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自分からひきはなし、もぎとろうとしても、決して、もぎとられない、血肉化した学問、知識を身につけていく学び方

 独学とは、自分自身を中心にして、自分自身のために、現実から一歩一歩学びつつ、確実に現実を自らのものにし、征服することである。自分自身をふとらせていく学び方である。頭だけでなく、身体全体をふとらせていくことである。自分からひきはなし、もぎとろうとしても、決して、もぎとられない、血肉化した学問、知識を身につけていく学び方である。試験や就職のために、学ぶのではない学び方である。

 あなたが、現在の不満だらけで、面白くない状態から脱出しようと思ったなら、まず、これまでに学んできたもの、現在のあなたを支えている知識を再検討してみることである。そこから、あなたの本当の人生の第一歩が開かれるであろう。現代という時代は、それを、なによりもあなたたちに求めているからである。

池田 諭「<はじめに> やりがいある独学・生きがいある人生

(池田 諭の会HPより)、

独学のすすめ―自分なりに生きよう (1965年)』より

自らの欲望を開発し、自らの感覚をとぎすましながら、それらを基調にしていく勉強は、他人がきめたコースを、安易に、無自覚に学んでいくところからは生まれない。

 くじけたりいいかげんに妥協したりすることがなく、たえず前進をつづける学力と知力こそが、それらを身につけた人々を人生の輝かしい勝利者にし、さらに新しい時代を築いていく。

 このように、自らの欲望を開発し、自らの感覚をとぎすましながら、それらを基調にしていく勉強は、他人がきめたコースを、安易に、無自覚に学んでいくところからは生まれない。それは、学校に学ぼうと学ぶまいと、それに関係なく、自らの道を自問自答しながら、自学自習をつづける独学によるしかない。

池田 諭「<はじめに> やりがいある独学・生きがいある人生
(池田 諭の会HPより)、
独学のすすめ―自分なりに生きよう (1965年)』より

学校は、すべての人が、それなりに一人立ちできることを目標としながら、その実、八割近い人々に、無力感や劣等感をうえつけ、一人一人将来を切り拓くかわりに、その夢や希望をつみとっているのである。

 現在の学校教育は、これらの能力を身につける上で、むしろマイナスの作用をしているといってもよかろう。しかも、長い間こういう雰囲気の中におれば、いつか、一、二割の学校秀才と、一割にみたない有名校の学生、生徒をのぞく大部分の人々が、自信を失い、劣等感のとりこになっていくしかない。学校は、すべての人が、それなりに一人立ちできることを目標としながら、その実、八割近い人々に、無力感や劣等感をうえつけ、一人一人将来を切り拓くかわりに、その夢や希望をつみとっているのである。こうして人々は、ファイトを失い、あきらめを身につけさせられる。

 私でなくとも、この事実を考えたら、「学校よ、くたばれ」といいたくなろう。

 学校教育をうけなかった者の中には、学歴がないということで差別をうけたり、いわれのない劣等感に悩まされることはあっても、自分自身の能力を勝手にゆがめられたり、無力感や劣等感をうえつけられることもないままに、ぐんぐんと成長し、のびのびと生活をしている者がある。非常にすぐれた仕事をやっている者もある。それは、妙な足カセ、手カセをはめこまれることのなかったせいともいえる。

 学校教育の渦中にある者は、この事実をよくよく、胸に深く刻みつけることが必要である。

池田 諭「<はじめに> やりがいある独学・生きがいある人生
(池田 諭の会HPより)、
独学のすすめ―自分なりに生きよう (1965年)』より

学校教育制度が整備されればされるほど、本来あるべき独学の姿勢をますます喪失していっている現状

私は、学校教育制度が整備されればされるほど、本来あるべき独学の姿勢をますます喪失していっている現状、学校教育をうけることのできなかった人達は相もかわらぬ、いわれなき劣等感のとりことなってその人生をゆがめている現状に対して、知識というものへの再検討とともに、独学の必要をすすめないではいられないのである。

池田 諭「序 独学時代がやってきた(現代は独学時代)

(池田 諭の会HPより)、

独学のすすめ―現代を生きる技術 (1963年)』より

独学の姿勢こそ、学ぶ姿勢

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