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首塚大明神の例祭(2019年4月15日) (*1)

 

首塚大明神の社(やしろ)の上に掲げられている扁額に書かれている和歌 (*2)

いにしえは
鬼のかしらと
いひけれど
いまは佛に
勝る首塚
  ―― 首塚大明神の扁額の和歌
           (*3) (*4) (*5)

 

 

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首塚大明神くびづかだいみょうじんってなに?


首塚大明神くびづかだいみょうじんの映像 (*6)

京都府京都市西京区大枝沓掛町の老ノ坂峠おいのさかとうげ(大枝山(大江山))には、鬼王と呼ばれる酒呑童子の首が埋められたという伝説がある首塚大明神くびづかだいみょうじんがあります。首塚大明神では、毎年4月に例祭が開催されます。

首塚大明神くびづかだいみょうじんの所在地は、平安時代の地名でいうと、山城国やましろのくに丹波国たんばのくにの境界線上にある大江山(大枝山(老ノ坂峠おいのさかとうげ))です(現在の地名でいうと、京都府京都市西京区大枝沓掛町と、京都府亀岡市篠町王子の境界線上にあたります)。

 

English

There is Kubizuka Daimyōjin (Japanese: 首塚大明神, the shrine of the burial mound for the head of Shuten-dōji (Japanese: 酒呑童子) the oni king (Japanese: 鬼王)) in Kutsukake-cho, Oeda, Nishikyo-ku, Kyoto City, Kyoto Prefecture, Japan. The annual festival (Japanese: 例祭 (reisai)) is held in April every year at the shrine.

Kubizuka Daimyōjin is located in Mt. Ōe (大江山 Ōeyama) (Mt. Ōe (大枝山 Ōeyama) (Oinosaka Pass (老ノ坂峠 Oinosaka-tōge))). The location of the shrine is on the border between two areas, when expressed in names of places in the Heian period (平安時代 Heian jidai), Yamashiro Province (山城国 Yamashiro no Kuni) and Tanba Province (丹波国 Tanba no kuni). (When expressed in names of places in the present day, the border between Kutsukake-cho, Oeda, Nishikyo-ku, Kyoto City, Kyoto Prefecture (京都府京都市西京区大枝沓掛町) and Ōji, Shino-cho, Nishikyo-ku, Kameoka-shi, Kyoto Prefecture (京都府亀岡市篠町王子).)

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首塚大明神くびづかだいみょうじんが登場する酒呑童子説話

ここでは、首塚大明神くびづかだいみょうじんが登場する酒呑童子説話を紹介します。

『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』に記された首塚大明神くびづかだいみょうじん縁起譚えんぎたん

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『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』おおえやませんじょうがだけ しゅてんどうじゆらい

首塚大明神くびづかだいみょうじんが登場する酒呑童子説話が掲載されている文献のひとつとして、『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』おおえやませんじょうがだけ しゅてんどうじゆらいという本があります。

この本には、酒呑童子(酒顚童子)が、源頼光に首を斬り落とされる場面の記述や、その首が、丹後国たんごのくに丹波国たんばのくにの境界にある大江山(千丈ヶ嶽)から、山城国やましろのくに丹波国たんばのくにの境界(現在の京都市と亀岡市の境界)にある老ノ坂峠おいのさかとうげへ飛んでいき、最終的に、首塚大明神にまつられることになったいきさつ(縁起譚えんぎたん)についての記述などが書かれています。

下記の引用文は、上記のことについて書かれている、『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』おおえやませんじょうがだけ しゅてんどうじゆらいの本の、18~22ページのところの記述からの引用です。

(ちなみに、この下の『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』おおえやませんじょうがだけ しゅてんどうじゆらいの本からの引用文の内容を、現代語訳した文章として、このあとのところで、『京都の伝説: 丹後を歩く』の本からの引用文を紹介していますので、そちらもご参照ください。)

童子はいかりのはがみをなし おきあがらんと心は矢竹にはやれども 急所のいたでと神酒のなやみにはたらきえず これ迄とやおもいけん 頼光をはったとにらみ 斯運命つくる上はぜひにもおよばず 設い命はくちる共 見よ見よ魂魄首にとどまり禁廷へ飛入てうらみをはらさん 思いしれと罵るくびを打落せば 忽ち頼光の御首にくい付を 心得たりと切はらえば 八枚かさねの御兜 鬼神の歯ぶし七枚をは徹るといえども ふしぎや 神明守護の御兜はさわりなく 御身にあやまちなかりけり 扨鬼の首は怒りの火烟を吹ながら 虚空に乗じ都をさして飛行しが 王城の威にやおそれけん 丹波山城のさかいなる大江の坂にて落たりけり 頼国は数日鬼ヶ城をせめなやまし 悪党のこらず打亡し 鬼ヶ城をやきすてて 凱歌を上る折こそあれ 鬼の首の落ければ 千丈ヶ嶽の首領もほろぼしことをさとり 悦び玉うこと限なく 鬼のくびを槍につらぬき 厳重にまもらせ 父頼光をまちうけて相互に吉左右を祝し おのおの隊悟をみださず 行列美々しく武威をかがやかし帰京あるこそゆゆしけれ 洛中の諸人は申に及ばず 近国の人々迄鬼の首見物せんと 道すじせばしと群集をなす さて鬼の首は 京中大道を引渡し 七条河原に七日さらし 大江の坂にほうむって 首塚明神と名づけ地蔵堂を建立し かの亡魂得脱の冥福を修せられ 永く悪鬼のたたりは止にけり 扨また近国よりとらわれしあまたの婦人 ことごとく古郷へおくり玉えば 死たる人の甦たる心地して 万民のよろこび大かたならず 誠にかかるおそろしき通力自在の悪鬼まで 退治し給うこと前代未聞の名大将遖れ四海の父母なりと たのもしく各々喜悦の泪を流してうやまいける 帝王御感浅からず 大に頼光を御褒美あって 肥前守に任ぜられ 保昌は丹後守に補せられ 頼国ならびに四天王保友そのほか軍卒ども 功にしたがって歓賞をたまわり 四海太平国家安寧に治りしは 実に神国のいさおし 目出たかりける次第なり

(村上政市 (監修), 鬼ケ茶屋 (版木), 福井朝日堂 (挿絵) 『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』) (*7)

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『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』おおえやませんじょうがだけ しゅてんどうじゆらい

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子安地蔵尊こやすじぞうそんの地蔵堂(老ノ坂峠おいのさかとうげ

山城国やましろのくに丹波国たんばのくにの境界(現在の京都市と亀岡市の境界)にある老ノ坂峠おいのさかとうげ(老坂)(大江の坂)には、子安地蔵尊こやすじぞうそんまつっている地蔵堂があります。

このお地蔵さん(地蔵尊)は、おなじ老ノ坂峠おいのさかとうげにある、首塚大明神にまつられた悪鬼・酒呑童子の首の祟りを鎮めるために建立されたものである、という伝承が残されています。

さきほど紹介した、『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』おおえやませんじょうがだけ しゅてんどうじゆらいの本からの引用文のなかにも、この子安地蔵尊こやすじぞうそんまつった地蔵堂についての記述があります。

また、この下の『京都の伝説: 丹後を歩く』の本からの引用文は、さきほど、紹介した『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』おおえやませんじょうがだけ しゅてんどうじゆらいの本に書かれている記述を、現代語訳した文章です。この下の記述のなかにも、この子安地蔵尊こやすじぞうそんまつった地蔵堂についての記述があります。

 頃はよしと、六人の者たちは甲胄に身を固めた。頼光は酒顚童子の枕元に立って、名乗りをした後、名剣鬼切丸で胸板を突き通した。手下の鬼たちは、酒顚童子の苦しむ声に驚いて逃げ出したが、渡辺綱たちに残らず斬り殺された。酒顚童子は歯嚙みをして起き上がろうとするが、急所の傷と神酒の効き目で動くこともできず、頼光を睨みつけ、「たとえ命は尽きるとも、魂は首に留まって、宮中に飛び入り、恨みを晴らしてやる。思い知れ」と罵った。頼光がその首を打ち落としたところ、たちまち頼光の頭に食いついた。八枚重ねの兜は、神の守護する兜なので、七枚まではその歯が通ったが、頼光の体には何の障りもなかった。そして、鬼の首は火を吐きながら都に向かって空を飛んで行ったが、天皇の威勢を恐れたのか、丹波・山城国境の大江の坂に落ちた。子の頼国はその首を槍に貫き、父頼光とともに都に凱旋した。
 さて、この首は七条河原に七日間さらされた後、大江の坂に葬られて首塚明神と名づけられた。そこには地蔵堂が建立され、悪鬼の崇りはやんだ。 (『酒呑童子由来』)

(福田晃 (著), 真下厚 (著) 「大江山の酒呑童子」, 『京都の伝説: 丹後を歩く』) (*8)

ちなみに、そのほかの伝承では、このお地蔵さん(子安地蔵尊こやすじぞうそん)が、「酒呑童子の首のような不浄なものを京の都に持ち込んではいけないので、ここ(老ノ坂峠)に置いていきなさい」というようなことを言った、という話もあります。

スライドショー: 老ノ坂峠おいのさかとうげ子安地蔵尊こやすじぞうそん(地蔵堂)とその周辺の写真 (*9)

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参考: 酒呑童子の首は、じつは赤牛の頭部だった!?

余談ですが、酒呑童子を討伐したあとに、源頼光たちが京の都にもち帰ってきたという酒呑童子の首は、じつは赤牛の頭だったという話もあります。

下記の引用文は、上記のことについて書かれている、『京都府の民話』(県別ふるさとの民話 47)の本の50~51ページのところの記述からの引用です。

この下の引用文のなかで語られている話は、福知山市大江町にある鬼ヶ茶屋おにがじゃやのご主人が語られたお話です。

 酒呑童子は、大きなさかずきになみなみとついでもらった毒酒を、いっきにのみほした。しばらくすると、さすがの童子も、からだじゅうに毒がまわったのか、ばったりとたおれてしもた。
 頼光のあいずで、さむらいたちは刀をぬいて、いっせいにきりかかった。そして酒呑童子のいのちをたってしもたそうや。

 いわゆる「酒呑童子」の話は、これでおわるわけだが、茶店の主人の話には、そのあとがちょっとある。

酒呑童子をたいじした五人のさむらいたちは、意気ようようと山をくだってきたが、ふもとまできて、たいへんなわすれものをしたことに気がついた。
 ころした酒呑童子の首をもってかえるのを、わすれてしまったのだ。
「天子さまに、たしかにたいじしました、ともうしあげるしょうこがない。」
「こまった、こまった。」
 思案しながらあるいていると、むこうから百姓が、大きな赤牛をつれてやってくるのにであった。
「そうだ。いいことがある。」
 頼光は百姓にたのんで、その牛をゆずってもらい、首をきって、それをさげてかえってきたというんや。つののある牛の首をやで。
 頼光たちは、その首をたかくかかげて、京の町をあるいたという。
「なるほど、酒呑童子はこわい顔をしてるな。」
 町の人たちも、天子さまもおどろかれたようだ。
 こうしたわけで、酒呑童子は、つののあるこわいおにの顔に、えがかれるようになったということさ。

高橋良和たかはしよしかず (再話)「酒呑童子のつの〈伝説・加佐郡大江町かさぐんおおえちょう〉」, 『京都府の民話』) (*10)

ちなみに、「再話さいわ」というのは、昔話や伝説や民話などの、古語や歴史的仮名遣れきしてきかなづかいなどで書かれている文章を、わかりやすいように書き直したもののことです。

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首塚大明神くびづかだいみょうじんのおやしろ扁額へんがくの和歌

首塚大明神の社(やしろ)の上に掲げられている扁額に書かれている和歌 (*2)

いにしえは
鬼のかしらと
いひけれど
いまは佛に
勝る首塚
  ―― 首塚大明神の扁額の和歌

「いにしえは おにのかしらと いひけれど いまはほとけに まさ首塚くびづか

この和歌は、首塚大明神くびづかだいみょうじんのおやしろの上に掲げられている扁額へんがくに書かれている和歌です。(筆者が、2017年3月1日に、現地にて確認しました。)

 

この和歌の文章(釈文)のなかの「ひらがなの文字」のなかには、実際には変体仮名へんたいがなの文字として書かれている文字があります。それらの変体仮名へんたいがなについては、つぎのとおりです。

  • 「鬼のかしらと」の「と」の文字は、変体仮名へんたいがなの「登」。
  • 「いひけれど」の「い」の文字は、変体仮名へんたいがなの「以」。
  • 「いまは佛に」の「に」の文字は、変体仮名へんたいがなの「尓」。

 

この和歌のおおまかな意味は、だいたいつぎのような意味なのではないかとおもいます。

「昔は人々に害悪をなした鬼の首(酒呑童子の首)ではあるが、今ではその鬼の首の霊験によって、仏よりも人々の役に立っている首塚である」

 


首塚大明神くびづかだいみょうじんの映像 (*6)

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首塚大明神くびづかだいみょうじんのおやしろの写真1 (*2)

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首塚大明神くびづかだいみょうじんのおやしろの写真2 (*2)

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首塚大明神くびづかだいみょうじんのおやしろの写真3 (*2)

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首塚大明神くびづかだいみょうじんのおやしろの上の扁額へんがくの写真1 (*2)

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首塚大明神くびづかだいみょうじんのおやしろの上の扁額へんがくの写真2 (*2)

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首塚大明神くびづかだいみょうじんのおやしろの上の扁額へんがくの写真3 (*2)

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首塚大明神くびづかだいみょうじんのおやしろの上の扁額へんがくの写真4 (*2)

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首塚大明神くびづかだいみょうじんのおやしろの横にある石碑(解説板)に刻まれている、
首塚大明神くびづかだいみょうじんについての解説の文章の写真 (*2)

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首塚大明神の周辺の地図

首塚大明神の周辺の地図

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首塚大明神の例祭

首塚大明神の例祭

首塚大明神では、毎年4月に例祭が開催されます。

 

English

The annual festival (Japanese: 例祭 (reisai)) is held in April every year at the shrine.

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首塚大明神例祭の写真集(クリエイティブコモンズ表示ライセンス(CC BY)にてご提供)

首塚大明神例祭の写真集
クリエイティブコモンズ表示ライセンス(CC BY)にてご提供

これらの写真は、2019年4月に、筆者が撮影した写真です。

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脚注
  1. この写真は、2019年4月に筆者が撮影した写真です。 [↩ Back]
  2. この写真は、2017年3月に筆者が撮影した写真です。 [↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back]
  3. 「いにしえは 鬼のかしらと いひけれど いまは佛に 勝る首塚」。この和歌は、首塚大明神のお社(おやしろ)の上に掲げられている扁額に書かれている和歌です(筆者が2017年3月1日に現地にて確認しました)。[↩ Back]
  4. この和歌の文章(釈文)のなかの「ひらがなの文字」のなかには、実際には変体仮名へんたいがなの文字として書かれている文字があります。それらの変体仮名へんたいがなについては、つぎのとおりです。「鬼のかしらと」の「と」の文字は、変体仮名へんたいがなの「登」。「いひけれど」の「い」の文字は、変体仮名へんたいがなの「以」。「いまは佛に」の「に」の文字は、変体仮名へんたいがなの「尓」。[↩ Back]
  5. この和歌のおおまかな意味は、だいたいつぎのような意味なのではないかとおもいます。「昔は人々に害悪をなした鬼の首(酒呑童子の首)ではあるが、今ではその鬼の首の霊験によって、仏よりも人々の役に立っている首塚である」[↩ Back]
  6. この動画は、2017年3月に筆者が撮影した動画です。 [↩ Back][↩ Back]
  7. 出典: 村上政市 (監修), 鬼ケ茶屋 (版木), 福井朝日堂 (挿絵) (2011年) 『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』, アットワークス, 18~22ページ. [↩ Back]
  8. 出典: 福田晃 (著者), 真下厚 (著者) (1994年) 「21 大江山の酒呑童子」, 『京都の伝説: 丹後を歩く』, 淡交社, 98~99ページ. [↩ Back]
  9. このスライドショーの写真は、2017年3月に筆者が撮影した写真です。 [↩ Back]
  10. 出典: 高橋良和たかはしよしかず (再話) (1983年) 「酒呑童子のつの〈伝説・加佐郡大江町かさぐんおおえちょう〉」, 「おにやばけものがでた話」, 日本児童文学者協会 (編集), 田島征彦 (絵画), 『京都府の民話』, 県別ふるさとの民話: 47, 偕成社, 50~51ページ. [↩ Back]