「書きたいことを書いてみた」の記事一覧(2 / 2ページ)

「囚われのミッキー」 "Mickey Mouse mad"

天才軍師の条件は小心者であること。 孔明・仲達・大村益次郎

最近、久しぶりに横山光輝著、マンガ『三国志』の
52巻「街亭の戦い」~55巻「祁山夏の陣」あたりをなんとなく読み返してみました。

ちょうど天才軍師と呼ばれた
蜀の諸葛亮孔明と、魏の司馬懿仲達、
この二人の天才が火花を散らす場面です。

読んでいて感じたことは、
この二人に共通しているのが、「とても慎重であった」ということです。

この二人は、自軍の将からもたびたび、
「慎重すぎる」とか、「小心者」「心配しすぎ」「用心深い」「臆病者」と
揶揄されるほど大変に慎重な人だったようです。

しかし、彼らは、小心者といわれるほど非常に慎重であったからこそ、
天才軍師とよばれるほどの戦果をあげることができたのだということを改めて感じました。

そんなことを考えているときに、
ふと、司馬遼太郎の『華神』という小説の一節にも
これと似たような話があったことを思い出しました。

この本は幕末に、討幕軍の総司令官として戦い、
日本の近代兵制の創始者となった、大村益次郎という人物の物語です。

そしてその一節というのは、
ある人が大村益次郎のことを、「あいつは小心者だ」と言ったのに対して、
かの西郷隆盛が、
「小心者であるからこそ戦に勝てるのだ。その点、大村先生は流石だ」
といった意味のことを言う部分です。

どうやら、大局的に物事を動かしていく役目を担う人には
このように小心者といわれるほど「非常に慎重」であるということが必須のようです。

自分を 世界さえも 変えてしまえそうな瞬間は いつもすぐそばに…

「自分を 世界さえも 変えてしまえそうな瞬間は いつもすぐそばに…」

これは、FLOWの『COLORS』という歌の歌詞の一節。

なにげない日常のなかでも
自分で意識しながら行動すれば
自分を大きく変えるきっかけを得ることは
思ったよりも簡単で
その機会は多いのではないかと思う。

聞く心がなければ何も得ることはできんが、
聞く心があれば、たとえつまらん話を聞いても、
いや、たとえあの杉木立を鳴らす風の音を聞いても、
悟ることができる人は、悟ることができる

松下幸之助
成功の法則―松下幸之助はなぜ成功したのか (PHP文庫) p.22より

自分のすぐそばにある
自分を変えるきっかけに気づいて
それを活かせるかどうかは
常に自分しだいなんだ。

「信はたて糸 愛はよこ糸 織り成せ人の世を美しく」 岡崎嘉平太

NHKの
ラストメッセージ 第五集 『命をかけた日中友好』
という番組を見た。

日中国交正常化の影の功労者である
岡崎嘉平太というひとについてのドキュメント番組だった。

とてもおもしろかった。

とりわけ、
周恩来と岡崎嘉平太が、
互いに兄弟と呼び合うまでの仲になることができた
ということが興味深かった。

岡崎嘉平太は
中学時代から中国人留学生の友人と交流があり、
そのなかに親友もいた。

しかし、
日本が中国に侵攻するようになり
国内に中国人蔑視の風潮が広まると、
その中国人の親友も日本に嫌気が差して
帰国してしまう。

その後は、終戦までの8年間、
上海で働き、さらに中国を深く知るようになる。

岡崎は
日本が上海を占領している状況でも
中国人を差別することなく
人間同士の付き合いを大切にした。

その後、岡崎は
中国と付き合うことの大切さを以下のように説いた。

我々は隣国とだんだん、だんだん交わりを深くして
隣国との間に争いを起こさない

アメリカも大切な一人であり
我々が自由陣営から離れることは
絶対、民族にとって不利でありますけれども、

ただそれだけで、
自由陣営に属しない者の悪口を言い
けとばして済むかというと、
そういうわけにはまいりません

まず相手を知る
とにかく我々は体を持って行って見る
向こうの人と直接会ってみる

直接向こうの実情を見た上で
我々の否応を判断しなきゃいけない

岡崎嘉平太

岡崎の働きかけによって、
1962年から中国との貿易交渉が始まった。

岡崎はこのとき初めて
当時の中国首相、
周恩来と顔を合わせた。

日清戦争以来
日本は我が国を侵略し
人民を傷つけ苦しめてきました

我々は深い恨みがあります

しかし、
中国と日本の間には
二千年にわたる友好の歴史があります

戦争による不幸な歴史は
わずか数十年に過ぎません

我々は日本に恨みを持っていますが
それを忘れようと努力をしています

これからは日中が力を合わせて
アジアをよくしていこうではありませんか

周恩来

この後も、岡崎は
右翼や人々に売国奴とののしられ
脅迫されながらも

中国との貿易交渉を続けた。

そのような岡崎の姿勢について
周恩来は、
岡崎の息子に対して
「なぜあなたの父親を信頼するのか」
を話した。

君のお父さんは
たぶん自分のことは言わないだろう

だけど、
我々は友情のために
自分の生死をかけるような人を
本当に信用するんだ

僕は中国にいて
僕を殺す人なんていないよ
すごく安全だ

でも君のお父さんは日本へ帰ると
ちょっと危ないんじゃないか

今までもそういうことがあっただろう

それを乗り越えてやってきて
中日のために命をかけてきた

だから それが僕らが君の
お父さんを信用するゆえんなんだ

周恩来

その後もいくつもの障害を乗り越え、
努力の末、1972年に日中国交正常化が実現することが決まった。

9月23日、
田中総理大臣が北京に来る二日前
周恩来は岡崎を迎えた食事会の席でこう言った。

我が国では
「水を飲む時には 井戸を掘った人を忘れない」
という言葉があります

まもなく田中総理が来られて
日中国交は正常化しますけれども

田中総理が来られたから
回復するのではありません

長い間 困難な時期に日中友好に
努力された方々があったから
今日正常化ができるんです

岡崎先生、松本先生、
あなた方もその一人ですよ

周恩来

そして、1972年9月29日
日中国交正常化が実現した。

人と人との間柄の
美しさに勝る美しさは
ないであろう。

私が
「信はたて糸 愛はよこ糸 織り成せ人の世を美しく」
というのはまさにこのことである。

この機織作業の
すばらしさに目覚める時

私どもの新しい社会への道は
決して苦労などではなく
楽しい発見の営みになっていくに違いない。

岡崎嘉平太

「異常に」安い食べ物に、「安全」?


例の「不二家のシュークリーム」は105円、だそうです。

消費者が105円という「異常に」安いのものを欲しがりながら、
同時に、そこに食の「安全」を求めるというのは、
よく考えてみれば矛盾してるんじゃないでしょうか?

僕は、
「消費者が必要以上に安いものを買い求めることは、
自分たちの食の安全を自ら脅かすことだ」と思います。

物価も人件費も高い日本で
「売価105円」のシュークリームをつくるということは、
いったいどういうことなのでしょうか?
すこし想像してみたいと思います。

消費者が安いものを買い求めるようになると、今までの値段では売れなくなるので、
企業は値段を下げるためにコストを削減しようとします。
そして、コスト削減の一環として、
生産現場での時間当たりの作業量は増え、現場はすごく忙しくなります。
だんだんストレスも蓄積されていくでしょう。
さらに、安くても利益を出すために、大量に売らなければなりません。
そこでもまた、生産現場の仕事量が増えます。

結果として、当然、現場での間違いや見落としは多くなります。

「売価105円」を実現させるなら、なおさらでしょう。

「じゃあ、無理なコスト削減はやめればいいじゃないか」と言う人が
いるかもしれません。
しかし、企業はただ消費者の「安いものを買いたい」という意思表示に
従っているだけです。
もし、企業が消費者のこの声に従わなければ、
だれもその企業の商品を買わなくなり、その企業の従業員は職を失うことになります。

つまり、「105円のシュークリームを買う」ということは、
消費者が企業にコスト削減の圧力をかけて、

「とにかく安ければいい」

「心のこもった食べ物はいりません」

「丁寧に作ってくれなくてけっこうです」

というメッセージを伝えているのと同じ、

………という風にも考えられるのです。

消費者が、必要以上に安いものを追い求めて、企業をコスト削減に駆り立てること。
それはめぐりめぐって、結局は、消費者の食の安全を脅かすことにもなりうるのです。
そのことを、私たち消費者はもう少し考えてもいいのでは、と思います。


すこし、話は変わりますが、

「食べること」は、「医療」と同じくらい大切なことだと思います。
どちらも命につながることですから。

もしも、病院でうける治療の価格が激安だったら、だれでも
「ちゃんとした治療をしてもらえるんだろうか?」
と不安になるはずです。

しかし、同じように命に関わるはずの「食べること」の場合は、
値段が激安でも、だれもそんなことは気にせず、
逆に、安ければ安いほど人々が飛びつく、ということになりがちです。

どちらも「命に関わる」ことなのに。

このように考えると、
「人の命」を軽んじているのは、消費者の方も同じなんじゃないでしょうか?

いつも「105円のシュークリーム」や、その類のものを買っている人は、
自分や大切な人の命を軽んじている、ともいえます。
そういう人には、食品業界が不祥事を起こしたとき、
「人の命に関わる」食品の大切さを語る資格はないのではないでしょうか?


僕は、食品会社のずさんな管理は許されないことだと思いますし、
不祥事を起こした企業の肩を持つつもりもなければ、
安いものを食べるのは絶対ダメだと言っているわけでもありません。

ただ、私たち消費者はどうだったのか、
自分たちがなにげなくしていた、
「異常に安いものを食べる」ということの意味を
すこし振り返って考えてみてもいいのでは、と思ったのです。

買う前に、
「105円」という値段が、「異常な値段」かどうか考える余裕があってもいいかな、と。


「いいものを少し食べればいい」

これは、グッチ裕三さんの言葉らしいです。
こういうことを、自分も含めてみんな忘れてしまってることが多いんじゃないかな。

プライド

ある日、朝4時過ぎごろのバイトの行きしに、
ガチガチ鳴る自転車(故障中)に乗りながらラジオ聞いてた。

85.1Mz のFM大阪。
これまで知らなかった、おっちゃんDJだった。

このおっちゃんがいい話してた。

今の子供たちに伝えたい5つの言葉、ってな内容だった。
(この人は小学校のPTAの会長さんで、子供たちにはレモンさんと呼ばれてるらしい)

聞きはじめのときは、
くっさいこといってんなー、どうせありがちなこと言って終わりでしょ、
って思ってた。

でも、実際はそうでもなかった。

その5つの言葉のひとつが、プライドって言葉だった。



よくオトナが、「あいつのせいでオレのプライドが傷つけられた」 とか言う。 でも、そういうのはプライドじゃない。 プライドっていうのは誰かに傷つけられたりするものじゃない。 プライドってのは、誰になんて言われても、たとえ誰も見てなくても、 オレってかっこいいって思えること。 いわば自尊心。
ほんとはもうちょっと長い話だったけど、要点はこんなカンジだったと思う。 これ聞いて、「プライドが傷つけられた」とか言ってる人は、 結局、他人に対する見栄や虚勢にすぎないんだって気づいて、ハッとさせられた。 逆に、たとえ他の人の理解が得られなくて、自分が軽視されてるって思うことがあっても、 自分の行動に自信を持っていれば、プライドを持って生きていけるんだってことにも。 自分の存在を否定されているようなときに、自分の行動に自信を持つのは難しいかもしれない。 でも、そういうときでも折れずに自分を支えてくれるものこそが、プライドなんだと思う。 プライドってのは、そんなことで欠けたり折たりするほど安っぽいもんじゃないんだ、きっと。 ちなみに、あとで調べたところ、 このFM大阪(85.1Mz)のおっちゃんDJの名前は、山本シュウさんで、 番組名は、「SHOO POWER REQUEST」(毎週金曜日25:00~29:00)。 Webサイト「レモンさん。.net」や書籍「レモンさんのPTA爆談」でおなじみの人、らしい。

ロハスと押し込めマーケティング

LOHAS(ロハス、ローハス)とは
「Lifestyles Of Health And Sustainability」の略称で、

その意味は、「健康や環境問題に関心の高い人々のライフスタイル」だそうです。

しかし、巷で喧伝されているロハスの本当の意味とは、要するにこういうことではないでしょうか。

現代は、消費者の趣向が多様化し、企業が商品を売り込むターゲットを絞り込みにくくなりました。

企業側はそうした状況をなんとかして変えようと、
ロハスという耳ざわりのいい、先進的でかっこよく聞こえる言葉を使って
新しいカテゴリーを自ら作り出しました。

そして、
「これからはロハスですよ~、ロハスはかっこいいですよ~、ロハスじゃない人は遅れてますよ~、ロハスになるにはこれを買わなきゃだめですよ~、これも必要ですね~」
といった具合に、

なんでもかんでもロハスという言葉と結びつけ、
多様化した消費者をもう一度ひとつのカテゴリーに押し込めることにしました。

そうすれば、わざわざ消費者の多様な要求を時間をかけて探り、それに一つ一つ答えていくという骨の折れる仕事をしなくても、
ロハスという言葉をつけるだけで簡単に物が売れるようになる、と考えたのでしょう。

つまり、ロハスという言葉は、
企業が消費者を扇動し、楽して物が売れる状況をつくるための道具だったのです。

実際、「LOHAS」はもともとマーケティングコンセプトとして、
アメリカの社会学者ポール・レイと、起業家のジルカ・リサビが組んで考え出したものだったようです。

どちらにせよ、企業のこうした行動は、消費者をバカにしているとしか思えません。

だいたい、「健康や環境問題に関心の高い人々」は、企業が望む消費の仕方とは無縁のはずです。
むしろ、企業がこれまで消費を煽って人々の健康や地球環境を悪化させてきたことへの批判から、健康や環境問題に対する関心が高まってきたのではなかったでしょうか。

企業側は、
「消費者はバカだから、そんなことも考えずに流行に飛びつくはずだ」
とでも思っているのでしょうか。

それに、なぜ企業にいちいち
「あなたはこのカテゴリーに入りますから、これが必要です」
などと言われなければならないのでしょうか。
大きなお世話です。

ロハスだと言われようが言われまいが、それが必要だと思ったから買うんです。
企業やほかの誰かが何と言おうが、それが必要でないと思ったら買わないんです。

主導権は消費者にあるのであって、企業側にあるのではありません。

生産者と消費者

 (Photo by Kelvin Kay at Wikimedia Commons)
Photo by Kkmd on Wikimedia Commons

最近ふと思った。

大人になるってことが、年を重ねるってことが、
消費しかしなくなるってことと同義になっていってるんじゃないか、って。

映画とか、演劇とか、音楽とか、料理とか、本とか、絵とか、
観賞したり、聞いたり、味わったり、読んだり、鑑賞したり、
よいものを消費するのはとっても楽しい。

でも、本当はクリエイターである、つくる側が一番楽しいんじゃないかって。

手からこぼれ落ちる砂みたいに、
やった先からどこに行ってしまったのか分からなくなって、
誰からも忘れ去られてしまうような日々の作業じゃなくて、

カタチに残せること、
たしかにそこにあって、自分がつくったんだって胸を張って言えるもの。

よいものをつくるのはきっと大変だろうと思う。

徹夜したり、煮詰まったり、期日に間に合わなかったり、意見がぶつかったり、
身も心もボロボロで、
自分はなんでこんな苦しいことやってんだろ、ってなときもあるだろう。

でも、なによりも、

誰かに言われたからじゃない、
その過程自体が楽しいから、
自分の心が求めることをカタチにしていくことができるから、
持てる力のすべてをかけてそれに没頭できるから、
そして、その努力が時として自分自身が予想していた以上のものを見せてくれるから、

やっぱり一番楽しいのは生産者じゃないかな。

生産者は本当は心のなかで思ってるんじゃないだろうか。

あーあ、消費者ってかわいそうだよなー、こっち側はこんなに楽しいのに、って。
ほんとうの「楽しい」はこっち側にしかないのに、って。

そんなこんなで、
自分も生産者でいたいなぁ、なんて思っとります。

ほんとは、みんな心のどっかで
何やらつくってみたくてうずうずしてるんじゃないかなぁ。

2007年1月14日2:36
倉田幸暢

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