「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木(みそぎ)旧跡」 の石標
(比叡山延暦寺 東塔(とうとう) 北谷 八部尾 仏母塚)

 

下記の文章は、現存最古の酒呑童子説話をつたえる香取本『大江山絵詞(おおえやまえことば)(*1)の上巻のなかの第5段の詞書(ことばがき)の文章の一部を釈文(しゃくぶん)にした文章です。赤文字や太文字の文字装飾は、筆者によるものです。 (*2) (*3) (*4)

頼光(よりみつ)保昌(やすまさ)、同じ(ことば)に、「同じくは、亭主(ていしゅ)御出(おい)であらんこそ面白(おもしろ)(はべ)るべけれ。我等(われら)(ばか)りは(めずら)しからぬ同行(どうぎょう)(ども)にてある」と言はれければ、(しばら)くありて亭主(ていしゅ)童子(どうじ)()(きた)り。(たけ)一丈(いちじょう)(ばか)りなるが、眼居(まなこい)言柄(ことがら)(まこと)(かしこ)く、智恵(ちえ)(ぶか)げにて、色々(いろいろ)小袖(こそで)に、白き(はかま)(こう)水干(すいかん)をぞ着たりける。美しき女房(にょうぼう)(たち)四、五人に、(あるい)円座(えんざ)(あるい)脇息(きょうそく)持たせて、(あた)りも(かがや)(ばか)りに由々(ゆゆ)しくぞ見えし。童子(どうじ)頼光(よりみつ)に問ひ(もう)されけるは、「(おん)修行者(すぎょうざ)何方(いずかた)より(いか)なる(ところ)へとて御出(おい)(そうら)ひけるぞ」と問ひければ、答へられけるは、「諸国一見(いっけん)(ため)(まか)()でたるが、(すず)ろに山に()み迷ひて、(これ)まで(きた)る」(よし)をぞ答へられける。童子(どうじ)(また)我身(わがみ)有様(ありさま)を心に()けて語りけり。「(われ)(これ)、酒を深く愛する者なり。()れば、眷属(けんぞく)等には酒天童子(しゅてんどうじ)異名(いみょう)に呼び付けられ(はべ)るなり。(いにしえ)はよな、平野山(ひらのやま)重代(じゅうだい)私領(しりょう)として(まか)り過ぎしを、伝教大師(でんぎょうだいし)といひし不思議(ふしぎ)(ぼう)()の山を(てん)じ取りて、(みね)には根本中堂(こんぽんちゅうどう)を建て、(ふもと)には七社(しちしゃ)霊神(れいじん)(あが)(たてまつ)らんとせられしを、年来(ねんらい)住所(すみどころ)なれば、(かつ)名残(なごり
)
()しく覚え、(かつ)(すみか)もなかりし(こと)口惜(くちお)しさに、楠木(くすのき)(へん)じて度々(たびたび)障碍(しょうげ)をなし、(さまた)(はべ)りしかば、大師房(だいしぼう)()の木を切り、地を(たいら)げて、「()けなば」と(はべ)りし(ほど)に、()()(うち)(また)、先のよりも(だい)なる楠木(くすのき)(へん)じて(はべ)りしを、伝教房(でんぎょうぼう)不思議(ふしぎ)かなと(おも)ひて、結界(けっかい)(ふう)(たま)ひし(うえ)、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)(ほとけ)(たち)()が立つ(そま)冥加(みょうが)あらせ(たま)へ」と(もう)されしかば、心は(たけ)(おも)へども(ちから)及ばず
(あら)はれ()でて、「(しか)らば、居所(いどころ)を与へ(たま)へ」と(うれ)(もう)せしに()て、近江国(おうみのくに)かが山、大師房(だいしぼう)(りょう)なりしを得たりしかば、(しか)らばとて()の山に住み()えてありし(ほど)に、桓武(かんむ)天皇、(また)勅使(ちょくし)を立て宣旨(せんじ)を読まれしかば、王土(おうど)にありながら、勅命(ちょくめい)さすがに(そむ)(がた)かりし(うえ)天使(てんし)(きた)りて追ひ(いだ)せしかば、(ちから)無くして(また)()の山を迷ひ()でて、立ち宿(やど)るべき(すみか)もなかりし(こと)口惜(くちお)しさに、風に(たく)し雲に乗りて、(しばら)くは浮かれ(はべ)りし(ほど)に、時々(ときどき)()怨念(おんねん)(もよお)す時は、悪心(あくしん)()()て、大風(おおかぜ)()旱魃(かんばつ)()りて、国土(こくど)(あだ)()して心を(なぐさ)(はべ)りき。

 

比叡山延暦寺の3D地図

3D地図の操作方法
回転:マウスの左クリックを押しながらマウスを動かす。
視点移動:マウスのホイールを押したまマウスを動かす。
拡大縮小:マウスのホイールを回転させる。

地図1 比叡山延暦寺の広域地図(3D地図)

地図2 比叡山延暦寺の大比叡・東塔・西塔の地域の3D地図

地図3 比叡山延暦寺の小比叡・横川の地域の3D地図

3D地図の制作者:倉田幸暢

地図データの出典:国土地理院「地理院地図」( https://maps.gsi.go.jp/ )(地理院タイル (全国最新写真(シームレス))を加工・編集して使用しています。地理院タイル一覧ページ:https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html。)

上記の3D地図を制作するにあたって参照した参考文献(一部)

など。

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比叡山延暦寺の古道の道筋を撮影した映像の動画

根本中堂薬師如来像の御衣木(みそぎ)旧跡までの道筋
(比叡山延暦寺 東塔(とうとう)駐車場(延暦寺バスセンター)から)

 

根本中堂の本尊である薬師如来像の御衣木(みそぎ)旧跡の周辺

 

本願堂旧跡までの道筋
(比叡山延暦寺 東塔(とうとう)駐車場(延暦寺バスセンター)から)

 

小比叡(おびえ)明神社旧跡への道筋
(釈迦如来・多宝如来の石仏(せりあい地蔵)からの道筋)

 

八部院(妙見堂)までの道筋(東塔(とうとう)駐車場(延暦寺バスセンター)から)

 

東塔(とうとう)北谷墓地(八部尾)までの道筋(東塔(とうとう)駐車場(延暦寺バスセンター)から)

 

浄土院までの古道の道筋(東塔(とうとう)駐車場(延暦寺バスセンター)から)

 

浄土院から古道を通って椿堂を経由して西塔(巡拝受付所)に至る道筋

 

古道を通って東塔(とうとう)駐車場(延暦寺バスセンター)から西塔(巡拝受付所)に至るまでの道筋

 

狩籠岡(狩籠の丘)
(伝教大師最澄が悪鬼魍魎を封じ籠めたとされる場所)

 

玉体杉(ぎょくたいすぎ)阿字休息峰(あじくそくみね)

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根本中堂の本尊である薬師如来像の御衣木(みそぎ)旧跡

「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木(みそぎ)旧跡」 の石標
(比叡山延暦寺 東塔(とうとう) 北谷 八部尾 仏母塚)

「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)

「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)

「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)

「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)

「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)

「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)

「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)

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虚空蔵尾(こくぞうお)(明星尾)の本願堂旧跡

「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)
「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑
(比叡山延暦寺 東塔(とうとう) 北谷)

「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)

「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)

「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)

日本天台宗の開祖である伝教大師最澄は、比叡山に入山して、神宮寺(神宮禅院)で修行したあとに、さらに大宮川をさかのぼって比叡山の奥に分け入り、虚空蔵尾(こくぞうお)と呼ばれる尾根の地域にある小さい台地に草庵をつくって、そこで修行をしました。(ちなみに、虚空蔵尾(こくぞうお)は、明星尾や、白狐尾とも呼ばれたそうです。)その場所には、その後、桓武天皇の御願寺として本願堂が建てられました。現在、その場所である虚空蔵尾(こくぞうお)の台地には、本願堂旧跡の石碑が立っています。ここに掲載している写真は、その虚空蔵尾(こくぞうお)の台地に立っている本願堂旧跡の石碑の周辺の写真です。

この本願堂旧跡の石碑がある場所から、南方を仰ぎ見た上方の、目と鼻の先には、かつて、一乗止観院(薬師堂と、文殊堂と、経蔵からなる寺院)(別名:比叡山寺(ひえいざんじ))と呼ばれ、その後、根本中堂と呼ばれるようになった大伽藍が立っています。

逸翁美術館蔵『大江山絵詞』(香取本)の絵巻物や、能楽の謡曲『大江山』のなかでは、巨大な楠(くすのき)に変身した酒呑童子が、最澄によって比叡山から追い出される、という話が語られています。

ですが、もしかすると、実際のところは、比叡山に寺院をつくろうとした最澄が、比叡山の地主神である鬼(「酒呑童子」)のご神体であった霊木を伐り出してしまった、ということなのかもしれません。そして、比叡山の地主神である鬼(「酒呑童子」)のご神体であった霊木は、もしかすると、現在、この本願堂旧跡の石碑が立っている虚空蔵尾(こくぞうお)(明星尾)の台地のあたりに鎮座していたのかもしれません。 さらに言えば、最澄が自ら霊木を彫ってつくり、一乗止観院の薬師堂に安置したといわれ、現在も根本中堂の本尊になっている薬師如来像は、もしかすると、もとをただせば、比叡山の地主神である鬼(「酒呑童子」)のご神体であった霊木の、落魄した姿なのかもしれません。

以下、本願堂旧跡の石碑の表側に刻まれた言葉より。

伝教大師初入山之地
虚空蔵尾
本願堂旧跡

維時平成二十一年秋
第二五六世天台座主孝淳

以下、本願堂旧跡の石碑の裏側に設置されたプレートの文章より。

本願堂旧跡(伝教大師初入山の地)

この地はもと伝教大師最澄上人が延暦四年(七八五)七月中旬、二十歳の時、初めて比叡山に登り草庵を結ばれた霊跡である。『叡岳要記』によれば、ここは仙人経行の処、明星天子来下の庭といわれ、険しき山谷にあって手掌(てのひら)のごとき平坦な地であり、仙人数十余人が法華経を誦し仏道を習っていたという。最澄上人はここで仙人から明星尾(虚空蔵尾)にある薬師仏の霊木の在処(ありか)を教えられ、一乗止観院の本尊を刻んだと伝えている。
一乗止観院(根本中堂)創建より三年後の延暦十年(七九一)には、ここに「本願堂」を建立して義真座主自刻の三尺の薬師如来を本尊に祀り桓武天皇の御願寺となした。
その後、根本中堂修造の折にはここに中堂の本尊を遷して外遷座道場としての機能を果たした。元亀焼き討ち後は、慶長十八年(一六一三)に四間五間の堂宇が再興され、寛永・寛文・元禄・宝永・宝暦等に修理が行われたが、平成二十一年(二〇〇九)礎石のみを残して伝教大師初入山の聖地として整備した。

脚注
  1. 香取本『大江山絵詞(おおえやまえことば)』(現在は、逸翁美術館に所蔵されています。)[↩ Back]
  2. 参考文献:(1993年) 「大江山絵詞」, 小松茂美(編), 『続日本の絵巻 26』(土蜘蛛草紙 天狗草紙 大江山絵詞), 中央公論社. [↩ Back]
  3. 参考文献: (1984年) 「大江山絵詞」, 小松茂美(編), 『続日本絵巻大成 19』(土蜘蛛草紙 天狗草紙 大江山絵詞), 中央公論社. [↩ Back]
  4. 参考文献: (1975年) 「大江山酒天童子(逸翁美術館蔵古絵巻)」, 横山重(編), 松本隆信(編), 『室町時代物語大成 第3』, 角川書店. [↩ Back]