「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木(みそぎ)旧跡」 の石標
(比叡山延暦寺 東塔(とうどう) 北谷 八部尾 仏母塚)

「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木みそぎ旧跡」 の石標
(比叡山延暦寺 東塔とうどう 北谷 八部尾 仏母塚)

 

世の中に 鬼てふちょう鬼は 多かれど
鬼とは比叡ひえ鬼神きじんをぞいふいう

―― 倉田幸暢 (*1) (*2)

Obsidian Butterfly Find
A Last Song
In Deep Blue Forest

青の森で
黒曜石の蝶は
歌を見つける

―― 「第25楽章 神の不確かな音 : Deus Ex Machina」, 『ラーゼフォン』 (*3) (*4)

 

くすは、木立こだち多かる所にも、ことに、じらひ立てらず。おどろおどろしき思ひりなど、うとましき

くすは、庭でたくさんの木が茂って木立こだちとなっている所でも、ことさらに、それらにじって生えることはない。大木となるので、思っただけでも恐ろしい)

―― 清少納言せいしょうなごん『枕草子』まくらのそうし (*5) (*6)

 山の先住者が、山岳に寺院を建立しようとする仏教者に追い立てられ、抵抗を試みるべく姿を隠そうと変身したのが楠だった、というのはいかにも象徴的である。単に姿を隠すのに都合のいい鬱蒼とした木というのではなく、開発とともに伐採されて後退していく照葉樹の側の代表としての楠を彷彿させるからである。酒天童子は一度ならず二度までも楠に変じているが、楠は障碍をなさんとする先住者が変身して身を託す、いわば反体制の拠点として造形されているのである。およそ文明の側のものではない。文明側にとって楠は親しみのあるものではないどころか、怪しげな何かのこもる危険な木のイメージさえまとわりついていたのである。

―― 瀬田勝哉「「楠」 : 大地から湧きあがる力」, 『木の語る中世』 (*7)

 

京観けいかんの うしとらす 都不二みやこふじ
鬼をうたか うたが鬼か

―― 倉田幸暢

 

「青き鬼の霊木」_地図_大比叡・東塔・西塔_002_001
比叡山延暦寺の東塔とうどう北谷の地区の地図 (*8)

はじめに

ここでは、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの絵巻物に記されている、「酒天童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)が変化へんげしたくすのき」を出発点として、それに関連する叡山開闢譚えいざんかいびゃくたんの霊木や、その守護者であった青鬼、そこからさらに、酒天童子の水神すいじん水神みなかみ)としての性質、などについて、お話したいとおもいます。

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目次
  1. はじめに
  2. 酒天童子の昔語りのなかの霊木説話
  3. 比叡山の所有権移転の霊木説話が記載されている文献群
    1. 法華経鷲林拾葉鈔ほけきょうじゅりんしゅうようしょう』の、鬼の霊木の説話
      1. 最澄が詠んだ和歌「阿耨多羅あのくたら 三藐三菩提さんみゃくさんぼだいの 仏たち わが立つそま冥加みょうがあらせたまえ」について
    2. 日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき』の、青鬼の霊木の説話
    3. 身延みのぶ文庫ぶんこぞう法華直談私見聞ほっけじきだんしけんもん』の、青鬼の霊木の説話
    4. 醍醐寺だいごじぞう聖徳太子伝記しょうとくたいしでんき』の、比叡山の悪鬼の説話
    5. 智者大師別伝ちしゃだいしべつでん』の、「華頂降魔かちょうごうま」の説話
      1. 参考: 「降魔成道ごうまじょうどう」の場面を描いた絵図「降魔変ごうまへん」について
      2. 参考: 魑魅魍魎ちみもうりょう: 山や川に棲む赤い童子すがたの鬼
    6. 参考: 霊木の怪異「倒木」「発光」「巨大化」
  4. 青色と水神のつながり
    1. 比叡山の霊木と、大宮川おおみやがわの水源地帯
    2. 比叡山の霊木の旧跡1 : 八部尾はちぶお
    3. 比叡山の霊木の旧跡2 : 虚空蔵尾こくぞうお
    4. 弁慶水の起源説話: 熊野くまのから比叡山ひえいざんへやってきた那智の滝なちのたきの化身であり、智証大師円珍ちしょうだいしえんちんの護法童子である水天童子
    5. 水天童子(シュイティエン童子)から、酒天童子(シュテン童子)へ : 護法童子から悪鬼への変貌
    6. 台密の水神たる水天(ヴァルナ)
    7. 鬼が城の壇上積基壇だんじょうづみきだんに描かれたなみの文様
    8. 酒天童子の首の下で波打つ青い水
    9. 比叡山の周辺のほかの鬼伝説に登場する鬼も、水神すいじんとしての要素を備えていることについて
      1. 鬼怒伽羅きぬから : 滋賀県大津市の仰木おおぎ地区の衣川きぬがわという河川名(地名)の由来となった鬼
      2. 七ツ鬼神 : 比良山地の権現山のナナキ谷の地主神であった鬼
    10. 近江国おうみのくに神奈備山かんなびやまと、水を得ることを目的とした水信仰(水神信仰)
  5. 参考: 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ(天台宗てんだいしゅう)に関連のある、そのほかの青鬼の説話
    1. 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじの玉泉坊の青鬼
      1. 東塔とうどう南谷の玉泉坊(俊豪の住坊)
      2. 東塔とうどう西谷の玉泉坊(玉泉院・勧学院・玉蔵坊)
      3. 無動寺谷むどうじだにの玉泉坊(玉照院の旧称)
      4. 西塔さいとう東谷(?)の玉泉坊
    2. 紺青鬼こんじょうき(天狐、天狗)
      1. 宝物集ほうぶつしゅう
      2. 今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう』巻二十 第七話「染殿ノ后、為天宮嬈乱事」
      3. 相応和尚伝そうおうかしょうでん』(『天台南山無動寺建立和尚伝てんだいなんざんむどうじこんりゅうかしょうでん』)
      4. 拾遺往生伝しゅういおうじょうでん』巻下「相応伝そうおうでん
      5. 古事談こじだん』(巻第三第十五話)
      6. 平家物語へいけものがたり』(延慶本)
      7. 宇治拾遺物語うじしゅういものがたり』(第百二十三話)
      8. 日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき
      9. 山門聖之記さんもん ひじりのき』(『諸国一見聖物語しょこく いっけん ひじり ものがたり』)
    3. 『是害房絵巻』ぜがいぼうえまきに記された比良山の大天狗(天魔、紺青鬼)
  6. おわりに
  7. 引用文献・参考文献

酒天童子の昔語りのなかの霊木説話

IMG_20180805_105142 楠木の巨木 日吉御田神社 水葉女神(みずはのめのかみ) 滋賀県大津市坂本6丁目27
くすのき御神木ごしんぼく
日吉御田神社ひよしみたじんじゃ祭神さいじん水葉女神みずはのめのかみ
滋賀県大津市坂本6丁目27

 まことに、この巨大な「仏木」は神であった。上記の古い伝承によれば、たんに「辛酉歳」とする太古に流れ出たる大木が「里」に流れついて災厄をなす。『年表』等に「霹靂木」というのは、神の降臨した木であることを示す語としてよいだろう。それが人間の世界に出現した時に疫病などの災いをのみもたらすのは奇異なことのようであるが、そうした荒ぶるしわざこそ、新たに出現した威力ある神の特徴ともいうべきものであった。

―― 阿部泰郎「三尾明神: 長谷寺縁起」, 「比良山系をめぐる宗教史的考察」 (*9)

 こうした中世以降の森の破壊を積極的に推し進めたのは、キリスト教の宣教師たちであった。花粉分析の結果は、キリスト教の修道院が森を破壊する先兵であったことを明らかにしている。
〔中略〕
 キリスト教の布教と浸透は、これまであったケルト人やゲルマン人の伝統的な宗教と結果的に激しい対立を引き起こすことになった。キリスト教の宣教師は、各地の聖なる森を破壊し、聖木を切り倒すように命じた。それは森のやみを切り開き、異教徒を野蛮な犠牲いけにえの儀式から解放し、人間中心の輝かしい文明の光を導入することに他ならなかった。

―― 安田喜憲「森の神々の流竄」, 『大地母神の時代』 (*10) (*11)

 メドュウサがペルセウスに首を切られ、アルテミス神殿がキリスト教徒によって破壊され、近代ルネサンス期にメドュウサが化物にされてしまった歴史は、一口でいえば自然の神々たち、アニミズムの神々が殺戮される歴史であった。理性と一神教をふりかざした文明の勝利の歴史だった。闘争的な力の文明の勝利の歴史であった。
 この理性と一神教をふりかざした力の文明によって、神だったメドュウサは神殿から追放され、あげくのはてに化物にされてしまったのである。

―― 安田喜憲「近代文明の犠牲」, 『大地母神の時代』 (*12)

高僧の行脚ということは、すなわち年々秋冬のある日を定めて、神が祭りをけに里に下られたことをいうのであります。仏教の地方伝道には、こうして在来の信仰を乗っ取ろうとした計画が、始終あったらしい

―― 柳田国男「太子講の根源」, 『女性と民間伝承』 (*13)

異教が神聖なものとして崇拝したあの泉のわきに、キリスト教の坊さんが利口にも教会をたてた。そしてこんどは彼自身で、その水に祝福をあたえて、その魔法の力を食いものにした。〔中略〕
 信心深い斧に抵抗した聖なる樫の木は中傷された。つまりこの木の下で悪魔たちが毎晩ばかさわぎをし、魔女たちが地獄のみだらな行為をしていると今日ではいわれている。〔中略〕それは森のなかでいちばん大きくて強い木であり、その根は大地のいちばん底まで達している。その梢はみどりの軍旗のように、誇らかに空中にはためいている。詩にでてくるエルフェはその幹に住んでいる。聖なる英知のやどり木がその太い枝にまつわりつく。ただその実は小さくて人間には食べられない。

―― ハインリヒ・ハイネ『精霊物語』 (*14)

 

現在、逸翁いつおう美術館に所蔵されている香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの絵巻物は、現存最古の酒呑童子説話をつたえています。その香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばのなかに、酒天童子が自らの来歴を語る場面があります。その場面では、古くから酒天童子が住みかとしていた平野山ひらのやま」の土地(比良山地や比叡山地のあたりの地域)が、伝教大師でんぎょうだいし最澄さいちょう(に象徴される天台教団(天台宗の教団))によって奪い取られてしまった、という話が語られています。

そのとき、その土地の先住者であった酒天童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)は、最澄さいちょう(に象徴される天台教団)による侵略をはばむために、楠木(くすのき)の巨木に変化へんげして抵抗しました。ですが、結局は、力及ばず、住みかを追い出されてしまいます。この下の文章は、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばに記されている、その経緯についての、酒天童子による昔語りのなかの一節です。

この下の文章は、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの上巻のなかの第5段の詞書(ことばがき)の文章の一部を釈文(しゃくぶん)にした文章です (*15) (*16) (*17)。赤文字や太文字などの文字装飾は、筆者によるものです。

(われ)(これ)、酒を深く愛する者なり。()れば、眷属等(けんぞくら)には酒天童子(しゅてんどうじ)異名(いみょう)に呼び付けられ(はべ)るなり。(いにしえ)はよな、平野山(ひらのやま)重代(じゅうだい)私領(しりょう)として(まか)り過ぎしを伝教大師(でんぎょうだいし)といひし不思議(ふしぎ)(ぼう)()の山を(てん)じ取りて、(みね)には根本中堂(こんぽんちゅうどう)を建て、(ふもと)には七社(しちしゃ)霊神(れいじん)(あが)(たてまつ)らんとせられしを、年来(ねんらい)住所(すみどころ)なれば(かつ)名残(なごり)()しく覚え、(かつ)(すみか)もなかりし(こと)口惜(くちお)しさに、楠木(くすのき)(へん)じて度々(たびたび)障碍(しょうげ)をなし、(さまた)(はべ)りしかば大師房(だいしぼう)()の木を切り、地を(たいら)げて、「()けなば」と(はべ)りし(ほど)に、()()(うち)(また)、先のよりも(だい)なる楠木(くすのき)(へん)じて(はべ)りしを伝教房(でんぎょうぼう)不思議(ふしぎ)かなと(おも)ひて、結界(けっかい)(ふう)(たま)ひし(うえ)、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)(ほとけ)(たち)()が立つ(そま)冥加(みょうが)あらせ(たま)へ」と(もう)されしかば、心は(たけ)(おも)へども(ちから)及ばず、〔後略〕

 

上記の話の要点は、かんたんに言えば、「比叡山の土地の所有権が、先住者であった酒天童子しゅてんどうじ(鬼)から、最澄さいちょう(に象徴される天台教団)に移った」ということです。そして、比叡山の土地の所有権は、巨木(霊木)によって象徴されています。

上記の香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばに記されている話と、なんらかのつながりがあるとおもわれる説話(あるいは、上記の話のもとになったかもしれない説話)が、比叡山延暦寺についての文献のなかに、複数残されています(牧野, 1990, pp. 87-94) (*18)

比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂こんぽんちゅうどうの本尊は、薬師如来像です。それらの説話というのは、その薬師如来像をつくるときにつかわれた御衣木みそぎ(木彫仏像の制作にもちいられる材木)となった霊木についての説話です。それらの説話の内容は、おおまかに言えば、上記の香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの話とおなじような、「比叡山の土地の所有権が、先住者(鬼や、天龍八部、金剛力士、仙人など)から、最澄さいちょう(に象徴される天台教団)に移った」という内容です。そして、それらの説話においても、比叡山の土地の所有権は、霊木によって象徴されています。

 

ちなみに、能(能楽)の謡曲「大江山」ようきょく おおえやまは、諸本のなかでも、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばと同系統に属し、話の内容もよく似ています。

この下の引用文は、その謡曲「大江山」ようきょく おおえやまのなかの酒天童子しゅてんどうじによる昔語りのなかの一節です。

(※この下の引用文のなかの、「大師坊だいしぼう」というのは、「伝教大師でんぎょうだいし最澄さいちょう」のことです。)

われ比叡ひえやま重代ぢうだい住家すみかとし、年月としつきおくりしに、大師坊だいしぼうといふえせびとみねには根本中堂をこんぽんちゅうどうて、ふもと七社しちしゃ霊神れいしんいはひし無念むねんさに、一夜いちや三十さんじゅうじゃうくすのきとなつて奇瑞きずゐせしところに、大師坊だいしぼう一首いっしゅうたに、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)(ほとけ)たち、わが(そま)冥加(みょうが)あらせ(たま)へ」とありしかば、ほとけたちも大師坊だいしぼうにかたらはされ、でよでよと(たま)へば、ちからなくして重代ぢうだい比叡ひえのおやまでしなり

(〔酒天童子しゅてんどうじによる昔語りの一節〕, 謡曲「大江山」ようきょく おおえやま(*19) (*20)

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比叡山の所有権移転の霊木説話が記載されている文献群

群書類従. 第544-546_コマ番号:021_『叡岳要記』上巻「虚空蔵尾本願堂縁起」_002
叡岳要記えいがくようき』上巻 「虚空蔵尾本願堂縁起こくぞうお ほんがんどう えんぎ(*21)

『渓嵐拾葉集』一冊 滋賀県 西教寺蔵 (『日吉山王光華』)
渓嵐拾葉集けいらんしゅうようしゅう』(滋賀県大津市 西教寺さいきょうじ 所蔵) (*22)

『渓嵐拾葉集』第百七「根本中堂不思議事」によれば、最澄自刻の伝承を持つ比叡山の根本中堂の薬師如来像の御衣木も、「晝ハ紫雲を覆、夜ハ光明ヲ放」つ霊木と語られる。
 これらの縁起における御衣木の、一夜成長の巨木という伝説や、放光する木という伝承は、当初の民間伝承から見れば、必ずしも素晴らしく尊い物としての記述とはいえない。『長谷寺縁起』系統の御衣木と同様に、これらの形容は、霊木といっても負の性格を持つもの、怪奇現象や祟りにより恐れられる疫木を意味したのではないか。

―― 山本陽子「祟る御衣木と造仏事業 : なぜ霊木が仏像の御衣木に使われたのか」 (*23)

さきほどお話したような、「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」は、下記に列挙した文献に記載されています。

  • 法華経鷲林拾葉鈔ほけきょうじゅりんしゅうようしょう』巻第24 陀羅尼品だらにほん第26 (*24) (*25)
  • 日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき』第1 (*26) (*27) (*28)
  • 身延みのぶ文庫ぶんこぞう法華直談私見聞ほっけじきだんしけんもん(*29)
  • 渓嵐拾葉集けいらんしゅうようしゅう』巻第107 記録部 私苗 六 (*30)
  • 叡岳要記えいがくようき』上巻「虚空蔵尾本願堂縁起こくぞうお ほんがんどう えんぎ」(「本願堂」)の項目 (*31) (*32)
  • 叡岳要記えいがくようき』下巻「㝡澄大師一生記」(「最澄大師一生記」)(「最澄一生記」)のなかの、「沙彌㝡澄」(「沙弥最澄」)の項目 (*33) (*34)
  • 山門堂舎記さんもんどうしゃき』(「根本中堂」の項目) (*35) (*36)
  • 法華経直談鈔ほけきょうじきだんしょう』「巻第八本」のなかの、「巻第六 寿量品じゅりょうぼん第十六」のなかの、「廿三 山門三佛造事」(「23 山門三仏造事」)の項目 (*37)
  • 山門堂社由緒記さんもんどうしゃゆいしょき』「巻第一 比叡山延暦寺御由緒書」のなかの、「本願堂」の項目 (*38)
  • 比叡山堂舎僧坊記ひえいざんどうしゃそうぼうき』(「佛母塚」(仏母塚)の項目) (*39)
  • 山門名所旧跡記さんもんめいしょきゅうせきき』巻第一の「東塔分」のなかの、「香炉岳(香炉ガ岳)」と「佛母塚」(仏母塚)の項目 (*40) (*41)
  • 山門名所旧跡記さんもんめいしょきゅうせきき』巻第一の「西塔分」のなかの、「登天峯」の項目 (*42)
  • 面授口訣めんじゅくけつ』(鎮国道場本仏 仁忠和尚八箇問答記云) (*43)

 

また、上記の文献群に記載されている「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」の原型のひとつである可能性がある説話として、聖徳太子についての下記の文献に記載されている説話があります。その説話は、霊木こそ登場しないものの、「かつて、聖徳太子が生きていた時代に、比叡山に悪鬼がいた」という内容になっています。

  • 醍醐寺だいごじぞう聖徳太子伝記しょうとくたいしでんき』(「太子たいし卅二歳みそあまりふたとせ御時おんとき」) (*44)

 

また、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の昔語りにあった霊木説話は、比叡山延暦寺のはじまり(つまり、日本天台宗のはじまり)を物語る「開闢譚かいびゃくたん」でもあります。その「叡山開闢譚えいざんかいびゃくたん」の主題のひとつは、「開祖である高僧が、霊山で悪しきものにはばまれながらも、それに打ち勝つ」という部分です。その主題は、もとをたどれば、「華頂降魔かちょうごうま」の説話の主題をまねしたものであるようです。

比叡山延暦寺を総本山とする日本天台宗は、その開祖である最澄が、(中国の)天台宗の教えを継承して開いた宗派です。「華頂降魔かちょうごうま」の説話というのは、その(中国の)天台宗の開祖である智顗ちぎにまつわる説話です。その「華頂降魔かちょうごうま」の説話の主題もまた、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話とおなじように、「開祖である高僧が、霊山で悪しきものにはばまれながらも、それに打ち勝つ」という内容になっています。その「華頂降魔かちょうごうま」の説話は、下記の文献に記載されています。(「智者大師ちしゃだいし」というのは、智顗ちぎの尊称です。)

  • 智者大師別伝ちしゃだいしべつでん』(天台智者大師別伝てんだいちしゃだいしべつでん) (*45) (*46) (*47)

 

 ここからは、上記で紹介した文献群のなかでも、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話の成立に、とくに大きな影響をあたえた可能性や、ふかいつながりがある可能性があるとおもわれる文献と、そこに記載されている説話を、いくつかとりあげてみたいとおもいます。

 

ちなみに、下記の行列表(スプレッドシート)は、それらの文献に記されている、比叡山延暦寺の霊木説話についての記述を比較・分析したものです。ご参考までに。

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法華経鷲林拾葉鈔ほけきょうじゅりんしゅうようしょう』の、鬼の霊木の説話

『法華経鷲林拾葉鈔』巻第24_『日本大蔵経 第30巻 経蔵部 法華部章疏 3』(国会図デジタル),1917年,日本大蔵経編纂会_コマ番号:357_003
鬼の霊木の説話
(「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」)
(「陀羅尼品だらにほん第26」, 『法華経鷲林拾葉鈔ほけきょうじゅりんしゅうようしょう』巻第24 より) (*48)

 

「今の子らは知らないだろうけど
 暗森くらもりの声ってのは本当に恐ろしいお人だったんだから
 
 たまに思い出してうなされるくらいが丁度いいのさ」

「「人」?
 悪魔じゃないのか?」

「あっはは!違う違う
 それは後付け
 
 元々は人だよ
 
 その昔マキナタを切りひらきに来た開拓団を
 たったひとりでほぼ壊滅させた人が暗森くらもりの声なんだと
 
 最後は木こりがおので討ち取ったんだけど
 それから7年間不作が続いたもんでおまつりしてんのさ
 
 ほら 街外れの大楠おおくすのき
 あそこに住んでたらしいよ
 
 あんたらも木を大切にね
 粗末に扱ってるとたたられちまうかもよ?」

―― 「第31話 樹鎮の夕べ」, 『ハクメイとミコチ 5巻』 (*49)

 

さきほど紹介した、「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」が記載されている文献群なかでも、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話の内容との共通点がとくに多いのは、『法華経鷲林拾葉鈔ほけきょうじゅりんしゅうようしょう』巻第24のなかの、「陀羅尼品だらにほん第26」の節のなかにある説話です。(この文献の成立年代は、1512年ごろ(室町時代後期)です。)

この『法華経鷲林拾葉鈔ほけきょうじゅりんしゅうようしょう』の文献のなかの、「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」の部分には、おおよそ、つぎのようなことが記されています(『日本大蔵経 第26巻 増補改訂』, 1974, p. 242) (*24) (『日本大蔵経 第30巻』, 1917, p. 706) (*25)。(下記の文章のなかの、〔〕(亀甲括弧)内の言葉は、筆者による注記です。)

叡峰開白かいびゃく比叡山ひえいざん開闢かいびゃく〕の時、根本中堂こんぽんちゅうどう薬師やくし薬師如来像やくしにょらいぞう〕を造りたてまつらんとて、御杣木そまぎたずたまふに、東北に当たってくすのきあり。もとより光明こうみょうはなつ。大師だいし伝教大師でんぎょうだいし最澄さいちょうあやしく思召おぼしめし、の木のもとたずね行きて見たまふに、二人ふたりおにりて、の木を守護しゅごす。とき大師だいしえいじていはく、「阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい仏達ほとけたちが立つそま冥加みょうがあらせたまへ」。おにいはく、「われ狗留孫仏くるそんぶつ過去七仏かこしちぶつの第四番目のほとけ〕より以来、の木を守護しゅごし、釈尊しゃくそん像法ぞうほうの時に当たり、の山〔比叡山ひえいざん〕にいて大乗だいじょう弘通ぐずう人師にんし来るし。すなはあたし」とへり。「なんじことなるべし」とふに、すみやかに東北を指して去りにけり。すなはの木を切りて、一刀三礼いっとうさんれい薬師如来やくしにょらいの像を造り、根本中堂こんぽんちゅうどう本尊ほんぞんす。の礼文にふ。像法ぞうほうてんずる時、衆生しゅじょう利益りやくす、ゆえ薬師瑠璃光仏やくしるりこうぶつと称号す。ごとうたいて礼拝したまひしかば、木像の薬師やくし、新たにうなづきたまひけり。今も夜なんど道を行くに、をそろしきことこれり。の歌を三反誦はんしょうするに、鬼神おにがみ障礙しょうげさずとなり

(「陀羅尼品だらにほん第26」, 『法華経鷲林拾葉鈔ほけきょうじゅりんしゅうようしょう』) (*24) (*25)

この文献の上記の説話と、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話には、つぎのような共通点があります。

  • 比叡山の先住者として、鬼が登場する(「二人ふたりおに」と、酒天童子)。
  • 最澄が、主要な人物として登場する。
  • 霊木の樹種は、くすのき
  • 最澄がつくったとされている、つぎの和歌が記載されている。「阿耨多羅あのくたら 三藐三菩提さんみゃくさんぼだいの 仏たち わが立つそま冥加みょうがあらせたまえ」。

こうした共通点があることから、『法華経鷲林拾葉鈔ほけきょうじゅりんしゅうようしょう』と、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの、双方に記載されている「比叡山の鬼の霊木の説話」には、なんらかのつながりが、あるのではないかとおもいます(あるいは、片方が、もう片方の説話の原型のひとつになったのかもしれません)。

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最澄が詠んだ和歌「阿耨多羅あのくたら 三藐三菩提さんみゃくさんぼだいの 仏たち わが立つそま冥加みょうがあらせたまえ」について

最澄が詠んだ和歌「阿耨多羅あのくたら 三藐三菩提さんみゃくさんぼだいの 仏たち わが立つそま冥加みょうがあらせたまえ」について

 

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日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき』の、青鬼の霊木の説話

 

東海の度索山たくさくさんといふ地に、大きなる桃の三千里にわだかまれるあり。ひくき枝、東北に向ふ。これを鬼門といふ。此所、もろもろの鬼の出入する所なれば、かくは名づけしなり。

―― 『山海経せんがいきょう(*50)

東塔縁起とうどうえんぎ』にう、「桓武かんむ聖主せいしゅ長岡京ながおかのみやこはいし、平安城へいあんじょううつるのとき雲峰うんぽう 帝都の丑寅うしとらそばだち、嵐径 鬼門きもん凶害きょうがいる。于時ときにあたりて大師だいしみずから伽藍がらんの基跡をひらき、聖主せいしゅ 深く叡山えいざん護持ごじたのむ。以降いこう当山とうざんって皇帝本命道場ほんみょうどうじょうす」と。

―― 「叡岳要記えいがくようき 上」, 「鬼門きもん」, 「方位吉凶」, 「陰陽道 下」, 『古事類苑こじるいえん(*51)

あき七月ふみづき辛卯かのとのうついたち甲午きのえうまのひに、筑紫後国つくしのくにのみちのしりのくに御木みけいたりて、高田行宮たかたのかりみやします。時にたふれたる有り。なが九百七十丈ここのほつゑあまりななそつゑ百寮つかさつかさみて往来かよふ。

―― 景行天皇けいこうてんのう十八年七月の条文, 『日本書紀にほんしょき』巻第七 (*52)

 

日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき』第1に記載されている説話も、「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」の文献群なかで、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話の内容との共通点がある説話です。(この文献の成立年代は、鎌倉時代後期とされています(鎌倉時代は、1185年ごろ~1333年)。)

この『日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき』の文献のなかの、「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」の部分には、おおよそ、つぎのようなことが記されています(『神道大系 神社編 29』, p. 650) (*26)(『続群書類従 第2輯 下 3版』, pp. 655-656) (*27)(『日本精神文化大系 第4巻』, p. 130) (*28)。(下記の文章のなかの、〔〕(亀甲括弧)内の言葉は、筆者による注記です。)

桓武天皇くはんむてんわう御宇ぎょう延暦えんりゃく四年よとせ桓武天皇かんむてんのうが世の中をおさめていた時代の延暦えんりゃく4年(西暦785年)〕に伝教大師でんぎょうだいし御年おとし十九とをあまりここのつにて、はじめ叡山えいざんによぢのぼりたまひしに、たほれたる枯木かれきを見守る青鬼あをおにあり。大師だいしとひたまはく、「なんじ何者なにものぞ」。おにこたえ申云まうしていはく、「未来みらい聖人しょうにんきたりて仏像を彫刻すべし。その祚木そぼくのために不可踏守」と。「地主じぬし権現ごんげんおおせによりて、此木このき二葉ふたばよりこれ守護しゅごす」云々うんぬん大師だいし感涙かんるいはなはだし。艸庵くさのいおりをむすび願文がんもんを製し、同七年ななとせ一乗止観院いちじょうしかんいん立給たてたまふ其間そのまかの霊木にて薬師やくし如来にょらい造像ぞうぞうす。ひとたび斧をくだして三度礼拝れいはいし、斧をおろすたびごとに、未来悪世みらいあくせ衆生しゅじょうかならず利益りやくたまふべきよし誓約うけひありければ、仏像うなずきたまひける。大師だいし三仏を一院いちいんにきざむとは、これ根本中堂こんぽんちゅうどう比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじの総本堂〕薬師やくし薬師如来やくしにょらい像〕、転法輪堂てんぽうりんどう比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ西塔さいとう地区の本堂である釈迦堂しゃかどう釈迦しゃか釈迦如来しゃかにょらい像〕、浄土院じょうどいん最澄さいちょう廟所びょうしょのとなりにある堂宇どうう阿弥陀あみだ阿弥陀如来あみだにょらい像〕なり。およそ桓武天皇くはんむてんわう観自在尊かんじざいそん観自在菩薩尊かんじざいぼさつそん応化おうげ伝教大師でんぎょうだいし薬王菩薩やくおうぼさつ垂迹すいじゃく智者大師ちしゃだいし〔天台宗の開祖である智顗ちぎ〕の後身こうしん〔生まれ変わり〕なり。

(『日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき』第1) (*26) (*53) (*28)

この文献の上記の説話と、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話には、つぎのような共通点があります。

  • 比叡山の先住者として、鬼が登場する(「青鬼あをおに」と、酒天童子)。
  • 最澄が、主要な人物として登場する。

こうした共通点があることから、『日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき』と、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの、双方に記載されている「比叡山の鬼の霊木の説話」には、なんらかのつながりが、あるのではないかとおもいます(あるいは、片方が、もう片方の説話の原型のひとつになったのかもしれません)。

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身延みのぶ文庫ぶんこぞう法華直談私見聞ほっけじきだんしけんもん』の、青鬼の霊木の説話

 

むかし神代しんだいとき日本にっぽんに三ぼん大木たいぼくあり、くりくすのき椿つばきなり。〔中略〕くりは、丹波国たんばのくに大江山おほえやまふもと有之これあり此木このきを、鬼神きしんじゃうくわくの要害ゑうがいとす。源頼光みなもとのよりみつ酒呑童子しゅてんどうじ退治たいぢとき太守たいしゅよりところの百しゃうけ、此木このきらするに、一うちに、肉生合にくしゃうがふことず。或時あるとき其親そのおやをしへけるに、きりくずをば、入火にふくわにしてたくべしといふ。其子そのこをしへしたがひ、りくずを、にいれ、たきてしかば、つひに、つ。ときに、をしへしおやはなはよろこび、もと立寄たちよりしに、此木このきたちまちに打倒うちたふれけるあひだ親父てゝおやちしかれす、依之これによりことわざに、丹波たんば爺打栗てゝうちぐりふ。

―― 『下総国椿新田濫觴記』しもうさのくに つばきしんでん らんしょうき (*54) (*55) (*56)

四年、はる二月きさらぎ[の]甲寅きのえとら[の]ついたち甲子きのえね[の日]、天皇箕野みのみゆきす。みち淡海おうみる。ひとつ枯木かれきゆ。こずえそら穿うがそらる。ゆえ国老こくろうう。う、「神代かみよ栗木くりのきむかしさかえし時、えだ山嶽にならぶ。ゆえ並枝山ひえのやまう。またつらなる高峰にならぶ。ゆえ並聯山ひらのやまう。毎年つちる。土中ことごとくくりなり」と。天皇これに感じ詠歌えいかす。

―― 景行天皇けいこうてんのう四年二月の条文, 「神皇本紀じんのうほんぎ 下巻 上」, 『先代旧事本紀大成経せんだいくじほんぎたいせいきょう』巻二十一 (*57) (*58) (*59)

 

身延みのぶ文庫ぶんこぞう法華直談私見聞ほっけじきだんしけんもん』に記載されている説話も、「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」の文献群なかで、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話の内容との共通点がある説話です。(この文献の成立年代は、1471年ごろ(室町時代後期)です。)

この身延みのぶ文庫ぶんこぞう法華直談私見聞ほっけじきだんしけんもん』の文献のなかの、「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」の部分には、おおよそ、つぎのようなことが記されています(牧野, 1990, p. 90) (*60)。(下記の文章のなかの、〔〕(亀甲括弧)内の言葉は、筆者による注記です。「■」の記号は、文献のなかの欠損部分をあらわしています。)

ひとつ根本中堂こんぽんちゅうどう本尊ほんぞん薬師やくしこと傳教大師でんぎょうだいし最澄さいちょう我山わがやま比叡山ひえいざん〕にのぼり、作仏さくぶつため御尊木ごそんぼくたずたまへり。■時、松尾まつのを明神みょうじん虚空こくうあらわれ、まえ山裾やますそ〕に御尊木ごそんぼくりとつげたまへり。のちゆきてたまへは、この木を青色あをいろおに守護しゅごしてり、大師だいしの木をこひたまへは、二鬼にのおにとひいはく、「御名みなをはなんますう」といへり。大師だいし、「われこれ大安寺だいあんじ沙門しゃもん行表ぎょうひょう和尚かしょうの御弟子でし㝡澄さいちょう法師ほうし最澄さいちょう法師ほうし〕といふものなり」とこたえたまふ。其時そのとき二鬼にのおにまうしけるは、「これ過去かこ狗留孫仏くるそんぶつ過去七仏かこしちぶつの第四番目のほとけより、『㝡澄さいちょう法師ほうし最澄さいちょう法師ほうし〕にわたしまうせ』とてあずかりまうして、今迄いままで守護しゅごまうしさうらふ木なり。わたまうさん」とて、虚空こくうさしせにけり、とふ〔後略〕

身延みのぶ文庫ぶんこぞう法華直談私見聞ほっけじきだんしけんもん』) (*60)

この文献の上記の説話と、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話には、つぎのような共通点があります。

  • 比叡山の先住者として、鬼が登場する(「青色あをいろおに」と、酒天童子)。
  • 最澄が、主要な人物として登場する。

    こうした共通点があることから、身延みのぶ文庫ぶんこぞう法華直談私見聞ほっけじきだんしけんもん』と、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの、双方に記載されている「比叡山の鬼の霊木の説話」には、なんらかのつながりが、あるのではないかとおもいます(あるいは、片方が、もう片方の説話の原型のひとつになったのかもしれません)。

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    醍醐寺だいごじぞう聖徳太子伝記しょうとくたいしでんき』の、比叡山の悪鬼の説話

    『桑実寺縁起』(くわのみでらえんぎ) 上巻 第1段の絵図の模写 太初の桑の巨木
    太初のくわの巨木
    桑実寺縁起くわのみでらえんぎ』上巻 第1段の絵図の模写〔一部分〕

     

    江州ごうしゅう桑実寺くわのみでらは、日本国の最初、扶桑ふそうちょう濫觴らんしょうなり元気はじめのきすでに別れて、める物は天とり、にごれる物は地とる。滔々とうとうたる海上に、一株ひとかぶくわでたり。こずえは九山をおおひ、根は八海にわだかまれり。の木、三つの菓をむすぶ。ひとつは、金烏きんうと変じて、木のいただきを飛び巡る。ひとつは、玉兎ぎょくとと化して、えだほとりに遊びつどふ。これすはわち、四天下してんげを照らす日光・月光がっこう垂迹すいじゃくなりひとつは、地に落ちて山とる。今の桑実山くわのみやまこれなり。その形、八葉はちようにして、の色、紅紫こうしまじふ。あたか天蓋てんがいごとし。ゆえ織山きぬがさやま名付なづく。渓谷けいこくの声は広長舌こうちょうぜつ山嶽さんがくの色は清浄身しょうじょうしん三災さんさい劫末ごうまつにも破れず、天真独朗てんしんどくろうの不動山なり。過去かこ正法明如来しょうほうみょうにょらい浄土じょうど金剛喩定こんごうゆじょう盤陀石ばんだせきなり。上宮太子じょうぐうたいし、三十三歳の厄難やくなんを払はんがため千手せんじゅの像をの石の上に安置あんちたまふ。

    ―― 『桑実寺縁起くわのみでらえんぎ』上巻 第1段 詞書ことばがき (*61)

     

    醍醐寺だいごじぞう聖徳太子伝記しょうとくたいしでんき』のなかの「太子たいし卅二歳みそあまりふたとせ御時おんとき」の節に記載されている説話も、「比叡山の所有権移転の説話」の文献群なかで、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話の内容との共通点がある説話です。(この文献の成立年代は、1460年ごろ(室町時代中期)です。)

    この説話は、霊木こそ登場しないものの、「かつて、聖徳太子が生きていた時代に、比叡山に悪鬼がいた」という内容になっています。また、この説話では、「聖徳太子が、死後に最澄に生まれ変わった」ということになっています。

    この醍醐寺だいごじぞう聖徳太子伝記しょうとくたいしでんき』の文献のなかの、「比叡山の所有権移転の説話」の部分には、おおよそ、つぎのようなことが記されています(『中世聖徳太子伝集成 第2巻』, pp. 451-453) (*44)。(下記の文章のなかの、〔〕(亀甲括弧)内の言葉は、筆者による注記です。)

    聖徳太子しょうとくたいしが〕初楓野かえでの山城国やましろのくに葛野郡かどののこほり楓野かえでの〕行詣のときいまみやこ平安京へいあんきょう〕の深山みやまたりしを御覧じて、左右にみことのりして、青龍口、れ〔聖徳太子しょうとくたいしの地の形をるに、北はふさがり、南ははれて、東に清河ながれて、福寿ふくじゅ増長ぞうぢゃうきざししめし、東西とうざいに長山はるかつらなりて、千年ちとせみどり深くして、万民ばんみん撫育ぶいくとくあらわす。まことれ、ひだり青龍せいりょうみぎ白虎びゃくこまえ朱雀しゅじゃくうしろ玄武げんぶ四神相應しじんそうおう勝地しょうちなり入滅にふめつ一百七十ももあまりななそとせ聖徳太子しょうとくたいしの死後約170年後の〕、人皇にんわう五十代みかど桓武天皇かんむてんのう〕のときの地において、遷都せんとし。王法わうぼふ長久ちょうきゅう佛法ぶっぽふ繁昌はんじょう霊區れいくなりこれり、應化おうか諸神もろがみず、きょ所々ところどころぼくして、の地を守護しゅごするなりの北の山のふもと月神げっしん垂迹すいじゃくして、百王ひゃくわう寶祚ほうそまもる、すなは賀茂大明神かもだいみょうじんなりおなじき北山の高岳に龍神りゅうじん止住しじゅうして王城わうじゃう霊地れいち守護しゅごす、すなは貴船大明神きぶねだいみょうじんなり。西山のあし猛霊もうれい鎮守ちんじゅり、すなは松尾大明神まつのをだいみょうじんなりほか諸神もろがみあげかぞからざるなり〔数え切れないほど多い〕。しかりといへども、東北のかた高嶽たかだけ比叡山ひえいざん〕に大勢力せいりょく悪鬼あっきり。時々ときどき障㝵しょうげし、これひとつ大難だいなんなりしかも、たけ比叡山ひえいざん〕は、拘畄孫佛くるそんぶつ轉法輪てんぼうりん古跡こせきなり過去七仏かこしちぶつの第四番目のほとけである拘留孫仏くるそんぶつが、かつて説法せっぽうを行った場所である〕。法末ときいたりて、悪鬼あっき押領おうりょうして住城じゅうじょうし、佛法ぶつぽう障碍しょうげす。應化おうか諸神もろがみこれいかんともせず。ゆえもって、いま王城わうじゃうらざるなりしかりといへども、れ〔聖徳太子しょうとくたいし無比むひ大願たいがんはっして、入滅にふめつ一百七十ももあまりななそとせのち〔死後約170年後に〕、邊土へんど託生たくしょうして、下賤げせん衆生しゅじょう利益りやくし、しかのちに、高嶽たかだけ比叡山ひえいざん〕において、鎮護国家ちんごこっか大伽藍だいがらんを建て、一乗圓宗いちじょうえんしゅう天台宗てんだいしゅう〕の教法きょうほうあがめて、悪魔あくま千里せんりはらひ、皇基こうき万歳ばんぜいに守し、卜誓たまひければ、小野大臣おののおほおみふでとりこれ記録きろくするなり邊土へんど託生たくしょう御願ごがん浪ず、身後しんご一百七十ももあまりななそとせに〔死後約170年後に〕、近江國おうみのくに志賀郡しがのこほりの住民百枝ももえ最澄さいちょうの父親である三津首百枝みつのおびとももえ〕がうまれて、聡頴そうえい無雙ぶそう十二歳とおあまりふたとせにして、行表ぎょうひょう法師ほうし最澄さいちょうの師匠〕に投じて出家しゅっけして、法相宗ほっそうしゅう章䟽しょうしょを学し、ならび天台三大部てんだいさんだいぶ自見じけんす。十九歳とおあまりここのとせにして、叡嶽えいがく比叡山ひえいざん〕にのぼりて、五種いつくさ大願たいがんはっし、しばいおりむすび、一乗止觀院いちじょうしかんいんなづけ〔のち根本中堂こんぽんちゅうどう〕、精修苦行してむことなり桓武天皇くはんむてんわう桓武天皇かんむてんのうこれとうとびて、檀契あさからず、茅茨ぼうしあらためて、梵宇ぼんうし、延暦寺えんりゃくじと号す。いみな最澄さいちょうのち傳教大師でんぎょうだいしおくりなす。太子たいし記文きもんに、東北のかた高嶽たかだけいふは、いま比叡山ひえのやまなり傳教でんぎょう太子たいし後身こうしん〔生まれ変わり〕なり。  已上いじょう、松子傳なり

    (「太子たいし卅二歳みそあまりふたとせ御時おんとき」, 醍醐寺だいごじぞう聖徳太子伝記しょうとくたいしでんき』) (*44)

    この『聖徳太子伝記しょうとくたいしでんき』の説話と、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話には、つぎのような共通点があります。

    • 比叡山の先住者として、鬼が登場する(「悪鬼あっき」「悪魔あくま」と、酒天童子)。
    • 最澄が、主要な人物として登場する。

    こうした共通点があることから、醍醐寺だいごじぞう聖徳太子伝記しょうとくたいしでんき』と、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの、双方に記載されている「比叡山の鬼の説話」には、なんらかのつながりが、あるのではないかとおもいます(あるいは、片方が、もう片方の説話の原型のひとつになったのかもしれません)。

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    智者大師別伝ちしゃだいしべつでん』の、「華頂降魔かちょうごうま」の説話

    天台宗読本. 宗史篇 コマ番号:006 「天台大師御像」 (国宝) 園城寺蔵 天台大師 智者大師 智顗 002
    「天台大師御像」(園城寺おんじょうじ(三井寺みいでら) 所蔵) (*62)
    智者大師ちしゃだいし(天台大師てんだいだいし) 智顗ちぎの肖像画)

     

    最澄に衝撃を与えたのは、その後の智顗の思いきった行動である。まさに陳の知性の星、精神的支柱と仰がれていた智顗は、数年後、人々のとめるのもきかず、都を棄てて台州の天台山にこもってしまったのだ。〔中略〕
    〔中略〕ここで彼はもう一度求道者に戻ったのだ。ときに三十八歳。
     ―― 何百年に一人、という頭脳の持主、智顗禅師が、四十に手が届くところまできて、もう一度一介の求道者に戻られたとは……
     その研究生活で結実したのが、『法華玄義げんぎ』『法華文句もんぐ』『摩訶止観』の天台三大部と知ったときの驚きはどんなだったか。

    ―― 永井路子「雲嶺の梵音」, 『雲と風と : 伝教大師最澄の生涯』 (*63)

     

    天台山石橋図-Lions at the Stone Bridge of Mount Tiantai MET DT331546
    曾我蕭白そが しょうはく天台山石橋図てんだいさん しゃっきょうず(*64) (*65)

     

    天台山てんだいさんは、けだし山嶽の神秀なるものなり。海をわたれば、蓬莱ほうらい方丈ほうじょう仙蹟せんせきあり、陸に登れば、石橋しゃっきょう赤城せきじょう勝地しょうちあり。その高きこと一万八千丈、周回八百余里、第八重最高のところを、華頂峰かちょうほうと名づけ、また望海尖ぼうかいせんとよぶ。草木薫郁くんいくほとんど人世じんよあらず。大師だいしこの華頂峰かちょうほうに登り、後夜ごやに座禅したまふに、第六天だいろくてん天子魔てんしま、北の百千万の魔軍まぐんひききたり、暴風迅雷、千状万態、怖畏ふいそうげんじ、さらに父母師長のかたちとなりて、あるいはうらみ、あるいはむつれ、種々しゅじゅに悩害を加ふといへども、大師だいし深く実相じっそうを念じ、本無ほんむ体達たいたつして、強軟二種にしゅ魔魅まみ降伏ごうぶくたまふ。

    ―― 「第二十八章 華頂降魔」, 『天台大師略伝』 (*66)

    深山遠谷のごときは、途路艱険にして永く人蹤にんしょうを絶す。誰かあい悩乱せん。意をほしいままにして禅観し、念念、道にあり、毀誉起らず。この処は最も勝る。

    ―― 智顗ちぎ〔静処に閑居せよ〕, 『摩訶止観まかしかん』第六章 第一節 第三項 (*67) (*68)

     

    さきほどお話したように、『智者大師別伝ちしゃだいしべつでん』(天台智者大師別伝てんだいちしゃだいしべつでん)に記されている「華頂降魔かちょうごうま」の説話と、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話は、どちらも、「開祖である高僧が、霊山で悪しきものにはばまれながらも、それに打ち勝つ」という内容になっている、という共通点があります。

    そのような共通点がある理由は、おそらく、日本天台宗の教団が、「叡山開闢譚えいざんかいびゃくたん」をつくるにあたって、自分たちの宗派の源流である(中国の)天台宗の「天台山てんだいさん開闢譚かいびゃくたん」の内容に似せることによって、自分たちの正統性の主張と、権威付けをおこなおうとしたからではないかとおもいます。

    香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話のほうのあらすじは、「日本天台宗の開祖である最澄が、酒天童子(悪鬼)が変化へんげしたくすのきの巨木にはばまれながらも、それを打ち破って、比叡山延暦寺を創始した」というような内容になっています。

    一方、『智者大師別伝ちしゃだいしべつでん』に記されている「華頂降魔かちょうごうま」の説話のあらすじは、「(中国の)天台宗の開祖である智者大師ちしゃだいし智顗ちぎ)が、天台山で修行していたときに、暴風や雷鳴をともなってあらわれた、たくさんの鬼や化け物たちによって、修行を妨害されながらも、それらに屈せず、悟りを開いて、天台宗を創始した」というような内容になっています。

    智者大師別伝ちしゃだいしべつでん』のなかの「華頂降魔かちょうごうま」の部分には、おおよそ、つぎのようなことが記されています(『国訳一切経 和漢撰述 第78』, pp. 599-600) (*45)(『新纂大日本続蔵経 第77巻』, pp. 665-666) (*46)(『伝教大師全集 第四』, pp. 182-183) (*47)。(この『智者大師別伝ちしゃだいしべつでん』(天台智者大師別伝てんだいちしゃだいしべつでん)の文献は、6世紀後半~7世紀前半ごろのずい(中国)で成立しました(日本は奈良時代ごろ)。下記の文章のなかの、〔〕(亀甲括弧)内の言葉は、筆者による注記です。)

    てらきたの別峯を、よん華頂かちょうす。のぼりてながむるに群山ぐんざんず。暄涼けんりょうにして、なが余処よそことなる。先師せんじ智者大師ちしゃだいし智顗ちぎ)〕、しゅうてて、ひときて頭陀ずだす〔修行する〕。たちまちに、後夜ごやおい大風おおかぜき、いかずちふるいて、やまうごかす。魑魅ちみ千群〔たくさんのおにや化け物〕、一形百状あり。あるいあたま龍虺りゅうきいただき、あるいくちより星火せいかを出す。かたち黒雲こくうんごとく、こえ霹靂へきれきごとし。倏忽しゅくこつとして転変てんぺんし、あげかぞうべからず〔数え切れないほど多い〕。図書にうつところ降魔ごうまへん〔「降魔変ごうまへん」。釈迦が悪魔をしりぞけた場面を描いた絵図〕等、けだ少小しょうしょうのみ。おそるべきのそうまたこれぎたり。しかれども、安心あんじんして、湛然たんぜんとして空寂くうじゃくなりければ、逼迫ひっぱくさかい自然じねん散失さんしつす。また、父母師僧しそうかたちす。たちまちに枕し、たちまちに抱き、悲咽流涕りゅうていす。だ、深く実相じっそうおもい、本無ほんむ体達たいたつすれば、憂苦ゆうくそうつい消滅しょうめつす。強軟の二縁、動かすあたわず。明星みょうじょういづとき、神僧げんじていわく、「敵を制し、怨に勝つ。すなわち勇とすべし。なんぐる、なんじごとものし」と。すで安慰あんいおわりて、また智顗ちぎの〕ためほうく。説法せっぽうもっべく、文をもっしるすべからず。まさ語下ごげおいて、したがいて明了みょうりょうし、くもひらき、いずみむ。水日喩にあらず。即便すなわち、〔智顗ちぎが神僧に〕といいわく、「大聖だいしょうこれいずれ法門ほうもんぞ。まさ云何いかんががくし、云何いかんが弘宣ぐせんすべきや」。〔神僧が〕こたう、「これを一実諦いちじったいなづく。これまなぶに、般若はんにゃもってし、これのぶるに、大悲だいひもってす。いまより已後いご自行じぎょうひとぬれば、みな影響えいきょうせん」と。

    (「華頂降魔かちょうごうま」の場面のあたりの一節, 『智者大師別伝ちしゃだいしべつでん』(天台智者大師別伝てんだいちしゃだいしべつでん)) (*45) (*46) (*47) (*69) (*70)

    この「華頂降魔かちょうごうま」の説話と、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話には、つぎのような共通点があります。

    • 霊山で修行する高僧の妨害をする鬼が登場する(「魑魅ちみ千群」〔たくさんのおにや化け物〕と、酒天童子)。
    • 高僧が、主要な人物として登場する(最澄と、智顗ちぎ)。

    こうした共通点があることから、『智者大師別伝ちしゃだいしべつでん』(天台智者大師別伝てんだいちしゃだいしべつでん)に記されている「華頂降魔かちょうごうま」の説話(「霊山の鬼の説話」)は、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子の霊木説話の、原型のひとつであったのかもしれません。

     

     天台三大部という法文から受けた衝撃もだが、若い青年であってみれば天台大師智顗そのひとの軌跡に最澄はより激しい衝撃をうけ、ひたすらその後についてゆこうと思い定めたのではあるまいか。
     ―― 大師の籠られた天台山は、どういうところなのか。
     そこをこの眼で見る可能性は、今のところ彼には皆無だが、それでも、その山を、その参籠の禅処を、どうしても見たい、と胸を熱くしたことだろう。この天台大師その人に対する傾倒は、それ以後の彼の中で、激しい炎となって燃え続ける。そのことをぬきにして彼の生涯は語れない。

    (永井路子「雲嶺の梵音」, 『雲と風と : 伝教大師最澄の生涯』) (*63)

     

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    参考: 「降魔成道ごうまじょうどう」の場面を描いた絵図「降魔変ごうまへん」について

    mayraarmy
    降魔変ごうまへん」の壁画(「降魔成道ごうまじょうどう」の場面を描いた絵図) (*71)
    敦煌とんこう莫高窟ばっこうくつの第428窟の壁画)

    DSC_2148
    敦煌とんこう莫高窟ばっこうくつ (*72)

    DSC_2147
    敦煌とんこう莫高窟ばっこうくつ (*73)

    ここでは、さきほどの「華頂降魔かちょうごうま」の説話のなかにあった、「降魔変ごうまへん」という言葉について、補足の説明をしたいとおもいます。

     

    敦煌とんこう莫高窟ばっこうくつの第428窟の壁画に描かれている図像を指し示す言葉(題名)としてつかわれている、「降魔変ごうまへん」という言葉は、釈迦しゃかが、悪魔による誘惑や脅迫などの妨害をしりぞけた場面を図像化したものを指す言葉であるようです。「降魔ごうま」という言葉は、釈迦しゃかが菩提樹の下で瞑想しているときに、悪魔が誘惑したり脅迫したりして妨害したものの、釈迦しゃかがそれらの妨害をすべてしりぞけたことを指す言葉です。(この話が、いわゆる、「降魔成道ごうまじょうどう」と呼ばれる説話です。)また、そのことから、「降魔ごうま」という言葉は、「悟りの妨害となるものをしりぞける」という意味でもつかわれるようになりました。「降魔変ごうまへん」という言葉のなかでつかわれている、「変」という言葉は、「絵」「像」「壁画」「レリーフ」などを意味する言葉としてつかわれているようです。

    (参考: 「降魔変」という言葉のなかの「変」という言葉の意味について解説されている論文)
    J-STAGE
    「変」、「変相」、「変文」の意味
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/2/65_732/_article/-char/ja/
    印佛65巻2号.indb
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/65/2/65_732/_pdf/-char/ja
    この論文のPDFファイル
    辛嶋静志 (2017年) 「「変」、「変相」、「変文」の意味」, 『印度學佛教學研究』, 65巻 2号, 732~739ページ.

     九二〇~九八〇年の間に書かれた幾つかの敦煌写本の題目に「変」が使われている。例えば「破魔変」、「降魔変」、「八相変」、「舜子変」、「劉家太子変」などである。これら題目中の「変」は「絵」を意味していると考えられる。従って、上のタイトルは、それぞれ「(仏)が魔を打破する絵」、「(仏)が魔を降伏させる絵」、「(釈迦牟尼仏一生の)八つの主要な出来事の絵」、「舜子の絵」、「劉家の太子の絵」である。これら写本の内容は、他ならぬこれら絵の内容紹介である。

    (辛嶋静志「「変」、「変相」、「変文」の意味」より) (*74) (*75)

    漢訳と蔵訳―後者は概して梵語原典に忠実である―の比較から、漢訳の「大神通変」と「地獄変」の「変」は、「変化、神通力、奇蹟」の意味ではなく、画家(Tib. ri mo = Skt. citrakara?)が描いた「絵(壁画)」の意味だと分かる。従って、「大神通変」と「地獄変」とは「大神通の絵(壁画)」、「地獄の絵(壁画)」の意味である。しかし、漢訳のインド原典には、漢訳の「変」に対応する原語がなかったことが、蔵訳から推定される。漢訳者義浄は、意味を明確にするために「変」を加えたと考えられる。

    (辛嶋静志「「変」、「変相」、「変文」の意味」より) (*76) (*75)

    釈迦御一代図会. 4_pid_816562_コマ番号_016_世尊大神通懲魔軍図_cropped_003
    参考: 釈迦しゃかが「魔軍まぐん」をしりぞけている「降魔ごうま」の場面を描いた絵図
    葛飾北斎 (絵画) 「世尊大神通懲魔軍図」, 『釈迦御一代図会』(『釈迦御一代記図絵』) (*77)

    釈迦御一代図会. 5_pid_816563_コマ番号_006_三迦葉与魔軍闘神通図_cropped_003
    参考: 「三迦葉さんかしょう」の三人兄弟が「魔軍まぐん」(悪龍)をしりぞけている「降魔ごうま」の場面を描いた絵図
    葛飾北斎 (絵画) 「三迦葉与魔軍闘神通図」, 『釈迦御一代図会』(『釈迦御一代記図絵』) (*78)

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    参考: 魑魅魍魎ちみもうりょう: 山や川に棲む赤い童子すがたの鬼

    コマ番号020_魍魎_cropped_004
    魍魎もうりょう
    寺島良安てらじまりょうあん 『和漢三才図会』わかんさんさいずえより) (*79) (*80)

    コマ番号020_魍魎_cropped_003
    魍魎もうりょう
    寺島良安てらじまりょうあん 『和漢三才図会』わかんさんさいずえより) (*79) (*81)

     

    つたう。むか叡山えいざん一童いちどうあり。僧徒そうとそのなるをあいし、さけすすめて交歓こうかんす。時々ときどきひとねぶり、さけしてこれをむ。一旦いったんすだまり、酒顚童子しゅてんどうじごうす。

    ―― 林羅山はやしらざん, 林鵞峰はやしがほう本朝通鑑ほんちょうつがん(*82) (*83) (*84) (*85)

    私は魑魅ちみと光を争おうとする哀れな秋の蛍火けいかであり、罔両もうりょうに笑われるはかない野馬かげろうにすぎない。だが干宝かんぽう(中国最初の小説集 「捜神記」の著者)の才も持たぬのに、かねてしんさぐることを愛し、また、人に鬼をかたらせて喜んだ、かの黄州こうしゅうの知事(蘇東坡)と、その気分を同じくする。

    ―― 蒲松齢ほしょうれい「聊斎自誌」, 『聊斎志異』りょうさいしい (*86)

    おきなわに、あだんのきが まだ いっぽんも なかった むかし……。

    ちいさなしまの おかに、ガジュマルのきが たっていて、 そこに、きじむなーが すんでいた。
    きじむなーには ふしぎなちからが あって、よるになると どこへでも とんでゆくことが できた。

    〔中略〕

    きじむなーは、あかいみを つけた きになって、とんとんみーを たすけたのさ。

    それが、あだんのきだ。

    ―― 田島征彦『とんとんみーときじむなー』 (*87)

     

    ちなみに、さきほどの、「華頂降魔かちょうごうま」の説話のなかにあった、「魑魅ちみ」という言葉には、「山や川に棲息している鬼や化け物」というような意味があります(『字通』, p. 1080, p. 1500)(『角川大字源』, p. 1975, p. 1977)。「魑魅ちみ」という言葉は、「魍魎もうりょう」という言葉とつなげて、「魑魅魍魎ちみもうりょう」というひとつの言葉としてあつかわれることがしばしばあります。その「魍魎もうりょう」という言葉にも、「山や川に棲息している鬼や化け物」というような意味があります。

    なお、「魍魎もうりょう」については、そうした意味にくわえて、「山のなかの水に棲む化け物」や、「水神すいじん」といった、水に関する特徴があるとされることもあるようです(『字通』, p. 1519, p. 1520, p. 1623)(『角川大字源』, p. 1977)。

     『倭名類聚鈔』は〈〉につづいて、餓鬼・瘧鬼・邪鬼・窮鬼・魑魅・魍魎・醜女・天探女あめのさぐめ等を鬼として説明しているが、それぞれに和名を当てて、瘧鬼は「えやみのかみ」、邪鬼は「あしきもの」、窮鬼は「いきすだま」、魑魅は「すだま」「こだま」、魍魎を「みづは」としている。「みづは」は水精であり、「こだま」「すだま」は老物の精、すなわち、木や石などの年を経たものは、おのずから精霊が宿ると考えられている

    (馬場あき子「鬼と日本の〈おに〉」, 「一章 鬼の誕生」, 『鬼の研究』) (*88) (*75)

    また、「魍魎もうりょう」は、「赤い目で赤黒い色をした幼児の姿をしている」とされることもあるようです(『字通』, p. 1519, p. 1520, p. 1623)(『角川大字源』, p. 1977)。そうした、「赤い」、「赤黒い」、「幼児の姿」、などの「魍魎もうりょう」の特徴は、酒天童子(酒呑童子)の体色が一般的に赤色だとされていることや、酒天童子(酒呑童子)が「童子」と呼ばれていることなどと、なんらかのつながりがあるのかもしれません。

     

    おきなわの しまじまには、あだんというきが
    たくさん はえている。
    おきなわに、あだんのきが
    まだ いっぽんも なかった
    むかし……。

    ちいさなしまの おかに、ガジュマルのきが たっていて、
    そこに、きじむなーが すんでいた。
    きじむなーには ふしぎなちからが あって、よるになると
    どこへでも とんでゆくことが できた。

    マングローブのしげみのなかを ながれるかわには、
    たくさんの とんとんみーが すんでいた。

    とんとんみーは、みずや すなのうえを とんとん とびまわって、
    いちにちじゅう いそがしそうに はしっていた。

    とんとんみーときじむなーは、なかのよい ともだちだった。
    よるになって、きじむなーが あついからだを ひやしに
    かわへ おりてくると、とんとんみーが あつまってきて
    みずしぶきを かけてやった。

    〔中略〕

    きじむなーは、あかいみを つけた
    きになって、とんとんみーを
    たすけたのさ。

    それが、あだんのきだ。

    あだんは、おきなわのつちに ねをはって、
    あめやかぜから しまを まもっている。
    それに、あだんのみと やわらかいしんは
    たべられるし、はっぱは とげをとって
    ぼうしや しきものになる。
    みきは、いえのはしらになるんだ。

    きじむなーが すがたを かえた あだんのきは、
    おきなわの しまじまに ひろがって、
    しおかぜのなかで おもいきり うでを のばしている。

    (田島征彦『とんとんみーときじむなー』) (*87)

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    参考: 霊木の怪異「倒木」「発光」「巨大化」

    前述の「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」のなかには、いくつかの共通した要素が見られます。たとえば、「最澄が比叡山の霊木の所有者・守護者に出会ったときには、霊木はすでに倒木の状態であった」という要素や、「霊木のまわりには紫雲がたちこめ、光を放っていた」という要素などがその要素です。こうした怪異的な要素は、霊木にまつわるほかの多くの説話にも共通して見られる要素です。

    たとえば、奈良県桜井市初瀬ならけん さくらいし はせにある豊山 長谷寺ぶさん はせでらの草創縁起を描いた『長谷寺縁起絵巻はせでらえんぎえまき』や、福岡県久留米市山本町の曹洞宗寺院・観興寺の縁起を描いた『観興寺縁起絵』(模本)にも、同様の霊木の怪異的な要素が見られます。

    長谷寺縁起絵巻はせでらえんぎえまき』は、「近江国の白蓮華谷にあった、蓮華が咲き良い香りと光を放つ巨大な倒木(楠)が洪水で流出し、漂着した先々で祟りをなした」というような意味の話をつたえています。

    (※『長谷寺縁起絵巻はせでらえんぎえまき』のくわしい内容や、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの酒天童子(酒呑童子)の説話との関係については、こちらのリンクの記事をご参照ください。)

    また、『観興寺縁起絵』では、鬼の化身である光を放つ倒木(柏の霊木)が御衣木として造仏に利用されます。

    また、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばでは、酒呑童子しゅてんどうじが「(だい)なる楠木(くすのき)に変じ」るという巨大化をなしたことが記されています。

    こうした霊木の怪異が意味することについては、山本陽子さんの論文「祟る御衣木と造仏事業 : なぜ霊木が仏像の御衣木に使われたのか」のなかで述べられている話を紹介したいとおもいます。

    その論文のなかで、山本さんは、霊木が「倒木」であることの意味について、「霊木が抵抗せず、最澄の意に従って自ら進んで倒れたことを、奇瑞として称えたものではなかったか」 (*89)とされています。

    また、「発光」「巨大化」という怪異については、つぎのように述べておられます。

     これらの縁起における御衣木の、一夜成長の巨木という伝説や、放光する木という伝承は、当初の民間伝承から見れば、必ずしも素晴らしく尊い物としての記述とはいえない。『長谷寺縁起』系統の御衣木と同様に、これらの形容は、霊木といっても負の性格を持つもの、怪奇現象や祟りにより恐れられる疫木を意味したのではないか。

    (山本陽子「祟る御衣木と造仏事業 : なぜ霊木が仏像の御衣木に使われたのか」) (*23)

    また、そのような障碍をなす「祟る木」をあえて造仏のための御衣木として使用した理由については、「祟りを鎮めてその負の力を正の力に転化させようとする発想があったのではないか」 (*23)というような意味の説を紹介されています。

    また、前述の「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」が記されている文献のなかには、最澄が霊木に刃をいれるにあたって、一度斧を振るうごとに三度礼拝をするという「一刀三礼」の儀礼をおこなったと記しているものもあります。この「一刀三礼」(一刀三拝)の儀礼について、山本陽子さんはつぎのように述べておられます。

    霊木を仏像に仕上げること自体が、祟り鎮めの祭祀である。槻峯寺縁起で斧の加持が十七日間行われたように、伐採から始まって、一刀三拝という文言に象徴される造仏のための煩瑣なまでの修法、或いは中途で放置することなく仏像に仕上げることも含め呪術的要素が濃い。

    (山本陽子「祟る御衣木と造仏事業 : なぜ霊木が仏像の御衣木に使われたのか」) (*90)

    このように、「霊木を一刀三礼して伐り出した」ということの背景には、たった1本の木を伐り出すために「一刀三礼」という煩雑な手順を踏んでまで礼をつくさなければならないほど、その霊木の祟りが強かったということを意味しているのかもしれません。

    香取本『大江山絵詞』の酒呑童子の化身である霊木(楠)も、もしその木が伐採されたのだとすれば、その際には「一刀三礼」の儀礼がおこなわれたのかもしれません。

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    青色と水神のつながり

    「比叡山の鬼の霊木の説話」に登場する青鬼が「青い色をしている」のは、その鬼が水神すいじんであることの象徴ではないかとおもいます。そのように考える理由には、つぎのようなものがあります。

    • 霊木があった場所が、比叡山の水源地帯であること。
    • 弁慶水の水天童子の説話の存在。
    • 台密の水神である水天(ヴァルナ)と青色との関係。
    • 香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばで、鬼が城の壇上積基壇だんじょうづみきだんに波の文様が描かれていること。
    • 香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばで、酒天童子の首の下に青い水が描かれていること。
    • 比叡山の周辺のほかの鬼伝説に登場する鬼も、水神すいじんとしての要素を備えていること。

    ここからは、上記の話題について、お話していきたいとおもいます。この下の地図は、比叡山延暦寺の東塔とうどう北谷の地区のなかで、これ以降でお話する話題に関連する場所を示した地図です。

    「青き鬼の霊木」_地図_大比叡・東塔・西塔_002_001
    比叡山延暦寺の東塔とうどう北谷の地区の地図 (*8)

    ちなみに、「酒天童子(酒呑童子)が、水神すいじんとしてのさまざまな性質をもっている」ということについては、すでに、高橋昌明さんが、『酒呑童子の誕生』のなかの、「竜宮城の酒呑童子」という章や、その章のなかの「竜王(水神)たる酒呑童子」という節などで、さまざまな事例をあげて、くわしく述べておられます(高橋, 2005, pp. 125-158)。ですので、ここでは、「酒天童子(酒呑童子)が水神すいじんとしての性質をもっている」ということについて、高橋さんがすでに述べておられることがらには触れません。

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    比叡山の霊木と、大宮川おおみやがわの水源地帯

     

    鬼鹿村
    「ポロオニウシュカペッ」
    (Poro-o=ni ush-ka-pet)
    樹木の上方の川

    ―― 菱沼右一「アイヌ語より見た日本地名新研究」 (*91)

     

    さきほど紹介した、「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」が記載されている文献群を見ると、どの文献でも、霊木があったとされている場所は、だいたい、下記の2つの地区のうちのどちらかだとされています。下記の2つの地区は、比叡山延暦寺の東塔とうどう地区のなかの、北谷きただに地区(東塔とうどう北谷きただに)を構成する地区です。

    • 虚空蔵尾こくぞうお
    • 八部尾はちぶお

    ちなみに、上記の2つの地域の名称の末尾についている、「」という言葉は、「やま」(「山裾やますそ」)や、「たに」という意味であるようです(『近江輿地志略おうみよちしりゃく』, p. 283)。ですので、ここで言う「」という言葉は、「尾根おね」を意味しているのではないようです。

    上記の2つの地区によって構成されている「東塔とうどう北谷きただに」の地区は、比叡山地の中央を流れる大宮川おおみやがわの、主要な水源地帯のひとつです。大宮川おおみやがわは、比叡山地でもっとも重要で、もっとも神聖視されている川です。比叡山の麓にある日吉大社ひよしたいしゃも、大宮川おおみやがわの流れによりそうような位置にあり、神事の際に大宮川おおみやがわの水を利用していることからも、大宮川おおみやがわの水に対する信仰がうかがえます。

    ちなみに、虚空蔵尾こくぞうおは、「明星尾」や、「白狐尾」とも呼ばれます(武, 2008)。また、虚空蔵尾こくぞうおの地区の尾根は、「虚空蔵峰」と呼ばれます(『近江輿地志略おうみよちしりゃく』, p. 283)。

    また、八部尾はちぶおの地域のなかにある、霊木があったとされている場所は、「紅葉渓」や、「仏母谷」、「仏母塚」、「香炉岳」、「天龍峰」などとも呼ばれます(武, 2008)。

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    比叡山の霊木の旧跡1 : 八部尾はちぶお

     

    近江では、一般に山神は女性であり、恐しい神・あるいは霊力のある力強い神・祟る神として考えられており、気の荒い神として特に高山を持つ地域の村落では、山の天候の荒れる事を山神の仕業と考える事が多く、また農民に於いては、病害虫や旱魃やそれに伴う不作を招く神として、また流行病や災害(特に火災)を起す神として考えられている事が多い。

    ―― 山崎時叙「近江山神信仰の民俗学的研究」 (*92)

     

    八部尾はちぶおの地域のなかには、「仏母谷」や、「仏母塚」、「香炉岳」、「天龍峰」などと呼ばれる場所があり、そこに霊木があったとされています。その場所には、現在、「根本中堂 薬師如来 御衣木みそぎ旧跡」という文字が刻まれた石標が立っています。これは、比叡山延暦寺の総本堂である、根本中堂こんぽんちゅうどうの本尊の薬師如来像がつくられた際に、御衣木みそぎ(材木)として利用された霊木がこの場所にあった、ということを示しています。

    「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
    「根本中堂 薬師如来 御衣木みそぎ旧跡」 の石標
    (比叡山延暦寺 東塔とうどう 北谷 八部尾 仏母塚)

    比叡山のなかでも、とくに神聖な5つの水源として、「五水」と呼ばれるものがあります。その「五水」のうちのひとつに、「香炉岡」の水があります(『神道大系 神社編 29』, p. 375)。この「香炉岡」というのが、どこの場所を指すのかはっきりしないのですが、もしかすると、八部尾はちぶおの地域のなかにある、「香炉岳」(「仏母塚」、「天龍峰」)のことかもしれません。もしそうだとすると、八部尾はちぶおの地域が、大宮川おおみやがわの水源地帯として、神聖視されていたということを裏付ける証拠のひとつになるだろうとおもいます。

    ちなみに、「根本中堂 薬師如来 御衣木みそぎ旧跡」 の石標がある場所のすぐそばを流れている谷川の水源のひとつは、一般的に「弁慶水」と呼ばれている閼伽井あかい(井戸)です。その弁慶水には、水天童子という護法童子にまつわる説話が残っています。その水天童子については、後述します。

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    比叡山の霊木の旧跡2 : 虚空蔵尾こくぞうお

    IMG_20201108_103449_1 虚空蔵尾のもっとも高い場所から根本中堂を見守っている天台大師(智者大師)智顗の石像
    虚空蔵尾こくぞうおのもっとも高い場所から根本中堂こんぽんちゅうどうを見守っている天台大師てんだいだいし(智者大師ちしゃだいし)智顗ちぎの石像 (*93)
    台座に刻まれている文字: 「南無天台大師なむてんだいだいし

    IMG_20201108_105147_GPH7_1839_GOPR1839 虚空蔵尾のもっとも高い場所から根本中堂を見守っている天台大師(智者大師)智顗の石像
    虚空蔵尾こくぞうおのもっとも高い場所から根本中堂こんぽんちゅうどうを見守っている天台大師てんだいだいし(智者大師ちしゃだいし)智顗ちぎの石像 (*93)

    IMG_20201108_104353_GPH7_1825_GOPR1825 虚空蔵尾のもっとも高い場所から根本中堂を見守っている天台大師(智者大師)智顗の石像
    虚空蔵尾こくぞうおのもっとも高い場所から根本中堂こんぽんちゅうどうを見守っている天台大師てんだいだいし(智者大師ちしゃだいし)智顗ちぎの石像 (*93)
    (右側の奥のほうに写っているのは文殊楼もんじゅろうです。)

    かつて、虚空蔵尾こくぞうおの地区(東塔とうどう北谷)にあった、根本中堂の閼伽井あかい(井戸)の水は、八大龍王はちだいりゅうおうの一人である阿耨達龍王あのくだつりゅうおうが住む無熱池むねつちという池から流れ出た水であるとされて、神聖視されていました(『神道大系 論説編 4』, p. 358)。また、その根本中堂の閼伽井あかい(井戸)の水は、比叡山のなかでもとくに神聖な5つの水源である「五水」のうちのひとつとされていました(『神道大系 神社編 29』, p. 376)。このように、虚空蔵尾こくぞうおの地区は、神聖な水源地帯だと考えられていたようです。

    虚空蔵尾こくぞうおの地区のなかには、現在、霊木があったとされている場所を示す石標などはないようです。ですが、虚空蔵尾こくぞうおの地区は、最澄が比叡山ではじめて草庵をむすんだ聖地があったり、比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂こんぽんちゅうどうがあったりと、比叡山延暦寺のなかでも、もっとも神聖視されている地区です。

    虚空蔵尾こくぞうおについての記述としては、『山家要略記さんげようりゃっき』(神宮文庫本)という文献のなかに、おおよそ、つぎのようなことが記されています(『神道大系 論説編 4』, p. 107) (*94)。(この文献の成立年代は、鎌倉時代後期です(鎌倉時代は、1185年ごろ~1333年)。下記の文章のなかの、〔〕(亀甲括弧)内の言葉は、筆者による注記です。)

    根本中堂こんぽんちゅうどうは、虚空蔵尾こくぞうおの中心なり。ゆえ中堂ちゅうどう根本中堂こんぽんちゅうどう〕を、当山とうざん第一の伽藍がらんす。虚空蔵尾こくぞうおもって、当山とうざん第一の霊地とす。

    (『山家要略記さんげようりゃっき』(神宮文庫本)) (*94)

     

    また、虚空蔵尾こくぞうおの地区のなかにある、最澄が比叡山ではじめて草庵をむすんだ場所には、現在、「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂ほんがんどう旧跡」と刻まれた石碑があります。

    渓嵐拾葉集けいらんしゅうようしゅう』巻第107のなかの、「記録部 私苗」の「六」の項目のところには、「根本中堂こんぽんちゅうどうの本尊である薬師如来像の御衣木みそぎ(材木)となった霊木は、今の本願堂ほんがんどうの跡地にあった」という記述があります(『大正新脩大蔵経 第76巻』, p. 859) (*30)。このように、もしかすると、虚空蔵尾こくぞうおの地区にあったとされている霊木は、本願堂ほんがんどうの跡地にあったのかもしれません。

    「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)
    「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂ほんがんどう旧跡」の石碑
    (比叡山延暦寺 東塔とうどう 北谷 虚空蔵尾こくぞうお

    「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)
    「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂ほんがんどう旧跡」の石碑
    (比叡山延暦寺 東塔とうどう 北谷 虚空蔵尾こくぞうお

    以下、本願堂旧跡の石碑の表側に刻まれた言葉より。

    伝教大師初入山之地
    虚空蔵尾
    本願堂旧跡

    維時平成二十一年秋
    第二五六世天台座主孝淳

     

    「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)
    「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂ほんがんどう旧跡」の石碑
    (比叡山延暦寺 東塔とうどう 北谷 虚空蔵尾こくぞうお
    (本願堂旧跡の石碑の裏側)

    「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)
    「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂ほんがんどう旧跡」の石碑
    (比叡山延暦寺 東塔とうどう 北谷 虚空蔵尾こくぞうお
    (本願堂旧跡の石碑の裏側に設置されたプレートの文章)

    以下、本願堂旧跡の石碑の裏側に設置されたプレートの文章より。

    本願堂旧跡(伝教大師初入山の地)

    この地はもと伝教大師最澄上人が延暦四年(七八五)七月中旬、二十歳の時、初めて比叡山に登り草庵を結ばれた霊跡である。『叡岳要記』によれば、ここは仙人経行の処、明星天子来下の庭といわれ、険しき山谷にあって手掌てのひらのごとき平坦な地であり、仙人数十余人が法華経を誦し仏道を習っていたという。最澄上人はここで仙人から明星尾(虚空蔵尾)にある薬師仏の霊木の在処ありかを教えられ、一乗止観院の本尊を刻んだと伝えている。
    一乗止観院(根本中堂)創建より三年後の延暦十年(七九一)には、ここに「本願堂」を建立して義真座主自刻の三尺の薬師如来を本尊に祀り桓武天皇の御願寺となした。
    その後、根本中堂修造の折にはここに中堂の本尊を遷して外遷座道場としての機能を果たした。元亀焼き討ち後は、慶長十八年(一六一三)に四間五間の堂宇が再興され、寛永・寛文・元禄・宝永・宝暦等に修理が行われたが、平成二十一年(二〇〇九)礎石のみを残して伝教大師初入山の聖地として整備した。

     

     最澄の草庵の地といわれるところに建つ本願堂は、風雨にさらされた白灰色の木肌を持つ物寂びた堂宇である。根本中堂の目の下にあるが、しかし、そこに行くには、深い谷に架けられた素朴な木の橋を渡らねばならない。さわやかな谷川の水音が耳に満ちるここに立てば、丈高い樹々に蔽われているせいか、足許の下草は夏でも若々しい薄緑だった。
     叡山の唯一の水源もここから近い。これは生活の第一条件である。またわずかに尾根を下っているだけでも、風雨を凌ぐには好適だったのではないか。

    (永井路子「雲嶺の梵音」, 『雲と風と : 伝教大師最澄の生涯』) (*63)

     

    ちなみに、虚空蔵尾こくぞうおの地区の北のはしのあたりにある、北谷墓地には、現在、メタセコイアの巨木がそびえ立っています。もしかすると、かつて、虚空蔵尾こくぞうおにあったという「鬼の霊木」は、このメタセコイアの巨木のように、巨大な木だったのかもしれません。

    メタセコイアの巨木(比叡山延暦寺 東塔 北谷 虚空蔵尾 北谷墓地)
    メタセコイアの巨木
    (比叡山延暦寺 東塔とうどう 北谷 虚空蔵尾こくぞうお 北谷墓地)

    メタセコイアの巨木(比叡山延暦寺 東塔 北谷 虚空蔵尾 北谷墓地)IMG_20190601_122109
    メタセコイアの巨木
    (比叡山延暦寺 東塔とうどう 北谷 虚空蔵尾こくぞうお 北谷墓地)

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    弁慶水の起源説話: 熊野くまのから比叡山ひえいざんへやってきた那智の滝なちのたきの化身であり、智証大師円珍ちしょうだいしえんちんの護法童子である水天童子

    『歌舞伎十八番』_不動 不動明王の霊像・矜羯羅童子・制多伽童子_003_矜羯羅童子_001
    矜羯羅童子こんがらどうじ矜羯囉童子こんがらどうじ(右下) (*95)
    「法波羅蜜は慈悲の心行、所以に使者を出現す、矜羯羅と名く、此に随順といふ。〔中略〕矜羯囉の形は十五歳の童の如し、蓮華冠を著す、身白肉色にして〔中略〕天衣袈裟微妙に厳飾せり。」
    (『聖無動尊一字出生八大童子秘要法品しょうむどうそんいちじしゅっしょうはちだいどうじひようほうぼん』) (*96) (*97)

     

    弁慶水(比叡山延暦寺 東塔西谷)
    弁慶水
    (比叡山延暦寺 東塔とうどう西谷)

     

     比叡山に関する古い書物をみていると、山上には二十いくつかの名水や霊泉があったことを伝えている。
     東塔西谷の弁慶水(千手水)などもその一つだが、横川にも如法水、碧玉泉、寂静水などがある。苔むした岩間からいまも湧き出る泉は、冬に暖かく、夏はしびれるように冷たい。その名の示すごとく、みな山の歴史を秘めて、それぞれの縁起や伝承をもって生きつづけて来たものだ〔中略〕
    〔中略〕山上に起居した幾千の僧徒は、すべてこうした山の霊泉によって、そのいのちが養われて来たことを想えば、老杉の根方に いまも湧きつづける泉に、私はつきぬ歴史のいぶきと山のいのちを感じる。

    ―― 景山春樹『比叡山寺 : その構成と諸問題』 (*98)

    異教が神聖なものとして崇拝したあの泉のわきに、キリスト教の坊さんが利口にも教会をたてた。そしてこんどは彼自身で、その水に祝福をあたえて、その魔法の力を食いものにした。

    ―― ハインリヒ・ハイネ『精霊物語』 (*14)

     

    さきほど、八部尾はちぶおの地域の水源のひとつであり、一般的に「弁慶水」と呼ばれている閼伽井あかい(井戸)があることを紹介しました。その弁慶水にまつわる起源説話のひとつに、水天童子という護法童子についての説話があります。その水天童子は、酒天童子の説話の成立にかかわりがある可能性があるとおもわれますので、ここで紹介させていただきます。

    帝国美術史料. 第8輯_コマ番号_015_六、 智證大師坐像 大津市 園城寺唐院_cropped_001
    智証大師坐像ちしょうだいしざぞう智証大師ちしょうだいし円珍えんちんの坐像) (*99) (*100)
    園城寺おんじょうじ三井寺みいでら)所蔵)

    IMG_20180120_140937
    熊野那智大社くまのなちたいしゃ(改修工事中) (*101)
    和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山

    那智の滝_熊野那智大社_IMG_20180120_151016
    那智大滝なちのおおたき(通称:那智の滝なちのたき(*101)
    飛瀧神社ひろうじんじゃ, 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山

    山家要略記さんげようりゃっき』(仙岳院本)に記されている伝承では、「智証大師ちしょうだいし円珍えんちんが熊野に参詣したときに、熊野権現くまのごんげんが、円珍えんちんにたいして、水天童子という名前の護法童子(従者)をあたえた」、とされています。そのあと、円珍えんちんにつきしたがって比叡山に来た水天童子は、住房のちかくに井戸がないために、用水の不便さに悩んでいた円珍えんちんのために、円珍えんちんの住房のちかくで井戸を掘りあてた、とされています。そのときに、水天童子が掘りあてた井戸が、「千寿井」(千手井)(現在、弁慶水と呼ばれている井戸(閼伽井あかい))だとされています。(『神道大系 論説編 4』, pp. 214-215)(『續天台宗全書 神道 1』, pp. 61-62)(硲, 1928, pp. 42-45)

    なお、『山家要略記さんげようりゃっき』(仙岳院本)には、「水天童子は、熊野権現くまのごんげんの使者であり、飛瀧権現ひろうごんげんの分身である」というような意味の記述があります(『神道大系 論説編 4』, p. 215)。飛瀧権現ひろうごんげんというのは、ご神体として信仰されている那智大滝なちのおおたき(通称:那智の滝なちのたき)のことです。このことから、水天童子が、水神としての性質をもっていることがうかがえます。

    (弁慶水には、異なる起源説話が複数あるため、通称も複数あり、「千手水」や、「千寿水」、「独鈷水」などと呼ばれることもあります(武, 2008, pp. 216-217)。)

    弁慶水(比叡山延暦寺 東塔西谷)
    弁慶水
    (比叡山延暦寺 東塔とうどう西谷)

    弁慶水(比叡山延暦寺 東塔西谷)
    弁慶水
    (比叡山延暦寺 東塔とうどう西谷)

    日常生活に不可欠な飲料水については、比叡山の各所から湧き出る霊泉を土地の傾斜を利用し筧樋によって巧みに各寺に引いているのであり、これらの泉はその数約十三に及ぶが、何れも古生層の地層から滲出するもので、大比叡の周辺から出るものが水量も豊富である。中でも東塔西谷の弁慶水は、水量比叡山第一で、根本中堂、大講堂、会館など東塔の大部分は水源をこの弁慶水に求めている。最近はこれらを巧みに利用して消火栓の設備も施されるようになったことは文化財保護の見地からしても誠に喜ばしいことである。

    (延暦寺執行局(編集)「地形」, 「比叡山の自然」, 『比叡山』) (*102) (*75)

    弁慶水がある場所は、比叡山延暦寺の東塔とうどう地区のなかの西谷地区のなかです。弁慶水がある場所は、円珍えんちんの住房であった、山王院さんのういんのすぐちかくです。ちなみに、山王院は、千手堂や、後唐院のちのとういんという名称で呼ばれることもあります。

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    山王院さんのういん智証大師円珍ちしょうだいしえんちんの住房) (*103)
    (別名:後唐院のちのとういん)(正式名称:法華鎮護山王院ほっけちんごさんのういん
    (比叡山延暦寺)

    IMG_20181113_163729
    山王院さんのういん智証大師円珍ちしょうだいしえんちんの住房) (*103)
    (別名:後唐院のちのとういん)(正式名称:法華鎮護山王院ほっけちんごさんのういん
    (比叡山延暦寺)

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    水天童子(シュイティエン童子)から、酒天童子(シュテン童子)へ : 護法童子から悪鬼への変貌

    『歌舞伎十八番』_不動 不動明王の霊像・矜羯羅童子・制多伽童子_004_制多迦童子_001
    制多伽童子せいたかどうじ制多迦童子せいたかどうじ(左下) (*95)
    「制吒迦も亦た童子の如し、色紅蓮の如くして頭に五髻を結ぶ。〔中略〕左の手には嚩日囉、右の手には金剛棒を執る、瞋心悪性の者なり、故に袈裟を著せず、天衣を以て其の頸肩に纏へり」
    (『聖無動尊一字出生八大童子秘要法品しょうむどうそんいちじしゅっしょうはちだいどうじひようほうぼん』) (*104) (*97)

     

    獼猴みこうは酒を得ればすなわち安楽を得。安楽を涅槃と名づけて行人を誘誑す。もし愛にしたがって転じて四じゅうを毀破すれば、これ全く浮囊を棄つるなり。これを犯の相と名づく。

    ―― 智顗ちぎ〔犯戒の相〕, 『摩訶止観まかしかん』第六章 第一節 第一項 (*105)

    500年前、
    ムーアの森に封印した物に
    群がった邪悪な心が、

    1本の木を魔物に変えた・・・

    それがエクスデスじゃ・・・

    ―― 賢者ギードの言葉, 『ファイナルファンタジーV』 (*106)

     

    ちなみに、無理があるこじつけかもしれませんが、「酒天童子」(シュテン童子)という名称は、「水天童子」が転訛したことで生まれた名称である可能性もあるかもしれないとおもいます。

    高橋昌明さんは、『酒呑童子の誕生』のなかで、酒呑童子(シュテン童子)という名称の由来についての説のひとつとして、「斉天大聖せいてんたいせい」という言葉の中国読みである「チィーティエンダーション」という言葉が転訛したことで生まれた名称である可能性がある、という説を提示しておられます。下記の引用文は、そのことについて、高橋さんが、『酒呑童子の誕生』のなかで述べておられることです(高橋, 2005, pp. 98-99) (*107)

    なお、「斉天大聖せいてんたいせい」というのは、中国の小説『西遊記さいゆうき』の主人公であり、猿の妖怪である孫悟空そんごくうが自称した称号です。「斉天大聖せいてんたいせい」という名称の意味は、おおよそ、「てんひとしいおおいなる聖者せいじゃ」というような意味です。この「斉天大聖せいてんたいせい」という称号は、「自分(孫悟空そんごくう)は、天上の最高神とならぶほどに尊い存在である」ということを誇示するための称号であり、この称号に、孫悟空そんごくうの傲慢さがあらわれています。

    『西遊記』 呉承恩 [原作] 中島孤島 [翻訳] 富山房 1949年 昭和24年_コマ番号:016_002_孫悟空_001
    孫悟空そんごくう
    (『西遊記さいゆうき』より (*108)

    『西遊記』 呉承恩 [原作] 中島孤島 [翻訳] 富山房 1949年 昭和24年_コマ番号:036_002_「斉天大聖」の旗_001
    孫悟空そんごくうが、「斉天大聖せいてんたいせい」と書かれた旗を掲げさせている場面
    (『西遊記さいゆうき』より (*109)

    斉天大聖の現在の中国読みは、チィーティエンダーション(qí tiān dà shèng)である。これを口中で繰り返していただきたい。とくにチィーティエンの部分、どことなく酒呑に似ていないだろうか。もちろん、斉天と酒呑の音韻の違い、近世福州音で斉天をどのように発音していたかなど問題は残るが、「失妻記」の入手者と祖本作者が同一人物である必要はないから、中国語会話に堪能でない祖本作者が翻案の時、いわば宛字の感覚で酒呑童子としたとも考えられる。古い酒呑童子の表記が、逸本をはじめいずれも酒天と天になっていることを、わが想像を支える論拠の一つとする。要するに、白猿伝説は素材面と、主人公の名乗りの両面で、酒呑童子説話に深甚な影響を与えたといいたい。

    (高橋昌明「中国小説の日本への渡来」, 『酒呑童子の誕生』) (*107)

    上記の高橋さんの発想を参考にさせていただきながら、大胆な空想をさせていただくことが許されるならば、「水天童子」という呼称が転訛して、「酒天童子」(シュテン童子)という呼称が生まれた、という可能性も考えられるのではないかとおもいます。

    水天すいてん」は、現在の中国語(普通話)の発音では、「シュイティエン」(shuǐ tiān)というような発音になります。この「シュイティエン」という発音は、「酒天童子」(シュテン童子)という呼称のなかの、「シュテン」という発音と、よく似ているとおもいます。

    中世の比叡山延暦寺(日本天台宗)の僧侶たちは、漢籍などに記された漢文をとおして、中国の天台宗の教えなどを学んでいました。ですので、中世の延暦寺の学僧たちは、中国語の発音についての知識も身につけていたのではないかとおもいます。そうした、比叡山延暦寺の学僧たちが、酒天童子説話(または、その原型となった説話)を創作したのだろうとおもいます。

    ですので、中世の比叡山延暦寺において、弁慶水についての伝承に登場する「水天童子」(シュイティエン童子)という護法童子の呼称が転訛して、また、なんらかの理由で、その護法童子が悪鬼とされるようになり、その影響で、「酒天童子」(シュテン童子)という悪鬼と、その呼称が生まれた、という可能性も、無いとは言えないのではないかとおもいます。

     

    また、「水天童子」という呼称から、「酒天童子」という呼称が生まれたのだと考えると、「酒天童子」という名称のなかに、なぜ「天」という文字が入っているのか?、という疑問に対する答えになるのではないかとおもいます。

     

    なお、「護法童子であった水天童子が、悪鬼である酒天童子に変わった」ということについては、天野文雄さんが、「「酒天童子」考」という論文のなかで、「護法童子が、悪鬼に変わることもあった」という事例を提示しておられます(天野, 1979, p. 22)。天野さんは、一例として、書写山しょしゃざん円教寺えんぎょうじを開山した性空しょうくう上人しょうにんと、その甥である皇慶こうげいに仕えた、二人の護法童子のうちの、乙天おとてん乙護法おとごほう)という護法童子が、邪悪な存在に変化した、という事例をあげておられます。(ちなみに、その乙天おとてん乙護法おとごほう)という護法童子は、青鬼であるとされています。)ですので、「護法童子(水天童子)が、悪鬼(酒天童子)に変わった」という可能性もあるだろうとおもいます。(ちなみに、上記の「二人の護法童子」のうちの、もうひとりは、若天わかてん若護法わかごほう)という名前の赤鬼だとされています。)

     

    ちなみに、もし、護法童子であった水天童子が、悪鬼(酒天童子)とされるようになったのだとすると、その背景には、円珍派(寺門派)と、円仁派(山門派)の、派閥争いがあったのかもしれません。中世の比叡山延暦寺において、その派閥争いが激化していた時期に、円仁派(山門派)に属していた学僧が、円珍派(寺門派)をおとしめるために、円珍派の宗祖である円珍の護法童子である水天童子を悪鬼に仕立て上げた、という経緯があったのかもしれません。そのようにして、円仁派(山門派)の学僧が、「酒天童子」という悪鬼をつくりだして、その悪鬼が退治されるという筋書きの説話(物語)をつくったのかもしれません。そして、その説話が、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの説話(酒天童子説話)の成立につながったのかもしれません。

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    台密の水神たる水天(ヴァルナ)

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    水天すいてん」の絵図(第3絵図)
    『阿娑縛抄』あさばしょうより) (*110) (*111)

     

    菩提場経略釈ぼだいじょうきょうりゃくしゃくう、「水天とは、西方の醜目天王しゅうもくてんのうに応ず。の天、もろもろの龍王衆を統摂とうせつす。ゆえに水天とづく」と。

    ―― 「水天」, 『阿娑縛抄』あさばしょう (*112) (*113)

    こなたに来たれ、ミトラ、ヴァルナよ、われらが供物を味わんがために。グリタの雨と栄養とをもって、われらの牧場を潤おせ。われらは汝ら両神を、その心に任せつつ、人間のためここに迎え呼ぶ。天上のこころよき水をもってわれらを満たせ。

    ―― 「ミトラとヴァルナの歌」, 『リグ・ヴェーダ』 (*114)

    アディティの子、ヴァルナは配分者として、それらの河流を流しやりたり。天上の河流はヴァルナの天則にそいて進む。それらは疲るることなく、休むことなし。鳥のごとく、速やかに旋回して飛びゆく。

    ―― 「ヴァルナの歌」, 『リグ・ヴェーダ』 (*115)

    もしヴァルナとわれと舟に乗るとき、もし海のただ中を前進するとき、もし大水の波頭を越えゆくとき、われら両者は、鞦韆ゆさはりたる太陽の上において揺るがんと欲す、美しき眺めのために。

    ―― 「ヴァルナの歌」, 『リグ・ヴェーダ』 (*116)

     

    さきほど紹介した水天童子の「水天」という言葉からは、台密たいみつ(天台宗の密教)の神である十二天のひとつである、「水天すいてん」のことが連想されます。「水天すいてん」は、もともとは、「ヴァルナ」(バルナ、嚩嚕拏、Varuna)という、古代インドの水神すいじんであったものが、密教に取り入れられたものです。水天すいてんは、水の神や、川の神、竜神、竜王などであるとされています。(佐和, 1975, pp. 422-423)(『密教大辞典 第3巻』, pp. 1321-1323)

    もしかすると、さきほど紹介した「水天童子」の、「水天」という名称は、密教の十二天のひとつである、この「水天すいてん」の名称からとられたものなのかもしれません。

    ちなみに、十二天のひとつである水天すいてんにまつわる密教の修法しゅほうである水天供すいてんく水天法すいてんほう)という儀式では、青色の衣や、青色の鉢など、水を象徴する青色の品々が使用されます(『密教大辞典 第3巻』, pp. 1322-1323)(『大日本仏教全書 第40巻』, pp. 2225-2226)。そのように、台密たいみつ(天台宗の密教)においては、「水や、水神すいじんの象徴として、青色をもちいる」という観念があったようです。それを踏まえると、「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」に登場する「青鬼」の、「青い色をしている」という特徴が、水神すいじんであることの象徴である、という可能性もあるのではないかとおもいます。

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    水天すいてん」の絵図(第1絵図)
    『阿娑縛抄』あさばしょうより) (*117) (*118)

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    水天すいてん」の絵図(第2絵図)
    『阿娑縛抄』あさばしょうより) (*119) (*120)

    2226_絵図_003_水天_002_013_★★★_cropped_001
    水天すいてん」の絵図(第3絵図)
    『阿娑縛抄』あさばしょうより) (*121) (*111)

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    水天すいてん」の絵図(第4絵図)
    『阿娑縛抄』あさばしょうより) (*122) (*123)

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    水天すいてん」の絵図(第5絵図)
    『阿娑縛抄』あさばしょうより) (*124) (*125)

    アーディティア神群の名のもとに総括される一群の神格の中、群を抜いて重要なヴァルナのみに捧げられた讃歌は、僅かに八篇にすぎず、他の神々特にミトラと共有する讃歌と合わせても合計五十に達せず、数量の上から見れば、インドラ、アグニ(火神)、ソーマ(神酒)のような大神に遠く及ばない。それにもかかわらずヴァルナが、リグ・ヴェーダの神格の中で最も重要なものの一つであることは、疑いをいれない。

    〔中略〕

    ヴァルナの本原は容易に決定されないが、水と密接な関係にあることは否定できない。ただし彼の主宰する水は人間の視野を絶する最高の天界にあるとする説が有力で、彼の住居もこの「天水・大水」の中に求められる。水との関係は後世ますます固定し、リグ・ヴェーダにおいて崇高第一を誇ったヴァルナもついに水天の地位に甘んずるにいたった。

    (辻直四郎「ヴァルナとミトラ、アーディティア神群」, 『リグ・ヴェーダ讃歌』) (*126)

     

    鋭意製作中です m(_ _)mトンテン♬(o≧ω≦)Oカンテン♪☆\(≧ロ≦)トンテン♬d(≧∀≦)bカンテン♪(*^ー^)/トンテン♬o(^-^o)(^o-^)oカンテン♪(^∀'*)ノ〃トンテン♬☆(^∀^o)カンテン♪┗(`・ω・´)┛トンテン♬(●´ω`●)カンテン♪(o≧ω≦)Oカンテン♪☆\(≧ロ≦)トンテン♬d(≧∀≦)bカンテン♪(*^ー^)/トンテン♬o(^-^o)(^o-^)oカンテン♪(^∀'*)ノ〃トンテン♬☆(^∀^o)カンテン♪┗(`・ω・´)┛トンテン♬(●´ω`●)カンテン♪
    このあたりは、現在、鋭意製作中です。

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    鬼が城の壇上積基壇だんじょうづみきだんに描かれたなみの文様

    香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの絵図のなかに描かれている、酒天童子の宮殿(鬼が城)の壇上積基壇だんじょうづみきだん羽目石はめいしの部分には、「なみの文様」が描かれています。(香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの絵巻物の絵図のなかに描かれている、酒天童子の宮殿の壇上積基壇だんじょうづみきだんのすべてに、この「なみの文様」が描かれています。)

    壇上積基壇。香取本『大江山絵詞』(おおえやまえことば)の絵図(現状の絵巻の原本の「下巻 第七絵図」)のイメージ画像(絵図全体のなかの一部分の抜粋)
    香取本(かとりぼん)大江山絵詞(おおえやまえことば)』の絵図のイメージ画像
    (現状の絵巻の原本の「下巻 第七絵図」のイメージ画像)
    (絵図全体のなかの一部分の抜粋) (*127)

    壇上積基壇。香取本『大江山絵詞』(おおえやまえことば)の絵図(現状の絵巻の原本の「下巻 第七絵図」)のイメージ画像(絵図全体のなかの一部分の抜粋)
    壇上積基壇だんじょうづみきだん羽目石はめいしに描かれている「なみの文様」の部分(拡大図)
    香取本(かとりぼん)大江山絵詞(おおえやまえことば)』の絵図のイメージ画像
    (現状の絵巻の原本の「下巻 第七絵図」のイメージ画像)
    (絵図全体のなかの一部分の抜粋) (*127)

    壇上積基壇。香取本『大江山絵詞』(おおえやまえことば)の絵図(現状の絵巻の原本の「下巻 第七絵図」)のイメージ画像(絵図全体のなかの一部分の抜粋)
    壇上積基壇だんじょうづみきだん羽目石はめいしに描かれている「なみの文様」の部分(拡大図)
    香取本(かとりぼん)大江山絵詞(おおえやまえことば)』の絵図のイメージ画像
    (現状の絵巻の原本の「下巻 第七絵図」のイメージ画像)
    (絵図全体のなかの一部分の抜粋) (*127)

    香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの絵巻物のなかで、複数回描かれている、壇上積基壇だんじょうづみきだんの部分の絵図のなかには、この「なみの文様」の「なみ」の振幅がとてもこまかくて、遠目に見ると、ただの「ななめの直線」に見えてしまう絵図もあります。ですが、近づいてよく見ると、それらの「ななめの線」が、じつは、こまかく振幅している波線なみせんになっている、ということがわかります。 

    また、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばのなかの、酒天童子の宮殿を描いた絵図のなかでも、鬼のすがたになった酒天童子が描かれている場面などのいくつかの場面では、建物の壇上積基壇だんじょうづみきだん羽目石はめいしの部分に描かれている「なみの文様」が、まるで荒海の白波しらなみのような、はっきりとした「なみ」として描かれています。

    このように、酒天童子の宮殿(鬼が城)の建物のなかに、水を暗示する「なみの文様」が描かれているということは、酒天童子が水神すいじんであることをあらわしているのではないかとおもいます。

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    酒天童子の首の下で波打つ青い水

    Medusa uffizi
    「メデューサの首」 (*128) (*129)
    (ウフィツィ美術館所蔵 (*130)

    メデューサの首を切り落としたペルセウス Domenico Marchetti | Perseus with the head of Medusa. from "Oeuvre de Canova: Recueil de Statues ..." | The Metropolitan Museum of Art
    〔メデューサの首を切り落としたペルセウス〕 (*131)

     

     メドュウサがペルセウスに首を切られ、アルテミス神殿がキリスト教徒によって破壊され、近代ルネサンス期にメドュウサが化物にされてしまった歴史は、一口でいえば自然の神々たち、アニミズムの神々が殺戮される歴史であった。理性と一神教をふりかざした文明の勝利の歴史だった。闘争的な力の文明の勝利の歴史であった。
     この理性と一神教をふりかざした力の文明によって、神だったメドュウサは神殿から追放され、あげくのはてに化物にされてしまったのである。

    ―― 安田喜憲「近代文明の犠牲」, 『大地母神の時代』 (*12)

     

    香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの絵巻物の、下巻の一番最後の絵図のなかに、源頼光たちによって討ち取られた酒天童子の首(頭部)が、輿こしに載せられて運ばれる場面が描かれています。その絵図には、酒天童子の首が入っている四角い容器(底の浅い大きなますのようなかたちをした容器)が、輿こしに載せられているようすが描かれています。その「酒天童子の首が入っている四角い容器」のなか(底のところ)は、まるで水が波打っているように見えます。

    この「四角い容器のなかで波打っている水」は、酒天童子の首の切断面から流れ出た水なのかもしれません。もし、そうだとすると、酒天童子の首の切断面から出てくる液体は、赤い血液ではなく、青い水である、ということになります。このこともまた、酒天童子が水神すいじんであることを暗示しているのかもしれません。

    (ちなみに、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの下巻の一番最後の絵図に描かれている、「酒天童子の首が入っている四角い容器」の絵図は、小松和彦さんの『酒呑童子の首』や、鈴木哲雄さんの『酒天童子絵巻の謎』、などの本のカバーのおもて表紙びょうし側に掲載されています。ですので、それらの本のおもて表紙びょうしをご覧いただくと、「酒天童子の首が入っている四角い容器」の絵図を見ることができます。)

    IMG_20191105_034549
    香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの絵巻のなかの、
    酒天童子の首が輿こしで運ばれていく場面の絵図が
    掲載されている『酒天童子絵巻の謎』の本の表表紙おもてびょうし

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    香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの絵巻のなかの、
    酒天童子の首が輿こしで運ばれていく場面の絵図が
    掲載されている『酒呑童子の首』の本の表表紙おもてびょうし

     

    ゴリアテの首を切り落としたダビデの像 Bartolomeo Bellano | David with the Head of Goliath | Italian, Padua | The Metropolitan Museum of Art
    〔ゴリアテの首を切り落としたダビデの像〕 (*132)

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    比叡山の周辺のほかの鬼伝説に登場する鬼も、水神すいじんとしての要素を備えていることについて

     

    荒ぶる神は 西の地から来た
    黒い呪いの蛇を全身にまとい
    触れるすべてのものを焼き尽くしながら
    闇から闇へと やって来た
    山の古い神が 人に討たれ 森を奪われたのだ

    ―― 「タタリ神」, 『The art of the Princess Mononoke : もののけ姫』 (*133)

     

    比叡山の周辺のほかの鬼伝説に登場する鬼も、水神すいじんとしての要素を備えていることについて。

    • 鬼怒伽羅きぬから : 滋賀県大津市の仰木おおぎ地区の衣川きぬがわという河川名(地名)の由来となった鬼。
    • 七ツ鬼神 : 比良山地の権現山のナナキ谷の地主神であった鬼。

     

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    鬼怒伽羅きぬから : 滋賀県大津市の仰木おおぎ地区の衣川きぬがわという河川名(地名)の由来となった鬼

     

    人の世のすべての宿業が 生きものの形をとったのだ
    あらゆるものが その怒りの前に力をなくす
    近寄ってはならぬ 押しとどめてはならぬ
    通りすぎるのを 息をひそめて待つしかない

    ―― 「タタリ神」, 『The art of the Princess Mononoke : もののけ姫』 (*133)

     

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    衣川きぬがわ(現在の天神川)の上流にある、
    滝壺神社(瀧壺神社)(祭神さいじん: 闇龗神くらおかみのかみ)の鳥居の扁額へんがく闇龗大神くらおかみのおおかみ
    滋賀県大津市仰木おおぎ
    (※滝壺神社は、小椋おぐら神社(滋賀県大津市仰木4丁目)の旧社地であり、現在は奥宮おくのみやになっています。)

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    衣川きぬがわ(現在の天神川)の上流にある、
    滝壺神社(瀧壺神社)(祭神さいじん: 闇龗神くらおかみのかみ)の鳥居
    滋賀県大津市仰木おおぎ
    (※滝壺神社は、小椋おぐら神社(滋賀県大津市仰木4丁目)の旧社地であり、現在は奥宮おくのみやになっています。)

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    衣川きぬがわ(現在の天神川)の上流にある、
    滝壺神社(瀧壺神社)(祭神さいじん: 闇龗神くらおかみのかみ)のおやしろ
    滋賀県大津市仰木おおぎ
    (※滝壺神社は、小椋おぐら神社(滋賀県大津市仰木4丁目)の旧社地であり、現在は奥宮おくのみやになっています。)

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    衣川きぬがわ(現在の天神川)の上流にある、
    滝壺神社(瀧壺神社)(祭神さいじん: 闇龗神くらおかみのかみ)にある池
    滋賀県大津市仰木おおぎ
    (※滝壺神社は、小椋おぐら神社(滋賀県大津市仰木4丁目)の旧社地であり、現在は奥宮おくのみやになっています。)


    天神川(かつての衣川きぬがわ)に架かる新豊川橋
    (滋賀県大津市仰木おおぎ4丁目)

     

    なににかは かけて見るべき 別るとて
    形見といひし 人の衣川きぬがわ

    ―― 『懐中抄』 (*134)

    大比叡おおびえや 葉広はびろの山の 山元やまもと
    仰木おおぎみさき 舟やずらん

    ―― 詠人不詳 (*135) (*136) (*137)

     

    鬼怒伽羅きぬから
    滋賀県大津市の仰木おおぎ地区の衣川きぬがわという河川名(地名)の由来となった鬼

    衣川きぬがわ」という河川の名称は、現在では、天神川という名称に変わっています。

    衣川きぬがわ」という言葉は、滋賀県大津市の仰木おおぎ地区のとなりに位置する、天神川(かつての衣川きぬがわ)の下流(琵琶湖への河口のちかく)の地区の地名として、現在も残っています。

    衣川
    〔頭注:大津市 同町名あり〕
    絹川トモ書ク此処二昔鬼怒伽羅ト云〔フ〕栖〔スミ〕テ人ヲ取タリト云〔フ〕其鬼ノ名ヲ略シテ今キヌ川ト云〔フ〕ト也爰ニ山徒廿八家ノ士全角坊住ス
    荒川治部少輔同刑務少輔ハ志賀北郡ノ内二居住也公方ノ直参也光源院殿切腹ノ時戦死ス後孫処々ニアリ本ハ六角屋形ノ近習也

    (「衣川きぬがわ」, 「志賀郡」, 『淡海温故録』巻之四(『近江史料シリーズ 2 本編』所収)) (*138) (*75)

     きぬがわ 衣川〈大津市〉

    絹川とも書く。琵琶湖の最狭部の西岸, 比叡山横川に発する衣川の南岸にあたる。地域内には白鳳期の衣川廃寺(国史跡)ほか寺院跡が多く, 背後の丘陵地の字西羅周辺には帆立貝式の古墳(全長46m)をもつ西羅古墳群や坂尻古墳群とこれに対応する縄文期から中世までの集落が北国街道沿いで確認されている。「温故録」に「昔鬼怒伽羅ト云ウスミテ人ヲ取タリト云ウ, 其鬼ノ名ヲ略シテ今キヌ川ト云ウ」とある。北国街道の大津と和邇の間の宿で, 堅田港と結び水陸交通の要地でもあった。

    (「衣川きぬがわ」, 『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』) (*139) (*75)

    衣川

    源は比叡山横川の峯及仰木の山中より流出で、仰木村、平尾村を過ぎて衣川村と堅田村との中間をへて湖に入る也。或はころも川ともいふ。衣川と書するを以て誤唱するなるべし川の長さ凡二里許、小石交じりの川也。

    (「衣川きぬがわ」, 『近江輿地志略おうみよちしりゃく』) (*140) (*75)


    天神川(かつての衣川きぬがわ)に架かる新豊川橋のあたりの地図
    (滋賀県大津市仰木おおぎ4丁目あたりの地図)


    現在、「衣川きぬがわ」という言葉が、地名として残っている、
    滋賀県大津市衣川きぬがわの地区の地図

     

    この下の引用文は、『日本の神々:神社と聖地 第5巻』という本のなかに掲載されている、小栗栖健治さんの文章の一節です。

    この一節には、衣川きぬがわ(現在の天神川)の上流にある、滝壺神社(瀧壺神社)についての記述があるので、ここで紹介したいとおもいます。

    ちなみに、857~877年ごろに、現在の滝壺神社がある場所(滋賀県大津市仰木おおぎ)から、神社が遷座して、現在の小椋おぐら神社(滋賀県大津市仰木おおぎ4丁目)ができたそうです。それにともなって、滝壺神社は、小椋おぐら神社の奥宮おくのみやとされるようになったそうです。

    滝壺神社も、小椋おぐら神社もどちらも、祭神さいじんとして、闇龗神くらおかみのかみ闇龗大神くらおかみのおおかみ)を祀っているようです。

    小椋おぐら神社 大津市仰木町

     天神川の上流、山城・近江の国境をなす仰木峠の東方三キロの所に鎮座し、現在は闇龗くらおかみを主神として猿田彦さるたひこ伊弉冉いざなみ神・稚日女わかひるめ命・少彦名すくなひこな命・大穴持おおなもち命を配祀する。『延喜式』神名帳の志賀郡八座のなかの一座で、『三代実録』によれば貞観五年(八六三)十二月三日、従五位下に叙せられた。創祀年代は詳らかでないが、社記によれば、天智天皇のときに大和の丹生川上神社から分祀されたという。なお、祭神について『近江国輿地志略』は「祭る所の神いまだ詳ならず」とし、『神名帳考証』は「木霊」、『仰木村志』は「祭神猿田彦神 相殿源満仲公」または「巨木霊おがみ」とし、さらに八大龍王雨神)として信仰されたとも記している。
     社地の近くを流れる天神川の清流を二キロほど溯った仰木峠入口付近に「竜ヶ谷滝壺」と呼ばれる所があり、そこには滝壺の宮と称する小祠があって当社の奥宮とされている。社記によれば、天安・貞観(八五七―八七七)の頃この奥宮の地から現在地の葉広山に遷座したという。その滝壺八大龍王が棲むと信じられ、古くから祈雨の祭場となっていた。すなわち、小椋神社水源信仰に発し、のちに現在地に里宮がいとなまれたものと思われる。

    (小栗栖健治「小椋おぐら神社 大津市仰木町」, 『日本の神々:神社と聖地 第5巻』) (*141) (*142) (*75)

    ちなみに、上記の引用文のなかにある、「大和やまと丹生川上神社にうかわかみじんじゃ」というのは、奈良県吉野郡東吉野村小にある神社です。丹生川上神社にうかわかみじんじゃでは、主祭神しゅさいじんとして、水神すいじんである罔象女神みづはのめのかみを祀っています。


    滝壺神社のあたりの地図
    滋賀県大津市仰木おおぎ
    (※滝壺神社は、小椋おぐら神社(滋賀県大津市仰木4丁目)の旧社地であり、現在は、奥宮おくのみやになっています。)


    小椋おぐら神社のあたりの地図
    滋賀県大津市仰木おおぎ4丁目
    (※小椋おぐら神社は、滝壺神社が遷座してできた神社であり、現在は滝壺神社の里宮さとみやになっています。)

     

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    七ツ鬼神 : 比良山地の権現山のナナキ谷の地主神であった鬼

     

    あわれな古い神よ
    できるなら 安らかな眠りを お前に与えたい
    大いなる山の神よ

    ―― 「タタリ神」, 『The art of the Princess Mononoke : もののけ姫』 (*133)

     

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    七ツ鬼神が住んでいたという伝承が残るナナキ谷
    (ナナキ谷の一番上にある分水嶺(権現山ごんげんやまの山頂にほどちかい尾根道)から、下の方向を撮影した写真)
    (「緯度経度: 35.192957, 135.876647」のあたり)
    南比良みなみひら比良山地ひらさんちの南部))

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    峯権現みねごんげんのおやしろ
    水分みくまり神社(里宮さとみや)(滋賀県大津市栗原くりはら)の奥宮おくのみやのお社)
    権現山ごんげんやまの山頂にほどちかい尾根道のかたわら)
    (「緯度経度: 35.192156, 135.874912」のあたり)
    南比良みなみひら比良山地ひらさんちの南部))

    IMG_20200815_172921
    峯権現みねごんげんのおやしろ
    水分みくまり神社(里宮さとみや)(滋賀県大津市栗原くりはら)の奥宮おくのみやのお社)
    権現山ごんげんやまの山頂にほどちかい尾根道のかたわら)
    (「緯度経度: 35.192156, 135.874912」のあたり)
    南比良みなみひら比良山地ひらさんちの南部))

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    峯権現みねごんげんのおやしろ
    水分みくまり神社(里宮さとみや)(滋賀県大津市栗原くりはら)の奥宮おくのみやのお社)
    権現山ごんげんやまの山頂にほどちかい尾根道のかたわら)
    (「緯度経度: 35.192156, 135.874912」のあたり)
    南比良みなみひら比良山地ひらさんちの南部))

    七ツ鬼神
    比良山地の権現山のナナキ谷の地主神であった鬼

     

    この下の引用文は、『日本の神々:神社と聖地 第5巻』という本のなかに掲載されている、小栗栖健治さんの文章の一節です。

    この一節には、権現山ごんげんやまにある「ナナギ谷」(ナナキ谷)や、そこの地主神じぬしがみであった「七ツ鬼神」という鬼についての記述があるので、ここで紹介したいとおもいます。

    水分みくまり神社 滋賀郡志賀町栗原

    〔中略〕

     権現山から和邇庄に注ぐ谷筋としてナナギ谷と滝谷があり、この両谷は栗原の東端で合流して喜撰きせんとなり、琵琶湖に注いでいる。ナナギ谷の名は、この谷に「七ツ鬼神」なる神霊が住んでいたという伝承に由来するが、この鬼神こそ権現山古来の地主神であったと考えられる。この「七ツ鬼神」が「七ツ尾七〻谷」とつたえられてきたのも、権現山の尾根・谷筋が描く自然景観に由来する。
     また『栗原村万覚帳』には「其節七ツ鬼神白山権現たいじ成され候故、夫よりいまに権現山と申候」とあるが、この抗争は、たんに比良山の土俗の神と新来の神との確執といったものではなく、ある時期に白山信仰が比良山系を席巻したことを示すものといえよう。ちなみに、峯権現の小祠のなかの近世のものと思われる棟札に「承和元年(八三四)六月五日奉造宮白山権現社 栗原氏子中」と記されている。
     峯大神社の祭礼は「権現まつり」と呼ばれ、現在は七月二十日(もとは旧暦六月二十日)に栗原の人々によって行なわれるが、かつては、和邇九郷(和邇庄)と総称された小野・中村・高城・今宿・北浜・中浜・南浜・栗原・南船路の村々が参加して行なわれた。『栗原村万覚帳』に「権現山六月廿日九郷参社仕候趣ハ、峯陣(鎮)座成さる故御祭相勤候儀者、五穀成就之為ニうやまい申候」とある。
     七月二十日の早朝、村の宮役である十人衆のうち年の若い者二人が、権現山の頂上の小祠に参拝する。かつては頂上での神事を終えるとその場で狼煙のろしをあげ、里宮で待機する宮役がそれを見て拝礼したという。午後になると、里宮の峯大神社の社前で神主の祝詞奏上や神楽などが行なわれる。この祭は七ツ鬼神信仰の一面を伝えているが、前述した土俗的な伝承比良山系の山岳宗教を解明する大きな手がかりとなるであろう。
     水分神社の例祭は五月三日。旧村社。(交通 湖西線和邇駅より江若バス栗原行で栗原下車、徒歩五分)

    (小栗栖健治「水分みくまり神社 滋賀郡志賀町栗原」, 『日本の神々:神社と聖地 第5巻』) (*143) (*75)

     

    この下の写真は、権現山ごんげんやまの山頂の風景を撮影した写真です。

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    権現山ごんげんやまの山頂の風景
    南比良みなみひら比良山地ひらさんちの南部))
    滋賀県大津市南船路

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    権現山ごんげんやまの山頂の風景
    南比良みなみひら比良山地ひらさんちの南部))
    滋賀県大津市南船路

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    権現山ごんげんやまの山頂の風景
    南比良みなみひら比良山地ひらさんちの南部))
    滋賀県大津市南船路

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    権現山ごんげんやまの山頂の風景
    南比良みなみひら比良山地ひらさんちの南部))
    滋賀県大津市南船路

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    権現山ごんげんやまの山頂の風景
    南比良みなみひら比良山地ひらさんちの南部))
    滋賀県大津市南船路

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    権現山ごんげんやまの山頂の風景
    南比良みなみひら比良山地ひらさんちの南部))
    滋賀県大津市南船路

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    権現山ごんげんやまの山頂の風景
    南比良みなみひら比良山地ひらさんちの南部))
    滋賀県大津市南船路

     

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    近江国おうみのくに神奈備山かんなびやまと、水を得ることを目的とした水信仰(水神信仰)

    IMG_20190712_085847_1 煙雨 比叡の樹林 琵琶湖八景
    煙雨 比叡の樹林えんう ひえいのじゅりん(*144) (*145)
    琵琶湖八景のひとつ)
    東塔とうどう地区の南側にある巡拝受付所)

    IMG_20190712_090125 煙雨 比叡の樹林 琵琶湖八景
    煙雨 比叡の樹林えんう ひえいのじゅりん(*144) (*145)
    琵琶湖八景のひとつ)
    東塔とうどう地区の南側にある巡拝受付所から眺めた山下の方向の様子)

     

    山の霧は多くは雲そのものである。比叡山では六・七・八・九の四ヵ月にそれぞれ二十七・二十七・二十五・二十一回の霧をみている(昭和二十五年)が、これらが湿度を高めるのはうなずけるところであろう。杉立木の間にたちこめた霧が流れるように動いて行くさまは幽邃の叡山に一しお詩情を深めてくれるのである。新琵琶湖八景の一として煙雨比叡の樹林と呼ばれるもののよって起るゆえである。

    ―― 延暦寺執行局(編集)「気象」, 「一 比叡山の自然」, 『比叡山』 (*146)

    滋賀県はいまから二十年ほど前に新琵琶湖八景というのをつくっておりますが、その中に「煙雨比叡の樹林」というのがあります。雨に煙る杉の樹林の間を雲が去来する、横山大観の墨絵のような風景、それをもって比叡山の一番美しい景観だとしております。それはまさに比叡山の持つ湿、非常に湿気の多い山であるということを大きな条件に取り入れているわけです。湿気が多いということは、人間にとって困ったことも多いですが、また林相を繁茂させるという点からは、湿気は第一の条件なんですね。

    ―― 景山春樹「比叡山の歴史」, 「付・講演録」, 『比叡山寺 : その構成と諸問題』 (*147)

     

    田中日佐夫さんは、『近江古寺風土記』において、「近江にある神奈備の山にたいする信仰は、水を得ることを目的とした信仰であった」ということを述べておられます。このことについての記述は、下記のとおりです。

    ちなみに、神奈備山かんなびやまというのは、「神が鎮座する山」というような意味の言葉です。

    神奈備山の信仰は天にいます神のたしかな表徴にたいする信仰であった。しかしその山の周辺で農耕する人々にとって、その信仰の結果を具体的に表わすものは水であったにちがいない。神奈備の山にたいする祭祀も、水を得ることがその主体を占めていたであろう。近江にあっても湖岸に沿った土地の開発から徐々に内陸の開発に向かったとき、この水の利用ということが大きな問題であった。土木工事の未発達であった古代人にとって、大きな河川を利用することにはいろいろな困難がともなったであろう。より簡単に利用できる水は平地のわき水、泉であり、また山からの落ち水であった。とともに雨がふれば流れを変え、はん乱し、耕地をのみつくす大河の勢いを押えることも大事なことであった。そのような内容をふくむ祭礼をみることもできるのである。

    (田中日佐夫「水・火のまつり」, 「はつくにしらす王の国、近江 : 三上山と日子坐王の伝説」, 『近江古寺風土記』) (*148)

     

    また、水田有夏志さんは、『近江の滝 (別冊淡海文庫)』において、「近江は、川と人々との関わりが濃密で、水へのこだわりが強い場所であった」というような意味のことを述べておられます。このことについての記述は、下記のとおりです。

    琵琶湖に注ぐ河川は、すべてお盆の中央にある琵琶湖へと注いでいる。このため、近江には信濃川や利根川のような大規模な河川はなく、山から流れ出た川が平野部に出て、すぐに琵琶湖に注ぐ小規模な河川ばかりである。このわずかの間に、河川の水は田用水や生活用水など、さまざまな形で繰り返し高度に利用されてきた。
     しかし、灌漑技術が発達する一方で、規模が小さく流量が安定しないため、流域各地で激しい水争いが頻繁に発生し、雨乞行事なども盛んに行われてきた。また、過度の伐採利用や戦乱などで山が荒れ、洪水被害にもたびたび悩まされてきた。
     このように、近江は山や川と人々との関わりが濃密で、水へのこだわりが強い場所であった

    (水田有夏志「近江の滝の特徴」, 「近江の滝序説」, 『近江の滝』) (*149)

     

    IMG_20190712_090311_1 煙雨 比叡の樹林 琵琶湖八景
    煙雨 比叡の樹林えんう ひえいのじゅりん(*144) (*145)
    琵琶湖八景のひとつ)
    根本中堂こんぽんちゅうどうの周辺)

    IMG_20190712_090255 煙雨 比叡の樹林 琵琶湖八景
    煙雨 比叡の樹林えんう ひえいのじゅりん(*144) (*145)
    琵琶湖八景のひとつ)
    根本中堂こんぽんちゅうどうの周辺)

    おそらく伝教大師が開いたころは全山が全くの自然林相、原始林相であったろうと思います。同じ比叡山といっても、いまの林相とは全く違った様相を呈しておったと思います。そういう繁茂する林相は、湿ということが大きな条件となっております。絶えず湿気を含んでおる。その絶えず含んでおる湿気は地面に落ちて、こけが吸って、地下水になる。夏どのように照っても地下水が切れないということです。

    〔中略〕

    最近は水道を下からポンプで若干上げているそうですが従来は、みな山の水でまかなっておりました。それじゃそれはどこにあるのかと申しますと、ここは全山地下水を湧出しております。貧弱な今日のような植生林相になってすらそれだけの地下水をたくわえる力をまだ持っているのですから、これが巨大な自然林相であったならば、その地下水の量というものはまだまだ豊富なものがあっただろうと考えられます。そういうふうに山の木を切って、地下水の水量が変わって、山の林相が変わってということは、これはまた今日の河川の洪水とか汚染という問題と決して無関係ではないのでありまして、山と水とふもとの社会生活というものとは非常に深い関係を持っているわけでございます。山の木を切るから水がきたなくなる、水がきたなくなるから自然が汚染するという因果関係があるわけですけれども、幸いにして比叡山はまだまだ水源は乏しくない。これはやはりこの湿という問題、それを景観的にいうならば「煙雲比叡の樹林」ということになりますし、実際生活的にいうならば生活の水、命の水ということになって、非常に豊かな水を持っているということに置きかえられます。
     千年の歴史を持つこの比叡山には、比叡山三千坊ということばがありますように、常に何千人かの僧侶が住んでおった。この比叡山三千坊ということばは三千の僧坊があったのだという解釈をする人がありますが、そうではなく、少なくとも三千人の僧侶が住んでおったというふうにお考えをいただきたい。実際に考えますと、山上山下合わせればもっともっとおっただろうと私は思います。山の上には絶えず三干人ぐらいの僧侶は十分住んでおったと思いますが、これは三千人のつまり完全な消費地域です。〔中略〕とにかく、「湿寒」の問題、これは比叡山の持つ自然条件であり、それはまた、歴史を形成し、その中で生活をしてきた上において、非常に深い因果関係を持っておった。それは自然と人文とのかね合いという大きな問題の一端を示すものである、こういうふうに考えていただきたい。

    (景山春樹「比叡山の歴史」, 「付・講演録」, 『比叡山寺 : その構成と諸問題』) (*150)

    この比叡山の山なみを図形化すると、(黒板に描く)―このような山になります。向こう側が京都、こっちが滋賀県。こちらが琵琶湖ということになります。よく比叡山のどちら側が表でどちら側が裏かというようなことを京都の新聞記者などから質問されることがありますが、それは言うまでもなく、滋賀県側では滋賀県側が表だと言う。別に私は坂本に住んでいるからそう言うのでありませんが、歴史的に考えても、比叡山の教団組織からいっても、滋賀県側が表である。

    (景山春樹「比叡山の歴史」, 「付・講演録」, 『比叡山寺 : その構成と諸問題』) (*151)

     夏は梅雨、台風等による他と同様な降雨のほかに、直射日光によって熱せられた上昇気流に伴う夕立にしばしば見舞われることが自然雨量を増加させる(例えば昭和二十八年八月の雷は十二回、六月、七月の降雨日数はそれぞれ二十六日、十九日に及ぶ)。雨量はまた湿度とも関連する。一般に山地は低温のため同一容積に同一量の水蒸気を含んでいても湿度は大となるのが普通である。京都の平均湿度約七七に対し、この山が約八四を示すのは右の理由による所が少なくない。然し夏季その差が増大するのは、前述のような降雨、更には霧と関係がある。山の霧は多くは雲そのものである。比叡山では六・七・八・九の四ヵ月にそれぞれ二十七・二十七・二十五・二十一回の霧をみている(昭和二十五年)が、これらが湿度を高めるのはうなずけるところであろう。杉立木の間にたちこめた霧が流れるように動いて行くさまは幽邃の叡山に一しお詩情を深めてくれるのである。新琵琶湖八景の一として煙雨比叡の樹林と呼ばれるもののよって起るゆえである。また湿度の多い関係から山上の寺坊では襖や障子がじっとりとなってはがれることはこの山に住む人がよく語って聞かせる所である。

    (延暦寺執行局(編集)「気象」, 「比叡山の自然」, 『比叡山』) (*146)

     

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    参考: 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ(天台宗てんだいしゅう)に関連のある、そのほかの青鬼の説話

    比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ(天台宗)に関連のある、そのほかの青鬼の説話

    比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじの玉泉坊の青鬼

    紺青鬼こんじょうき(天狐、天狗)

     

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    比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじの玉泉坊の青鬼

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    玉照院(旧 玉泉坊)
    無動寺谷むどうじだに, 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ

     

    露うち払ひて家に指入て見れば、玉をつらねかざりたる家なれば、ぬしはなけれども面白かりけり。此の僧思けるは、玉泉坊と名をゆひける事は、殊に泉殿を結構して有けるによてこそ云はれけれと思て、泉殿を入て見れば、八月中旬の事なれば、月くまなきことかぎりなし。泉殿にかげやどりたり。心をすまして一首の哥をよみける。

    たまのいづみ もとのあるじは すまずして
    うはの空なる 月ぞやどれる

    と読たりければ、奥の方より青鬼おどり出でて、あら面白やといふ。この僧、道にはしりたうれて死にけり。鬼枕がみに寄て云く、我は昔し玉泉房なり、必ずして人を検ぜむと思ふ事はなけれども、我妄犱に寄てかゝる鬼神と成たり。今日より我他国へ行べし。此坊は汝にとらせんずるなりとて、失にけり。さてこの僧生帰りにけり。この坊の跡、今につたはりたり。

    ―― 「めに見えぬ鬼神をもと云う事」, 曼殊院蔵 伝尊円『古今序注』 (*152)

     

    比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじの玉泉坊の青鬼

    参考文献
    武覚超
    『比叡山諸堂史の研究』

    参考文献
    『山門堂社由緒記』
    (『天台宗全書 第24巻』収載)

    参考文献
    『比叡山 : その歴史と文化を訪ねて』

    参考文献
    『伝説の比叡山』
    硲慈弘

    参考文献
    「語園漫考(二) : ねんねん唄由来・浦島二則・玉泉坊の鬼」
    今野達
    『横浜国大国語研究 第05号』
    横浜国立大学国語・日本語教育学会(編集)
    横浜国立大学国語国文学会
    1987年
    60~70ページ

    曼殊院蔵伝尊円『古今序注』(鎌倉末期乃至南北朝)

    了誉聖冏『古今序注』(応永十三年―一四〇六)

    酉誉聖聡『当麻曼荼羅疏』(永享八年―一四三六)

     

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    東塔とうどう南谷の玉泉坊(俊豪の住坊)

    東塔とうどう南谷の玉泉坊(俊豪の住坊)

    (東塔西谷の間違いか???)
    (東塔無動寺谷の間違いか???)

    権現川(藤の木川)の水源地帯

    泉殿

    曼殊院蔵伝尊円の『古今序注』(鎌倉末期乃至南北朝)

    武覚超『比叡山諸堂史の研究』

     

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    東塔とうどう西谷の玉泉坊(玉泉院・勧学院・玉蔵坊)

    「玉泉院跡」の石標(玉泉坊(玉泉院・勧学院・玉蔵坊)の跡地) 東塔西谷 比叡山延暦寺
    「玉泉院跡」の石標
    (玉泉坊(玉泉院・勧学院・玉蔵坊)の跡地)
    (石標の背後の奥のほうに見えているのは、東塔駐車場(延暦寺第一駐車場)です。)
    東塔とうどう西谷, 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ

    「玉泉院跡」の石標(玉泉坊(玉泉院・勧学院・玉蔵坊)の跡地) 東塔西谷 比叡山延暦寺
    「玉泉院跡」の石標
    (玉泉坊(玉泉院・勧学院・玉蔵坊)の跡地)
    (石標の奥のほうに見えているのは戒壇院かいだんいんです。)
    東塔とうどう西谷, 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ

    東塔とうどう西谷の玉泉坊(玉泉院・勧学院・玉蔵坊)

    「玉泉院跡」の石標は、大宮川の水源地帯(仏母塚がある仏母谷の谷川の水源地帯)である弁慶水の近くにあります。

    東塔とうどう地区のなかの、戒壇院かいだんいんの西側のすぐちかくの道ばたに、「玉泉院跡」という文字が刻まれた石標があります。

     

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    無動寺谷むどうじだにの玉泉坊(玉照院の旧称)

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    玉照院(旧 玉泉坊)
    無動寺谷むどうじだに, 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ

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    玉照院(旧 玉泉坊)
    無動寺谷むどうじだに, 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ

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    玉照院(旧 玉泉坊)
    無動寺谷むどうじだに, 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ

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    玉照院(旧 玉泉坊)
    無動寺谷むどうじだに, 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ

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    玉照院(旧 玉泉坊)
    無動寺谷むどうじだに, 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ

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    玉照院(旧 玉泉坊)
    無動寺谷むどうじだに, 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ

    比叡山延暦寺の七不思議
    玉照院の鬼

    四ッ谷川の支流の水源地帯

    武覚超『比叡山諸堂史の研究』

     

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    西塔さいとう東谷(?)の玉泉坊

    西塔さいとう東谷(?)の玉泉坊
    東塔とうどう西谷、の書き間違いか?)

    大宮川の水源地帯
    八部尾の近く

    了誉聖冏『古今序注』(応永十三年―一四〇六)
    悪霊

    酉誉聖聡の『当麻曼荼羅疏』(永享八年―一四三六)
    鬼神

     

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    紺青鬼こんじょうき(天狐、天狗)

     

     底抜けの上天気である。何という光り輝く青さだろう、海も空も。澄みとおる明るい空の青が、水平線近くで、ぼうと煙る金粉のもやの中に融け去ったかと思うと、その下から、今度は、一目見ただけでたちまち全身が染まってしまいそうな華やかな濃藍の水が、ひろがり、膨らみ、盛り上って来る。内に光をはらんだ豊麗極まりない藍紫色の大円盤が、船の白塗の欄干てすりの上になり下になりして、とてつもなく大きく高く膨れ上り、さて又ぐうんと低く沈んで行く。紺青鬼こんじょうきという言葉を私は思い出した。それがどんな鬼か知らないが、無数の真蒼まっさおな小鬼共が白金の光耀粲爛こうようさんらんたる中で乱舞したら、あるいはこの海と空の華麗さを呈するかも知れないと、そんなとりとめない事を考えていた。

    ―― 中島敦なかじまあつし『環礁 : ミクロネシヤ巡島記抄』 (*153)

    比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ横川よかわ僧都そうずが〕一晩中ひとばんじゅう加持かじしていらっしゃったあかつきに、人に物の怪もののけり移して〔浮舟うきふねいている物の怪もののけ紺青鬼こんじょうき)と話をするために、その物の怪もののけを、霊媒者れいばいしゃうつらせて〕、「どんな憑き物つきものが、こんなに人〔浮舟うきふね〕をたぶらかしたのか」と、そのわけだけでもしゃべらせたくて、弟子でし阿闍梨あじゃりと、とりどりに加持かじなさる。数か月間少しもあらわれなかった物の怪もののけ紺青鬼こんじょうき〕が、いのせられて、「自分は、ここまでまいって、こんなにいのせられもうすべき身でもない。むかしは、修行しゅぎょうをつんだ法師ほうしで〔 (*154) (*155)〕、わずかばかりのうらみをこの世に残して、中有ちゅうう〔人が死んだあと、つぎに生まれ変わるまでの期間〕に迷っているうちに、きれいな女のたくさんお住まいだった所に住みついて、一人はころしたが、この人〔浮舟うきふね〕は、わが心からこの世をうらみなさって、自分は何とかして死のうということを、夜昼よるひるおっしゃっていたのに助けを得て、ひどく暗い夜、ひとりでいらっしゃったのを取ったのだ。だが、観音かんのんが、あれやこれやとおまもりなさったので、この僧都そうずもうした。もう退散たいさんしよう」と大声おおごえをあげる。「このように言うのは何者なにものだ」と問うと、物の怪もののけいていた人が、元気のないせいか、はっきりとも答えない。

    ―― 『源氏物語げんじものがたり』第53じょう手習てならい(*156) (*157) (*154) (*155)

     

    紺青鬼こんじょうき

    「紺青の色したる鬼」

    相応和尚そうおうかしょう

    染殿后そめどののきさき
    藤原明子ふじわらのあきらけいこ

    天狐
    天狗

    真済

    参考文献

    『宝物集』
    (『新日本古典文学大系 40』所収)

    『今昔物語集』巻二十
    第七話「染殿ノ后、為天宮嬈乱事」

    『相応和尚伝』
    『天台南山無動寺建立和尙〔相應和尙〕傳』
    (『群書類従 第5輯』(訂正3版)所収)

    『拾遺往生伝』巻下
    「相応伝」

    『古事談』巻三
    『古事談』(巻第三第十五話)

    『平家物語』(延慶本)

    『宇治拾遺物語』(第百二十三話)

    『日吉山王利生記』
    (『神道大系 神社編 29』所収)

    『悪女伝説の秘密』
    田中貴子
    角川書店
    2002年

     

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    宝物集ほうぶつしゅう

    宝物集ほうぶつしゅう
    (『新日本古典文学大系 40』所収)

     

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    今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう』巻二十 第七話「染殿ノ后、為天宮嬈乱事」

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    第七話「染殿ノ后、為天宮嬈乱事」

     

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    相応和尚伝そうおうかしょうでん』(『天台南山無動寺建立和尚伝てんだいなんざんむどうじこんりゅうかしょうでん』)

    相応和尚伝そうおうかしょうでん』(『天台南山無動寺建立和尚伝てんだいなんざんむどうじこんりゅうかしょうでん』)
    (『天台南山無動寺建立和尙〔相應和尙〕傳』)
    (『群書類従 第5輯』(訂正3版)所収)

     

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    拾遺往生伝しゅういおうじょうでん』巻下「相応伝そうおうでん

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    古事談こじだん』(巻第三第十五話)

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    平家物語へいけものがたり』(延慶本)

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    宇治拾遺物語うじしゅういものがたり』(第百二十三話)

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    日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき

    日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき
    (『神道大系 神社編 29』所収)
    651ページ

     

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    山門聖之記さんもん ひじりのき』(『諸国一見聖物語しょこく いっけん ひじり ものがたり』)

    山門聖之記さんもん ひじりのき
    (『諸国一見聖物語しょこく いっけん ひじり ものがたり』)
    曼殊院まんしゅいん蔵本)

    『諸国一見聖物語 : 曼殊院蔵粉河寺蔵 (京都大学国語国文資料叢書 29)』
    亮海 [著者]
    佐竹昭広 (京都大学文学部国語学国文学研究室 代表) [編集]
    中倉千代子 [解説]
    臨川書店
    1981年
    83ページ

     

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    『是害房絵巻』ぜがいぼうえまきに記された比良山の大天狗(天魔、紺青鬼)

    『是害房絵巻』ぜがいぼうえまきに記された比良山の大天狗(天魔、紺青鬼)

    『是害房絵巻』に配された平山(比良山)の大天狗は、その来歴を「昔、守屋大臣ノ破法ノ時、其罪ニヒカレテ此道ニ入テ」と語り、且つ又、『比良山古人霊託』においても、「我是聖徳太子之御時者」と語るのである。〔中略〕比良山(平山、平野山とも)の天狗「天魔・鬼・紺青鬼とも〉は、「聖徳太子伝」に緊密な関わりをもっていたのである。
    〔中略〕
    天台を中心にして聖徳太子と同種姓にして一如ともいうべき平山(比良山)の青鬼・天狗が“楠”に現じて行動・予言し、一方では楠木正成、変じて化物となる。

    (牧野和夫「中世聖徳太子伝と説話 : “律”と太子秘事・口伝・「天狗説話」」) (*158)

    (参考記事:香取本『大江山絵詞』の「平野山」と「近江国かが山」: 比叡山延暦寺による土地領有権説話としての酒呑童子譚

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    おわりに

    ここまで、香取本かとりぼん『大江山絵詞』おおえやまえことばの絵巻物に記されている、「酒天童子が変化へんげしたくすのき」を出発点として、それに関連する叡山開闢譚えいざんかいびゃくたんの霊木や、その守護者であった青鬼、そこからさらに、酒天童子の水神すいじん水神みなかみ)としての性質、などについて、お話してきました。

    この話題については、まだお話したいことがたくさんあるのですが、それらの話については、またのちほど、この記事に追記させていただくかたちで、おつたえできればとおもいます。

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    引用文献・参考文献

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    「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」

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    脚注
    1. 注記: この和歌は、筆者(倉田幸暢)が、慈円じえん慈鎮和尚じちんかしょうがつくった和歌である、「世の中に 山てふちょう山は 多かれど 山とは比叡ひえ御山みやまをぞいふ」という和歌を、本歌取りほんかどりしてつくった和歌です。 [↩ Back]
    2. 参考: 慈円じえん慈鎮和尚じちんかしょう 「世の中に山てふ山は多かれど山とは比叡の御山をぞいふ」, 「歌番号: 1089」, 『拾玉集』, 久保田淳(監修), (2008年), 『拾玉集 上 (和歌文学大系 ; 58)』, 明治書院, 134ページ. [↩ Back]
    3. 「Obsidian Butterfly Find
       A Last Song
       In Deep Blue Forest
       
       青の森で
       黒曜石の蝶は
       歌を見つける」
      (出典: 小中千昭(脚本), 増井壮一(絵コンテ/演出) (2002年)「第25楽章 神の不確かな音 : Deus Ex Machina」, 21:33~21:39, 出渕裕(原作/監督), 『ラーゼフォン』 (RahXephon), ボンズ(BONES)(アニメーション制作). ) [↩ Back]
    4. 「青の森で、黒曜石の蝶は歌を見つける」(出典: 出渕裕 (監修), アクティブコア編集部 (編集) (2004年) 「第25楽章 神の不確かな音 : Deus Ex Machina」, 「TV Series episode guide ― テレビシリーズ」, 『ラーゼフォンコンプリート』(Rahxephon Complete), メディアファクトリー, 67ページ.))[↩ Back]
    5. 参考文献: 清少納言せいしょうなごん(著者), 島内裕子(校訂・翻訳) (2017年) 「第四七段」, 『枕草子 上 (ちくま学芸文庫)』(Kindle版), 筑摩書房. [↩ Back]
    6. 参考文献: 清少納言せいしょうなごん(著者), 石田穣二(訳注) (2014年) 「第三七段」, 『新版 枕草子 上巻 : 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)』(Kindle版), KADOKAWA. [↩ Back]
    7. 出典: 瀬田勝哉 (2000年) 「「楠」 : 大地から湧きあがる力」, 「Ⅳ 名づけの中の「楠」と「松」」, 『木の語る中世 (朝日選書 ; 664)』, 朝日新聞社, 229~230ページ. [↩ Back]
    8. 地図の出典: 国土地理院「地理院地図」の、地理院タイル「全国最新写真(シームレス)」(ズームレベル: 14~18)を、加工・編集して使用しています。地理院タイルは、「国土地理院コンテンツ利用規約」にもとづいて使用しています。くわしくは、国土地理院のウェブサイトのなかの、「地理院タイル一覧」のページhttps://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html)のなかの、「2.基本測量成果以外で出典の記載のみで利用可能なもの」のなかの、「ベースマップ」のなかの、「写真」(衛星写真の画像)のところをご参照ください。 [↩ Back][↩ Back]
    9. 出典:阿部泰郎 (1980年) 「三節 三尾明神: 長谷寺縁起」, 「四章 比良山の神々」, 「一、比良山系をめぐる宗教史的考察: 寺社縁起を中心とする」, 「論文篇」, 元興寺文化財研究所(編集), 『比良山系における山岳宗教調査報告書』, 元興寺文化財研究所, 51ページ1段目. [↩ Back]
    10. 出典: 安田喜憲 (1991年) 「宣教師は開墾の先兵だった」, 「3 破滅的な森林破壊への道」, 「Ⅵ 森の神々の流竄」, 『大地母神の時代 : ヨーロッパからの発想 (角川選書)』, 角川書店, 186ページ. [↩ Back]
    11. 出典: 安田喜憲 (1991年) 「ドルイド僧との対立」, 「3 破滅的な森林破壊への道」, 「Ⅵ 森の神々の流竄」, 『大地母神の時代 : ヨーロッパからの発想 (角川選書)』, 角川書店, 190ページ. [↩ Back]
    12. 出典: 安田喜憲 (1991年) 「メドュウサの故郷はいま」, 「2 化物として復活したメドュウサ」, 「Ⅶ 近代文明の犠牲」, 『大地母神の時代 : ヨーロッパからの発想 (角川選書)』, 角川書店, 214ページ. [↩ Back][↩ Back]
    13. 出典: 柳田国男 「太子講の根源」, (2015年), 『女性と民間伝承』(Kindle版), グーテンベルク21. [↩ Back]
    14. 出典: ハインリヒ・ハイネ (1980年) 『精霊物語』, ハインリヒ・ハイネ [著者], 小沢俊夫 [翻訳], 『流刑の神々・精霊物語 (岩波文庫)』, 岩波書店, 61ページ. [↩ Back][↩ Back]
    15. 参考文献:「大江山絵詞」, 小松茂美(編者), (1993年), 『続日本の絵巻 26』(土蜘蛛草紙 天狗草紙 大江山絵詞), 中央公論社. [↩ Back]
    16. 参考文献: 「大江山絵詞」, 小松茂美(編者), (1984年), 『続日本絵巻大成 19』(土蜘蛛草紙 天狗草紙 大江山絵詞), 中央公論社. [↩ Back]
    17. 参考文献: 「大江山酒天童子(逸翁美術館蔵古絵巻)」, 横山重(編者), 松本隆信(編者), (1975年), 『室町時代物語大成 第3』, 角川書店. [↩ Back]
    18. 参考文献: 牧野和夫, (1990年), 「叡山における諸領域の交点・酒呑童子譚 : 中世聖徳太子伝の裾野」, 『国語と国文学』, 67(11), 87~94ページ. [↩ Back]
    19. 参考文献: 佐成謙太郎 (1956年) 「大江山 : 観世流(宝生流・金剛流・喜多流)」, 『謡曲大観 第1巻 (3版)』, 明治書院, 560~561ページ. [↩ Back]
    20. 参考文献: 廿四世 観世左近 (訂正著作者) (2017年) 『大江山』, 観世流大成版, 檜書店, 4~5ページ. [↩ Back]
    21. 画像の出典: 〔霊木の話が記載されているページ(コマ番号: 21(右側のページ)(17丁裏 (和装本わそうぼん)))〕, 虚空蔵尾本願堂縁起こくぞうお ほんがんどう えんぎ(「本願堂」), 叡岳要記えいがくようき』上巻, 『羣書類従 巻第四百三十九 上』(『群書類従 巻第439 上』), 『群書類従 第544-546冊』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ). [↩ Back]
    22. 画像の出典: 『渓嵐拾葉集』一冊 滋賀県 西教寺蔵, 『日吉山王光華』, 国立国会図書館デジタルコレクション, コマ番号: 77 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています. [↩ Back]
    23. 出典: 山本陽子 (2007年) 「四 御衣木の放光伝説」, 「祟る御衣木と造仏事業 : なぜ霊木が仏像の御衣木に使われたのか」, 『明星大学研究紀要. 日本文化学部・言語文化学科』, 第15号, 明星大学青梅校, 77ページ1段目. [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    24. 参考文献: 「陀羅尼品だらにほん第26」, 『法華経鷲林拾葉鈔ほけきょうじゅりんしゅうようしょう(24巻之内自巻15至巻24)』, 鈴木学術財団 [編], (1974年), 『日本大蔵経 第26巻 (経蔵部 法華部章疏 6,密経部章疏 1) 増補改訂』, 鈴木学術財団, 242ページ. [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    25. 参考文献: 〔霊木の話が記載されているページ(コマ番号: 357(右側のページ1段目)(706ページ1段目))〕, 陀羅尼品だらにほん第二十六」, 法華経鷲林拾葉鈔ほけきょうじゅりんしゅうようしょう』巻第24, 日本大蔵経編纂会 [編集], (1917年), 『日本大蔵経 第30巻 経蔵部 法華部章疏 3』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), 日本大蔵経編纂会. [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    26. 参考文献: 『日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき』第1, 神道大系編纂会 [編], (1983年), 『神道大系 神社編 29 : 日吉』, 神道大系編纂会, 650ページ. [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    27. 参考文献: 『日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき』第1, 塙保己一 [編], 続群書類従完成会 [校], (1983年), 『続群書類従 第2輯 下 3版 : 神祇部』, 続群書類従完成会, 655~656ページ. [↩ Back][↩ Back]
    28. 参考文献: 『日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき』第1, 藤田徳太郎 [ほか] [編], (1936年), 『日本精神文化大系 第4巻』, 金星堂, 130ページ. [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    29. 参考文献: 身延みのぶ文庫ぶんこぞう法華直談私見聞ほっけじきだんしけんもん』, 牧野和夫, (1990年), 「叡山における諸領域の交点・酒呑童子譚 : 中世聖徳太子伝の裾野」, 『国語と国文学』, 67(11), 87~94ページ. [↩ Back]
    30. 参考文献: 光宗 [撰], 「六」, 「記録部 私苗」, 『渓嵐拾葉集』巻第107, (1968年), 『大正新脩大蔵経 第76巻 (続諸宗部 第7)』, 大正新脩大蔵経刊行会, 859ページ2段目~3段目. [↩ Back][↩ Back]
    31. 参考文献: 「虚空蔵尾本願堂縁起こくぞうお ほんがんどう えんぎ」(「本願堂」), 『叡岳要記えいがくようき』上巻, 「巻第四百三十九」, 塙保己一 [編集], 続群書類従完成会 [校訂], (1960年), 『群書類従 第24輯 (釈家部 巻第425-445) 訂正3版』, 続群書類従完成会, 513ページ2段目~514ページ2段目. [↩ Back]
    32. 参考文献: 〔霊木の話が記載されているページ(コマ番号: 20(左側のページ)~21(左側のページ)(十六(後の見開き)~十八(先の見開き)))〕, 虚空蔵尾本願堂縁起こくぞうお ほんがんどう えんぎ(「本願堂」), 叡岳要記えいがくようき』上巻, 『羣書類従 巻第四百三十九 上』(『群書類従 巻第439 上』), 『群書類従 第544-546冊』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ). [↩ Back]
    33. 参考文献: 「沙彌㝡澄」(「沙弥最澄」), 「㝡澄大師一生記」(「最澄大師一生記」)(「最澄一生記」), 『叡岳要記えいがくようき』下巻, 「巻第四百三十九」, 塙保己一 [編集], 続群書類従完成会 [校訂], (1960年), 『群書類従 第24輯 (釈家部 巻第425-445) 訂正3版』, 続群書類従完成会, 556ページ2段目~557ページ1段目. [↩ Back]
    34. 参考文献: 〔霊木の話が記載されているページ(コマ番号: 93(左側のページ)~94(右側のページ)(二七(先の見開き)~二七(後の見開き)))〕, 「沙彌㝡澄」(「沙弥最澄」), 「㝡澄大師一生記」(「最澄大師一生記」)(「大師一生記」), 叡岳要記えいがくようき』下巻, 『羣書類従 巻第四百三十九 下』(『群書類従 巻第439 下』), 『群書類従 第544-546冊』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ). [↩ Back]
    35. 参考文献: 「根本中堂こんぽんちゅうどう」, 『山門堂舎記さんもんどうしゃき』(『山門堂舎さんもんどうしゃ』), 「巻第四百三十八」, 塙保己一 [編集], 続群書類従完成会 [校訂], (1960年), 『群書類従 第24輯 (釈家部 巻第425-445) 訂正3版』, 続群書類従完成会, 468ページ2段目~469ページ1段目. [↩ Back]
    36. 参考文献: 〔霊木の話が記載されているページ(コマ番号: 92(右側のページ)~93(右側のページ)(一(後の見開き)~二(後の見開き)))〕, 根本中堂こんぽんちゅうどう, 山門堂舎記さんもんどうしゃき(『山門堂舎さんもんどうしゃ』), 『羣書類従 巻第四百三十八』(『群書類従 巻第438』), 『群書類従 第541-543冊』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ). [↩ Back]
    37. 参考文献: 「廿三 山門三佛造事」(「23 山門三仏造事」), 「巻第六 寿量品じゅりょうぼん第十六」, 「巻第八本」, 栄心 [著], 池山一切円 [解題者], (1988年), 法華経直談鈔ほけきょうじきだんしょう 3』, 臨川書店, 157~158ページ. [↩ Back]
    38. 参考文献: 「本願堂」, 「北谷」, 「東塔」, 「巻第一 比叡山延暦寺御由緒書」, 『山門堂社由緒記さんもんどうしゃゆいしょき』(明和本)(三巻), 天台宗典刊行会 [編集], (1974年), 『天台宗全書 第24巻』, 第一書房, 257ページ2段目~258ページ1段目. [↩ Back]
    39. 参考文献: 「佛母塚」(仏母塚), 「北谷 八部尾」, 「東塔」, 『比叡山堂舎僧坊記ひえいざんどうしゃそうぼうき』(『比叡山堂舎僧坊之記』)(正保本)(一巻), 天台宗典刊行会 [編集], (1974年), 『天台宗全書 第24巻』, 第一書房, 191ページ1段目. [↩ Back]
    40. 参考文献: 「香炉岳(香炉ガ岳)」, 「東塔分」, 「巻第一 山門三塔 名所名木名水名石 旧跡記」, 『山門名所旧跡記さんもんめいしょきゅうせきき』(延享本)(二巻), 天台宗典刊行会 [編集], (1974年), 『天台宗全書 第24巻』, 第一書房, 218ページ2段目. [↩ Back]
    41. 参考文献: 「佛母塚」(仏母塚), 「東塔分」, 「巻第一 山門三塔名所名木名水名石旧跡記」, 『山門名所旧跡記さんもんめいしょきゅうせきき』(延享本)(二巻), 天台宗典刊行会 [編集], (1974年), 『天台宗全書 第24巻』, 第一書房, 218ページ2段目~218ページ1段目. [↩ Back]
    42. 参考文献: 「登天峯」, 「西塔分」, 「巻第一 山門三塔名所名木名水名石旧跡記」, 『山門名所旧跡記さんもんめいしょきゅうせきき』(延享本)(二巻), 天台宗典刊行会 [編集], (1974年), 『天台宗全書 第24巻』, 第一書房, 228ページ1段目~228ページ2段目. [↩ Back]
    43. 参考文献: 〔「霊木の話が記載されているページ(コマ番号: 236(左側のページ)~237(右側のページ)(413ページ~414ページ))〕, 面授口訣めんじゅくけつ』(『面授口決めんじゅくけつ』)(鎮国道場本仏 仁忠和尚八箇問答記云), 比叡山専修院附属叡山学院 [編集], (1927年), 『伝教大師全集 第五』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), 比叡山図書刊行所. [↩ Back]
    44. 参考文献: 「太子卅二歳御時」, 醍醐寺だいごじぞう聖徳太子伝記しょうとくたいしでんき』, 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫 [編], (2005年), 『中世聖徳太子伝集成 第2巻 真名本(下) (斯道文庫古典叢刊 ; 6)』, 勉誠出版, 451~453ページ. [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    45. 参考文献: 灌頂 [撰], 上村真肇 [訳], 『隋天台智者大師別傳』, (1962年), 『国訳一切経 和漢撰述 第78 (史伝部 第10)』, 大東出版社, 599~600ページ. [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    46. 参考文献: 曇照 [註], 『智者大師別傅註』, (1987年), 『新纂大日本続蔵経 第77巻』, 国書刊行会, 665~666ページ. [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    47. 参考文献: 〔華頂降魔かちょうごうま」の説話が記載されているページ(コマ番号: 116(右側のページ~左側のページ)(182ページ~183ページ))〕, 灌頂 [撰], 『天台山國淸寺智者大師別傳第二』(『天台山国清寺智者大師別伝 第二』), 『天台靈應圖本傳集卷第一』(『天台霊応図本伝集 巻第一』), 比叡山専修院附属叡山学院 [編集], (1927年), 『伝教大師全集 第四』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), 比叡山図書刊行所. [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    48. 画像の出典: 〔霊木の話が記載されているページ(コマ番号: 357(右側のページ1段目)(706ページ1段目))〕, 陀羅尼品だらにほん第二十六」, 法華経鷲林拾葉鈔ほけきょうじゅりんしゅうようしょう』巻第24, 日本大蔵経編纂会 [編集], (1917年), 『日本大蔵経 第30巻 経蔵部 法華部章疏 3』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), 日本大蔵経編纂会. [↩ Back]
    49. 出典: 樫木祐人 (2017年) 〔子供達の母親と、ハクメイと、ミコチと、コンジュの会話〕, 「第31話 樹鎮の夕べ」, 『ハクメイとミコチ 5巻 (HARTA COMIX)』(Kindle版), KADOKAWA, 117~118ページ. [↩ Back]
    50. 参考文献: 〔新井白石の『鬼門説』に引用されている『山海経せんがいきょう』の記述〕, 水野杏紀, (2008年), 「三.『鬼門説』全文」, 「新井白石『鬼門説』について : 翻刻と注解 (平木康平教授退職記念号)」, 『人文学論集』26巻, 大阪府立大学人文学会, 101ページ1段目~101ページ2段目. [↩ Back]
    51. 参考文献: 〔桓武天皇が平安京に遷都した時に、比叡山が鬼門とされていたという話が記載されているページ(コマ番号: 99(右側のページ)(166ページ)〕, 叡岳要記えいがくようき 上」, 鬼門きもん, 「陰陽道 下」, 「方位吉凶」, 「方技部 三」, 神宮司庁 [編集], (1929年), 古事類苑こじるいえん 第26冊 : 方技部』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), 古事類苑刊行会. [↩ Back]
    52. 参考文献: 〔景行天皇けいこうてんのう十八年七月の条文〕, 「大足彦忍代別天皇 景行天皇」, 『日本書紀』巻第七, 坂本太郎 [ほか](校注), (1994年), 『日本書紀 2 (岩波文庫)』, 岩波書店, 80ページ. [↩ Back]
    53. 参考文献: 『日吉山王利生記ひえさんのうりしょうき』第1, 塙保己一 [編], 続群書類従完成会 [校], (1983年), 『続群書類従 第2輯 下 3版 : 神祇部』, 続群書類従完成会, 655~656ページ. [↩ Back]
    54. 参考文献: 『下総国椿新田濫觴記』しもうさのくに つばきしんでん らんしょうき, 3丁表~4丁裏 (和装本わそうぼん). [↩ Back]
    55. 参考文献: 〔『下総国椿新田濫觴記』(『椿新田濫觴記』)からの引用文〕, 藤沢衛彦 [編集], (1919年), 『日本伝説叢書 下総の巻』, 日本伝説叢書刊行会, 5~6ページ. [↩ Back]
    56. 参考文献: 南方熊楠 「巨樹の翁の話」二, 『南方閑話』, (1971年), 『南方熊楠全集 2 (南方閑話,南方随筆,続南方随筆)』, 平凡社, 41ページ. [↩ Back]
    57. 参考文献: 景行天皇けいこうてんのう四年二月の条文, 「神皇本紀じんのうほんぎ下巻上」, 「先代旧事本紀せんだいくじほんぎ巻二十一」, 『先代旧事本紀大成経せんだいくじほんぎたいせいきょう 神皇本紀じんのうほんぎ二十一』, 小笠原春夫 [校注], (1999年), 先代旧事本紀大成経せんだいくじほんぎたいせいきょう 2 (続神道大系 : 論説編)』, 神道大系編纂会, 39ページ. [↩ Back]
    58. 参考文献: 「比良山」, 『近江輿地志略おうみよちしりゃく : 校定頭註』. [↩ Back]
    59. 参考文献: 南方熊楠 「巨樹の翁の話」三, 『南方閑話』, (1971年), 『南方熊楠全集 2 (南方閑話,南方随筆,続南方随筆)』, 平凡社, 42ページ. [↩ Back]
    60. 参考文献: 身延みのぶ文庫ぶんこぞう法華直談私見聞ほっけじきだんしけんもん』, 牧野和夫, (1990年), 「叡山における諸領域の交点・酒呑童子譚 : 中世聖徳太子伝の裾野」, 『国語と国文学』, 67(11), 90ページ. [↩ Back][↩ Back]
    61. 参考文献: 「桑実寺縁起 上巻 〔第一段〕」, 「詞書釈文」, 「解説」, 小松茂美 [編集・解説], (1992年), 『日本の絵巻 続 24 (桑実寺縁起・道成寺縁起)』, 中央公論社, 135ページ1段目~135ページ2段目. [↩ Back]
    62. 画像の出典: 「天台大師御像 (国宝) 園城寺蔵」, 『天台宗読本 宗史篇』, 国立国会図書館デジタルコレクション, コマ番号: 6 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています. [↩ Back]
    63. 出典: 永井路子 (2014年) 「雲嶺の梵音」, 『雲と風と : 伝教大師最澄の生涯』Kindle版, ゴマブックス株式会社. [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    64. 画像の出典: "天台山石橋図てんだいさん しゃっきょうず" (Lions at the Stone Bridge of Mount Tiantai) by 曾我蕭白そが しょうはく on Wikimedia Commons (パブリック・ドメイン(Public Domain) ). [↩ Back]
    65. 画像の出典: "天台山石橋図てんだいさん しゃっきょうず" (Lions at the Stone Bridge of Mount Tiantai) by 曾我蕭白そが しょうはく on The Metropolitan Museum of Art (メトロポリタン美術館) (パブリック・ドメイン(Public Domain)). [↩ Back]
    66. 参考文献: 「第廿八章 華頂降魔」(第二十八章 華頂降魔), 堀恵慶 [編集], (1922年), 『天台大師略伝』, 芝金声堂, 69~70ページ. [↩ Back]
    67. 出典: 智顗 [説者], 灌頂 [記録者], 関口真大 [校注], 「第三項 静処に閑居せよ」, 「第一節 五縁を具えよ」, 「第六章 止観のための前方便(承前)」(巻第四の下), (1966年), 摩訶止観まかしかん : 禅の思想原理 上 (岩波文庫)』, 岩波書店, 230ページ. [↩ Back]
    68. 参考文献: 池田魯參 (2017年) 「住処について」, 「十二 衣食住の戒め : 柔和忍辱の心これなり」, 『『摩訶止観』を読む』, 春秋社, 144ページ. [↩ Back]
    69. 参考文献: 木村周誠 (2011年) 「一実諦の基礎的考察」, 『天台学報 = Journal of Tendai buddhist studies (54)』, 天台学会, 23ページ. [↩ Back]
    70. 参考文献: 池田魯參 (2017年) 「後半生~天台山の浄行者」, 「一 天台山の浄行者・天台智者大師の生涯 : 説法 最も第一なり」, 『『摩訶止観』を読む』, 春秋社, 14ページ. [↩ Back]
    71. 画像の出典:"mayraarmy" by Shari188 on Flickr (License: CC BY 2.0). [↩ Back]
    72. 画像の出典:"DSC_2148" by Ting Him Mak on Flickr (License: CC BY 2.0). [↩ Back]
    73. 画像の出典:"DSC_2147" by Ting Him Mak on Flickr (License: CC BY 2.0). [↩ Back]
    74. 出典:辛嶋静志 (2017年) 「六 敦煌写本の「変」と「変文」の意味」, 「「変」、「変相」、「変文」の意味」, 『印度學佛教學研究』, 65巻 2号, 738ページ2段目. [↩ Back]
    75. 引用文のなかの太文字や赤文字などの文字装飾は、引用者によるものです。 [↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    76. 出典:辛嶋静志 (2017年) 「一―三 「壁画」を意味する「変」」, 「一 漢訳で「像」を意味する「変」」, 「「変」、「変相」、「変文」の意味」, 『印度學佛教學研究』, 65巻 2号, 734ページ1段目. [↩ Back]
    77. 画像の出典:葛飾北斎 (絵画) 「世尊大神通懲魔軍図」, 『釈迦御一代図会 4』(『釈迦御一代記図絵 4』), 国立国会図書館デジタルコレクション, コマ番号: 16 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています. [↩ Back]
    78. 画像の出典:葛飾北斎 (絵画) 「三迦葉与魔軍闘神通図」, 『釈迦御一代図会 5』(『釈迦御一代記図絵 5』), 国立国会図書館デジタルコレクション, コマ番号: 6 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています. [↩ Back]
    79. 書誌情報:寺島良安(編纂者) ([江戸時代]) 魍魎もうりょう, 『和漢三才図会 巻第四十:寓類 怪類』. [↩ Back][↩ Back]
    80. 画像の出典:魍魎もうりょう, 「和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻. [27]」, 国立国会図書館デジタルコレクション, コマ番号:20 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています. [↩ Back]
    81. 画像の出典:魍魎もうりょう, 「和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻. [27]」, 国立国会図書館デジタルコレクション, コマ番号:20 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています. [↩ Back]
    82. 参考文献: 〔酒顚童子しゅてんどうじ(酒呑童子しゅてんどうじ)の話が記載されている部分(コマ番号: 151(左側のページ)~152(右側のページ)(1575ページ~1576ページ))〕, 林忠(林羅山はやしらざん) [共撰者], 林恕(林鵞峰はやしがほう) [共撰者], 「治安元年」, 「後一條天皇二(後一条天皇 二)」, 「續本朝通鑑卷第二十四(続本朝通鑑 巻第二十四) 自治安元年至同三年」, 早川純三郎 [発行者(国書刊行会代表者)], (1919年), 本朝通鑑ほんちょうつがん 第6 (国書刊行会本)』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), 国書刊行会. [↩ Back]
    83. 参考文献: 〔酒顚童子しゅてんどうじ(酒呑童子しゅてんどうじ)の話が記載されている部分(コマ番号: 23(左側のページ)~24(右側のページ)(19丁表~19丁裏 (和装本わそうぼん)))〕, 林羅山はやしらざん [編集], 林春斎(林鵞峰はやしがほう) [編集], 〔治安元年の条文〕, 「後一條天皇(後一条天皇)」, 「本朝通鑒巻第二十九(本朝通鑑 巻第二十九) 自長和元年至同五年」, 林昇 [校訂], 大槻東陽 [訓解], 渡辺約郎 [訓解], (1875年), 本朝通鑑ほんちょうつがん : 標記 巻第29』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), 大槻東陽 [蔵梓]. [↩ Back]
    84. 注記: 参考文献に記載されている文章を参考にして、引用者が、旧字体の漢字を新字体に変更したり、よみがな読み仮名ふりがな振り仮名を追加したりするなどの、変更を加えました。 [↩ Back]
    85. 注記: 本朝通鑑ほんちょうつがんの成立年代は、1670年(寛文かんぶん10年(江戸時代初期))です。 [↩ Back]
    86. 出典: 蒲松齢ほしょうれい 「聊斎自誌」, 蒲松齢ほしょうれい(著者), 増田渉(翻訳), 松枝茂夫(翻訳), 常石茂(翻訳) 「聊斎自誌」, (2009年), 聊斎志異りょうさいしい:中国怪異譚 1』, 平凡社ライブラリー, 平凡社, 15ページ. [↩ Back]
    87. 出典: 田島征彦 (1987年) 『とんとんみーときじむなー (絵本・ちいさななかまたち)』, 童心社. [↩ Back][↩ Back]
    88. 出典: 馬場あき子 (1988年) 「鬼と日本の〈おに〉」, 「2 〈おに〉と鬼の出会い」, 「一章 鬼の誕生」, 『鬼の研究 (ちくま文庫)』, 筑摩書房, 31ページ. [↩ Back]
    89. 出典: 山本陽子 (2007年) 「四 御衣木の放光伝説」, 「祟る御衣木と造仏事業 : なぜ霊木が仏像の御衣木に使われたのか」, 『明星大学研究紀要. 日本文化学部・言語文化学科』, 第15号, 明星大学青梅校, 78ページ2段目. [↩ Back]
    90. 出典: 山本陽子 (2007年) 「四 御衣木の放光伝説」, 「祟る御衣木と造仏事業 : なぜ霊木が仏像の御衣木に使われたのか」, 『明星大学研究紀要. 日本文化学部・言語文化学科』, 第15号, 明星大学青梅校, 79ページ2段目~80ページ1段目. [↩ Back]
    91. 出典: 菱沼右一 「北海道樺太地名考」, 「アイヌ語より見た日本地名新研究」, 池田末則 [編集・解説], (2005年), 『近代地名研究資料集 第5巻』, クレス出版, 276ページ. [↩ Back]
    92. 出典: 山崎時叙 「一 近江山神信仰の内容」, 「近江山神信仰の民俗学的研究」, 「第四篇 近畿霊山と民間信仰」, 五来重 [編集], (1978年), 『近畿霊山と修験道 (山岳宗教史研究叢書 11)』, 名著出版, 437ページ. [↩ Back]
    93. この写真は、2020年11月に筆者が撮影した写真です。 [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    94. 参考文献: 『山家要略記さんげようりゃっき』(神宮文庫本), 神道大系編纂会 [編], (1993年), 『神道大系 論説編 4 : 天台神道 (下)』, 神道大系編纂会, 107ページ. [↩ Back][↩ Back]
    95. 画像の出典: 歌川豊国(3世)(香蝶楼豊国) [絵画] (1852年) 「不動 不動明王の霊像・矜羯羅童子・制多伽童子」, 『歌舞伎十八番』, ゑひすや, 国立国会図書館デジタルコレクション (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています. [↩ Back][↩ Back]
    96. 出典: 〔矜羯羅童子こんがらどうじ矜羯囉童子こんがらどうじ)についての記述があるページ(コマ番号: 111(左側のページ)~113(右側のページ)(213ページ~216ページ))〕, 「国訳聖無動尊一字出生八大童子秘要法品」(『聖無動尊一字出生八大童子秘要法品しょうむどうそんいちじしゅっしょうはちだいどうじひようほうぼん』), 塚本賢暁 [編集・翻訳], (1922年), 『国訳密教 : 経軌 第4』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), 国訳密教刊行会. [↩ Back]
    97. 参考: 「T21N1204 聖無動尊一字出生八大童子祕要法品」, 「WWW Database of Chinese Buddhist texts」 (maintained by Christian Wittern (ウィッテルン・クリスティアン 教授) ), (旧)漢字情報研究センター東アジア人文情報学研究センター), 京都大学人文科学研究所, 京都大学. [↩ Back][↩ Back]
    98. 出典: 景山春樹 (1978年) 「一、三塔・九院・十六谷」, 「Ⅰ 序にかえて」, 『比叡山寺 : その構成と諸問題』, 同朋舎, 10~11ページ. [↩ Back]
    99. 書誌情報:「第六図 智証大師坐像 木彫 作者不詳」, 東京帝室博物館(編集), (1913年), 『帝国美術史料 第5-10輯』, 尚美館. [↩ Back]
    100. 画像の出典:「第六図 智証大師坐像 木彫 作者不詳」, 『帝国美術史料. 第8輯』, 国立国会図書館デジタルコレクション, コマ番号:14~15 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています. [↩ Back]
    101. この写真は、2018年1月に筆者が撮影した写真です。 [↩ Back][↩ Back]
    102. 出典:「地形」, 「一 比叡山の自然」, 「前編」, 延暦寺執行局(編集), (改訂版の改訂者・加筆者: 景山春樹), (初版本の編纂者: 小牧実繁, 景山春樹, 近藤豊, 村山修一, 毛利久, 小林博), (1974年), 『比叡山』(改訂版)(再版 第八回), 比叡山延暦寺, 11~12ページ. [↩ Back]
    103. この写真は、2018年11月に筆者が撮影した写真です。 [↩ Back][↩ Back]
    104. 出典: 〔制多迦童子せいたかどうじ制多伽童子せいたかどうじ)(制吒迦童子せいたかどうじ)(制託迦童子せいたかどうじ)についての記述があるページ(コマ番号: 111(左側のページ)~113(右側のページ)(213ページ~216ページ))〕, 「国訳聖無動尊一字出生八大童子秘要法品」(『聖無動尊一字出生八大童子秘要法品しょうむどうそんいちじしゅっしょうはちだいどうじひようほうぼん』), 塚本賢暁 [編集・翻訳], (1922年), 『国訳密教 : 経軌 第4』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), 国訳密教刊行会. [↩ Back]
    105. 出典: 智顗 [説者], 灌頂 [記録者], 関口真大 [校注], 「三 犯戒の相」, 「第一項 持戒清浄なれ」, 「第一節 五縁を具えよ」, 「第六章 止観のための前方便(承前)」(巻第四の上), (1966年), 摩訶止観まかしかん : 禅の思想原理 上 (岩波文庫)』, 岩波書店, 208ページ. [↩ Back]
    106. 賢者ギードの言葉, 『ファイナルファンタジーV』(参考: 「【FF5】Final Fantasy V Advance #26 ギードの祠 - YouTube」). [↩ Back]
    107. 出典: 高橋昌明 (2005年) 「四、中国小説の日本への渡来」, 「第二章 酒呑童子のふるさと : 中国の小説・伝説に探る」, 『酒呑童子の誕生 : もうひとつの日本文化』, 中公文庫, 中央公論新社, 98~99ページ. [↩ Back][↩ Back]
    108. 画像の出典: 孫悟空そんごくうを描いた挿絵〕, 呉承恩 [原作], 中島孤島 [翻訳] (1949年) 『西遊記』, 国立国会図書館デジタルコレクション, 富山房, コマ番号: 16 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています. [↩ Back]
    109. 画像の出典: 孫悟空そんごくうが、「斉天大聖せいてんたいせい」と書かれた旗を掲げさせている場面の挿絵〕, 呉承恩 [原作], 中島孤島 [翻訳] (1949年) 『西遊記』, 国立国会図書館デジタルコレクション, 富山房, コマ番号: 36 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています. [↩ Back]
    110. 画像の出典:「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん」, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』, 佛書刊行會(仏書刊行会), 2226ページと2227ページの間に挿入されている水天すいてんが描かれている5つの絵図のうちの第3絵図, (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [↩ Back]
    111. 参考:〔水天すいてんの絵図(第3絵図)〕, 「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), コマ番号:132~142 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [↩ Back][↩ Back]
    112. 参考文献: 〔水天についての記述があるページ(コマ番号: 132(右側のページ2段目)(2224ページ2段目))〕, 「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), 佛書刊行會(仏書刊行会). [↩ Back]
    113. 参考文献: 〔水天についての記述があるページ(コマ番号: 24(右側のページ2段目)(40ページ2段目))〕, 円珍 [撰], 「序品之余」, 「巻第二」, 菩提場経略義釈ぼだいじょうきょうりゃくぎしゃく, 日本大蔵経編纂会 [編集], (1918年), 『日本大蔵経 第36巻 (経蔵部 密経部章疏 下 2)』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), 日本大蔵経編纂会. [↩ Back]
    114. 参考文献: 辻直四郎(翻訳) (1970年) 「三」, 「その四(七・六五)」, 「ミトラとヴァルナの歌」, 『リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫)』, 岩波書店, 138ページ. [↩ Back]
    115. 参考文献: 辻直四郎(翻訳) (1970年) 「四」, 「その二(二・二八)」, 「ヴァルナの歌」, 『リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫)』, 岩波書店, 126ページ. [↩ Back]
    116. 参考文献: 辻直四郎(翻訳) (1970年) 「三」, 「その三(七・八八)」, 「ヴァルナの歌」, 『リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫)』, 岩波書店, 128ページ. [↩ Back]
    117. 画像の出典:「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん」, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』, 佛書刊行會(仏書刊行会), 2226ページと2227ページの間に挿入されている水天すいてんが描かれている5つの絵図のうちの第1絵図, (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [↩ Back]
    118. 参考:〔水天すいてんの絵図(第1絵図)〕, 「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), コマ番号:132~142 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [↩ Back]
    119. 画像の出典:「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん」, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』, 佛書刊行會(仏書刊行会), 2226ページと2227ページの間に挿入されている複数の絵図のうちの第2絵図, (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [↩ Back]
    120. 参考:〔水天すいてんの絵図(第2絵図)〕, 「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), コマ番号:132~142 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [↩ Back]
    121. 画像の出典:「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん」, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』, 佛書刊行會(仏書刊行会), 2226ページと2227ページの間に挿入されている水天すいてんが描かれている5つの絵図のうちの第3絵図, (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [↩ Back]
    122. 画像の出典:「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん」, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』, 佛書刊行會(仏書刊行会), 2226ページと2227ページの間に挿入されている水天すいてんが描かれている5つの絵図のうちの第4絵図, (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [↩ Back]
    123. 参考:〔水天すいてんの絵図(第4絵図)〕, 「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), コマ番号:132~142 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [↩ Back]
    124. 画像の出典:「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん」, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』, 佛書刊行會(仏書刊行会), 2226ページと2227ページの間に挿入されている水天すいてんが描かれている5つの絵図のうちの第5絵図, (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [↩ Back]
    125. 参考:〔水天すいてんの絵図(第5絵図)〕, 「阿娑縛鈔第百五十七 水天すいてん, 『阿娑縛抄』あさばしょう, 佛書刊行會(仏書刊行会)(編纂), (1914年), 『大日本仏教全書 第40巻 阿娑縛抄 第6』(国立国会図書館デジタルコレクション)(国立国会図書館オンラインのページ), コマ番号:132~142 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [↩ Back]
    126. 出典: 辻直四郎(翻訳) (1970年) 「一」, 「ヴァルナとミトラ、アーディティア神群」, 『リグ・ヴェーダ讃歌 (岩波文庫)』, 岩波書店, 120~121ページ. [↩ Back]
    127. この絵図のイメージ画像は、香取本(かとりぼん)大江山絵詞(おおえやまえことば)』の絵図(現状の絵巻の原本の「下巻 第七絵図」)をもとにして、筆者(倉田幸暢)が制作したものです。[↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    128. 画像の出典: 「File:Medusa uffizi.jpg - Wikimedia Commons」(「メデューサの首」(「Medusa's Head」), 作者不明, ウフィツィ美術館(The Uffizi Galleries(Gallerie degli Uffizi))所蔵). [↩ Back]
    129. 参考: この絵画作品についての Wikipedia のページ : 「Medusa (Leonardo) - Wikipedia」. [↩ Back]
    130. 参考: ウフィツィ美術館(英語: The Uffizi Galleries, イタリア語: Gallerie degli Uffizi). [↩ Back]
    131. 〔メデューサの首を切り落としたペルセウス〕. 画像の出典: "Domenico Marchetti | Perseus with the head of Medusa. from "Oeuvre de Canova: Recueil de Statues ..."" (「メデューサの首を持つペルセウス」(Perseus with the head of Medusa)) (public domainパブリック・ドメイン) on The Met Collection, The Metropolitan Museum of Art (メトロポリタン美術館). [↩ Back]
    132. 〔ゴリアテの首を切り落としたダビデの像〕. 画像の出典: "Bartolomeo Bellano | David with the Head of Goliath | Italian, Padua" (「ダビデとゴリアテの首」(David with the Head of Goliath)) (public domainパブリック・ドメイン) on The Met Collection, The Metropolitan Museum of Art (メトロポリタン美術館). [↩ Back]
    133. 出典: (1997年) 「タタリ神」, スタジオジブリ(責任編集), 『The art of the Princess Mononoke : もののけ姫 (Ghibli the art series)』, スタジオジブリ, 7ページ. [↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    134. 参考文献: 「衣川村」, 『近江輿地志略おうみよちしりゃく : 校定頭註』. [↩ Back]
    135. 参考: 「小椋神社web - 御由緒」, 2021年2月5日閲覧. [↩ Back]
    136. 注記: 「葉広はびろの山」(葉広山はびろやま)というのは、仰木おおぎ地区にある小椋おぐら神社のある場所のあたりのことを指す地名であるようです。(参考: 「大津のかんきょう宝箱 眼の生水の宮(仰木4)」, 2021年2月5日閲覧.) [↩ Back]
    137. 注記: 「葉広山」という地名は、「はびろやま」と読むようです。(参考:
      資料名「錦局他撰月並句合丁摺集、奉額醍醐腹帯地蔵尊、奉額西湖仰木葉広山虚空蔵堂風月翁山歌追善発句合、松門亭選見立百人一首月並発句合」(きんきょくほか せんつきなみくあわせちょうずりしゅう ほうがくだいごはらおびじぞうそん ほうがくせいこあおきはびろやまこくぞうどうふうげつおうさんかついぜんほっくあわせ しょうもんていせんみたてひゃくにんいっしゅつきなみほっくあわせ), 「ARC古典籍ポータルデータベース 詳細書誌」, ARC古典籍ポータルデータベース, 立命館大学アート・リサーチセンターArt Research Center, Ritsumeikan University), 2021年2月5日閲覧.) [↩ Back]
    138. 出典: 「衣川きぬがわ」, 「志賀郡」, 『淡海温故録』巻之四, (1976年), 『近江史料シリーズ 2 本編 : 淡海温故録(稽古蔵本)』, 滋賀県地方史研究家連絡会(滋賀県立図書館内), 92ページ2段目~93ページ1段目. [↩ Back]
    139. 出典: 「きぬがわ 衣川〈大津市〉」, 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 [編集], (1979年), 『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』, 角川書店, 279ページ左側の列. [↩ Back]
    140. 出典: 「衣川村」, 『近江輿地志略おうみよちしりゃく : 校定頭註』. [↩ Back]
    141. 出典: 小栗栖健治 [著者] 「小椋おぐら神社 大津市仰木町」, 「湖西地方」, 「近江」, 谷川健一 [編集], (1986年), 『日本の神々: 神社と聖地 第5巻 (山城・近江)』, 白水社, 325~326ページ. [↩ Back]
    142. 丹生川上神社にうかわかみじんじゃ」(参考: 「丹生川上神社 - Wikipedia」.) [↩ Back]
    143. 出典: 小栗栖健治 [著者] 「水分みくまり神社 滋賀郡志賀町栗原」, 「湖西地方」, 「近江」, 谷川健一 [編集], (1986年), 『日本の神々: 神社と聖地 第5巻 (山城・近江)』, 白水社, 342~344ページ. [↩ Back]
    144. 参考: 「琵琶湖八景・近江八景|滋賀県ホームページ」. [↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    145. この写真は、2019年7月に筆者が撮影した写真です。 [↩ Back][↩ Back][↩ Back][↩ Back]
    146. 出典:「気象」, 「一 比叡山の自然」, 「前編」, 延暦寺執行局(編集), (改訂版の改訂者・加筆者: 景山春樹), (初版本の編纂者: 小牧実繁, 景山春樹, 近藤豊, 村山修一, 毛利久, 小林博), (1974年), 『比叡山』(改訂版)(再版 第八回), 比叡山延暦寺, 16ページ. [↩ Back][↩ Back]
    147. 出典: 景山春樹 (1978年) 「比叡山の歴史」, 「付・講演録」, 『比叡山寺 : その構成と諸問題』, 同朋舎, 313ページ. [↩ Back]
    148. 出典: 田中日佐夫 (1973年) 「水・火のまつり」, 「一 はつくにしらす王の国、近江 : 三上山と日子坐王の伝説」, 『近江古寺風土記』, 学生社, 38ページ. [↩ Back]
    149. 出典: 水田有夏志 (2010年) 「近江の滝の特徴」, 「近江の滝序説」, 『近江の滝 (別冊淡海文庫 ; 18)』, サンライズ出版, 30~31ページ. [↩ Back]
    150. 出典: 景山春樹 (1978年) 「比叡山の歴史」, 「付・講演録」, 『比叡山寺 : その構成と諸問題』, 同朋舎, 313~314ページ. [↩ Back]
    151. 出典: 景山春樹 (1978年) 「比叡山の歴史」, 「付・講演録」, 『比叡山寺 : その構成と諸問題』, 同朋舎, 309~310ページ. [↩ Back]
    152. 参考文献: 「一 めに見えぬ鬼神をもと云う事」, 「(1) 伝尊円『古今序注』」, 今野達, 「語園漫考(二) : ねんねん唄由来・浦島二則・玉泉坊の鬼」, 横浜国立大学国語・日本語教育学会 [編集], (1987年), 『横浜国大国語研究 第05号』, 横浜国立大学国語国文学会, 67ページ2段目~68ページ1段目. [↩ Back]
    153. 出典: 中島敦なかじまあつし 『環礁 : ミクロネシヤ巡島記抄』, 池澤夏樹 [個人編集], (2016年), 『日本文学全集 16 : 宮沢賢治 中島敦』, 河出書房新社, 270ページ. [↩ Back]
    154. 注記: ここで自分のことを、「むかしは、修行しゅぎょうをつんだ法師ほうし」(「むかし行ひおこないせし法師ほうし」)であると発言しているこの物の怪もののけは、紺青鬼こんじょうきであるとされています。

      (参考: 「むかしはおこなひせしほうし ○紺青鬼のことをひけり」(出典: 三条西公条さんじょうにし きんえだ手習てならい」〔のじょう(第53じょう)についての注釈〕, 『源氏物語細流抄げんじものがたり さいりゅうしょう』巻十六(『細流抄さいりゅうしょう』巻十六), 本居豊穎 [校訂], 木村正辞 [校訂], 井上頼囶 [校訂], (1978年), 『源氏物語古註釈大成 第5巻 (日本文学古註釈大成) : 源氏物語細流抄・源氏官職故実秘抄』, 日本図書センター, 611ページ1段目.)) [↩ Back][↩ Back]

    155. 注記: 細流抄さいりゅうしょうは、室町時代後期(戦国時代)に、三条西公条さんじょうにし きんえだという人が書いた、『源氏物語げんじものがたり』の注釈書です。 [↩ Back][↩ Back]
    156. 参考文献: 紫式部むらさきしきぶ [著者] 第53じょう手習てならい」, 『源氏物語げんじものがたり』, 玉上琢弥 [訳注], (2014年), 『源氏物語(10) 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)』(Kindle版), KADOKAWA. [↩ Back]
    157. 注記: この引用文のなかの、〔〕(亀甲括弧)内の言葉は、引用者による注記です。 [↩ Back]
    158. 出典: 牧野和夫 (1993) 「中世聖徳太子伝と説話 : “律”と太子秘事・口伝・「天狗説話」」, 本田義憲 [ほか]編, 『説話の講座 第3巻』, 勉誠社; 247ページ, 249ページ. [↩ Back]