「加藤秀俊」タグの記事一覧

加藤秀俊さんについて

  

わたしは、オーケストラの指揮のできる首相だの、考古学的発掘をみずからこころみる実業家だの、といった、はばの広い大きな人物のいる社会は、ほんとうに学問だの知識だのがたのしく生きている社会なのではないか、と思う。そして、そんなふうに多面的な人間をそだてる社会は、きっと、いい社会なのだろうと思う。

――― 加藤秀俊、『独学のすすめ』 (*1)

  

ここでは、社会学者の加藤秀俊さんについての情報を、ご紹介させていただきたいとおもいます。
m(_ _)m

(参考)
加藤秀俊 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/加藤秀俊

  

目次
  1. 『独学のすすめ』
    1. 「「独学」とは、主体的に学ぼうとする姿勢のことにほかならない」
    2. 「「専門」とはなにか」
    3. 「情報時代の自己教育」
    4. 「「問題」とはなにか」
    5. 「創造性というもの」
    6. 「「しごと」の意味」
    7. 「読書について」
    8. 「わがままな期待」
  2. 『生きがいの周辺』
  3. 「縁の考察」
  4. 「二宮金次郎が薪を背負って歩きながら読んでいた本はいったいなんだったのだろうか」
  5. 『なんのための日本語』
    1. 「「通じる」ことがことばの基本」、「第二章 ごちゃまぜ言語」
    2. 「基礎語をしっかり」、「第三章 日本語のくみたて」
    3. 「半分以下に減った和語」、「第六章 日本語の責任」
    4. 「わかりやすさを第一に」、「第六章 日本語の責任」
  6. 『加藤秀俊著作集』
    1. 『加藤秀俊著作集 1』(1巻「探求の技法」)
    2. 『加藤秀俊著作集 2』(2巻「人間関係」)
    3. 『加藤秀俊著作集 3』(3巻「世相史」)
    4. 『加藤秀俊著作集 4』(4巻「大衆文化論」)
    5. 『加藤秀俊著作集 5』(5巻「時間と空間」)
    6. 『加藤秀俊著作集 6』(6巻「世代と教育」)
    7. 『加藤秀俊著作集 7』(7巻「生活研究」)
    8. 『加藤秀俊著作集 8』(8巻「比較文化論」)
    9. 『加藤秀俊著作集 9』(9巻「情報と文明」)
    10. 『加藤秀俊著作集 10』(10巻「人物と人生」)
    11. 『加藤秀俊著作集 11』(11巻「旅行と紀行」)
    12. 『加藤秀俊著作集 12』(12巻「アメリカ研究」)
  7. 『加藤秀俊社会学選集』
    1. 『加藤秀俊社会学選集 上巻』
    2. 『加藤秀俊社会学選集 下巻』
  8. 加藤秀俊データベース
  9. 加藤秀俊さんについての関連記事

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  1. (加藤秀俊、「「専門」とはなにか」、『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、1978年、190ページ) [↩ Back]

みんなのための「キャンバス」を、みんなのための「物語」を

Christmas embroidery mounted on canvas (*1)

 

「私には夢がある、
 
 いつの日にか、すべての谷は隆起し、
 丘や山は低地となる。
 
 荒地は平らになり、
 歪んだ地もまっすぐになる日が来ると」

――― マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、「I Have a Dream」 (*2) (*3)

「HTML5 は、その定義にも書かれているように、
 環境、ディスプレイ、あるいは
 技術とは独立して動作する Web 技術です。
 Web 上で成功するため柔軟性を最大限に備えています。
 
 そして Web もその定義通り解釈すれば、
 すべての人のために存在するのであって、
 非常に高価なハードウェアを購入する余裕があり
 一企業によって管理された固定環境に縛られることもいとわない、
 少数の恵まれた人たちのためだけのものではありません。
 …
 これこそ多くの人たちが
 Web 上で何かを始めてきた大きな理由であり、
 今もそれは変わりません。
 そして Web では誰も閉め出されることはありません。」

――― Chris Heilmann、「HTML5 にまつわる誤解を解く」 (*4)

「人の一生は短い。
 
 それひとつでは意味をなさない一瞬の "光" だ。
 
 だから人を愛せ。
 
 絶望する前に、いまできる最善のことを見つけろ。

 そうして連なり、響きあった時に、
  "光" は初めて意味をなす」

――― サイアム・ビスト、『機動戦士ガンダムUC』 (*5)

「みんなのために・・・
 
 みんなのために使う
 
 連邦もジオンも
 宇宙も地球も関係ない
 
 みんなのためにラプラスの箱を」

――― バナージ・リンクス、『機動戦士ガンダムUC』 (*6) (*7)

 

目次
  1. 「ここにもそこにも あそこにも!!」
  2. 猫耳で、ニコニコな、おやじキラー
  3. 世界を読みきれなかった「ヒットラーの尻尾」
    1. 「WHO ARE YOU? お前は誰だ… 正義か悪か 神か邪悪か」
      1. 喧伝と隠蔽のあいだに
    2. 「彼には何もわかっちゃいない」
    3. 「そばにいる者を踏み台にでもしない限り」
    4. 「一番鷄の鳴くころにとび起きて、せっせと利益ばかり漁る人は」
    5. 「おごれる人も久しからず」
    6. 「道にかなっていなければ早く滅びる」
    7. 「iQuit」
    8. 「独裁者」
    9. 「友よ、わたしもまた君と同じことだ」
  4. 「インターネットは誰のもの?」
    1. 「開かれた社会とその敵: 独裁制の後遺症」
      1. 引き裂かれるオープンソサエティと、クローズドソサエティによる囲い込み
      2. 「グミ族のオリ」の寓話
      3. 「国境線」
    2. ウェブOS と ウェブアプリ
    3. 「みんなのインターネット」
  5. どんな表現でも描くことができる「キャンバス」
    1. Chrome公式のブラウザゲーム - 「World Wide Maze」
    2. レトロな多人数同時参加型オンラインRPG - 「BrowserQuest」
    3. 高速3Dレーシングゲームをブラウザで - 「HexGL」
    4. ゲームエンジン - 「Unreal Engine」
    5. ゲームエンジン - 「Unity 5」
    6. コードコミュニティ - 「jsdo.it」
    7. ブラウザゲームコミュニティ - 「jsdo.it HTML5-Games」
    8. ぼくも作っちゃいましたよ、ブラウザゲーム!
  6. 「みんなのために・・・」
  7. みんなのための「物語」を
    1. 「天空にこだませよ歓喜の歌」
    2. 「遊びをせんとや生れけむ」
      1. 「楽しい」+「受け応え」=「遊び」
    3. 「誤解なくわかり合えるように」
    4. 夢か、現か、幻か
  8. 「おもい」をのせて
  9. 「先行きが安らかであることを 実りある時代になることを」

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  1. Christmas embroidery mounted on canvas by Teresa DownUnder, on Flickr) [↩ Back]
  2. マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)、「I Have a Dream」「私には夢がある」、1963年8月28日)) [↩ Back]
  3. (「I Have a Dream」の全文(英語)、BBC NEWS | Americas | 'I have a dream') [↩ Back]
  4. Chris Heilmann、「HTML5 にまつわる誤解を解く | Mozilla Developer Street (modest)」(原文:「HTML5 mythbusting ✩ Mozilla Hacks – the Web developer blog」)) [↩ Back]
  5. (サイアム・ビストの言葉、著者:福井晴敏、『機動戦士ガンダムUC (10) 虹の彼方に (下)』(小説)、角川書店(角川グループパブリッシング)、角川コミックス・エース、2009年、116ページ) [↩ Back]
  6. (「みんなのために・・・ みんなのために使う 連邦もジオンも 宇宙も地球も関係ない みんなのためにラプラスの箱を」、バナージ・リンクス、『機動戦士ガンダムUC episode6「宇宙(そら)と地球(ほし)と」』(アニメ)) [↩ Back]
  7. (参考:episode6「宇宙(そら)と地球(ほし)と」のテレビCMの映像、機動戦士ガンダムUC episode6『宇宙と地球と』TVCM(アニメ)) [↩ Back]

あの飛行機雲のように:200号の大キャンバスに、太筆でぐっと一本の線を引く、完全燃焼のジェット噴射

 司馬遼太郎さんの歴史小説を読むと、いつも時間のたつのを忘れる。『龍馬がゆく』はもとよりのこと『関ヶ原』でも、『国盗り物語』でも、また、最近の『峠』でも、わたしは、司馬さんの作品には、すっかり魅了されてしまうのだ。
 その魅力、ないし魔力はどこにあるのだろうか、とわたしはしばしば考える。
 いろんな理由があろう。司馬さんのみごとな史観、そして、着実な史料研究。簡潔な文体。かぞえあげていけば、司馬文学の魅力はいくらでも語ることができる。しかし、わたしが、平凡な読者として司馬さんの小説にすべてを忘れて没入しているときのことを内省的に考えてみると、とにかく、主人公の生き力がおもしろいのである
 おもしろい、というのは適切なことばではない。呆気にとられ、また、惚れぼれするような、あざやかな人生の軌跡―それにわたしは圧倒されてしまっているのである。竜馬の場合がそうだし、斎藤道三がそうだし、島左近がそうだ。それぞれの人物が生きた時代の背景はちがう。しかし、これらの人物には、かなり共通した人生への態度がある
 かれらは、人間のなかに、ふつふつと煮えたぎるなにものかをもっていた。それは、人間活力とでもいうべきものかもしれない。その活力を、いわば、バルブ全開で、これらの人物は放出しつづけたのである。あたかもそれは、ジェット噴射によって、全速で飛びつづける超音速機のようなものだ。活力のありったけをつねに出しつづけ、あれよあれよという間に大空の彼方に見えなくなってしまう。司馬さんは、その超音速の飛行機雲のなかにわれわれを誘いこんでくれるのだ。
 これらの人物は、なによりもまず、世界を粘土のようなものとしてとらえた。粘土のような、といってはぐあいがわるい。形のないもの、あるいは形の定まらないもの、としてとらえた。形がないから、どうにでもそれは変えることができる。あるいは、形がないからこそ形をつける、というおもしろさがある。かれらの活力は、そのような世界を相手に放出された。
 たとえ話ばかりで恐縮だが、たとえば、二〇〇号くらいの大カンバスに、太筆でぐっと一本の線を引くようなさわやかさが、これらの人物にはある。わたしが惹かれるのは、おそらくそのさわやかさであり、また、多数の読者が司馬文学に惹かれるのも、そのさわやかさなのではあるまいか。
 『竜馬がゆく』を読んでいて、竜馬がある決断をし、それを行動にうつしていくときの屈託のなさに、わたしなどは一種の羨望をもつ。竜馬の精神はいつも張りつめていて、その活力は尽きることがない。かれの頭のなかにつくられた大きな構図―それにむかって、かれはまっしぐらに突きすすんでいく。ためらい、というものがこれっぱかしもない。あれこれと気兼ねしないのである。
 竜馬にとっては人生も、世界も、たぶんおもしろくてたまらなかったろう。自由というものをかれは知っていた。かれの人格のなかにはとどまることのない噴射エンジンのようなものが内蔵されており、人生には、少しも不燃焼ガスのごときものが残らない。きれいさっぱり完全燃焼なのだ

加藤秀俊、「カプセルと飛行機雲」、「生きがいの周辺」(*1) (*2)

 

 感覚として「しあわせ」というやつに一番近いものは「夢中」なのではないかとぼくは思っている。いつも夢中でいられるというのは、やっぱり最高だろう。

 あらゆるものが目に入らなくなるぐらいに、なにかに夢中になっていられるというのが、いいなぁと思う。

 その「夢中」を突き詰めると「全力を尽くす」という状態になるだろう。

 たぶん、誰でも、全力を尽くしているという状態は、いちばんうれしいのではないだろうか。

 仕事の悩みとは、「状況のせいで、やるべきことに、全力を尽くすことができないから」なのかもしれない。

 お金がない悲しさも、「お金があれば尽くせる全力を、尽くせないから」なのかもしれない。

 好きな人にふりむいてもらえない悲しみも、「相手のためになることを、全力を尽くしてやりつづけられないから」なのかもしれない。

 つまり、ぼくは、「あらゆる不幸は、全力を尽くせないという悲しみにあるのではないか?」と考えているのだ。

 逆に言えば、不幸に思える環境でも、全力を尽くすことができたら、ものの見方ひとつで、死ぬ前に「あぁ、面白い人生だった!」とつぶやくことができるかもしれない。

(糸井重里、『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(*3) (*2)

 

 

  1. 加藤秀俊、「カプセルと飛行機雲 1」、「生きがいの周辺」『加藤秀俊著作集 10』(10巻「人物と人生」)、中央公論社、1980年、9~10ページ) [↩ Back]
  2. (引用文中の太字・赤字の文字装飾は、引用者が加えた文字装飾です。) [↩ Back] [↩ Back]
  3. (糸井重里、「第八章 その後の『ほぼ日』」、『ほぼ日刊イトイ新聞の本』、講談社文庫、講談社、2004年、351~352ページより) [↩ Back]

人間万事 Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)

どうも、倉田幸暢です。

ここでは、なぜ、僕がこのウェブサイトをつくったのかということ、つまり、このウェブサイトのテーマについて、お話します。

「WisdomMingle」ってなに?

このウェブサイトのタイトルである、「WisdomMingle」という言葉は、「ウィズダム・ミングル」と読みます。

この言葉は、「wisdom」という言葉と、「mingle」という言葉の2つの言葉を使って、僕が作った造語です。

wisdom」(ウィズダム)という言葉には、「知恵」という意味があります。

ここでは、「古今東西のさまざま人々の叡智」というような意味で、この「wisdom」(ウィズダム)という言葉を使っています。

もうひとつの、「mingle」(ミングル)という言葉には、「混ぜ合わせる」という意味があります。

なお、あとで紹介するように、ここでは、この「mingle」(ミングル)という言葉に、「ごちゃまぜ」というニュアンスもこめています。

また、この「mingle」(ミングル)という言葉には、ほかにも、「人と話をする」、「人と交わる」、「加わる、参加する」といった意味もあります。

そして、この2つの言葉を組み合わせた「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という言葉を、ここでは、

「知恵を混ぜ合わせてひとつにすること」
または、
「知恵が混ざり合ってひとつになっている状態」

といった意味で使っています。

より正確に言うと、僕は、この「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という言葉に対して、次のような意味をこめています。

「いろいろなことを学んでいくなかで、過去から現在に至るまでの世界中のさまざま人々やものごとと出会い、それらと対話することで、新たな知恵が生まれる」

これが、僕が言う「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という言葉の真意です。

そして、この、「いろいろなことを学んでいくなかで、過去から現在に至るまでの世界中のさまざま人々やものごとと出会い、それらと対話することで、新たな知恵が生まれる」ということが、このサイトのテーマです。

それはまた、僕自身のテーマでもあります。

ちなみに、僕がこの「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という考えにいたったきっかけは、加藤秀俊さんの著書である『独学のすすめ』という本でした。

加藤秀俊さんの『独学のすすめ』から受けた影響

ここからは、この加藤秀俊さんの『独学のすすめ』という本のなかで、僕が「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という考えにいたるきっかけとなった部分をご紹介します。

 アメリカの小学校の実験学級というものを見たことがある。実験学級であるから、あくまで、その運営のしかたはアメリカの教育の現状からみて例外的というべきだろうが、見ていて、たいへんおもしろかった。どんな点でおもしろかったのか。要するに、この学級では、わたしたちが一般的に知っている「教科目」がごちゃまぜになっているのである。いや、ごちゃまぜ、というよりは、そもそも「教科目」というかんがえかたじたいがそこでは極力、排除されているのである。
(中略)
 べつな時間は、まず、メリケン粉、砂糖、タマゴ、などの食料品を机のうえにならべて先生が話しはじめる。メリケン粉はデンプンである。デンプンの存在はどうやってたしかめるか―ヨード実験をやってみる。砂糖というのは、どんなふうにつくられるか―砂糖生産のスライドが用意されていて、砂糖キビ畑というのがどんなものか、子どもたちは教えられる。タマゴについても、その生物学的な説明がほどこされる。
 ひととおり、これらの学習がすむと、これでケーキをつくってみよう、ということになる。材料をまぜあわせ、かたちをつくり、オヴンにいれるまえに、目方をはかる。焼いているあいだは、なぜ、ベーキング・パウダーをいれるとふくらむか、についての化学の授業がある。ケーキが焼きあがると、そこでふたたび目方をはかり、水分がどれだけ蒸発したかを計算する。そして、できあがったケーキを、そのグループの子どもたちが公平にわけるとすると、ケーキの中心角は何度であるか、の計算が命ぜられる。六人、九人、などというキリのいい人数ならば計算は簡単だが、七人、十一人などだと、いくらやっても割り切れない。割り切れないから、そこで循環小数というものについて説明があり、概数のとらえかたが教えられる。そして、ひととおり済んだところで、ケーキを切りわけ、みんなで食べて、それで授業がおわる。このばあいには、「教科目」的にいうと、理科、算数、社会、家庭の各科が一体化しているのである。
 実験学級の子どもたちは、こうした授業をおもしろがっている。算数とか理科とか、ひとつひとつの科目がバラバラに切りはなされているときには退屈する子どもでも、このような実験授業には、目をかがやかせて惹きつけられている。そういう姿を見ながら、わたしはかんがえた。いったい、「教科目」とはなんなのであろうか。
 もともと、人間の知識というのは、かなりの程度まで総合的なものである。べつだん、われわれお互いの頭の中にたくさんのヒキ出しが用意されていて、これが数学、こっちが歴史、というふうにきっちり知識が区分けされているわけのものでもない。

(加藤秀俊 『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、p.179-181)

この話を聞いていただければ、「ごちゃまぜ」(「mingle」、ミングル)ということが、いかに楽しく、有益なものなのかということがお分かりいただけると思います。

そして、また、この話のなかにあった、「目をかがやかせて惹きつけられている」という言葉は、このサイトのもうひとつのテーマである、「Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)」という言葉につながっています。

この「Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)」という言葉については、あとでお話します。

以下は、さきほどの『独学のすすめ』の一節のつづきの部分です。

およそ「教科目」というのは、ひとつの歴史的な産物であって、こんな妙ちくりんなものにおつきあいしながら「教育」がおこなわれるようになったのは、ごくさいきんのことなのである。
 日本でも西洋でも、ついこの間までは「学問」とは、しょせん「学問」ということであり、その「学問」とは、要するに知識を探求する、ということ以外のなにものでもなかった。知識の領域は、ぼんやりとわかれていたけれども、ひとりの人間の内部では、さまざまな領域にわたっての好奇心がひとつに統合されていた。レオナルド・ダ・ヴィンチなどはその典型ともいうべき人物であって、かれはいっぽうでは、揚水機だのハシゴ車だの飛行機の原型などをつくりながら、他方では人体解剖図をつくったり、流水の研究をしたりもした。そして、人生論も書いたし、あの「モナ・リザ」をもふくめて、たくさんの名画ものこした。かれののこした論考は五千枚におよび、そのテーマは、万華鏡のごとく多岐にわたっているのである。

(加藤秀俊 『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、p.182)

かれは、あらゆることに興味をもち、その興味のおもむくままに、あらゆることをしてみた、というだけのことなのである。「専門」という名の、ふしぎな制限をもたなかったことがあの、のびやかで雄大なひとりの人物をつくったのだ。学問とか知識とかいうものは、じっさいは茫洋としていて、どこにも境界線なんか、ありはしない。

(加藤秀俊 『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、p.184)

知識のありかたがバラバラであるほど、じつは、それを互いにつなぎあわせ、総合化する努力が必要なのではないか。そして、人間のがわも、かつての人間がもっていた健全な多面性を要求されているのではないか。

(加藤秀俊 『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、p.187)

わたしは、オーケストラの指揮のできる首相だの、考古学的発掘をみずからこころみる実業家だの、といった、はばの広い大きな人物のいる社会は、ほんとうに学問だの知識だのがたのしく生きている社会なのではないか、と思う。そして、そんなふうに多面的な人間をそだてる社会は、きっと、いい社会なのだろうと思う。

(加藤秀俊 『独学のすすめ』、文春文庫189-1、文藝春秋、p.190)

加藤秀俊さんの言う、このような、「ほんとうに学問だの知識だのがたのしく生きている社会」や、「多面的な人間をそだてる、いい社会」というのは、僕にとっては、すばらしいものに感じられます。

そして、そのような社会を実現するための方法として、僕なりに考えて出した答えが、「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)でした。

どういうことかというと、つまり、「いろいろなことを学んでいくなかで、過去から現在に至るまでの世界中のさまざま人々やものごとと出会い、それらと対話することで、新たな知恵が生まれる」ということを、多くの人々に実感してもらうことで、いろいろなことを学ぶことの楽しさやすばらしさを知ってもらうことができれば、多面的でおもしろい人がどんどん増えていって、その結果として、多種多様なおもしろい人がたくさんいる多様性に満ちた楽しい社会になるのではないか、と考えているのです。

Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)ってなに?

ここからは、上でご説明した、「wisdom mingle」(ウィズダム・ミングル)という言葉に関連して、このサイトのもうひとつのテーマである、「Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)」という言葉についてお話していきます。

以下の文章は、それぞれ、「Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)」という言葉について書かれた文章の一節です。

これらの文章には、「Sense of Wonder (センス・オブ・ワンダー)」という言葉の意味について、教えてくれるものがあります。

 子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
 もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
 この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

(レイチェル・カーソン、(上遠恵子 訳)『センス・オブ・ワンダー』、新潮社、1996.7.25、p.23)

 何かをうまくやるためには、それを愛していなければならない。ハッキングがあなたがやりたくてたまらないことである限りは、それがうまくできるようになる可能性が高いだろう。14歳の時に感じた、プログラミングに対するセンス・オブ・ワンダーを忘れないようにしよう。

(Paul Graham(ポール・グレアム)(川合史朗 訳) 『ハッカーと画家:コンピューター時代の創造者たち』、オーム社、平成17年1月25日、p.237)

僕は、「Sense of Wonder」(センス・オブ・ワンダー)というのは、
目を輝かせて夢中になること」だと思います。

そして、人は「目を輝かせて夢中になること」があるからこそ、生きていけるのではないかと思います。

ですので、「人間万事 Sense of Wonder」だなぁと、僕は思うのです。

そして、たくさんの人に「Sense of Wonder」(センス・オブ・ワンダー)を感じていて欲しいと思っています。

たくさんの人が、「Sense of Wonder」(センス・オブ・ワンダー)を感じながら、目を輝かせて生きている社会は、きっと、いい社会なのだろうと思います。

2009年11月6日1:02
倉田幸暢

自己紹介 「英語ネット独学のすすめ」

はじめまして、

当サイトの運営者、倉田 幸暢といいます。
 

突然ですが、

ここに一冊の本があります。
 

本の名前は 『独学のすすめ』 。

加藤秀俊という方が書かれた本です。
 

この本のなかに、次のような一文があります。

学校に入らなければ学問はできない、などという思想は、
ついこのあいだ出来たばかりの新興思想に
すぎないのであって、人間の知識の歴史のうえでは、
「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。

だいいち、学校などというものが、
こんなにいっぱいできたのは
ここ二、三十年の新世相だったのである。

人間が、なにかを学ぼうとするとき、
たよりになるのはじぶんじしん以外にはなにも
ないのがふつうなので、
「独学」以外に学問の正道はなかった。

 

そして、この本は次の言葉で締めくくられています。
 

「独学」とは、主体的に学ぼうとする姿勢のことに
ほかならない

 

私は、この本と、これらの言葉が大好きです。
 

それは、自分から学びを求めていくことの大切さを教えてくれるからです。
 

私は、この本に出会うまで

誰かから一方的に押し付けられるという学びのあり方に

ずっと強い疑問を感じていました。
 

学びとは自ら求めるもの。

いつまでも、誰かに一方的に与えられ続けている人は、

本当の意味で「学んでいる」とはいえない。
 

この本は、それを教えてくれました。

それまでずっと感じていた疑問の答えを、この本から得ることができたのです。
 

そして、くじけそうになったときも

何度もこれらの言葉に励まされ、支えられてきました。
 

この本とこれらの言葉を胸に、これまで生きてきたのです。
 

その過程で得た知識や経験、独学の精神、方法論などは、

なにものにも代えがたい私自身の宝物であり、

誰にも奪うことができない最高の財産だと感じています。
 

私のこうした知識や経験が、

少しでも皆さんのお役に立つことができたなら、

これ以上の喜びはありません。
 

なお、私の実践してきた独学が

どの程度のものであったかということを知っていただくために、

私がこれまでに得ることができた成果の一部を、下に掲載しておきます。
 

(画像をクリックすると拡大画面が見られます。)

 

語学関連

TOIEC IPとTOEFL ITPのスコアは、どちらも大学生時代に

大学単位の団体受験として受験したものです。

 

TOIEC IP (Institutional Program)

団体特別受験制度(IP:Institutional Program、以下IPテスト)とは、実施される団体のご都合に合わせて随時TOEICテストを実施できる制度です。

テスト結果の有効性は通常公開テストと同等であると判断されます。

   (TOEIC公式ホームページ 「団体特別受験制度」 より)

 

TOIEC(IP)スコア 795
2005年12月03日 受験
TOIEC(IP)795

 

TOIEC(IP)スコア 720
2005年06月04日 受験
TOIEC(IP)720

 

TOIEC(IP)スコア表 裏面
TOIEC(IP)スコア表裏面

 

TOEFL ITP (Institutional Testing Program)

スコアは公的なものではありませんが、TOEFLテストスコアと高い相関関係があります。

世界中の教育機関等で利用されており、グローバルスタンダードの英語テストとして団体独自の目的に合わせた利用が可能です。

   (ETSプロダクツ公式ページ 「TOEFLテスト ITPとは」 より)

 

TOEFL(ITP)スコア 540
2004年06月12日 受験
TOEFL(ITP)540

 

TOEFL(ITP)スコア 500
2003年10月25日 受験
TOEFL(ITP)500

 

TOEFL(ITP)スコア 463
2003年05月31日 受験
TOEFL(ITP)463

 

中国語検定試験

中検3級合格証明書
2006年11月 受験
中検3級合格証明書

 

西園寺育英奨学金


大学生時代には、

大学から「西園寺育英奨学金」という奨学金をいただきました。


この奨学金は、立命館大学の創設者である

西園寺公望の名を冠した学内最高峰の奨学金です。


この奨学金の受給対象者となるための条件は、

私が所属していた学部の場合、

一学年1000人以上いる学生のなかで、成績上位3.5%に入ることでした。

 
奨学金の金額は、52万3500円でした。

 

西園寺育英奨学金給付証書の表紙
西園寺育英奨学金給付証書 表紙

 

西園寺育英奨学金の給付証書
西園寺育英奨学金の給付証書

 

西園寺育英奨学金の募集要項
西園寺育英奨学金の募集要項

 

西園寺育英奨学生給付決定通知
西園寺育英奨学生給付決定通知

 

「英語ネット独学のすすめ」 運営方針

「英語ネット独学のすすめ」では、インターネットを活用して英語を学習する方法についての情報を発信しています。


この「英語ネット独学のすすめ」の運営方針は、次の一節に要約されています。

人間の知識の歴史のうえでは、

「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。

(…中略…)

人間が、なにかを学ぼうとするとき、

たよりになるのはじぶんじしん以外には

なにもないのがふつうなので、

「独学」以外に学問の正道はなかった。

     (加藤秀俊 著 『独学のすすめ』 より)

 
たしかに、学校に通って講義を聞くことは学習の基本といえるでしょう。

しかし、なによりも大切なことは、自主的に学ぼうとする気持ちです。

その気持ちさえあれば、

たとえ金銭的・時間的な事情などにより

学校で学ぶことができなかったとしても、

独学で立派に成果をあげることができます。

 

とくに現在では、インターネットに代表されるIT技術の進歩により、

いつでも、どこでも、どんな人でも

少額、あるいは無料で、膨大な情報に触れることができるようになり、

また同時に、多くの便利なツールを使うこともできるようになりました。

そのため、昔に比べて独学することがはるかに容易になっています。

このような革命的な状況は、

これまで金銭的・時間的な制限を受けていた人にとっては

とりわけ大きなチャンスをもたらしてくれています。

しかしそれはまた、もはや言い訳ができないということでもあるのです。

なぜならば、その気になればいくらでも学ぶ機会があるからです。

 

この「英語ネット独学のすすめ」では、そうしたインターネットを活用した学習法の中でも、

インターネットを活用した英語の学習法についての情報を発信しています。

ここから発信する情報が、少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。

 

倉田 幸暢

人間の知識の歴史のうえでは、「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。

よくしらべてみると、これまで東西の大学者、思想家と呼ばれる人たちのすくなからぬ部分が、学校教育をうけることなく、独学で勉強していたことがわかる。

いや、学校に入らなければ学問はできない、などという思想は、ついこのあいだ出来たばかりの新興思想にすぎないのであって、人間の知識の歴史のうえでは、「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。

だいいち、学校などというものが、こんなにいっぱいできたのはここ二、三十年の新世相だったのである。

人間が、なにかを学ぼうとするとき、たよりになるのはじぶんじしん以外にはなにもないのがふつうなので、「独学」以外に学問の正道はなかった。

加藤秀俊

独学のすすめ』p.18、1978、文春文庫、文芸春秋

道というのは、「えらぶ」ものではなく、「見えてくる」ものであるらしい

道というのは、「えらぶ」ものではなく、「見えてくる」ものであるらしい

加藤秀俊

「独学のすすめ」 リンク集

「独学のすすめ」の主旨

人間の知識の歴史のうえでは、「独学」こそが唯一の学問の方法であったのではないか。(…)人間が、なにかを学ぼうとするとき、たよりになるのはじぶんじしん以外にはなにもないのがふつうなので、「独学」以外に学問の正道はなかった。

 
この文章は、加藤秀俊さんの著書『独学のすすめ』の一節です。

「独学のすすめ」の主旨は、この一節に要約されています。

 
たしかに、学校に通って講義を聞くことは学習の基本といえるでしょう。

しかし、なによりも大切なことは、自主的に学ぼうとする気持ちだと思います。

その気持ちさえあれば、たとえ金銭的・時間的な事情で

学校で学ぶことができなかったとしても、独学で立派にやっていけます。

 
とくに現在では、少額、あるいは無料でも、多くの便利な道具が使えるようになってきました。

そのため、昔に比べて独学することがはるかに容易になっています。

この「独学のすすめ」では、そうした独学によるさまざまな学習法について述べていきたいと思います。

 
かく言う私も、生涯学び続ける学習者の一人に過ぎません。

しかし、そんな私でもきっと誰かの力になれることがあると信じています。

私が知っていることや考えたことなどが、少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。

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