ひとりの人間の内部では、さまざまな領域にわたっての好奇心がひとつに統合されていた。レオナルド・ダ・ヴィンチなどはその典型ともいうべき人物であって、かれはいっぽうでは、揚水機だのハシゴ車だの飛行機の原型などをつくりながら、他方では人体解剖図をつくったり、流水の研究をしたりもした。そして、人生論も書いたし、あの「モナ・リザ」をもふくめて、たくさんの名画ものこした。かれののこした論考は五千枚におよび、そのテーマは、万華鏡のごとく多岐にわたっているのである。

(加藤秀俊 『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、p.182)

かれは、あらゆることに興味をもち、その興味のおもむくままに、あらゆることをしてみた、というだけのことなのである。「専門」という名の、ふしぎな制限をもたなかったことがあの、のびやかで雄大なひとりの人物をつくったのだ。学問とか知識とかいうものは、じっさいは茫洋としていて、どこにも境界線なんか、ありはしない。

(加藤秀俊 『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、p.184)

知識のありかたがバラバラであるほど、じつは、それを互いにつなぎあわせ、総合化する努力が必要なのではないか。そして、人間のがわも、かつての人間がもっていた健全な多面性を要求されているのではないか。

(加藤秀俊 『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、p.187)

わたしは、オーケストラの指揮のできる首相だの、考古学的発掘をみずからこころみる実業家だの、といった、はばの広い大きな人物のいる社会は、ほんとうに学問だの知識だのがたのしく生きている社会なのではないか、と思う。そして、そんなふうに多面的な人間をそだてる社会は、きっと、いい社会なのだろうと思う。

(加藤秀俊 『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、p.190)

加藤秀俊さんの言う、このような、「ほんとうに学問だの知識だのがたのしく生きている社会」や、「多面的な人間をそだてる、いい社会」というのは、僕にとっては、すばらしいものに感じられます。

そして、そのような社会を実現するための方法として、僕なりに考えて出した答えが、「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)でした。

どういうことかというと、つまり、「いろいろなことを学んでいくなかで、過去から現在に至るまでの世界中のさまざま人々やものごとと出会い、それらと対話することで、新たな知恵が生まれる」ということを、多くの人々に実感してもらうことで、いろいろなことを学ぶことの楽しさやすばらしさを知ってもらうことができれば、多面的でおもしろい人がどんどん増えていって、その結果として、多種多様なおもしろい人がたくさんいる多様性に満ちた楽しい社会になるのではないか、と考えているのです。

Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)ってなに?

ここからは、上でご説明した、「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という言葉に関連して、このサイトのもうひとつのテーマである、「Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)」という言葉についてお話していきます。

以下の文章は、それぞれ、「Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)」という言葉について書かれた文章の一節です。

これらの文章には、「Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)」という言葉の意味について、教えてくれるものがあります。

 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
 もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
 この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

(レイチェル・カーソン、(上遠恵子 訳)『センス・オブ・ワンダー』、新潮社、1996.7.25、p.23)

 何かをうまくやるためには、それを愛していなければならない。ハッキングがあなたがやりたくてたまらないことである限りは、それがうまくできるようになる可能性が高いだろう。14歳の時に感じた、プログラミングに対するセンス・オブ・ワンダーを忘れないようにしよう。

(Paul Graham(ポール・グレアム)(川合史朗 訳) 『ハッカーと画家:コンピューター時代の創造者たち』、オーム社、平成17年1月25日、p.237)

僕は、「Sense of Wonder」(センス・オブ・ワンダー)というのは、
目を輝かせて夢中になること」だと思います。

そして、人は「目を輝かせて夢中になること」があるからこそ、生きていけるのではないかと思います。

ですので、「人間万事 Sense of Wonder」だなぁと、僕は思うのです。

そして、たくさんの人に「Sense of Wonder」(センス・オブ・ワンダー)を感じていて欲しいと思っています。

たくさんの人が、「Sense of Wonder」(センス・オブ・ワンダー)を感じながら、目を輝かせて生きている社会は、きっと、いい社会なのだろうと思います。

2009年11月6日1:02
倉田幸暢

「英語ネット独学のすすめ」 運営方針

「英語ネット独学のすすめ」では、インターネットを活用して英語を学習する方法についての情報を発信しています。


この「英語ネット独学のすすめ」の運営方針は、次の一節に要約されています。

人間の知識の歴史のうえでは、

「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。

(…中略…)

人間が、なにかを学ぼうとするとき、

たよりになるのはじぶんじしん以外には

なにもないのがふつうなので、

「独学」以外に学問の正道はなかった。

     (加藤秀俊 著 『独学のすすめ』 より)

 
たしかに、学校に通って講義を聞くことは学習の基本といえるでしょう。

しかし、なによりも大切なことは、自主的に学ぼうとする気持ちです。

その気持ちさえあれば、

たとえ金銭的・時間的な事情などにより

学校で学ぶことができなかったとしても、

独学で立派に成果をあげることができます。

 

とくに現在では、インターネットに代表されるIT技術の進歩により、

いつでも、どこでも、どんな人でも

少額、あるいは無料で、膨大な情報に触れることができるようになり、

また同時に、多くの便利なツールを使うこともできるようになりました。

そのため、昔に比べて独学することがはるかに容易になっています。

このような革命的な状況は、

これまで金銭的・時間的な制限を受けていた人にとっては

とりわけ大きなチャンスをもたらしてくれています。

しかしそれはまた、もはや言い訳ができないということでもあるのです。

なぜならば、その気になればいくらでも学ぶ機会があるからです。

 

この「英語ネット独学のすすめ」では、そうしたインターネットを活用した学習法の中でも、

インターネットを活用した英語の学習法についての情報を発信しています。

ここから発信する情報が、少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。

 

倉田 幸暢

「独学のすすめ」の主旨

人間の知識の歴史のうえでは、「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。(…)人間が、なにかを学ぼうとするとき、たよりになるのはじぶんじしん以外にはなにもないのがふつうなので、「独学」以外に学問の正道はなかった。

 
この文章は、加藤秀俊さんの著書『独学のすすめ』の一節です。

「独学のすすめ」の主旨は、この一節に要約されています。

 
たしかに、学校に通って講義を聞くことは学習の基本といえるでしょう。

しかし、なによりも大切なことは、自主的に学ぼうとする気持ちだと思います。

その気持ちさえあれば、たとえ金銭的・時間的な事情で

学校で学ぶことができなかったとしても、独学で立派にやっていけます。

 
とくに現在では、少額、あるいは無料でも、多くの便利な道具が使えるようになってきました。

そのため、昔に比べて独学することがはるかに容易になっています。

この「独学のすすめ」では、そうした独学によるさまざまな学習法について述べていきたいと思います。

 
かく言う私も、生涯学び続ける学習者の一人に過ぎません。

しかし、そんな私でもきっと誰かの力になれることがあると信じています。

私が知っていることや考えたことなどが、少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。

生産者と消費者

 (Photo by Kelvin Kay at Wikimedia Commons)
Photo by Kkmd on Wikimedia Commons

最近ふと思った。

大人になるってことが、年を重ねるってことが、
消費しかしなくなるってことと同義になっていってるんじゃないか、って。

映画とか、演劇とか、音楽とか、料理とか、本とか、絵とか、
観賞したり、聞いたり、味わったり、読んだり、鑑賞したり、
よいものを消費するのはとっても楽しい。

でも、本当はクリエイターである、つくる側が一番楽しいんじゃないかって。

手からこぼれ落ちる砂みたいに、
やった先からどこに行ってしまったのか分からなくなって、
誰からも忘れ去られてしまうような日々の作業じゃなくて、

カタチに残せること、
たしかにそこにあって、自分がつくったんだって胸を張って言えるもの。

よいものをつくるのはきっと大変だろうと思う。

徹夜したり、煮詰まったり、期日に間に合わなかったり、意見がぶつかったり、
身も心もボロボロで、
自分はなんでこんな苦しいことやってんだろ、ってなときもあるだろう。

でも、なによりも、

誰かに言われたからじゃない、
その過程自体が楽しいから、
自分の心が求めることをカタチにしていくことができるから、
持てる力のすべてをかけてそれに没頭できるから、
そして、その努力が時として自分自身が予想していた以上のものを見せてくれるから、

やっぱり一番楽しいのは生産者じゃないかな。

生産者は本当は心のなかで思ってるんじゃないだろうか。

あーあ、消費者ってかわいそうだよなー、こっち側はこんなに楽しいのに、って。
ほんとうの「楽しい」はこっち側にしかないのに、って。

そんなこんなで、
自分も生産者でいたいなぁ、なんて思っとります。

ほんとは、みんな心のどっかで
何やらつくってみたくてうずうずしてるんじゃないかなぁ。

2007年1月14日2:36
倉田幸暢

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