Over the Death Fence(*1)

 

僕がもし、今まさに飛び降りんとするその二人と、フェンス越しに話をするチャンスに恵まれたとして、何を言えば、また何をしたら、二人は金網のこっちに戻ってきてくれるんだろうか。

――― 幸村誠、『プラネテス』第3巻 (*2)

そんなアルネイズに
「だから生きろ」と言えるだけの言葉が
すぐには出てこなかった
 
死を超えるものが欲しい
 
アルネイズに胸を張って語ることができる
死を超えた救いと安らぎが生者の世界に欲しい
 
無いなら 作る
 

――― トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第13巻 (*3)

 

目次
  1. はじめに
  2. 「なぜ・・・・・生きなければならないの?」
    1. 「死ぬ理由はないけど生きてる理由もない」と書き遺して死んだ二人の女の子
    2. 「穿つ問い掛け」
    3. 「アルネイズのために」という言葉に込められた、もうひとつの意味
      1. 第93話の扉絵の、微笑むアルネイズの絵が意味するもの
    4. 「死ぬとか、生きるとか、それらの意味とか」「やっぱり考えてしまうのです」
  3. 行き場のない人たちはどこへ行けばいいのか?
    1. 「行き場のない人たち」
    2. 「ここではないどこかに・・・・・・」
    3. 「私は船に乗りたいの!」
    4. 孤独な「家なき鳥」クリーア
    5. 「そのために生きなさい」
    6. 「世界はそこだけ、なんて風に考えるのはかなしい」
    7. 「きっといたと思います」
  4. 「本当の戦士」とはなにか?
    1. トールズが目指したもの
    2. アシェラッドが待ち望んだ「英雄」
    3. 「世界最強」のトルケルより強い者
    4. トルフィンの「本当の戦い」
      1. 「誓い」
      2. 「本当の戦い」
      3. 「最初の手段」
      4. 「戦士の誕生」
      5. 「無敵」
    5. 「まず逃げなさい」
      1. 「勝手に二択にするな」
    6. 「こうだったらいいのになとボクが願う主人公像、人間像」
      1. 「だめだった時期の経験もすべて無駄にならないような成長過程を経ているんじゃないか」
  5. 「愛」とはなにか?
    1. 「悪魔みたいな男」ロックスミスの「愛」
    2. 「酒呑み坊主」ヴィリバルドが語る「愛」と「愛という名の差別」
    3. 「叛逆の帝王」クヌートの「愛」と「楽土」
      1. 「ふたつの楽土」
    4. 「惑う人」星野八郎太の「愛」と「つながり」
    5. 「プラネテス」の意味は「迷い子たち」
    6. 「人は人にとって」
  6. なぜ生きるのか、なぜ描くのか
    1. 「漫画という「考える装置」」
    2. 「ボクは、ボクが教わったことを全力でこの漫画に描くつもりです」
  7. そのほかの話題
    1. 2つの「プロローグの終わり」
    2. 実在の人物であるトルフィン
    3. アニメ版の『プラネテス』のご紹介
    4. アニメ版の、いろいろな言語での「プラネテス」という言葉のモーフィング映像について
    5. 『ヴィンランド・サガ』が、ついにアニメ化!
    6. 『ヴィンランド・サガ』のトルフィンが、ゲームや、ショートアニメに登場!
    7. 『プラネテス』に登場した印象的な言葉
  8. 参考資料
    1. 参考資料:マンガ『プラネテス』関連
      1. インタビュー記事
    2. 参考資料:アニメ『プラネテス』関連
    3. 参考資料:マンガ『ヴィンランド・サガ』関連
      1. インタビュー記事

はじめに

『ヴィンランド・サガ』や、『プラネテス』というマンガの作者である、幸村誠さんという漫画家さんがおられます。

ぼくは、『ヴィンランド・サガ』と、『プラネテス』は、ほんとうにすばらしい作品だと、こころの底からおもいます。

もし、「あなたが1番おもしろいとおもうマンガを紹介してください」と誰かに聞かれたら、『プラネテス』と『ヴィンランド・サガ』を紹介します。

それくらい、この2つのマンガはすばらしい作品だとおもいます。

また、そういった作品を描いていらっしゃる作者である幸村誠さんも、とても興味深い人だとおもいます。

『プラネテス』と、『ヴィンランド・サガ』には、作者である幸村誠さんの問題意識があらわれているように感じられるところがたくさんあります。

そこで、今回は、「幸村誠さんが、『ヴィンランド・サガ』や『プラネテス』の作品を描くにあたって、どんな思いをもってマンガを描かれているのだろうか?」、ということをかんがえてみたいとおもいます。

▲ もくじへもどる

「なぜ・・・・・生きなければならないの?」

「死ぬ理由はないけど生きてる理由もない」と書き遺して死んだ二人の女の子

冊子版の『プラネテス』第3巻のカバーの折り返しのところに、作者である幸村誠さんの言葉として、つぎのようなことが書かれています。(この文章は、冊子版でしか見ることができず、残念ながら、Kindle版には載っていません。)

だいぶ昔のニュースですが、10代の女の子が二人、「死ぬ理由はないけど生きてる理由もない」という内容の遺書を遺してビルの上から飛び降りて死んだ、というのをTVで見ました。ときどきその子達の事を考えます。僕がもし、今まさに飛び降りんとするその二人と、フェンス越しに話をするチャンスに恵まれたとして、何を言えば、また何をしたら、二人は金網のこっちに戻ってきてくれるんだろうか。4コママンガの3コマ目まで見せて、金網のこっちにきたら4コマ目を見せたげるー、という手はどうだろう。けっこーイケるんじゃないかしら。でも、スンゴク面白いやつじゃないと効果はないよなぁ。4コマ目で死ぬほど爆笑のオチがついて、彼女らの気分が変わって、元気になって、明日また学校に行けるようになるといいなぁ。そんな力を持った漫画が描けたら、バカ売れまちがいなしだなぁ。描けるといいなぁ。

(幸村誠、『プラネテス』第3巻、カバーの折り返しのところの文章) (*2)

この文章を読んでいると、「死んだりしてほしくない。元気になってほしい。そんなふうになってもらえるようなマンガを描きたい」という、幸村誠さんの気持ちがつたわってくるような気がします。

このことは、幸村誠さんのなかで、おおきなテーマのひとつなのではないかと、『ヴィンランド・サガ』を読んでいておもいます。

それは、『ヴィンランド・サガ』の物語のなかに、上記のような問題意識があらわれているのを感じるところがあるからです。

ここからは、そのことについてかんがえてみたいとおもいます。

▲ もくじへもどる

「穿つ問い掛け」

Luty 1993 Gorczyn cemetery in Poznan (*4)

 

・・・・・・・・・

あの音がする・・・
 
 
聞いたことあるわ・・・・・・

村を・・・・・・
焼かれたときの音・・・・・・
 
 
世界が

壊れる音・・・・・・

――― アルネイズの言葉、『ヴィンランド・サガ』第13巻 (*5)

 

『ヴィンランド・サガ』の第13巻のなかに、すべてを失い死を受け入れようとする重傷のアルネイズを、トルフィンやエイナルがなんとかして懸命に引き留めようとする場面があります。

死に 喚ばれている・・・・・・

どうすれば・・・
なんて言えばいい!?

彼女の魂をこの世につなぎ留めるには・・・・・・

(トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第13巻、154ページ) (*6)

なぜ・・・・・・
生きなければならないの?

苦しいばかりなのに・・・・・・

なぜ・・・・・・・・・
私は・・・・・・・・・

生きなければならないの・・・?

(アルネイズの言葉、『ヴィンランド・サガ』第13巻、162~163ページ) (*7)

トルフィンとエイナルは、なんとかしてアルネイズを死から呼び戻そうとするのですが、アルネイズは亡くなってしまいます。

皆が悲しみに黙するなか、「なぜ生きなければならないのか」というアルネイズの問いにこたえるようにして、トルフィンは、かつて、父であるトールズが死にゆく逃亡奴隷の男性に語りかけたときとおなじように (*8)、亡骸となったアルネイズにヴィンランドのことを語ります。 (*9)

まるで、アルネイズの魂に語りかけるかのように、自分自身に言い聞かせるかのように。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
はるかな西・・・・・・
 
 
大海の向こうに
ヴィンランドという名の・・・・・・
土地がある
 
 
そこは暖かく豊かで・・・・・・
奴隷商人も戦の炎も届かない遠い地だ

そこならきっとあなたも苦しまずに生きていける
 
 
アルネイズさん
オレ達と一緒にそこへ行こう

ヴィンランドに平和な国を作ろう

(アルネイズの問いに対して語りかけるトルフィン、『ヴィンランド・サガ』第13巻、169~171ページ) (*10)

 

「そこは暖かく豊かで・・・・・・ 奴隷商人も戦の炎も届かない遠い地だ」(*11)

▲ もくじへもどる

「アルネイズのために」という言葉に込められた、もうひとつの意味

その後、アルネイズの墓の前で、トルフィンはエイナルにつぎのようなことを話し、2人は「ヴィンランド」を目指す決意をします。

「なぜ生きなければならないのか」
 
アルネイズにそう問われた時
すぐには言葉が出てこなかった
 
彼女はもう・・・・・・
死よりも魅力あるものを全て失くしたんだ
 
生きなければならない責任も全て失くした
 
彼女にとって死は恐怖じゃない
 
最後の救い・・・・・・
完全なやすらぎだ
 
そんなアルネイズに
「だから生きろ」と言えるだけの言葉が
すぐには出てこなかった
 
 
死を超えるものが欲しい
 
 
アルネイズに胸を張って語ることができる
死を超えた救いと安らぎが生者の世界に欲しい
 
 
無いなら 作る
 
 
立て エイナル
 
 
兄弟 一緒に来い
ヴィンランドに平和の国を作る
 
やろう 兄弟
海の向こうに 奴隷も戦争もない国を作ろう
 
 
アルネイズのために
 
 

(トルフィンとエイナルの会話、『ヴィンランド・サガ』第13巻、185~190ページ) (*12)

File:Starr 041029-0266 Cenchrus ciliaris.jpg (*13)

ここでトルフィンとエイナルが口にする、「アルネイズのために」という言葉は、もちろん、アルネイズその人のことを指しています。

ですが、そのほかにも、幸村誠さんのなかでは、この「アルネイズのために」という言葉には、「「生きている理由がない」と言って死んでいった二人の女の子のために」という気持ちも込められているのではないかとおもいます。

きっと、幸村誠さんは、「生きている理由がない」と言って死んでいった二人の女の子の姿と、アルネイズの姿を重ねているのではないかとおもいます。

トルフィンたちにとっての「ヴィンランド」という場所と、幸村誠さんにとっての『ヴィンランド・サガ』という作品は、どちらもおなじように、行き場のない人たちが、死を選んだりせずに、元気に生きていけるようになるようなものなのではないでしょうか。

トルフィンたちは、行き場のない人たちのために「ヴィンランド」を目指し、幸村誠さんは、行き場のない人たちのために『ヴィンランド・サガ』を描く。

そのようなところもあるのではないかとおもいます。

つまり、この「アルネイズのために」という言葉には、現実の社会のなかで生きている「行き場のない人たちのために」という、幸村誠さんの気持ちも込められているのではないかとおもいます。

 

また、さきほどのトルフィンとエイナルの会話のなかにある、「無いなら 作る」というトルフィンの言葉は、「生者の世界に救いと安らぎがないのなら、それを実現させるために、自分(トルフィン)がヴィンランドに平和の国を作る」という意味です。

ですが、それと同時に、この「無いなら 作る」という言葉には、「生者の世界に救いと安らぎがないのなら、それを実現させるために、自分(幸村誠さん)がマンガを描く」というような、作者である幸村誠さんの気持ちも込められているような気がします。

▲ もくじへもどる

第93話の扉絵の、微笑むアルネイズの絵が意味するもの

『ヴィンランド・サガ』第13巻の155ページにある、「第93話 戦士の誕生」の扉絵は、微笑むアルネイズの絵になっています。

この「第93話 戦士の誕生」は、アルネイズが絶望のなかで亡くなってしまうという、とても悲しい話です。

それにもかかわらず、この話数の扉絵が、微笑むアルネイズの絵になっているのはなぜでしょうか?

その理由は、おそらく、つぎのようなことではないかとおもいます。

この話数の最後のところで、アルネイズの死を経たトルフィンとエイナルは、彼女のような行き場のない人たちのために、ヴィンランドに「救いと安らぎ」のある平和の国を作ることを決意します。

第93話の扉絵は、その決意を反映して、いつかトルフィンたちがヴィンランドで作ることになる「救いと安らぎ」のある平和の国の実現を予感させるような絵になっているのではないかとおもいます。

そしてまた、この扉絵の、微笑むアルネイズの姿は、きっと、その「救いと安らぎ」のある平和なヴィンランドの地で、幸せに暮らしているアルネイズの姿なのではないかとおもいます。

また、さきほど、幸村誠さんは、「生きている理由がない」と言って死んでいった二人の女の子の姿と、アルネイズの姿を重ねているのではないか、ということをお話しました。

もしそうだとすれば、きっと、幸村誠さんの気持ちとしては、「この微笑むアルネイズのように、あの二人の女の子にも、そしてまた、彼女たちとおなじような境遇にあるほかの人たちにも、笑顔でいてほしい」という気持ちを込めて、第93話の扉絵を微笑むアルネイズの絵にしたのではないかとおもいます。

また、それと同時に、この第93話の扉絵の微笑むアルネイズの絵には、「自分が描くマンガが、人々が生きる意味を見つけられる「場所」である「ヴィンランド」のような、「よりどころ」になってほしい」という、幸村誠さんの気持ちも込められているような気がします。

そして、この扉絵のなかのアルネイズの背景に広がっている風景は、きっと、「本当の戦い」を戦い抜いて、いつか「答え」を見つけ出し、「本当の戦士」になったトルフィンの、心と身体の両方がたどり着くことになる、「ヴィンランド」の心象風景なのだろうとおもいます。

 

A Heron in flight at Loch Spynie - geograph.org.uk - 1408177(*14)

 

マルクランドを後にし・・・・・・
ワシらの船はさらに南へ下った

“もっともっと豊かな土地が南にある“
風がそう告げていたのだ

そしてワシは見つけた

果物が実り草原が波打つあの新天地をな

ワシは彼の地に小屋を建て名をつけた

ヴィンランドと

――― レイフ・エイリクソン、『ヴィンランド・サガ』第1巻 (*15)

▲ もくじへもどる

「死ぬとか、生きるとか、それらの意味とか」「やっぱり考えてしまうのです」

『プラネテス』第4巻(冊子版)と、『ヴィンランド・サガ』第13巻(冊子版)の、カバーの折り返しのところに、作者である幸村誠さんの言葉として、それぞれ下記のような文章が掲載されています。 (*16)

これらの言葉のなかにあるように、幸村誠さんは、死ぬことや、生きることや、それらの意味について、いろいろと考えてしまう性分のようです。

そんな幸村さんだからこそ、「「生きている理由がない」と言って死んでいった二人の女の子」の事件に対して深く感じるものがあったのではないかとおもいます。

そして、だからこそ、アルネイズのあの「問い」と、それになんとか答えようとしたトルフィンの言葉が、出てきたのではないかとおもいます。

トルフィンとエイナルは、胸が締めつけられるようなアルネイズの「問い」に答えるようにして、「ヴィンランドに救いと安らぎのある平和の国を作る」ということを誓います。

ですが、これは、トルフィンとエイナルの誓いであると同時に、作者の幸村誠さんの誓いでもあるのではないかという気がします。

つまり、トルフィンたちの「救いと安らぎのある平和の国を作る」という言葉の裏には、「読んだ人に救いと安らぎを与えることができて、そのことで、その人が元気になったり、生きたいとおもってもらえるようなマンガを描くんだ」というような、作者である幸村誠さんのつよい気持ちも込められているような気がするのです。

そして、もし、あの二人の女の子のように、「生きている理由がない」とおもっている人がいたら、自分の作品を読んでもらうことで、元気になってほしい。

そのような気持ちを、もっておられるのではないかなとおもいます。

死ぬとか、生きるとか、それらの意味とか、宇宙のこととか、戦争とか、平和とか、かわいいあの子のこととか、ケンカ別れしたままの友達のこととか、昔やらかした大失敗を後悔したりとか、僕の脳ミソはだいたいその手の「考えたってしょーがないだろ」系の問題でいっぱいいっぱいです。答えのないことをダラダラ考えて時間をムダにして、時間のムダだからとりあえず現時点の結論をヒネリ出そうとして、やっぱり出なくて、そんなことしてる間は他のことがウワの空になってて、コーヒーカップをひっくり返したりしちゃったりして、ああもう困ったもんだ。そんな僕につける薬はあるんでしょうか?あるんでしょうかってば。ないならせめて仲間が欲しいです。

(幸村誠、『プラネテス』第4巻、カバーの折り返しのところの文章) (*17)

「なぜ生きているのか」
・・・という問いに明確な答えもなく、はや37年間を生きてしまいました。理由などない、問うな!と言われてしまえば返す言葉もありませんが、やっぱり考えてしまうのです。なぜ生きて次世代を生み、文化を継承するのか。その先になにがあるのか。だって不思議じゃない? ボク達の作ったほぼすべて、コップも鉛筆もコンピュータもビルも道路も法律も国家も、人類の存続のため、人が生き続けるためにあるんですもの。だのにボクときたら。ボクが今日死なない理由といえば「死ぬと困る人がいるから」と「なんだか死ぬのこわい」くらいしかないのです。これじゃボクの疑問の哲学的回答にはならないし、人間がなぜ生存のために異常なほど努力するのかを説明しきったとは言えない気がする。でももしかしたら、ひょっとして、まだボクが知らないだけで、ボク達はなにか共通の目的を持って生まれてきたのかもしれない。そのために持てる全能力全時間を使い、そのためならためらわず死ねる、そんな大いなる目的。人類存続の理由。あるとしたらどんなものだろう。そういうことを想像するのがボクは好きなんです。

(幸村誠、『ヴィンランド・サガ』第13巻、カバーの折り返しのところの文章) (*18)

▲ もくじへもどる

行き場のない人たちはどこへ行けばいいのか?

「本当にオレがいけないのか?どっちなんだ?オレとこの世界と狂ってるのはどっちだ?」

(火宅)(*19) (*20)

「本当にオレがいけないのか?

 どっちなんだ?

 オレと

 この世界と

 狂ってるのはどっちだ?」

――― ロイ・ブライアント、『プラネテス』 (*21)

 

「行き場のない人たち」

幸村誠さんの作品には、いろいろな意味で「行き場のない」人たちがたくさん登場します。

これは、幸村誠さんのなかに、「行き場のない人々はどこへいけばいいのだろう?」という問題意識があって、それが作品にあらわれているからではないかとおもいます。

 

たとえば、マンガ『プラネテス』の物語に登場する「行き場のない人たち」としては、つぎのような人たちがいるとおもいます。

「このクソみたいな社会についに馴染めなかったひと」ロイ・ブライアント。

運に見放され、生きる意味を失ったレオーノフ・ノルシュテイン。

「踏み台にされた人々」の怨嗟を代弁して戦うハキム・カシム。 (*22)

人と心を通わせることも、話すこともできなかった幼いころの田名部愛。

「愛」を渇望しながら、さまようことに疲れたラモン博士。

妻の形見を捜すことだけが宇宙にいる理由だったユーリ・ミハイロコフ。

一方通行の愛だったことに気づき、自らの命を断とうとしたカナ・ヤマガタ。

宇宙に魅入られ、すべてを捨てようとした星野八郎太。

他者を理解しようと努力しても友達ができなかった男爵。

抗い、飼い犬であることをやめたフィー・カーマイケル。

重力を振り切って宇宙で死にたかったアフマド・イブン・ファドラン。

宇宙への愛ゆえに死を選んだハリー・ローランド。

孤独のなかで真理という名の「愛」を追い求めるウェルナー・ロックスミス。

 

ちなみに、アニメ版の『プラネテス』の登場人物のなかでは、つぎのような人たちが「行き場のない人たち」といえるのではないかとおもいます。

自分を殺して生きても、「踏みつける側」になりきれなかったクレア・ロンド。

暗い掃き溜めから這い出し、ひたむきに人生を取り戻そうとするエーデルガルド・リヴェラ。

「現実」に叩き伏せられて無力感の沼から抜け出せなくなってしまったウォーケン。

宇宙開発のあおりを受けて死の淵まで追い詰められたシアの両親。

社会から見捨てられ、他者を食いものにするための暴力と偽詐しか知らずに育ったサーシャ・ヒダック。

キレイにまとまっているだけの表面的でウソくさい人間から、見苦しくても、汚らしくても、他人と本音でぶつかり合えるようになった高正盛(カオ・チェンシン)。

能力を活かせる場を与えられず不遇をかこち自尊心を失っていたチャド。

母のために立場を利用して父親に復讐しようとしたコリン・クリフォード。

社会の底辺を這いつくばったすえに、より大きなもののための生贄となったコージー・ブルースや、ロバート・マクロード、ジャック・フランシス・メイヤー・Jr、マーシー・サンチョス、マイケル・ウィリアムス、グエン・ミン・トウアン。

敗北し疵を負い使い捨てにされてもなお、怨嗟の声に突き動かされ続けるハキム・アシュミード。 (*22)

無能であることを自覚し、ゴミくずと罵られながらも仲間を守ろうとしたフィリップ・マイヤーズ。

恋人や仲間たちと引き離され、火星への島流しにあったうえに、仲間たちとの長年の研究まで潰されかけたニン・マンテーニャ。

権力に従順になることで生きてはいても、子どもたちが胸を張れる父でいようとしたアルヴィンド・ラビィ。

仲間への裏切りだとわかっていても、そうでもしなければ生きていくことができなかったニコライ・ビエンコフ。

都合のいい飼い犬になることを拒絶し、一匹狼を選んだドルフ・アザリア。

仲間たちに託された一縷の夢を、不条理な「国境線」に阻まれたテマラ・ポワチエ。

 

また、『ヴィンランド・サガ』の物語に登場する「行き場のない人たち」としては、戦争や暴力の無数の犠牲者たちや、無数の奴隷たち以外にも、つぎのような人たちがいるとおもいます。

しきたりに繋がれ、自分で生き方を選ぶことができなかったグズリーズ。

尊厳を奪われ、狂うほどの屈辱を受けたガルザル。

戦いを嫌い、夫とともに戦士の国ヨムスボルグから逃げ出したヘルガ。

自分の存在意義を築こうとして壊滅的な戦禍を招いてしまったオルマル。

攫われ、飼われ、病のうちに心が壊れてしまったリディア。

大陸から逃げて海を渡りアイスランドに住みついた人々。

愛する母が語る英雄を待ち望みながら、憎んだ父とおなじ生き方しかできなかったルキウス・アルトリウス・カストゥス。

家族を奪われた怒りと憎しみにとらわれ復讐に走ったヒルド。

暴力を嫌う人格者でありながら、信じていた者たちからの度重なる裏切りで怒りに我を忘れてしまい、心の支えまで自らの手で殺してしまったケティル。

争いから逃れ、剣を捨てようとして、ついに捨てることができなかったトールズ。

解かれ得ぬ鎖に繋がれ、ここではないどこかを夢想するホルザランド。

「愛」を失い、楽土を求めて屍の道を征くクヌート。

望まぬ戦いの旗印として担ぎ上げられ、苦悩するバルドル。

自由を失い、家畜同然の扱いを受けたエイナル。

殺し合いで自分に死を与えてくれる者を求めるガルム。

隷従の鎖を断ち切ってくれた養父のことを気にかけるもうひとりのトルフィン。

生まれ故郷を焼かれ、母を殺された赤子カルリ。

追われる身になり、本名すら名乗れなくなった流れ者「蛇」。

憎悪と殺戮の過去に苦しみながらも暴力を捨てようともがくトルフィン。

求めながらも神の「愛」に疑いを抱くヴィリバルド。

「嵐」によってふたたび子どもを奪われ、生きる理由のすべてを失くしたアルネイズ。

▲ もくじへもどる

「ここではないどこかに・・・・・・」

ここでは、幸村誠さんの作品の登場人物たちが、「行き場のない人たち」が抑圧されている境遇を脱して「ここではないどこか」に逃げ出す、ということに思いをめぐらせる場面をいくつかご紹介したいとおもいます。

・・・・・・逃げて・・・・・・・・・・・・・・・

どこまでも逃げて
海の彼方まで逃げ切ったら・・・・・・

そこには何があるのかしら

水平線の向こうに・・・・・・
もし・・・・・・

戦もなくて
奴隷商人もいない・・・・・・
平和な国があるなら・・・・・・

ここではない・・・・・・
どこかに・・・・・・

(ホルザランドの言葉、「第2話 ここではないどこか」、『ヴィンランド・サガ』第1巻、126~127ページ) (*23)

「・・・・・・・・・・・・
 父上・・・・・・
 
 ぼくらも逃げてきたの・・・・・・?
 
 レイフのおっちゃんが・・・・・・・・・・・・
 ぼくらのご先祖さまは東から逃げてきたって言ってた・・・・・・
 
 逃げてアイスランドにきたって・・・・・・」
 
 
「・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・ああ
 
 そう伝えられている」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・
 じゃあ・・・・・・
 
 ここからも逃げたい人は・・・・・・
 
 どこに行くの?」

(トールズに問いかけるトルフィン、「第4話 解かれ得ぬ鎖」、『ヴィンランド・サガ』第1巻、192~193ページ) (*24)

考えずにはいられない

ちゃんとした大人になれない人は
どうしたらいいんだろう

(フィー・カーマイケルの言葉、「PHASE.21 少女と負け犬」、『プラネテス』第4巻、158ページ) (*25)

おいちゃんは森に消えたまま
二度と姿を現さなかった

おいちゃんはどこへ行ったんだろう?

このクソみたいな社会についに馴染めなかったひとは
どこへ行けばいい?

(フィー・カーマイケルの言葉、「PHASE.23 疾る犬」、『プラネテス』第4巻、192~193ページ) (*26)

・・・・・・・・・ねェ バルドル君
アタシ達と一緒に来ない?

・・・・・・本当にイヤなこと

ホントにホントに
ど~~してもイヤなことからは

逃げちゃってもいいと思うよ アタシ

臆病者とか無責任とか言われるかもしれない

大切な人を悲しませるかもしれないけど

それでもいいなら・・・・・・
ウチの船においでよ

(グズリーズの言葉、『ヴィンランド・サガ』第20巻、134~135ページ) (*27)

はるかな西・・・・・・
海の向こうに
ヴィンランドという名の・・・・・・
土地がある

そこは暖かく豊かで・・・・・・
奴隷商人も戦の炎も届かぬ遠い地だ

そこなら誰も追ってはこれん

どうだい いつか・・・・・・

オレ達と一緒にその地で暮らさないか

(トールズの言葉、「第4話 解かれ得ぬ鎖」、『ヴィンランド・サガ』第1巻、181~182ページ) (*28)

▲ もくじへもどる

「私は船に乗りたいの!」

Arctic Tern (Sterna paradisaea), Ward of Clugan - geograph.org.uk - 1357999

(「放たれたアジサシクリーア」) (*29)

「じゃあ外に放してやってもいいですか?」
 
「あれを放したところで長生きはしねェぞ
 弱いんだよ 弱いから南に渡れずここにいる
 放せば寒さと飢えに苦しんで死ぬ」
 
「・・・・・・そうなんですか?
 じゃあ・・・・・・
 鳥に選ばせてみましょうか
 どう生きるかを」

――― トルフィンとハーフダンの会話、『ヴィンランド・サガ』第15巻 (*30)

 

『ヴィンランド・サガ』に登場する、船乗りになりたいと望む女性であるグズリーズも、「行き場のない人」のひとりなのではないかとおもいます。

彼女は、女性であるために慣習に縛られ、幼いころから夢見ている船乗りになることを禁じられ、興味も情熱も持てない「女」としての生活を強いられ、生き方を選べないことに悩み苦しみます。

グズリーズが物語に登場してから、トルフィンたちとともに船出するまでの一連のエピソードのサブタイトルである、「繋がれたアジサシクリーア」というのは、グズリーズの境遇のことをあらわしているのだろうとおもいます。

つまり、しきたりに縛られて自由を奪われている孤独なグズリーズの境遇を比喩的に表現するための象徴として、仲間とともに海を渡ることができずに捕獲されてしまったひとりぼっちのアジサシクリーアをもちいている、ということなのだろうとおもいます。

グズリーズがトルフィンたちとともに船出したあとの、最初のエピソードである第109話のサブタイトルの、「放たれたアジサシクリーア」というのは、ついに、自分で自分の生き方を選ぶことができたグズリーズの姿をあらわしているのでしょう。

第109話のなかで、水平線から顔を出した朝日も、きっと、グズリーズの船出を祝福してくれていたのだろうとおもいます。

また、幼いころのグズリーズの、「私は船に乗りたいの!」という、純粋でまっすぐな気持ちと言葉に、なにか心動かされるものをかんじます。

レイフさんが描いた「世界」は

小さな砂浜にはおさまらなかった

その日は一日
レイフさんの描いた「世界」を見て過ごした

ドキドキした
 
 
「世界」

「世界」は広い

のに

「世界」は広いのに

なんなんだ 私のこの状況・・・・・・

あーあ

「世界」は広いなんて知らなきゃよかった

(グズリーズの言葉、「第106話 繋がれたアジサシクリーア (6)」、『ヴィンランド・サガ』第15巻、136~158ページ) (*31)

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・

みんなが

みんなが・・・・・・
当たり前にできることが

できなきゃいけないことが・・・・・・っ

できない・・・・・・

義姉ねえさんが
私のためにしてくれることを・・・・・・

うれしいって思えない・・・・・・

私が

バカでワガママだってわかってる

でも・・・・・・っ
どうしようもないんだ
自分でも・・・・・・
 
 
船に乗りたい

世界を見てみたい
 
 
好きで女に生まれたわけじゃない
 
 
どうして

女は船乗りになれないの?
 
 
どうして自分の生き方を自分で選べないの?

(グズリーズの言葉、「第108話 繋がれたアジサシクリーア (8)」、『ヴィンランド・サガ』第16巻、15~17ページ) (*32)

男が船で女が家ってのがナットクいかないの!

だれがきめたの?
なんでダメなの?

私は船に乗りたいの!

(幼いころのグズリーズの言葉、「第102話 繋がれたアジサシクリーア (2)」、『ヴィンランド・サガ』第15巻、34ページ) (*33)

 

Eforie Sud - Black Sea - The Beach - Sunrise - panoramio - jeffwarder

(船出の朝日) (*34)

▲ もくじへもどる

孤独な「家なき鳥」クリーア

Common tern immature

(ないているアジサシクリーアの仔) (*35)

 ついに、ハキムは子供のように泣き出してしまった。人目もはばからずに、大きな声を上げて泣いた。泣き顔を万里に直視されないよう、顔を空に向けるだけで精いっぱいだった。
 涙が出たのは、きっと、自分がひとりぼっちだということを知ってしまったからだ。

 アジサシには、五十羽の仲間がいた。それがハキムには嬉しかった。
 きっと仲間が迎えに来てくれたんだ――そう信じたかった。

――― 『家なき鳥、星をこえる プラネテス』 (*36)

 

ハキムという印象的な登場人物が、マンガ(原作)版と、アニメ版の、両方の『プラネテス』の物語に登場します。 (*37)

このうち、マンガ(原作)版のハキムを主人公にした小説として、常盤陽さんが書かれた『家なき鳥、星をこえる プラネテス』という小説があります。

この小説では、ハキムの青年時代の軍隊での話を中心として、航宙士にあこがれた少年時代の話や、そのほかにも、宇宙防衛戦線のリーダーとして木星往還船フォン・ブラウン号の計画を阻止しようとしてハチマキたちと戦う場面の話や、その作戦に失敗したあとのハキムの後日談などが出てきます。

とくに、話の中心として、ハキムがいかに孤独な人生をたどって来たのか、ということが描かれています。

おそらく、ハキムもまた、「行き場のない人」のひとりなのだろうとおもいます。

ちなみに、この小説では、ハキムの、「ほかの誰とも胸のうちを共有できない孤独な境遇」を比喩的に表現するための象徴として、仲間とともに海を渡ることができずにひとりぼっちになってしまったアジサシという鳥が登場します。

この小説の題名のなかにある「家なき鳥」というのは、このひとりぼっちのアジサシが象徴している、「ほかの誰とも胸のうちを共有できない孤独な境遇」にあるハキムのことを指しているのだろうとおもいます。

『ヴィンランド・サガ』でも、周囲の人々に自分の夢を否定され、因習に縛られて自由を奪われていた孤独なグズリーズの境遇を比喩的に表現するための象徴として、仲間とともに海を渡ることができずに捕獲されてしまったひとりぼっちのアジサシクリーアが登場します。

もしかすると、『ヴィンランド・サガ』の物語においても、アジサシクリーアが「ほかの誰とも胸のうちを共有できない孤独な人」の象徴としてもちいられているのは、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』の小説において、胸のうちを誰とも共有することができなかった孤独なハキムの象徴としてアジサシが登場することから、幸村誠さんが着想を得たからなのかもしれません。

または、もともと幸村誠さんのなかで、アジサシを「ほかの誰とも胸のうちを共有できない孤独な人」の比喩としてもちいる、というアイデアがあって、それが『家なき鳥、星をこえる プラネテス』の小説に取り入れられ、その後に、『ヴィンランド・サガ』の物語でもそのアイデアが生かされた、ということなのかもしれません。

下記の場面は、ハキムの孤独と、その象徴であるアジサシについての場面のいくつかです。

「すべてをおかしくしたのはお前たちじゃないか。お前たちが、僕たちにちょっかいを出そうとさえ思わなければ! 出て行けよ。ここから、今すぐに!」
 そして、「こんなもの!」と言い放つと、肩に掛けたAKを思い切り足下の地面に叩きつけた。セーフティーがかけられていたため暴発することはなかったが、金属が硬い地面にぶつかって大きな音を周囲に響かせた。
 一羽の鳥がそれに驚いて大きな羽音を立て、ハキムの視線を吸い寄せた。
 ハキムがこれまで見たことのない種類の鳥だった。薄い灰色の羽は鳩を思わせたが、美しい長い尾羽も、細い身体も鳩の特徴とは違っていた。広げた翼は身体に比して長く、それをしなやかに何度か羽ばたかせて上空に流れる風を捕まえると、ハキムたちの頭上をくるりと回り、そしてどこかへ向けて飛び去った。
 羽音は消え、街の雑踏をよそに、つかの問の沈黙が流れた。
 ハキムが鳥を目で追っていた短いあいだに、近い場所にいた露天商たちは店をたたんでどこかへと消えていた。感情もあらわにAKをたたきつけたハキムと、関わり合いになることを避けたのだろう。

(『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、182~183ページ) (*38)

 一瞬、眼前をものすごい速度の影が横切った。それを不思議に思い、ハキムは空を見上げた。
 頭上に一羽の鳥が、日が傾き青の深さを増した空に、薄い灰色の羽を羽ばたかせていた。つがいでも、群れでもない。遠くまで澄み渡った空を雲ひとつ連れず、たった一羽で飛んでいた。その姿にハキムは見覚えがあった。目にしたのは二度目だった。
 あのときの鳥だ・・・・・・。
 旧市街、モスク近くの広場で万里と見たのと同じ種の鳥。
 上空を吹く風が弱いのだろう。長い翼を忙しく羽ばたかせて、必死に前に進んでいる。
 ハキムはその姿が次第に小さくなっていくのを、じっと目で追いかけながら、心の中で問いかけていた。
  お前はひとりきりで寂しくはないのか?
  それとも、ひとりきりでいることを望んだのか?
 無論、鳥はハキムの問いかけに答えてくれなどしない。どんどん小さくなっていき、やがてハキムの視界から消えていった。
 あとには再びハキムひとりが残された。
 自分は鳥に何を求めているんだ。馬鹿じゃないだろうか。そうハキムは自嘲した。

(『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、219~220ページ) (*39)

「それはたぶん、アジサシだと思いますよ」
 小ぶりのティーポットに湯を注ぎながら、教育旅団一等教官ヤハヤ曹長が答えた。

 「本来は群れで行動し、海岸や川近くの砂浜に巣を作る渡り鳥です。世界中に生息しますが、アラビアの、しかも砂漢地帯で見たとは驚きだなあ。君がこれまで見たことがなかったのも当然です」
 「ちょっと待ってください」
 ハキムはそれが意味するところを察して再び驚いた。
 「ということは、僕が二回見たあれは、たまたま種類が同じだったんじゃなくて、同じ個体の鳥だったってことですか?」
 「それは確かめようがないですが・・・・・・でも、その可能性が高いでしょうね。そもそもここにはいないはずの鳥ですから。それが同時期に二羽もいるとはちょっと考えにくいですね」
 「サナアと砂漠では1000キロメートルも離れているうえ、水も食べ物もほとんどないのに――
 「群れからはぐれて迷ったんでしょうね。バーブ・アルマンデブ海峡の向こうは彼らの越冬地ですし。必死で仲間を捜して飛んだんですよ」
 「じゃあ、群れからはぐれた鳥はどうなるんですか?」
 「まあ・・・・・・そんなに長くは生きられませんね」
 さらりと出たヤハヤの言葉に、ハキムはひどくショックを受けたように見えた。
 それからしばらくのあいだ、再びハキムは囗をきかなかった。

(「ひとりの反乱」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、235~237ページ) (*40)

 「・・・・・・思ったんですよ」
 ハキムは背中を丸めてぽつりと言った。
 「あの鳥が来る場所で暮らそうかな、って。たった一羽で必死に飛ぶ、あの鳥を見て暮らせば、勇気づけられるかもしれないって」
 ゆっくりと、自分の思考を確かめるようにハキムは言う。
 ヤハヤはそれをせかさない。目線を合わせず、相槌ひとつ打たずに、じっと聞いている。
 「・・・・・・そう、確かに必死に見えました。特に砂浜の昼は風が少ないから、必死に長い翼を羽ばたかせて、どうにか風に乗ろうと・・・・・・だけど、その姿がキレイで・・・・・・」
 ハキムはヤハヤの方を向いた。
「でも。長く生きられないんじゃ、逆効果ですね」
 そう言うと作り笑いを見せた。
 それがあまりに痛々しく映り、ヤハヤは囗を開かずにはいられなかった。
「許してやってくれませんか?」
「何を、ですか?」
「アルタヘシュさんとか、ほかのいろいろすべてを、です」
 ハキムの顔が曇ったのがわかったが、話を始めた以上、途中で止めるわけにもいかない。
「君が楽になるには、それが一番良いと思うんです。それからのことは、みんなで話せばいい」

(「ひとりの反乱」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、238~239ページ) (*41)

 ヤハヤは砂時計をひっくり返した。
 「二分。これから宇宙開発はさながら大航海時代の様相を呈すでしょう。南アジア、カリブ、アフリカ、そしてアラブに起きたことが今度は宇宙で起きるのです。力の強さを誇る者が資源を求めて出て行く場所が宇宙なんです。あなたはこの先どこに行ってもこれと同じ構造にぶつかるでしょう。今許せないあなたが航宙士になれるはずがない。誰も許せず、そして誰にも許されず、孤独に生きるしかないんですよ」
 ヤハヤは苦々しく表情をゆがませた。そして、まるでそこに願いを込めるように、ゆっくりと言葉を口に出した。
 「ハキム・イズディハール・ムバラク神に祝福された賢人の繁栄。良い名です。許してあげてください。あなた白身のために。ここで許せないと、あなたは一生誰のことも許せなくなるんですよ・・・・・・」
 ピンクの砂がガラスの中で三回目の移動を終えた。砂時計の下部に山状になって溜まっている。
 ヤハヤは息をつめて、覗き込むようにじっとハキムの目を見つめた。彼はハキムの言葉を待っていた。
 ハキムはその視線を受け止めたまま、口を結んでいた。
 自分が何も持っていないこと。友達も、それに代わる何かも。その理由を言い当てられたようにハキムには思えてしまった。
 ここを出た先で築く世界でも、これまで同様、自分はずっとひとりぼっちなのだろうか。

(「ひとりの反乱」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、244~245ページ) (*42)

顔を上げると、目の前に鏡があった。そこに映った人問の顔は、ひどく疲れていた。
 なぜだか、ひとりの女性の顔が頭に浮かんだ。万里だ。彼女の好奇心に満ちた瞳。元気に笑ったときにふくらむ頬。ふくよかな唇。今の自分とはあまりにも違う、彼女の軟らかい表情の数々。それにハキムは、自分と彼女の間に広がる大きな距離を思い知らされた。
 かたや、戦争のない裕福な国に育った、高級官吏のひとり娘。そして自分は、貧しい国の一兵卒だ。育ちの違いは、表情や態度のひとつひとつにまでにじみ出ている。彼女はやがて国に帰る。餓えも、不意に命を落とす心配もない中で、やがて母になり、おだやかに老いていくだろう。今のハキムには想像もつかない毎日が彼女には約束されている。
 気取らず、笑って暮らしたい。
 ハキムがそう考えたのは、つい数時間前のことだ。しかし、それが今は不可能なことにしか思えなかった。
 ――もう、万里に逢うこともないだろう。
 ハキムはそう考えながら、扉に手をかけた。
 その先には、ハキムが憎む世界と、忌む人々がいる。
 それに落とし前をつけるために、この命のすべてを使う。
 誰も許さないし、誰にも心を開かない。
 そう意を決し、扉を開けた。

(「家なき鳥」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、280ページ) (*43)

 

余談ですが、アニメ版の『プラネテス』のほうで、ハキムの先生であったギガルト・ガンガラガッシュが、ハキムがテロリストであったという事実を知らされる場面で、つぎのような独白をするシーンがあります。

どうして・・・

どうして・・・浮かばなかったのかな・・・

あいつの・・・ あだ名・・・

(ギガルト・ガンガラガッシュの言葉、「Phase 22 暴露」、アニメ『プラネテス』) (*44)

ギガルトは、自分が出会った人々の性質を見抜いて、その人にふさわしいあだ名をつけることを得意としていました。

ですが、ギガルトは、ただ一人、ハキムにだけはあだ名をつけることができませんでした。

それは、おそらく、さきほど、小説のなかのハキムが「誰にも心を開かない」と決意したように、アニメ版のハキムも、目的を遂げるまでは、いかなる相手にも心を開かないと、かたく心に決めていたからではないかとおもいます。

ハキムは、自分に目をかけてくれていたギガルトに対しても心を開いていなかったので、ギガルトはハキムの心のうちを知ることができず、彼にふさわしいあだ名をつけることができなかった、ということだとおもいます。

そして、ハキムがひそかに胸のうちに秘めていた、激しい怒りと憎悪にも、ギガルトは気づくことができなかった。
ハキムは、自分の愛弟子であったにもかかわらず。

上記のギガルトの言葉には、死の床にいたるまでそれに気づけなかったという後悔と、悲しみやさみしさがにじんでいるのだろうとおもいます。

原作の世界(マンガ版・小説版)でのハキムと、アニメ版のハキムは、完全に同一人物とはいえないかもしれませんが、おそらく、この「誰にも心を開かない」という決意をもっていたことは共通しているのではないかとおもいます。

リストに自分の名があることを確認したハキムは、こみ上げる笑いをこらえるのに努力を必要とした。ひとりになれる場所を探して、声を上げて思う存分笑った。自分をEDCに送り込んだアルタヘシュの愚を思うと、笑いが止まらなかった。木星往還船計画の中枢を担うEDC。その懷に飛び込んだのだ。
 機は熟した。ハキムは拳を握りしめた。
 ――木星往還船計画をぶちこわしてやる。
 復讐ではない。これは戦争だ。
 欲望の奴隷たち、自分の利益がすべてに優先すると信じてやまない世界中の人間たちを相手取った、ハキムの戦争が始まった。

(「サキノハカという名の黒い花」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、286ページ) (*45)

 からみつくような万里の視線を、ハキムは一方的に断ち切ると、知らない人を見るかのような視線を乱暴に投げつけた。それに万里は一瞬ひるんだが、諦めずに視線を送ってくる。私よ、私!彼女は全力でそう伝えていた。
 ハキムは冷たい瞳で万里を睨み付けた。
 ――その目をやめろ。
   命の使い方はもう決まってるんだ。
   お前のような女に立ち入られると迷惑だ。

(「サキノハカという名の黒い花」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、315~316ページ) (*46)

 女は減圧症ベンズのダメージが大きいようだ。ようやく身体を立たせ、ただ悲しそうな表情を浮かべてハチマキの言葉を聞いている。その彼女に襲いかかるように、ハチマキは言葉を投げつけた。
「根性なしも、能なしも、卑怯者も、『愛』って唱えりや、許されるもんなァ!」
 ――愛? なんのことだ?
 呆然とそれを聞いていた女の目から、つーうと涙がこぼれた。
 それにハキムの記憶が呼び覚まされた。まるで、あの日を見ているようだ、と。
 サナア旧市街。万里の買い物の警護をするハキム。二人は砂埃が舞う広場にいた。
「出て行けよ。ここから、今すぐに!」
 そう罵ったハキムの言葉に、万里は静かに泣いた。彼女は、立てた膝に顔を埋めて肩を震わせていた。ハキムは自分を正当化しようとした。そして後味の悪さだけが残った。ハキムはハチマキで、万里はタナべだった。
 ハチマキが勝ち誇ったような顔でハキムに視線をもどした。そして、再びサレムの目になって言った。
「話は終わりだ」
 自分はあのとき万里に教わったはずだった。誰もが弱いってこと。自分を気にかけてくれる誰かが隣にいるだけで、心の穴が塞がったように思えたってこと。・・・・・・じゃあ、僕はどうすればよかったんだ?

(「サキノハカという名の黒い花」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、335~336ページ) (*47)

 二人で笑っていれば、不安を感じることはなかった。
 ハキムには万里に話したいことがたくさんあった。訊いてみたいことも、相談したいことも、いくつもあった。
 しかし、こうして彼女の隣でくだらないことに笑っていると、それだけで十分だった。何も言葉は必要ない。自分は今、ひとりぼっちではない。それを強く感じられた。
 万里がまた指をさした。前方の空だ。
 そこには、あの鳥が――アジサシがいた。
 一羽ではない。真っ青な空に浮かぶ優雅な灰色の斑点。五十羽ほどのアジサシが群れを作っていた。細く長い翼を水平に伸ばしているのは、上空の風をしっかりと捕まえている証拠だろう。空を滑るようにして、ハキムたちの方へと向かってきた。
 ハキムは思わず立ち上がる。そして次第に近づいてくるアジサシの群れに目を凝らすと、必死に、その中に見覚えのある個体を探していた。砂漠で一羽きり。凪いだ空で必死に翼をはためかせていた、あのアジサシ。

 昨夜聞いたヤハヤ曹長の言葉を思い出す――その鳥は、この地にいないはずだ。仮にいたとしても長くは生きられない。
 いつの問にか、目から涙がこぼれていた。そのことにハキムは驚いた。父が死んだときですら泣かなかった自分が、アジサシの群れに涙を溢れさせていた。
 ハキムは、砂漠で出逢ったアジサシに、自分でも気付かないうちに自らを重ねていた。
 砂漠はアジサシには過酷すぎる。それと同様に、軍という組織はハキムには過酷すぎた。軍でのハキムは、砂漠のアジサシと同じだった。ここが自分の場所ではないと知りつつ、それでも必死で羽ばたかなくてはならなかったのだから。砂漠に適応した鳥たち――たとえば砂鶏さけいは、淀んだ水でも飲めるようにと身体の生理を変えることに成功したが、ハキムには、ただ、それができなかった。淀んだ水は飲めなかったし、また、飲んではならないと自分に強いたからだ。その代償は「孤独」。ハキムは、ひとりきりで誰の助けも得られずに、山を越えた先にあるかもしれないまだ見ぬ冷たい泉を目指し・・・・・・そして力尽きた。軍を辞めるという決心は、求められた傲慢さ――心の形を作り替えろと迫る組織と人間に心底疲れ果ててしまったからだ。そして、その苦しさを、軍では誰とも共有することができなかった。
 隣で万里が心配そうにこちらを見ているのに気がつく。ハキムは涙をぬぐうと、無理に笑ってみせた。
 「・・・・・・I'm sorry, nothing」
 万里はすべてを見通したような柔らかい笑みを瞳に浮かべると、その小さな手をハキムの背中に軽く置き、そして、ポン、ポン、と二度小さく叩いた。まるで、小さな子供を慰めるように。

 ついに、ハキムは子供のように泣き出してしまった。人目もはばからずに、大きな声を上げて泣いた。泣き顔を万里に直視されないよう、顔を空に向けるだけで精いっぱいだった。
 涙が出たのは、きっと、自分がひとりぼっちだということを知ってしまったからだ。まったくのゼロから、他人と良好な関係を作り上げることがいかに難しいことか。自分と気持ちの似た人間が、どれほど貴重な存在か。軍は、逆説的ではあったが、自分にそれを教えた。
 そして、自分に少しでも心を遣ってくれる誰かの存在が、どれだけ心を温めるか、も。甘えることを許し、弱い部分を包み、心を休ませてくれる誰かの存在が、どれだけ大切か。
 アジサシには、五十羽の仲間がいた。それがハキムには嬉しかった。
 きっと仲間が迎えに来てくれたんだ――そう信じたかった。

(「家なき鳥」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、256~259ページ) (*36)

Batalla de golondrinas de mar (Sterna hirundo)

(仲間たち) (*48)

▲ もくじへもどる

「そのために生きなさい」

下記の言葉は、『ヴィンランド・サガ』の主人公であるトルフィンが、「行き場のない人たち」の逃げ場となる「ここではないどこか」を実現させるため、「ヴィンランドに平和の国を作る」という決意を、家族や仲間たちに話し、それに対して、トルフィンの母ヘルガが答える場面での言葉です。

「オレが殺してしまった人達
 絶望の中で死んでいった奴隷達
 
 彼らにもこんなあたたかい家庭があったのかもしれない
 
 オレの罪は重い
 
 行かなきゃならない
 
 平和の国を築くために
 
 ヴィンランドへ」
 
 
「存分におやりなさい
 トールズの子 トルフィン
 
 この世界から逃げ出したいと思っている人はたくさんいます
 
 私とトールズも
 戦士の国ヨムスボルグから逃げてこの島へ来ました
 
 人々が戦争や奴隷制から逃げて
 どこまでも逃げて
 
 水平線のかなたまで逃げ切ったその先で
 
 あなたは平和の国を作って待ち
 その人々を迎えるのです
 
 そのために生きなさい」
 
 
「・・・・・・・・・・・・
 ありがとう母上」

(トルフィンとヘルガの会話、「第101話 繋がれたアジサシクリーア (1)」、『ヴィンランド・サガ』第15巻、24~26ページ) (*49)

▲ もくじへもどる

「世界はそこだけ、なんて風に考えるのはかなしい」

 

ヴィンランドさえ平和なら
他所よそがどうでもかまわないなんて
そんな気構えじゃだめなんだ

――― トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第14巻 (*50)

 

『プラネテス』第1巻(冊子版)のカバーの折り返しのところに、作者である幸村誠さんの言葉として、下記のような文章が掲載されています。 (*16)

「行き場のない人たち」は、見て見ぬふりをされて無視されがちな存在です。

ですが、幸村誠さんのこの言葉や、彼の作品を読んでいると、なんだか、「ともすれば狭くなりがちな自分の視野を広げて、自分以外の存在にも目を向けてみませんか」と語りかけられているような気がします。

中国で紀元前2世紀頃に書かれた「淮南子えなんじ」という書物に次の句があります。
往古来今これを宙といい、
四方上下これを宇という。
これが「宇宙」の語源だそうです。過去も未来も、どこもかしこもひっくるめて「宇宙」。地球も宇宙。人間はみんな筋金入りの宇宙人です。だから大気層の内側だけが宇宙じゃなくて、しかも人間の世界はそこだけ、なんて風に考えるのはかなしいと思います。それがこの漫画を描き始めた本当の動機かもしれない。

(幸村誠、『プラネテス』第1巻、カバーの折り返しのところの文章) (*51)

▲ もくじへもどる

「きっといたと思います」

 

「奴隷とは劣っている者がなるべくしてなるもの」と人は言う
適材適所だと

ワシはそうは思わん

奴隷には運がなかっただけなのじゃろう

ワシもお前も運がなければ奴隷になっていたのかもしれん

――― スヴェルケルの言葉、『ヴィンランド・サガ』第12巻 (*52)

 

『ヴィンランド・サガ』第12巻(冊子版)のカバーの折り返しのところに、作者である幸村誠さんの言葉として、下記のような文章が掲載されています。 (*16)

この言葉や、彼の作品を読んでいると、幸村誠さんは、「行き場のない人たち」のことを気にかける眼差しをもっていて、「行き場のない人々はどこへいけばいいのだろう?」という問題意識をもっているのではないかという気がします。

幸村誠さんの作品には、その「行き場のない人々はどこへいけばいいのだろう?」という問題意識が、色濃くあらわれているような気がします。

資料をどう調べても、ヴァイキング達は自由を好み、支配や拘束を嫌う民族である、という風に書いてあります。そして自由は力で勝ち取り、維持するものだと。武力や財力でねじふせる以外にヴァイキングを支配する方法はありません。王様とは最強実力者の単なる別称です。ということはつまり裏を返せば、弱い者は支配されて当然、自由を奪われて当然、となります。実力主義の社会で最も弱い人間が奴隷になるのは当たり前。自由独立を守れないその弱さ、そいつ自身が悪い、という民族的共通認識です。強者が弱者を売り買いし、隷属させ、ときに殺す事になんの罪悪感も持たくていいのです。そういう文化なんです。そういう文化の中で、心やさしい人々はどう過ごしていたのでしょうね。きっといたと思います、実力主義や弱い者いじめが嫌いな人。世の中の当たり前と自分の感覚の間にズレが大きいと苦しむでしょうね。でも本心を明かさず、いじめられてる奴隷を見かけても「かわいそうだな・・・・・・」と思うだけで何もできなかったりするんでしょう。時代の波に乗れないので、当然無名でビンボーです。いや、その人自身、奴隷かもしれません。歴史に名を残すのは強者ばかりで、そういう少数一般人のことはなかなか後世に伝えられることはありません。そこが歴史のちょっとつまらないところです。知りたいのにな。

(幸村誠、『ヴィンランド・サガ』第12巻、カバーの折り返しのところの文章) (*53)

▲ もくじへもどる

「本当の戦士」とはなにか?

(*54)

『ヴィンランド・サガ』の物語には、重要なキーワードとして、「本当の戦士」という言葉が出てきます。

これは、幸村誠さんのなかで、「本当の意味で強い人とは、どのような人なのか?」という問題意識があり、そこから「本当の戦士」というテーマが出てきているのではないかとおもいます。

ここからは、そのことについてかんがえてみたいとおもいます。

トールズが目指したもの

(*55)

トールズは、トルフィンの父であり、かつては「戦鬼トロルのトールズ」と呼ばれて恐れられたほどの歴戦の勇士で、『ヴィンランド・サガ』の作中でも屈指の強者です。

おそらく、トールズは、『ヴィンランド・サガ』の登場人物たちのなかでも、もっとも「本当の戦士」にちかい存在だったのだろうとおもいます。

ですが、それほどのつわ者であったトールズでも、「本当の戦士」にはなりきれていなかったようです。

トールズは、トルフィンの姉であるユルヴァがまだ赤子だったころに戦いを捨てて、戦士の国ヨムスボルグから逃げ出しました。

そのとき、トールズは、下記の一場面のように、「本当の戦士が何かがわかった」と言っています。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・

オレは・・・・・・
わかったんだ

本当の戦士とは何かが

だからもう
軍団ここにはいられない

(トールズの言葉、「第40話 トールズ伝」、『ヴィンランド・サガ』第6巻、128ページ) (*56)

ですが、これは、「わかった」だけであって、実際に「本当の戦士」になることができたわけではないようです。

実際、トールズは、フェロー諸島のストレイメイ島 (*57) (*58)でアシェラッドたちと戦ったとき、つぎのようなことを言っています。

こんなものに頼らざるを得んのは
オレが未熟だからだ

本当の戦士には剣など要らぬ

(トールズの言葉、『ヴィンランド・サガ』第2巻、190~191ページ) (*59)

このように、トールズは、自分がまだ「本当の戦士」になりきれていないことを自覚しています。

King-Arthur's-Castle-q75-1759x1228 (*60)

そして、このフェロー諸島での戦いのあと、16年以上の長い長い紆余曲折を経て (*61)、トールズの子であるトルフィンもまた、剣と戦いを捨てて、「本当の戦い」を戦うこと(「本当の戦士」になること)を決意します。 (*62) (*63)

下記の場面は、「本当の戦い」を戦うこと(「本当の戦士」になること)を決意したトルフィンが、16年ぶりに再びフェロー諸島をおとずれストレイメイ島 (*64)の地に立ち、父であるトールズでさえなれなかった「本当の戦士」を目指すことについての心情を吐露する場面です。

今思い出してたのは

争いを嫌う父上が・・・・・・
それでも剣を捨てずに保管してたってことだ
 
 
父上は・・・・・・
自分が戦乱を呼ぶ男だと自覚していたんだろう

だから大陸を離れアイスランドに自分の身を封じたんだ

でもそんな父上でさえ
最期の瞬間まで剣を捨てられなかった・・・・・・

この島より先・・・
大陸には巨大な暴力が待っている

オレは再び剣を手にすることなく
航海していけるだろうか・・・・・・

(トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第16巻、61~62ページ) (*65)

このように、これ以降の物語は、ある意味で、トールズの息子であるトルフィンが、強さと優しさを兼ね備えた偉大な父でさえなることができなかった「本当の戦士」になるためにさらなる苦難の道をいく、という話でもあるわけです。

▲ もくじへもどる

アシェラッドが待ち望んだ「英雄」

Charles Ernest Butler - King Arthur

(アーサー王) (*66) (*67)

アシェラッドは、フェロー諸島のストレイメイ島 (*64)でトールズと戦ったとき、つぎのような発言をして、トールズに自分たちの兵団のリーダーにならないかと提案します。

・・・・・・・・・

オレの鼻も
まんざら捨てたもんじゃねェな・・・・・・
 
 
トールズ あんた・・・・・・

オレ達の首領にならんか?

(アシェラッドの言葉、『ヴィンランド・サガ』第2巻、192~193ページ) (*68)

このとき、アシェラッドは、この発言が本心からの言葉ではなく、まるで冗談であったかのように茶化してしまいます。

ですが、実際には、このときアシェラッドは、トールズがすぐれた人物であるということを見抜き、かなり本気でこの提案をしていたようです。

このことについては、このフェロー諸島でのトールズとの戦いの何年もあとで、アシェラッドたちがトルケル軍に追われてウェールズに逃げ込んだときに、そこでの協力者であるモルガンクーグ王国のグラティアヌス将軍との会話のなかで、アシェラッドがつぎのような発言をしています。

惚れた男ほど思い通りにはならんものです

(アシェラッドの言葉、『ヴィンランド・サガ』第4巻、92ページ) (*69)

この、アシェラッドが「惚れた男」というのは、トールズのことです。
そして、「思い通りにはならない」というのは、「自分たちの首領になってくれないか」という提案をトールズに受け入れてもらえなかったことを指しているのだとおもいます。

つまり、あのフェロー諸島での戦いのときのトールズとのやり取りをとおして、アシェラッドはトールズという人物を心から認め、「惚れていた」ということだとおもいます。

アシェラッドは、幼いころからずっと、母から語り聞かされた「英雄」の出現を待ち続けていました。 (*67)

おそらく、このとき、アシェラッドがトールズの人物を認めたのは、トールズのなかに「英雄」の片鱗を見たからではないかとおもいます。

トールズのなかに「英雄」の片鱗があったということは、おそらく、トールズが「本当の戦士」と呼ぶものと、アシェラッドが求める「英雄」には、共通するところがあるのでしょう。

ちなみに、アシェラッドが、兵団の首領の座を、あっさりトールズに譲ろうとしたのは、もともと、母リディアから、「あなたは「英雄」に仕えて、理想郷の実現に力を貸しなさい」と言い聞かされていたからではないかとおもいます。

つまり、アシェラッドは、もともと、自分が主と認められるだけの器を持った「真の王」となるべき「英雄」と出会えたときには、その人物の下について補佐役となるつもりだったのでしょう。

また、アシェラッドの母リディアによれば、「英雄」であるアルトリウスは、はるか西の大海の彼方にある楽園アヴァロンにいるということです。 (*67)

それとおなじように、トールズも「はるかな西の海の向こうにあるヴィンランド」のことを口にしていました。

つまり、アシェラッドの言うアヴァロンと、トールズが語るヴィンランドは、どちらも、「はるかな西の海の向こうにある理想郷」を意味するということです。

アシェラッドがトールズを「英雄」の資質を持つ者と認めた背景には、トールズとのこのような共通点をなにかしら感じ取っていたということもあるのかもしれません。

お袋はよく先祖の英雄アルトリウスの話をした

同じ話を何度もした

500年昔
蛮族の侵入からお袋の故郷を守った将軍の伝説だ

お袋は英雄復活の伝説を信じていた

自分を病や奴隷身分から解き放ってくれる者の再来をな・・・・・・

あんまり繰り返すもんだからよ
オレも信じるようになった
 
 
はるか西の大海の彼方・・・・・・

常人にはたどりつくことのできない彼岸の地に

英雄アルトリウスの住む楽土があるという
 
 
平和と豊穣
不老不死が約束された理想郷だ

英雄はそこで今も戦の傷を癒やしているらしい

いつの日か彼は万軍を従え来て蛮族どもを誅し
この世を平定してくれる

お袋の一族はそれを待ち続けた
 
 
待ちに待って500年が経った

英雄はまだ現れない

(アシェラッドの言葉、「第47話 英雄不在」、『ヴィンランド・サガ』第7巻、129~132ページ) (*70)

The Death of King Arthur by John Garrick

(アーサー王の死) (*71) (*67)

「アヴァロン?

 土地の名前?」

「そう・・・・・・
 楽園の名です

 偉大なる祖 アルトリウス公は 彼の地におられます」
 
 
「でも・・・・・・
 母さん

 アルトリウス公って 大昔の将軍なんでしょ?

 今も生きているの?」
 
 
「アヴァロンは・・・・・・
 西の大海のはるか彼方

 妖精たちの住まう常春の島です

 現世うつしよの死や老いとは無縁の世界なの

 あの方はそこで戦の傷を癒やしておられるのです
 
 
 傷が癒えれば アルトリウス公は・・・・・・

 私達のもとへ戻ってきて下さいます

 私達を苦しみから救うために・・・
 
 
 その時が来たら・・・・・・
 そなたは公にお仕えしなさい

 あのお方こそ 真の王にして戦士

 あのお方の知恵となり 剣となって

 いつの日か・・・・・・」

(幼いころのアシェラッドにアヴァロンのことを語り聞かせる母リディア、「第34話 アヴァロン」、『ヴィンランド・サガ』第5巻、165~167ページ) (*72)

単純バカで 不潔で
自分テメエの欲望以外にゃ何もねェクソどもさ

ああいう美しくねェ奴らが
そこら中からわいて出てきて幅利はばきかせやがる

いくらブチ殺してもキリがねェ

アルトリウスでも
最終戦争ラグナロクでも
最後の審判でも
何でもいいからよ

本当マジに来るなら急いでもらいてェもんだぜ まったく

(アシェラッドの言葉、「第47話 英雄不在」、『ヴィンランド・サガ』第7巻、145~146ページ) (*73)

Marauding expedition of northmen

(*74)

Arbo-Olav den helliges fall i slaget på Stiklestad

(*75)

さすがにもう・・・・・・
待てなくなったのさ

真の王が・・・・・・
アヴァロンからお戻りになられるのを な・・・

(アシェラッドの言葉、「第34話 アヴァロン」、『ヴィンランド・サガ』第5巻、179~180ページ) (*76)

アシェラッドは、ときに、トルフィンが見る悪夢のなかなどに現れて、助言めいたことを言ったりすることがあります。

アシェラッドがこのようなことをする理由は、おそらく、アシェラッド自身が待ち望んだ「英雄」と、トールズが言う「本当の戦士」には似たところがあり、また、アヴァロンとヴィンランドも似たような場所であることから、「本当の戦士」とヴィンランドの両方を目指しているトルフィンに、「英雄」の復活と、アヴァロンのような楽園の実現という自分の夢を託しているからではないかとおもいます。

また、トルフィンが、自分が「惚れた男」であるトールズの息子である、ということも、アシェラッドがトルフィンのことを気にする理由のひとつなのかもしれません。

Boys King Arthur - N. C. Wyeth - p16

(*77) (*66) (*67)

いいかげん先へ進めよ

いつまでもこんな・・・・・・
クソくだらねェトコでひっかかってねェで

――――っと先へ・・・・・・

トールズの行った世界のその先へ・・・・・・
トールズの子のお前が行け

それがお前の・・・
本当の戦いだ
 
 
本当の戦士になれ・・・・・・

トールズの・・・
・・・・・・子・・・・・・・・・

(アシェラッドの言葉、『ヴィンランド・サガ』第8巻) (*78)

「トールズの行った世界のその先へ・・・・・・」(*79)

▲ もくじへもどる

「世界最強」のトルケルより強い者

Rhinegold and the Valkyries p 070 (*80)

トルケルは、戦士の国ヨムスボルグのヨーム戦士団において、伝説的な存在である「戦鬼トロルのトールズ」とおなじ階級である大隊長を務めるほどの猛者です。

また、トルケルと戦ったガルムは、トルケルのことを「世界最強」と評しています。 (*81)

そのトルケルも、トールズの強さを高く評価して、つぎのような発言をしています。

世界で唯一のオレより強い男

本当の戦士だ

(トルケルの言葉、『ヴィンランド・サガ』第4巻、27~28ページ) (*82)

トルケルは、ヨーム戦士団を抜けようとするトールズと、最後にヨムスボルグであったとき、彼から「本当の戦士」という言葉を聞きます。

そして、その後はずっと、トールズが口にした「本当の戦士」というものに関心をもち、追い求めているようです。

マーシア伯領のセヴァーン川上流域での一件で、トルケルがクヌートの配下に加わることを決めたのも、クヌートの目にトールズとおなじものを見たからです。

トルケルは、「本当の戦士」について知っていたトールズとおなじ目をしたクヌートについていくことで、「本当の戦士」について知ることができるかもしれないとおもったようです。

そうさ オレにも足りない

トールズの子のお前からなら
それを学べると思ってたんだが
見込み違いだったかな―――・・・

なァ トルフィンよ
お前はどう思う

本当の戦士ってなんだ?

(トルケルの言葉、『ヴィンランド・サガ』第6巻、42~43ページ) (*83)

そん時 オレはもう泣きはしなかった

奴のことを考えて
肉体の生き死には問題じゃねェと気がついていた

戦士に大切なのは魂
そのありかだ

やつの魂は遠くへ行った

オレにはまだ理解できない
オレにはまだ届かない

ここではないどこかへ

きっとそこで
「本当の戦士」ってやつに・・・・・・
なったんだろう

(トルケルの言葉、「第40話 トールズ伝」、『ヴィンランド・サガ』第6巻、139~140ページ) (*84)

こんなオレでもな・・・・・・
たったひとつ後悔してることがある

「なぜあの時
 オレはトールズについていかなかったのか」

ってな・・・

残念だ
あン時 奴についてっていれば・・・・・・

「本当の戦士」の秘密を知ることができただろう

(トルケルの言葉、『ヴィンランド・サガ』第6巻、211~212ページ) (*85)

▲ もくじへもどる

トルフィンの「本当の戦い」

トルフィンの「本当の戦い」

(*86)

トルフィンは、トールズが死んだ日から11年間ずっと、憎悪と殺戮の嵐のなかで、荒んだ心をかかえたまま生きてきました。 (*87)

ですが、アシェラッドを失ったことで、自分を見失ってしまい、魂が抜けたような状態のまま、奴隷の身に堕とされ、ケティル農場に流れ着きます。

ここから、ケティル農場での一連の出来事がはじまります。

そして、このケティル農場での一連の出来事を経験したことで、トルフィンは、「ヴィンランドに平和の国を作る」という「本当の戦い」を戦うことを決意することになります。

そして、この「本当の戦い」を戦うことは、「本当の戦士」への道でもあります。 (*62) (*63)

ここからは、その流れを追いかけながら、トルフィンが「本当の戦い」(「本当の戦士」への道)に目覚めてゆく経緯をたどっていきたいとおもいます。

▲ もくじへもどる

「誓い」

トルフィンは、ケティル農場に流れ着いたあともずっと、エイナルとはじめて出会ったときの状態のように、生きているのか死んでいるのかわからない、魂が抜けてしまったような状態でいたようです。

エイナルと出会ったあと、「砦」の「客人」であるキツネに呼び出され、殺されそうになったときも、トルフィンは、斬り殺されることを自ら選び、「生きていても死んでいてもおなじだ」と言わんばかりに、つぎのようなことを言います。

なんで・・・・・・
死ぬのをこわがらなくちゃいけないんですか
 
死にたくないから生きてるんですか?

生きてると何かいいことありますか?
 
 
オレはなかったよ
 
 
今日まで生きてきて・・・
いいことひとつもなかったよ

(トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第9巻、84~85ページ) (*88)

あるいは、もしかすると、このトルフィンの言葉は、「生きている理由がない」と言って死んでいった二人の女の子の言葉なのかもしれない、という気もします。

ですが、蛇が、トルフィンの本心を試すために、明白な殺気を込めて本当に殺すつもりで斬りかかったときは、身体が勝手に反応して回避をおこない、無意識に応戦の構えをとってしまいます。

それを見た蛇には、「お前は、本当は生きたがっているんだ」ということを指摘されてしまいます。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・生きたいのか・・・・・・・・・?

オレは・・・・・・

生きて・・・・・・・・・・・・・・・

どうするんだ・・・・・・・・・?

(トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第9巻、98ページ) (*89)

そのあと、エイナルとともに麦を育て、ケティルの父であるスヴェルケルや、蛇や、パテールたちとも触れ合い、さまざまなことを学ぶうちに、トルフィンは次第に生気をとりもどしていきます。

そして、それと同時に、過去を振り返り、自分自身のことを見つめ直すようになっていきます。

・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・もう・・・
憎んではいないさ・・・

だから
困るんだ・・・・・・
 
 
憎しみがなくなったらオレ・・・・・・

カラッポだ
 
 
カラッポなんだ

戦以外に何も知らないし 何もできない
意欲もない

屋根の雨もりの直し方ひとつ知らない
中身のない人間なんだ

(トルフィンの言葉、「第68話 カラッポな男」、『ヴィンランド・サガ』第10巻、107~108ページ) (*90)

そんなさなかに、エイナルとともにたいせつに育てていた麦の畑が、奉公人たちに根こそぎ荒らされてしまいます。

そのことで怒り狂ったエイナルを、トルフィンはなんとかなだめようと説得します。

・・・・・・・・・
オレは・・・・・・・・・

今までずっと・・・
奪ったり壊したりする側の人間だった・・・・・・

お前みたいに奉公人達に腹を立てる資格がオレにはないんだ・・・

お前が奉公人達をブッ殺すっていうんなら
オレもお前に100回はブッ殺されなきゃならないはずだ
 
 
・・・まず冷静になれ
復讐なんていいことないよ

(トルフィンの言葉、「第69話 いじめ」、『ヴィンランド・サガ』第10巻、131~133ページ) (*91)

そのあと、奉公人たちとのケンカのさなかに、不意をつかれて昏倒させられてしまったトルフィンは、幻のなかにあらわれた父トールズから、人を傷つけてきたことを咎められ、諭されます。

今ならお前にもわかるだろう トルフィン

お前に敵などいない

誰にも 敵などいないんだ

傷つけてよい者など
どこにもいない

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・いなかったんだ・・・・・・・・・・・・

(トールズの言葉、『ヴィンランド・サガ』第10巻、173~175ページ) (*92)

そして、罪の重さに引きずり込まれるようにして、「殺し合いの地獄」 (*93)に堕ちてしまいます。

Defeat of the Saxons by Arthur (*94)

そこで、トルフィンは、アシェラッドと再会し、これまでに自分が殺してきた死者たちと対面することになります。

「殺し合いの地獄」 (*95)

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
あなたが・・・
・・・・・・・・・・・・・・・

あなた達がどこの誰なのか・・・
わからない・・・・・・

いつ・・・・・・・・・
どこで・・・・・・
あなた達を殺したのか・・・

思い出せない・・・・・・

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
死にたく・・・
なかっただろうね・・・
 
 
ごめんよ・・・・・・・・・・・・・・・!

(トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第10巻、198~200ページ) (*96)

ここで、アシェラッドは、「本当の戦士」への道を示すかのように、トルフィンに発破をかけます。

オラ!
メソメソしてるヒマぁねェぞ!

またココに堕ちたかァねェんだろが!
 
 
そいつらをぶら下げたまま! 登れ!
 
 
登れ!!

それがお前の戦いだ!
 
 
行けェ!!
お前が殺したそいつらを連れて!!

本当の戦いを戦え!!

本当の戦士になれ!!
トルフィン!!

(アシェラッドの言葉、「第71話 誓い」、『ヴィンランド・サガ』第10巻、202~205ページ) (*97)

トルフィンの「本当の戦い」

(*86)

幻から目覚めたトルフィンは、自らの暴力と殺戮の過去を反省し、「暴力と決別して、償いをする」という「本当の戦い」を戦うことを誓います。

エイナル・・・
オレは・・・・・・
今まで暴力の中で生きてきた

なんの希望もなく・・・・・・
大勢の人達をこの手で殺してしまった・・・・・・

名前も知らない人達を
なんの恨みもない人達を・・・・・・

大勢・・・・・・

今日また 人を殴った
殴ったって何も解決しないのに・・・

もうこれっきりだ

オレはもう二度と人を傷つけない

もう今日で暴力と決別するんだ

生まれかわるんだ
生まれかわって償いをしなくちゃ・・・・・・・・・・・・!

本当の

本当の戦いを

戦うんだ・・・・・・!

(トルフィンの言葉、「第71話 誓い」、『ヴィンランド・サガ』第10巻、210~213ページ) (*98)

ぬかるんだ泥の道

(*99)

▲ もくじへもどる

「本当の戦い」

「ず――――っと先へ・・・・・・ トールズの行った世界のその先へ・・・・・・」

(*100)

――――っと先へ・・・・・・

トールズの行った世界のその先へ・・・・・・
トールズの子のお前が行け

それがお前の・・・
本当の戦いだ

――― アシェラッドの言葉、『ヴィンランド・サガ』第8巻 (*78)

 

それからも、エイナルと協力して開墾と畑作をつづけ、自由が目前に近づいてきたトルフィンは、エイナルに今後のことを聞かれて、つぎのように答えます。

「・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 やってみたいことはある
 
 
「ヘェ 何?」
 
 
「うん・・・
 いや・・・
 
 まだ色々ハッキリとしてなくてな
 
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 
 エイナル お前はどう思う
 
 世の中から・・・・・・
 戦争と奴隷を失くすことは
 
 できないもんかな・・・」

(トルフィンとエイナルの会話、『ヴィンランド・サガ』第11巻、44~45ページ) (*101)

「暴力と決別して、償いをする」というあの「誓い」のあとも、トルフィンはずっとそのことを考えつづけていたのでしょう。

そして、おぼろげながらも、「世の中から戦争と奴隷を失くす」ということ、それが自分にとっての「本当の戦い」なのではないか、と考えるようになってきたのだとおもいます。

「臆病者だと言われるだろう

 臆病者は仲間外れにされる」
 
 
「・・・・・・・・・・・・なんだよそりゃ・・・」
 
 
「でもいいんだ
 それならそれで仕方ない

 これ以上 彼らを背負うくらいなら
 仲間外れのほうがずっとましだ」
 
 
「・・・・・・彼ら?」
 
 
「死者達だ

 オレが殺してしまった人達・・・・・・

 彼らの霊が毎晩のように夢に現れてオレを責め苛むんだ

 『なぜ殺した』

 『父を殺され あんなにも怒り恨んだお前が
  なぜ何人もの父や兄や息子を殺したんだ』って・・・・・・

 オレはこの人達に償いをしなければいけない

 この人達が安らかに眠れる所へ連れていってあげなければ・・・・・・

 もうこれ以上は無理だ
 これ以上はひとりだって背負えない」

(トルフィンとエイナルの会話、「第83話 償い」、『ヴィンランド・サガ』第12巻、106~109ページ) (*102)

ずっと考えてる・・・・・・

どうすれば彼らがオレを許してくれるのか・・・・・・

剣を捨てるだけじゃだめみたいだ

そりゃそうだよな

これ以上殺したり壊したりしないってだけじゃ
今までやってきたことの償いとは言えない

今まで踏み荒らしてきた以上の麦をこの手で育てなくちゃ

今まで燃やしてきた以上の家をこの手で建て直さなくちゃ

今までオレが撒き散らしてきた死と破壊を
生と創造で少しでも補わなくちゃ・・・・・・

世界全体から戦争をなくす方法はオレにはまだわからない

でも・・・・・・
せめてこの世にひとつくらい
ほんの村ひとつくらいでもいいんだ

剣を必要としない地を創りたい

そこに・・・・・・
死者達の霊を鎮めるための塚を築きたいんだ

(トルフィンの言葉、「第83話 償い」、『ヴィンランド・サガ』第12巻、110~112ページ) (*103)

「この世の中どこへ行ったって
 剣の要らない国なんかないよな・・・・・・
 
 どこか・・・・・・地の果て・・・・・・
 果ての果てにでもいかなきゃ・・・
 
 ノルド海賊ヴァイキングでさえ来れないような・・・・・・・・・・・・
 
 そんな・・・・・・
 仲間外れの人間のための土地・・・・・・」
 
 
・・・・・・・・・・・・
なんだろう・・・・・・

遠い昔にも

こんなことを話したような気が・・・・・・
 
 
(水平線の向こうに・・・・・・
 もし・・・・・・
 
 戦もなくて
 奴隷商人もいない・・・・・・
 平和な国があるなら・・・・・・
 
 ここではない・・・・・・
 どこかに・・・・・・)
 
 
「水平線の向こう・・・
 
 
 どんな権力も届かない
 どんな奴隷商人も知らない
 
 水平線のずうっと向こうの地・・・・・・」
 
 
「・・・・・・あるのか?
 そんな土地が」
 
 
「ある
 
 忘れていた・・・・・・
 子供の頃 レイフという船乗りに
 その地の話を聞かせてもらったんだ
 
 西の大海の果てには豊かな土地が広がっていると
 手つかずの大地があるそうだ」

(トルフィンとエイナルの会話、「第83話 償い」、『ヴィンランド・サガ』第12巻、114~118ページ) (*104)

こうして、ここではないどこか、「仲間外れの人間のための土地」についておもいをめぐらせるうちに、記憶の底から、幼いころに伝え聞いた「ヴィンランド」の記憶が甦ります。

ここにおいて、やっと、「世の中から戦争と奴隷を失くす」という「本当の戦い」と、「ヴィンランド」の存在が、ほんの一時とはいえ、トルフィンのなかでわずかにおなじ道のりのうえに重なります。

▲ もくじへもどる

「最初の手段」

その後、ガルザルとアルネイズを逃がそうとして「蛇」と戦うことになってしまったあげく、ガルザルを死なせてしまったトルフィンは、「誓い」を破ってしまったことに思い悩みます。

「蛇さんと戦ってくれたんだろ?
 アルネイズさんとガルザルさんのために」
 
 
「うん・・・
 
 暴力と訣別するっていう誓いを破ってしまった」
 
 
「・・・・・・仕方ないさ
 トルフィン お前は人のためにやるべきことをやったんだよ
 
 戦わなきゃならない時もあるさ」
 
 
「・・・・・・・・・
 
 オレは・・・・・・蛇さんが好きだ
 優しくて筋の通った人だと思う
 
 蛇さんとりたくなかった
 
 戦った結果 ガルザルさんを死なせてしまった
 
 オレ頭 悪いからその・・・・・・
 うまく言えないんだけど・・・・・・
 
 もっと・・・・・・
 うまい方法があったんじゃないだろうか
 
 誰も死なずに済む
 誰も殴らずに済む
 そんなような
 そんなやり方をオレは探そうとしただろうか・・・・・・」
 
 
「・・・・・・・・・・・・無理だよ
 
 ガルザルさんが客人を殺した時点でもう・・・・・・」
 
 
「暴力は最後の手段だ
 
 なら最初の手段・・・・・・
 
 一番いい方法ってなんだったんだろう
 
 いつも「最初の手段」を選び取れるようになりたい
 
 そしてどこまで「最後の手段」を選ばずにいられるか・・・・・・
 
 傷つけていい人間なんてどこにもいないんだ」
 
 
「そうだな・・・
 その通りだ すまん」

(トルフィンとエイナルの会話、『ヴィンランド・サガ』第13巻、21~25ページ) (*105)

▲ もくじへもどる

「戦士の誕生」

そして、トルフィンとエイナルが捕縛されていたあいだに、裏切りに激昂したケティルが、アルネイズに瀕死の重傷を負わせてしまいます。

アルネイズは、それまで、戦争という「嵐」によって子どもと夫を奪われたことを、「過去」として記憶の底に押し込め、「嵐」を避けて生きてきました。

ですが、自分を捜し求める夫が招いた「嵐」にふたたび巻き込まれてしまい、結果として、その夫は目の前で殺され、さらに、もう一度人生をやり直す希望を託していたお腹の子まで殺されてしまったことで、生きることをあきらめてしまいます。

なぜ・・・・・・
生きなければならないの?

苦しいばかりなのに・・・・・・

なぜ・・・・・・・・・
私は・・・・・・・・・

生きなければならないの・・・?

(アルネイズの言葉、『ヴィンランド・サガ』第13巻、162~163ページ) (*7)

トルフィンとエイナルは、すべてを失い、死を受け入れようとする瀕死のアルネイズを、なんとかして死から呼び戻そうとするのですが、アルネイズは亡くなってしまいます。

皆が悲しみに黙するなか、「なぜ生きなければならないのか」というアルネイズの問いにこたえるようにして、トルフィンは、かつて、父であるトールズが死にゆく逃亡奴隷の男性に語りかけたときとおなじように (*8)、亡骸となったアルネイズにヴィンランドのことを語ります。 (*9)

まるで、アルネイズの魂に語りかけるかのように、自分自身に言い聞かせるかのように。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
はるかな西・・・・・・
 
 
大海の向こうに
ヴィンランドという名の・・・・・・
土地がある
 
 
そこは暖かく豊かで・・・・・・
奴隷商人も戦の炎も届かない遠い地だ

そこならきっとあなたも苦しまずに生きていける
 
 
アルネイズさん
オレ達と一緒にそこへ行こう

ヴィンランドに平和な国を作ろう

(アルネイズの問いに対して語りかけるトルフィン、『ヴィンランド・サガ』第13巻、169~171ページ) (*10)

その後、アルネイズの墓の前で、トルフィンはエイナルにつぎのようなことを話し、2人は「ヴィンランド」を目指す決意をします。

「なぜ生きなければならないのか」
 
アルネイズにそう問われた時
すぐには言葉が出てこなかった
 
彼女はもう・・・・・・
死よりも魅力あるものを全て失くしたんだ
 
生きなければならない責任も全て失くした
 
彼女にとって死は恐怖じゃない
 
最後の救い・・・・・・
完全なやすらぎだ
 
そんなアルネイズに
「だから生きろ」と言えるだけの言葉が
すぐには出てこなかった
 
 
死を超えるものが欲しい
 
 
アルネイズに胸を張って語ることができる
死を超えた救いと安らぎが生者の世界に欲しい
 
 
無いなら 作る
 
 
立て エイナル
 
 
兄弟 一緒に来い
ヴィンランドに平和の国を作る
 
やろう 兄弟
海の向こうに 奴隷も戦争もない国を作ろう
 
 
アルネイズのために
 
 

(トルフィンとエイナルの会話、『ヴィンランド・サガ』第13巻、185~190ページ) (*12)

File:Starr 041029-0266 Cenchrus ciliaris.jpg (*13)

 

こうして、紆余曲折を経て、トルフィンは、アルネイズのような行き場のない人たちのために、ヴィンランドに平和の国を作ることを決意します。

 

ここにおいて、トルフィンは、やっと、トールズとおなじ目線に立つことができたのではないかとおもいます。

トールズは、まだそこに至ってはいなかったものの、「本当の戦士」になろうとしていました。

そして、トルフィンもまた、「ヴィンランドに平和の国を作る」という「本当の戦い」を戦うために歩き出しました。
アシェラッドが何度も言っていることですが、「本当の戦い」を戦うことは、「本当の戦士」になることです。 (*62) (*63)

つまり、ここにおいて、トルフィンは、父であるトールズが目指したのとおなじ、「本当の戦士」に至る道に踏み出した、ということです。

そして、ここからの、「人生」という名のトルフィンの旅は、トールズの到達した地点を超えていく過程なのだろうとおもいます。

アシェラッドが惚れ込み、トルケルが唯一認めた、「本当の戦士」にもっとも近い人、トールズ。

ですが、そのトールズでさえ、暴力の象徴である剣を最後まで捨てることができませんでした。

それを、トールズの子どもであるトルフィンが乗り越えて、暴力を捨てることを目指す。

それが、「トールズを超える」ということではないかとおもいます。

これは、トールズという偉大な先人を超えていく過程であり、ここから先の道のりには、背中を追うことができる先導者はいません。

つまり、ここからは、自分自身の力で、もがきながら、あがきながら、手探りで、己の道を切り拓いて行かなければならないということです。

「本当の戦士」に近づいていく道

(*106)

 

トルフィンたちが「ヴィンランド」を目指す決意をする場面を描いたこの「93話」には、「戦士の誕生」というサブタイトルがついています。

ここでいう「戦士」というのは、「本当の戦い」を戦うことで、「本当の戦士」に近づいていく者のことを指しているのだろうとおもいます。

つまり、この「戦士の誕生」というサブタイトルは、「トルフィンが、「本当の戦い」を戦うことで、「本当の戦士」に近づいていく道を歩みはじめた」ということを象徴しているのではないかとおもいます。

▲ もくじへもどる

「無敵」

「無敵」

(*107)

オレは
クヌート お前の力の届かない場所に
お前とは違うやり方で平和な国を作るよ

お前の作る世界では生きていけない人達のために

お前と オレ自身のためにも

――― トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第14巻 (*108)

 

ケティル農場とクヌート王との戦いは終わりました。

ですが、トルフィンは、ケティル農場の人々に対するその後の処置についての寛大な対応を求めるために、エイナルが止めるのも聞かずに、クヌートに会いにいこうとします。

案の定、王の従士に阻まれますが、巨漢による100発の拳を受けきり、腫れ上がって顔面が歪むほどになりながらも、ついに認められ、クヌート王に見えることになります。

このとき、従士長のウルフに、「なぜ殴り返さないのか?」と聞かれて、つぎのように答えます。

あんた方とは今日会ったばかりだ
お互いのことは何も知らねェ
何の恨みもねェ

なんでオレ達が殴り合わなきゃいけねェんだバカバカしい

いがみ合ってるのはクヌートとケティルじゃねェかよ
親玉のふたりで将棋ネフアタルでもやって白黒つけりゃいいだろうが

こんな大勢集まって血を流す必要はまったくねェ
 
 
オレ達は今日会ったばかりだ

あんた方はオレの敵じゃない
 
 
オレに敵なんかいない
 
 

(トルフィンの言葉、「第96話 無敵」、『ヴィンランド・サガ』第14巻、88ページ) (*109)

 

この場面を描いた「第96話」には、「無敵」というサブタイトルがついています。

ここでのトルフィンは、「誰とも戦わない」ので、「戦う相手(=敵)がいない」のであり、「敵が無い」、つまり、「無敵」ということです。

 

「オレに敵なんかいない」

 

まさに、「無敵」ですね。

 
 

ちなみに、トルフィンがこの言葉を口にする場面を見たときは、かつて、『ヴィンランド・サガ』第2巻の「第7話」で、剣の魔性に魅入られそうになった幼いトルフィンに対してトールズが言った、つぎの言葉が甦ってきて、とても感慨深いものがありました。

…………剣が欲しいか トルフィン
 
剣は人を殺す道具だ
 
 
お前はこれで
 
誰を殺すつもりなんだ
 
 
お前の敵は誰なんだ
 
 
よく聞け トルフィン
 
お前に敵などいない
 
誰にも 敵などいないんだ

(トールズの言葉、「第7話 剣」、『ヴィンランド・サガ』第2巻、39~41ページ) (*110)

トルフィンが、「オレに敵なんかいない」という言葉を口にしたのは、無意識的なものだったのかもしれません。

ですが、おそらくは、幼いころに聞いた、「誰にも敵などいない」というこのトールズの言葉が、頭の片隅にずっとあったのではないかとおもいます。

そして、父とおなじように「本当の戦士」に至る道を歩みはじめたことで、トールズとおなじ目線に立つことができるようになり、それが影響して、トルフィンにさきほどの言葉を口にさせたのかもしれません。

 

余談ですが、ここでのトルフィンは、暴力をつかって「楽土」を実現させようとするクヌートのやり方をすべて否定しているわけではありません。

トルフィンは、クヌートと話すなかで、自分とクヌートのやり方は、お互いがお互いを補い合うものなのだいうことに気づいたのではないかとおもいます。

クヌートは、社会的多数派を救い、トルフィンは、そこからあぶれてしまった、社会的少数者を救う。

そうやって「分業」し、互いがそれぞれの人々を救うことで、最終的には、すべての人を救うことができるかもしれない。

そう考えたのかもしれません。

そして、クヌートもまた、トルフィンと会話するなかでそれに気付き、トルフィンを仲間と認めるようになりました。

敵だったはずの相手が、仲間になってしまう。

これも、まさに「無敵」ですね。

お前の権力は
多くの人を助けて
少しの人を虐げる
そういう性質のものなんだろう

(トルフィンの言葉、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻、132ページ) (*111)

「オレは
 クヌート お前の力の届かない場所に
 お前とは違うやり方で平和な国を作るよ
 
 お前の作る世界では生きていけない人達のために
 
 お前と オレ自身のためにも」
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 余の事業の埋められぬ穴をそなたが埋めるというのか
 
 できるのか? そなたに」
 
「お前も努力してくれよ
 オレの力はお前よりずっと小さいんだ
 あんまりデカい穴は手に負えねェ
 
 お前がこの調子で人々を迫害し続けるなら
 そのうち誰にもお前を助けることはできなくなる
 
 お前も努力しろ
 オレの仕事を増やすな」

(トルフィンとクヌートの会話、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻、139~141ページ) (*112)

私とクヌート王は
ひとつの仕事をふたりで分けることにしたんです

血と鉄で世界を変える試みは彼の領分です

私の仕事は別にあります

血と鉄を用いないのが私の領分です

(トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第19巻、63ページ) (*113)

・・・・・・・・・余は今まで・・・・・・・・・
 
余とともに戦う者はそなたぐらいしかおらぬと思っていた
 
 
だが 今日

新たな仲間を得た

異なる道で同じ目標を目指す仲間を
 
 
よい気分だ
 
 

(クヌートの言葉、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻、147~148ページ) (*114)

▲ もくじへもどる

「まず逃げなさい」

 

「違う!! あんなもん勇気じゃねェ!!
 
 オレは! 王の前でしくじった!
 
 わらわれて当然のバカで無能な男だ!
 なのに・・・・・・・・・・・・!
 
 なのに・・・・・・ オレは・・・・・・
 
 だまってわらわれる勇気がなかった・・・・・・!!
 
 オレは・・・・・・兄ちゃんみたいにはなれねェ
 ノルド戦士の名誉もどうでもいい
 
 降伏する
 
 わらいたきゃわらえよ」

「オレはわらわねェよ 若旦那」

――― オルマルと蛇の言葉、『ヴィンランド・サガ』第14巻 (*115)

 

『ヴィンランド・サガ』第14巻(冊子版)のカバーの折り返しのところに、作者である幸村誠さんの言葉として、下記のような文章が掲載されています。 (*16)

この文章には、「戦うことが重要なのではない」という考えがあらわれているような気がします。

きっと、『ヴィンランド・サガ』に登場する「本物の戦士」というものにも、幸村誠さんのこの考えが反映されているのだろうとおもいます。

まだ幼い息子達、長い物はなんでも「剣」と呼んで振りまわします。平たい物は「盾」、それ以外の物はなんだかわからん「武器」です。この世の物みんな武器かい息子達よ。「剣」が2本あればたちまちチャンバラが始まります。断言してしまいますが、多くの男の子は武器が好き。戦い大好き。ボクもそうでした。おもちゃ屋さんは銃や兵器のおもちゃでいっぱいです。まず武器を求め、次に武器を振るう相手を求める。理由なんかどうでもいいのです。彼らは戦いたいのです。光線銃をビシバシ撃って悪者の侵略者を撃退するのだ、ああ早く来ないかな悪者! そんな、常に何者かの攻撃を警戒し武装している息子達よ、やめとけやめとけ。妖怪や宇宙人と正面切って戦ったらケガじゃすまないぞ。いいからまず逃げなさい。逃げて逃げて、ど~~~しても逃げ切れなかったら、八方ふさがりに追い詰められてしまったら、その時は仕方ない、生き延びるために戦いなさい。逃げる、戦う、の順です。戦う、逃げる、では順序が逆です。

(幸村誠、『ヴィンランド・サガ』第14巻、カバーの折り返しのところの文章) (*116)

 

「クヌート
 お前が権力にまかせて無茶を通すつもりなら
 オレは」
 
(あの男は危険だ
 羊飼いに従わぬ羊を許してはならぬ
 殺せ
 
 一頭の羊の暴走が群れ全体を惑わし
 断崖へ走らせることもある
 そうなる前に殺すのだ)
 
「オレは」
 
(殺せ)
 
「オレは 逃げる」

(トルフィンとクヌート(スヴェン王の亡霊)の言葉、『ヴィンランド・サガ』第14巻、127~129ページ) (*117)

「我が版図は拡がり続けている

 やがてそこにも余の力が及ぶかもしれぬぞ」
 
 
「逃げられるだけ逃げてやるさ

 逃げる先があるうちはオレは戦わない」

(トルフィンとクヌートの会話、『ヴィンランド・サガ』第14巻、136~137ページ) (*118)

▲ もくじへもどる

「勝手に二択にするな」

「勝手に二択にするな」

(*119)

暴力は最後の手段だ

なら最初の手段・・・・・・

一番いい方法ってなんだったんだろう

いつも「最初の手段」を選び取れるようになりたい

そしてどこまで「最後の手段」を選ばずにいられるか・・・・・・

傷つけていい人間なんてどこにもいないんだ

――― トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第13巻 (*120)

 

「さァア どうするトルフィン!!
 
 目の前には最強の敵!
 そしてあんたは手負い!
 
 足元には1本の短剣!
 
 来いよ!!
 
 真剣ガチの勝負!!
 タマり合い!!
 
 オレが死ぬか アンタが死ぬか
 その二択しかねェぜ!!
 
 さァ!!
 短剣を拾え トルフィン!!」
 
 
 
「断る
 
 勝手に二択にするな」

(ガルムとトルフィンの会話、『ヴィンランド・サガ』第19巻、137~140ページ) (*121)

二択しかない?
バカ言うな

もっとあるさ

それを探すために旅してンだ オレは!

(トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第19巻、143ページ) (*122)

▲ もくじへもどる

「こうだったらいいのになとボクが願う主人公像、人間像」

(*123)

 

トルフィン
オレは・・・・・・
あなたのようになりたい

あなたのような・・・・・・

強くて

優しい

本物の男に

――― オルマルの言葉、『ヴィンランド・サガ』第14巻 (*124)

 

『ヴィンランド・サガ』第17巻(冊子版)のカバーの折り返しのところに、作者である幸村誠さんの言葉として、下記のような文章が掲載されています。 (*16)

ここには、幸村誠さんが理想とする人物像について書かれています。

ボクの大好きな児童小説「バイキングのビッケ」シリーズに、水車の力でノコギリを回して木を切る「まるのこ」という装置が登場します。主人公のヴァイキングの少年ビッケの発明です。この17巻ではおおいに参考にさせていただきました。スウェーデンの作家ルーネル・ヨンソン氏の書いた「バイキングのビッケ」シリーズ、日本でもアニメ化され、ご存知の方も多いと思います。ヴァイキングの勇敢な首領ハルバルの一人息子に生まれながらちょっと弱虫。平和を愛し、ケンカや乱暴が大嫌い。しかしとても頭がよく、様々なピンチを機転や発明で解決します。いろいろな新発見もします。

 「大事な発見は、自分ひとりだけで
       しまっておいてはいけないよ」

とビッケは言います。

 「かくしておいたら、何も進歩しないもの。
 ほかの人と分かちあえば、ほかの人もまた、
 いいことを教えてくれるだろう。
 そうすれば、みんながよくなる!」

・・・・・・デキた子やなぁ。彼には多くの人々に貢献する気持ちがあるのです。その「人々」には、父ハルバルと対立している敵さえも含まれます。ビッケの最もステキなところです。「バイキングのビッケ」シリーズには、こうだったらいいのになとボクが願う主人公像、人間像がシンプルかつ純粋に描かれていてとても好きです。ヴァイキングに生まれたからには勇ましく略奪遠征するべきだ、なんて思う必要はない。本当に正しい事と民族的常識が一致するとは限らないのです。その事をいつも忘れるまいと思っています。

ビッケの言葉はすべて『ビッケと空とぶバイキング船』
(著:ルーネル・ヨンソン 訳:石渡利康 評論社)
60ページより引用

(幸村誠、『ヴィンランド・サガ』第17巻、カバーの折り返しのところの文章) (*125)

ビッケにはすばらしいところがたくさんありますが、幸村誠さんの目には、敵にさえ心を向けるというビッケの姿が、とりわけまぶしく映っているようです。

また、幸村誠さんの「仲間外れの人間」に対してのまなざしも、この文章にあらわれているような気がします。

こうしたことも、また、トルフィンにとっての「本当の戦い」や、「本当の戦士」というものに影響をあたえているのだろうとおもいます。

▲ もくじへもどる

「だめだった時期の経験もすべて無駄にならないような成長過程を経ているんじゃないか」

ぬかるんだ泥の道

(*99)

オレは・・・・・・
今まで暴力の中で生きてきた

なんの希望もなく・・・・・・
大勢の人達をこの手で殺してしまった・・・・・・

名前も知らない人達を
なんの恨みもない人達を・・・・・・

大勢・・・・・・

今日また 人を殴った
殴ったって何も解決しないのに・・・

もうこれっきりだ

オレはもう二度と人を傷つけない

もう今日で暴力と決別するんだ

生まれかわるんだ
生まれかわって償いをしなくちゃ・・・・・・・・・・・・!

本当の

本当の戦いを

戦うんだ・・・・・・!

――― トルフィンの言葉、『ヴィンランド・サガ』第10巻 (*98)

 

以下は、幸村誠さんへのインタビューの文章です。
(なお、このインタビューは、『ヴィンランド・サガ』の第20巻が発売されるすこし前におこなわれたもののようです。)

ここでは、「なぜ幼少期から青年になるまでのトルフィンの来歴を描く必要があったのか?」という話を通して、幸村誠さんにとってのひとつの英雄像が語られています。

この『ヴィンランド・サガ』でいちばん描きたいと思っていた場面が、そろそろ見えはじめているんです。そうは言っても、実際に行き着くまでには1年ぐらいはかかるだろうけれども。そうやって、連載がはじまった12年も前からずっと「これを描くんだ!」というところにようやく漕ぎ着けられているのは、うれしいですよね。

それだけ大事な部分を描くには、人物もある程度は経験を重ねてなければいけなかった。だからこそ、成熟を描く必要もあったんです。

もちろん、初回から素晴らしい人格を備えていたり、登場した時点で多くの経験を積んだ後だったり……というようなキャラクターを描けば、こんなに時間はかからなかったのかもしれない。でも、僕はキャラクターをはじめから描きたかった。

だからこそ、大変に多くの欠点も抱えた6歳の男の子からスタートして、ある程度ではあるけれど、漫画の物語を通して経験を重ねた男性にまで育てあげたんです。それは、いわゆる「英雄」とされる存在と読者との間の断絶を埋めるつもりでやったことでした。

(中略)

英雄だって小さい頃にはしょうもない時だってあったはず。それが僕の観点です。家族を困らせたり、社会に馴染めなかったり、大変なあやまちを犯したりした英雄もいるかもしれない。そんなヒーローならば、だめだった時期の経験もすべて無駄にならないような成長過程を経ているんじゃないか、という……。

はじめは未熟だけど、いつかは英雄になってゆく。そんな成熟のプロセスを描ける物語もいいじゃないですか。もちろん、そういう成長をしていくからには、人を爆死させるような特殊能力なんて持てない、常識の範囲内のヒーローには留まるわけだけれど。

ただ、心のあり方としてはどんな人でも成熟することはできるし、その点では英雄も読者も変わらないので、その過程を描くことから「自分らしいヒーロー像を見せられるだろう」とも考えたんです。そこまで来るのに20巻ほどのストーリーが必要だったのですね。

時間が経てば経験が増えていきます。経験が増えれば、それを経験する前にはもう戻れません。経験を潜り抜けた違う人間になっているはずなので。だから、『ヴィンランド・サガ』の登場人物たちはなにかを経験したらしたぶんだけ変わっていきます。そこの変貌もしっかり描こうと思っていました。

キャラクターたちは面構えや体形も変わり、傷を負った時も治るものでなければいつまでも跡が残る。髪や髭も伸びたり縮んだりする。痩せたり太ったりもする。考え方も変わるわけですよね。いつまでも同じ姿で服さえ変わらないような人物の描写は違うだろう、と考えてきましたから。

(幸村誠、「6歳から描いたのは読者との断絶を埋めるため」、「コミックDAYSインタビューシリーズ」) (*126)

最初は、6歳のあどけないおさな子だったトルフィンは、これまでに、さまざまな経験をしつつ、たどたどしく揺れ動き、たくさんの「傷」を負いながら、すこしづつ、自分の進むべき道を見出してきました。

そうやってこれからも歩み続け、いつの日にか、「本当の戦い」を戦い抜いたトルフィンは、「本当の戦士」にたどりつくことになるのでしょう。

それが、ここで幸村誠さんが語る「さまざまな経験を重ねた英雄」なのではないかとおもいます。

 

ちなみに、登場人物たちの見た目の変化については、たとえば、トルフィンでいえば、これまでの戦いで負った体中の無数の傷 (*127)や、キツネに斬られて欠けた左耳 (*128)、蛇につけられた右頬の切り傷 (*129)、ガルムの槍に突き斬られた左耳の耳輪の傷 (*130)などが、彼の来し方を語る「一生傷」として、身体に刻み込まれています。

▲ もくじへもどる

「愛」とはなにか?

(*131)

不毛の地に立つもみの木は枯れる

樹皮も葉もそれを保護しない

誰にも愛されぬ人もこれと同じだ

どうして長生きしなければならないのか

―――オーディンの箴言より

――― 第55話の巻頭句、『ヴィンランド・サガ』第8巻 (*132)

 

『ヴィンランド・サガ』や、『プラネテス』では、「愛」というキーワードがしばしば登場します。

ですので、「愛」というものも、幸村誠さんの作品のなかのおおきなテーマのひとつなのではないかという気がします。

これは、幸村誠さんのなかに、「愛とはなにか?」という問題意識があるからなのかもしれません。

ここからは、そのことについてかんがえてみたいとおもいます。

「悪魔みたいな男」ロックスミスの「愛」

 

オレもグスコーブドリのように
オレの作ったエンジンで
みんなを幸せにしてやりたい

グスコーブドリのように

――― シン・ヤマガタの言葉、『プラネテス』第4巻 (*133)

 

 それはデモーニッシュというよりもイノセントなのかもしれません。
(…)
これは悪魔的とかじゃなくて、ごく天然自然でそのように行動したんじゃないでしょうか。きっとそういう人もいるんじゃないかと。

――― 幸村誠、「27歳の宇宙地図 デモーニッシュとイノセント」 (*134)

 

ロックスミスが愛のない人だとはおもえない。

それが、ぼくの印象です。

 

『プラネテス』には、ウェルナー・ロックスミスという人が登場します。

このロックスミスの人物像のモデルとなったのは、実在のロケット技術者ウェルナー・フォン・ブラウンという人のようです。

ロックスミスが造った木星往還船の名前である「フォン・ブラウン号」という名前は、このウェルナー・フォン・ブラウンにちなんだものです。

このウェルナー・フォン・ブラウンという人は、ある意味で、ナチスドイツとアメリカのふたつの大国を利用して、自分の夢であるロケット開発に邁進したようなところがあることから、「悪魔に魂を売った男」と呼ばれることもある人物です。 (*135)

そのフォン・ブラウンから「ウェルナー」の名を受け継いだロックスミスもまた、ハチマキの父親である星野五郎から、「悪魔みたいな男」と評されています。

それは、ロックスミスが、一見、冷酷なまでに自分の目標のことだけを考え行動している人物のように見えるからでしょう。

そのことは、タンデム・ミラー機関の二号エンジン臨界試験で爆発事故が起きたときの、ロックスミスのつぎのような態度にもあらわれています。

あ なに?
そういう心配してるわけ?

だーいじょうぶだって

研究施設の二つ三つふっとばしたって
結局私が更迭されることはないよ

なぜだと思う?
 
 
私が

宇宙船以外なにひとつ愛せないという

逸材だからさ

(ロックスミスの言葉、『プラネテス』第2巻、17~18ページ) (*136)

・・・・・・あの若造

ロックスミスか
ちょっとおもしろいね

人間性はともかく

自分のワガママをつくろうそぶりがまるでない

ああいう悪魔みたいな男はいい仕事するぞ

(星野五郎の言葉、『プラネテス』第2巻、36ページ) (*137)

たしかに、ロックスミスには、「悪魔」のように冷酷で自己中心的な側面があるようです。

ですが、つぎのようなロックスミスの言葉には、「悪魔」としての印象とはちがう、彼の別の一面があらわれているような気がします。

フォン・ブラウンの乗組員は
7年の航海と 互いの生死を共にする家族だ

私の宇宙船フォン・ブラウンの能力を最大限に引き出すには
良い家族を乗っけることが大事なんだよ

あの船はそーゆーふうに造ってある

大切な家族のため 君に何ができるのか
も少し考えてみてよ

(ロックスミスの言葉、『プラネテス』第3巻、96ページ) (*138)

ここでは、ロックスミスは、自分の宇宙船の乗組員のことを「大切な家族」と呼んでいます。

 

つぎの言葉は、二号エンジンの爆発事故の慰霊式典において、事故の総責任者として、遺族たちから敵意を向けられ、罵られながらも、慰霊碑への献花を終えたあとのロックスミスの言葉です。

今さら私が世間の評判を気にしたって始まらんさ

それよりも死んだ仲間に船が完成した事を報告できてよかった

(ロックスミスの言葉、『プラネテス』第4巻、41ページ) (*139)

ここでは、ロックスミスが仲間のことを気にかけていることがうかがえます。

 

また、慰霊式典からの帰りの車のなかで、ロックスミスがタバコを吸おうとしたとき、彼のライターのオイルは切れていて、火をつけることができませんでした。

これは、ロックスミスが、慰霊式典の前にたくさんタバコを吸っていた、ということを意味しているのかもしれません。

喫煙者は、ストレスが高まると、タバコを吸う量が増えるといいます。

もしかすると、「冷酷」で「悪魔のような男」であるはずの彼は、慰霊式典の前に、この式典に出席するであろう遺族たちの悲しみをおもい、ひそかに独り胸を痛めていたのかもしれません。

慰霊式典の前に、ライターのオイルが切れるほどたくさんタバコを吸ったのは、そのためかもしれません。

きっと、ロックスミスの灰皿は、吸い殻でいっぱいになっていたことでしょう。

 

余談ですが、作者である幸村誠さんご自身も、タバコをお吸いになるようです。 (*140)

その影響だとおもいますが、幸村誠さんのマンガ作品のなかには、喫煙についての場面がいろいろと登場します。

具体的には、たとえば、『プラネテス』において、フィーやハチマキやロックスミスがタバコを吸っている場面があったり、幸村誠さんの「宇宙葬」という短編マンガに登場する女性がタバコを吸っていたり (*141)、また、『プラネテス』のマンガが連載されていた週刊漫画雑誌『モーニング』に掲載された幸村誠さんの「近況報告」のなかに、自身の喫煙についての話があったりします (*140)

このように、幸村誠さんのマンガ作品のなかには、しばしば喫煙の場面があるので、タバコが表現方法の道具のひとつとしてつかわれることがあるのかもしれません。

ですので、「ロックスミスのライターのオイルが切れていた」ということも、じつは、「ロックスミスが慰霊式典に出席する遺族たちの悲しみをおもって胸を痛めていた」ということを、暗に示すための表現のひとつだったのかもしれません。

 

また、慰霊式典で、ロックスミスが遺族のひとりからタマゴを投げつけられたとき、避けようとおもえば避けられたのに、彼はあえてそれを避けずに、ぶつけられるがままにした、というような描写があります。

これは、ロックスミスが、遺族たちの怒りと悲しみを理解していたからではないかとおもいます。

彼自身がそういった感情のはけ口になることで、遺族たちの怒りと悲しみをすこしでも解消させてあげることができるなら、自分はあえてされるがままにしよう、というような考えがあったのではないかという気がします。

 

きっと彼は、「他人の気持ちを理解することができない」わけでも、「感情がない」わけでもなく、ただ、ほかの人たちのように、感情や気持ちを「おおげさ」に言動にあらわすことをしない、というだけなのではないかとおもいます。

 

慰霊式典のあと、ロックスミスは、自分の後輩であり、二号エンジンの爆発事故で亡くなったロケット技術者シン・ヤマガタの墓に出向き、そこで、シン・ヤマガタの妹のカナという女性に出会います。

カナに対してシン・ヤマガタのことを話しているとき、ロックスミスは、ライターのオイルが切れていて、火をつけることができないことがわかっているにもかかわらず、それでも、なぜか、タバコに火をつけようとする動作を何度も何度もくり返します。

「悪魔のように」冷徹で合理的な思考をするはずの彼が、無駄な努力だとわかっている行為を何度も何度もくり返したのはなぜでしょうか?

それはおそらく、カナと話すなかで、シン・ヤマガタのことが思い起こされ、自分が彼を殺してしまったことのつらさや、カナの悲しみを感じとったことで、ストレスを感じたからではないかとおもいます。

そして、慰霊式典の前にタバコをたくさん吸ったのとおなじように、そのつらさをまぎらわすために、なんとかしてタバコを吸おうとした、ということではないかとおもいます。

それで、何度も何度もタバコに火をつけようとしたのではないかとおもいます。

 

また、カナとのつぎのようなやり取りがあったあと、最後にロックスミスが「かなしくなった」と口にしたのはなぜでしょうか?

「あなたが殺したのよね!?

 兄はあなたに殺されたのよね!?」
 
 
「私に嫉妬するのは無意味だよ

 君も私もヤマガタ君の死になんの影響も及ぼしていない」
 
 
「嘘よ!

 あなたが兄さんの命を奪ったのよ!」
 
 
「彼はいつでもすすんで任務についた

 彼は死を恐れない」
 
 
「嘘よ!

 兄さんは!死にたくなんかなかったわ!
 あなたが・・・・・・」
 
 
「君の愛した人はグスコーブドリだったんだよ

 君のその愛が
 彼の心をとらえた事などないのだよ」
 
 

 
 
「主任!

 おケガは?」
 
 
「平気
 彼女が自殺しようとしたんだ

 車に乗せてやって 見張りをつけてね」
 
 
「ハ ハイ おい!」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・大丈夫ですか?主任」
 
 
「・・・・・・心配ない

 ただ かなしくなっただけだ」

(ロックスミスとカナの会話とロックスミスとボディーガードの男性の会話、「PHASE.18 グルコーブドリのように」、『プラネテス』第4巻、55~64ページ) (*142)

きっと、このとき、ロックスミスのなかでは、いろいろなつらさや悲しみなどの感情がないまぜになって、やりきれない気持ちになっていたのではないかとおもいます。

 

ロックスミスとカナの会話の場面が描かれている「PHASE.18 グルコーブドリのように」の話は、一見すると、カナの兄であるシン・ヤマガタという人物について語られている話であるようにおもえます。

ですが、じつは、シン・ヤマガタという人物に仮託するかたちで、その半分は、ロックスミス自身のことが語られている話なのではないか、という気がします。

ですので、シン・ヤマガタの言葉や願いは、じつは、その半分は、ロックスミス自身の言葉や願いであり、ロックスミスがシン・ヤマガタについて語っていることは、じつは、その半分は、ロックスミスが自分自身について語っていることなのではないかとおもいます。

 

また、「人間が目指すべき目標」を捨てたラモン博士に対して、ロックスミスが言ったつぎのセリフのなかには、「愛」という言葉がでてきます。

真理の探求は科学者が自らに課した使命です

「本物」の神はこの広い宇宙のどこかに隠れ
我々の苦しみを傍観している

いつまでも それを許しておけるほど
私は寛容な人間ではない

神が愛だと言うのなら
我々は神になるべきだ

さもなくば・・・・・・

我々人間は これからも永久に・・・・・・

真の愛を 知らないままだ

(ロックスミスの言葉、『プラネテス』第4巻、304~305ページ) (*143)

このように、「悪魔のような男」であるはずのロックスミスも、じつは、「愛」についておもいをめぐらせているようです。

 

余談ですが、『プラネテス』の物語全体の最終話である、第4巻の「PHASE.26 What a Wonderful World」の304~305ページで、ロックスミスが上記のセリフを言っている場面は、『ヴィンランド・サガ』の第14巻の「第97話 叛逆はんぎゃくの帝王」の112ページで、「神への叛逆はんぎゃく」を口にするクヌートのセリフの場面と、とてもよく似ているとおもいます。

これらの場面での、ロックスミスの言葉も、クヌートの言葉も、どちらも、根底には、「神への失望と怒り」があり、どちらも、「人間には愛がない」ということを言い、どちらも、「神に刃向かう」ことを宣言しています。

また、これらの場面での、ロックスミスの絵の描写(第4巻304ページの3コマ目の絵)も、クヌートの絵の描写(第14巻112ページの2コマ目の絵)も、どちらも、左を向いていて、逆光で表情が見えにくい姿として描かれています。

こうした類似点があるのは、幸村誠さんが、クヌートが「神への叛逆はんぎゃく」を口にする場面を描くときに、ロックスミスが「神に刃向かう」ことを宣言する場面を意識して、意図的に、その場面と似せて描いたからなのかもしれません。

もし、そうであれば、ある意味、『ヴィンランド・サガ』第14巻の「第97話 叛逆はんぎゃくの帝王」の112ページ以降の113~115ページのクヌートの言葉は、『プラネテス』第4巻の「PHASE.26 What a Wonderful World」の304~305ページでのロックスミスの言葉の、「続き」だと言えるかもしれません。

つまり、『ヴィンランド・サガ』第14巻の113~115ページのクヌートの言葉は、もしかすると、本来は、『プラネテス』第4巻の305ページ以降につづいていたかもしれない、ロックスミスの言葉のつづきなのではないかとおもいます。

もし、そうだとすれば、ロックスミスが孤独や非難もいとわずに宇宙開発に邁進しているほんとうの理由は、クヌートが孤独や罪科もいとわずに戦乱の道を突き進んでいる理由とおなじように、「平和で豊かな生き苦しむ者達のための理想郷」である「楽土」を実現させるためだったのかもしれません。

「ロックスミスさんは現代のグスコーブドリなんだよ」 (*144)「研究者になって人間の幸せのためにたたかったんだ」 (*145)という、シン・ヤマガタの言葉の背景には、そういった知られざるロックスミスの姿があったのかもしれません。

 

ちなみに、下記は、ある対談において、幸村誠さんが司会者から話題を振られて語った、ウェルナー・ロックスミスについての言葉です。

―『プラネテス』だと、木星に行く宇宙船の設計者でロックスミス主任という人物が出てきますね。えらくデモーニッシュなキャラですけれども。

幸村 うーん、どうなんでしょう。画家のノーマン・ロックウェルが、NASAの依頼だったと思うんですが、きれいな瞳で宇宙をめざす宇宙飛行士の絵を描いていますよね。でもフォン・ブラウンのことなんかを調べていると、どうもそれだけではないんじゃないかと思えてくるんです。
 じゃあ、プロジェクトの責任者としてどんな人が宇宙をめざすのかと考えると、生活の部分を殺せる人じゃないか、奥さんをないがしろにしたり、そもそも生活というものを持たない生き方をする人じゃないかという気がしたんです。
 それはデモーニッシュというよりもイノセントなのかもしれません。カメラマンのロバート・キャパなんかがそうだと思うんですが、かの有名なスペイン戦争で兵士が撃たれた瞬間の写真を撮ったとき、「あっ」という瞬間に普通なら駆け寄って助け起こすとかするんだろうけれども、キャパはシャッターを切っています。これは悪魔的とかじゃなくて、ごく天然自然でそのように行動したんじゃないでしょうか。きっとそういう人もいるんじゃないかと。

(幸村誠さんが司会者から話題を振られて語った言葉、「27歳の宇宙地図 デモーニッシュとイノセント」) (*134)

 

そのあと、ラジオでハチマキの「木星到達 第一声」のメッセージを聞いていたロックスミスは、つぎのようなことをつぶやきます。

・・・・・・・・・・・・

・・・・・・気安く愛を口にするんじゃねェ

(ロックスミスの言葉、『プラネテス』第4巻、324ページ) (*146)

 

こうした、ロックスミスのいろいろな側面を見ていると、一般的な意味での愛とはすこしちがうかもしれませんが、それでも、彼は「愛」というものについて、かなり深く考えている人なのではないか、という気がします。

そう、まるで、グスコーブドリのように。

 

余談ですが、「気安く愛を口にするんじゃねェ」というロックスミスの言葉には、あるいは、ハチマキやタナベたちが口にする「愛」に対する、幸村誠さん自身の自嘲的な気持ちも含まれているのかもしれない、というような気がします。

また、ロックスミスが、ラモン博士のもとへ向かう途中の車内で、ラジオからルイ・アームストロングの「素晴らしきこの世界」の歌が流れはじめたときに、まるで、そこで歌いあげられていることを否定するかのようにラジオを切ってしまう、という場面が描かれているのも、そういう気持ちからなのかもしれません。

▲ もくじへもどる

「酒呑み坊主」ヴィリバルドが語る「愛」と「愛という名の差別」

(*147)

 

なぜ、あなたはいつまでも私たちを忘れ
果てしなく私たちを見棄てたままにしておかれるのですか。
[旧約聖書 哀歌5-20]

――― 第27話の巻頭句、『ヴィンランド・サガ』第4巻 (*148)

 

『ヴィンランド・サガ』には、いつも酒を飲んでばかりいるヴィリバルドという修道士が登場します。

ヴィリバルドは、あまりに酒ばかり飲んでいるので、「酒呑み坊主」 (*149)や、「酒漬け坊主」 (*150)と呼ばれています。

おそらく、彼がそこまで酒に溺れるようになったのは、「愛」を探し求めてさまよい、「愛」について真剣に考え抜いた果てに、生きているかぎり人間は「すべてを平等に愛すること」(「愛」を体現すること)ができない、ということを悟って、絶望してしまったからではないかとおもいます。

ヴィリバルドが、「私は酒が好きなわけではありません」と言っているように (*151)、彼は、上記のような絶望をなんとかまぎらわそうとして、しかたなく、酒を飲んでいる、ということなのではないかとおもいます。

そのように、痛々しいほど真摯に「愛」を追い求めた彼が語る真実は、一般的な意味での愛を信じている者にとっては、聞く者を虚無に突き落とすような無慈悲なものです。

マーシア伯領のセヴァーン川上流域での一件のとき、クヌートがまるで別人に生まれ変わったかのように突如として豹変し、「王」に目覚めたのも、ヴィリバルドがクヌートに説いた「愛の定義」を聞いたことがきっかけでした。

 

アシェラッド兵団の団員たちに、「愛」について問われたヴィリバルドは、つぎのように語っています。

「私の求めているものに比べれば
 金銀も美女もつまらない物だということです」

「ぜひ教えてくれ
 一体そりゃア何なんだ?」

「愛です」

「? アイ?」

「はい」

「なんだそりゃ 聞いたことねーな」

「食いモンじゃねーの?」

「あ オレ知ってる
 キリスト教徒がよく言う呪文かなんかだよ」

「銀でいうと何ポンドのものだ?」

「銀では測れません
 銀に価値を与えるのも愛だからです
 
 愛が全てに価値を与えるのです
 
 愛なくしては金も銀も馬も美女も
 全てが無価値だ」

(ヴィリバルドとアシェラッド兵団の団員たちの会話、『ヴィンランド・サガ』第4巻、86~88ページ) (*152)

 

つぎの、ヴィリバルドとアトリたちの会話において、ヴィリバルドは、「兄弟のきずな」と「愛」は、まったくの別物だと言っています。

「ああ じゃあ
 わかったアレだ つまり・・・
 こーゆーことだろ?ヴィリバルド修道士さんよ
 
 オレとこの兄貴がそうだ
 オレたち兄弟はガキの頃から何をする時でもいつも一緒だ
 お互い助け合ってやってきた」

「オレたちのこの信頼関係はそうそう銀には代えられねェよな 兄者!」

「あたりきよ 弟よ! まァ金額によるがな!」

「兄弟のきずな」
「どうよ?アタリ?」

「さァ・・・・・・
 どうなんでしょうね
 私の想像する愛とは全然違いますけど・・・・・・」

「素晴らしいことだとは思います
 あなた方兄弟にとってかけがえのないものなのでしょうね
 
 では私が戦場に立ったとして・・・・・・
 あなたは私の背後を守って下さいますか?」

「あァ? ヤだよ 何言ってんだお前?
 兄者とオレだからやれる戦法なんだっつーの!
 酒漬け坊主にオレの背中が任せられっかよ」

「・・・・・・でしょう
 だから ちがう」

(アトリとトルグリムとヴィリバルドの会話、『ヴィンランド・サガ』第4巻、152~155ページ) (*153)

ここで、アトリが言っている「兄弟のきずな」というものは、ヴィリバルドにとっては、「愛」ではなく、「差別」(一般的には愛という名で呼ばれているが、その実態は、「あつかいにをつけて別々の対応をする」という意味で、差別である行為)なのだろうとおもいます。

一方、ヴィリバルドにとっての「愛」とは、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接すること」なのだろうとおもいます。

ヴィリバルドが、一般的には「兄弟愛」と呼ばれるであろう、アトリとその兄のトルグリムの「兄弟のきずな」のことを、「愛ではない」と判断した理由はここにあるのだろうとおもいます。

つまり、アトリとトルグリムのあいだの「互いを信頼し助け合う」という関係は、あくまでも、この2人のあいだだけの限定的な関係であり、それ以外の人には適応されないので、ヴィリバルドは「愛ではない」と判断したのでしょう。

ちなみに、のちに、ヴィリバルドがクヌートに「愛の定義」を説く場面では、これらのことがよりくわしく語られています。

 

また、ヴィリバルドは、「神の愛」に対する疑念について、つぎのように語っています。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・

父よ

私の声はちゃんとあなたの耳に届いているのでしょうか

我らの父よ・・・・・・

あなたはあなたの姿に似せて私達をお作りになった
でも あなたはそのお力を私達に分けては下さらなかった

私達が最も必要とするものを
あなたはアダムに与えては下さらなかった

父よ

何故あなたは私達に試練を与えるのですか?
あなたが善き者も悪しき者も等しく愛されるというのなら
無力な私達の力を試すのは何のためですか

父よ 私の声は
あなたの耳に届いているのでしょうか

我らの父よ
私はあなたの愛を疑っています

(ヴィリバルドの言葉、『ヴィンランド・サガ』第5巻、22~25ページ) (*154)

ヴィリバルドは、きっと、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接しながら生きたい」とつよく願っているのではないかとおもいます。

ですが、それと同時に、人間は、生きているかぎり、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」ということができない、ということを悟ってしまっているのではないかとおもいます。
(このことについては、ヴィリバルドがクヌートに「愛の定義」を説く場面で、くわしく語られています。)

そうした矛盾をかかえて苦しむヴィリバルドの無念さが、この「神の愛」に対する疑念の言葉にあらわれているのではないかとおもいます。

ちなみに、「あなたはそのお力を私達に分けては下さらなかった」というのは、人間は「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」ことができないようになっている、ということだとおもいます。

ここで言う「お力」というのは、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」ことができる、ということだとおもいます。

そして、人間には、その「力」がない、つまり、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」ことができない、ということだとおもいます。

また、「あなたが善き者も悪しき者も等しく愛されるというのなら 無力な私達の力を試すのは何のためですか」というのは、「すべての人に対して平等に分けへだてなく接することが「愛」であるはずなのに、人々に試練を与えて、その結果によって人々に対するあつかいに差をつけることは不平等であり、「愛」ではない」というような意味だろうとおもいます。

つまり、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」ことができるという「愛」を備えているはずの神が、人々に試練を与えることで、試練を耐え抜いた者と、試練に敗れてしまった者を選別して、それぞれの人々に対して異なるあつかいをするのは、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」という「愛の定義」からはずれているので、神のおこないとしてはおかしいのではないか、という疑問の提示なのではないかとおもいます。

 

つぎの一連の会話は、ヴィリバルドがクヌートに「愛の定義」を説く場面での、ヴィリバルドとクヌートの会話です。

この会話のなかで、ヴィリバルドにとっての、「愛」と、「差別」(一般的には愛という名で呼ばれているが、その実態は、「あつかいにをつけて別々の対応をする」という意味で、差別である行為)の違いが語られます。

「・・・・・・夢を見た
 ラグナルの夢だ
 
 別れを告げられた
 死んでまで律儀な男だ
 
 もうこの地上に
 私を愛してくれる者はいなくなった」
 
 
「それは大いなる悟りです
 だが惜しい
 
 ラグナル殿のあなたへの思いは愛ですか?
 
 彼はあなたの安全のために
 62人の善良な村人を見殺しにした
 
 殿下 愛とはなんですか?」

(クヌートとヴィリバルドの会話、『ヴィンランド・サガ』第6巻、28~30ページ) (*155)

「・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・愛とはなにか だと?
 
 ラグナルは私を愛していなかったというのか?」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・はい・・・」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・ならば問うのは私のほうだ
 
 ラグナルに愛がないのなら
 正しく愛を体現できる者はどこにいるのだ」
 
 
「そこに居ますよ ホラ
 
 
 彼は死んでどんな生者よりも美しくなった
 
 愛そのものといっていい
 
 彼はもはや
 憎むことも殺すことも奪うこともしません
 すばらしいと思いませんか?
 
 彼はこのままここに打ち捨てられ
 その肉を獣や虫に惜しみなく与えるでしょう
 
 風にはさらされるまま
 雨にはうたれるまま
 
 それで一言半句の文句も言いません
 
 死は人間を完成させるのです」
 
 
「・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・愛の本質が・・・死だというのか」
 
 
「はい」
 
 
「・・・・・・ならば親が子を・・・
 夫婦が互いを
 ラグナルが私を大切に思う気持ちは一体なんだ?」
 
 
「差別です
 
 王にへつらい奴隷に鞭打つこととたいしてかわりません
 
 ラグナル殿にとって王子殿下は他の誰よりも大切な人だったのです
 
 おそらく彼自身の命よりも・・・
 
 彼はあなたひとりの安全のために62人の村人を見殺しにした
 
 差別です」
 
 
「・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 そうか・・・
 
 わかってきた・・・・・・
 まるで 霧が晴れていくようだ・・・・・・
 
 
 この雪が・・・愛なのだな」
 
 
「・・・・・・・・・・・・そうです」
 
 
「あの空が あの太陽が
 吹きゆく風が
 木々が 山々が
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・なのに・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 なんということだ・・・・・・
 
 世界が・・・・・・・・・
 神の御技がこんなにも美しいというのに・・・
 
 人間の心には愛がないのか」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・私達が・・・
 このような生き物になってしまったのは・・・・・・
 
 遠い祖先が神に背き罪を犯したせいだといわれています
 
 私達は楽園から追放されたのです」

(クヌートとヴィリバルドの会話、「第37話 愛の定義」、『ヴィンランド・サガ』第6巻、57~68ページ) (*156)

ヴィリバルドにとっての「愛」とは、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接すること」なのだろうとおもいます。

そのため、「クヌートのために、62人の村人を見殺しにした」というラグナルのおこないは、「愛」ではなく、「差別」(一般的には愛という名で呼ばれているが、その実態は、「あつかいにをつけて別々の対応をする」という意味で、差別である行為)なのだ、とヴィリバルドは言いたいのだとおもいます。

これは、以前に、アトリが言っていた「兄弟のきずな」というものが、ヴィリバルドにとっては、「愛」ではなく、「差別」(一般的には愛という名で呼ばれているが、その実態は、「あつかいにをつけて別々の対応をする」という意味で、差別である行為)であったのとおなじことです。

アトリにとっての「兄弟のきずな」とは、「自分の兄だけを助け、ほかの人は助けない」というものです。

つまり、アトリの言う「兄弟のきずな」とは、なにかをほかのものよりも軽視し、また別のなにかをほかのものよりも重視する、というものです。

ですので、ヴィリバルドにとっては、アトリの言う「兄弟のきずな」は、「愛」ではなく、「差別」(一般的には愛という名で呼ばれているが、その実態は、「あつかいにをつけて別々の対応をする」という意味で、差別である行為)だ、ということになるのでしょう。

おなじように、「親が子を大切に思う気持ち」も、「夫婦が互いを大切に思う気持ち」も、「ラグナルがクヌートを大切に思う気持ち」も、これらすべてが、なにかをほかのものよりも軽視し、また別のなにかをほかのものよりも重視する、というものです。

上記のそれぞれの「気持ち」は、「自分の子ども」や、「自分の伴侶」や、「ラグナルにとっては子ども同然のクヌート」を重視する一方で、「自分の子ども以外の子どもたち」や、「自分の伴侶以外の人々」や、「クヌート以外の人々」を軽視する、というものです。

そのため、ヴィリバルドにとっては、これらの行為のすべてが、「差別」(一般的には愛という名で呼ばれているが、その実態は、「あつかいにをつけて別々の対応をする」という意味で、差別である行為)だ、ということになるのでしょう。

また、ヴィリバルドが、これらの行為のすべてが、「王にへつらい奴隷に鞭打つこととたいしてかわりません」と言っているのは、これらの行為のすべてが、まるで「奴隷に鞭打つ」のとおなじように、なにかをほかのものよりも軽視し、まるで「王にへつらう」ように、また別のなにかをほかのものよりも重視する、という行為だからなのだとおもいます。

 

また、ヴィリバルドは、「愛を体現できるのは、死者だけだ」というようなことを言っています。

彼がこのように言っている背景には、つぎのようなかんがえがあるのだろうとおもいます。

「生きる」ということは、なにかをほかのものよりも軽視し、また別のなにかをほかのものよりも重視する、ということです。

たとえば、動物は、生きるために、捕食対象を傷つけ殺し、その生命を奪います。

そしてまた、動物は、自分の子孫を残すために、たとえほかの生命を犠牲にしてでも、自分の血を分けた子どもの命を守ろうとします。
(これが、ヴィリバルドが言う「差別」(一般的には愛という名で呼ばれているが、その実態は、「あつかいにをつけて別々の対応をする」という意味で、差別である行為)なのだとおもいます。)

このように、「生きる」ということは、「なにかをほかのものよりも軽視し、また別のなにかをほかのものよりも重視する」ということなのです。

ですので、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接すること」、つまり、「すべてを平等に愛すること」(「愛」を体現すること)は、生きているかぎり不可能なのです。

ヴィリバルドは、上記のような考えをもっているのではないかとおもいます。

 

逆に、命をもたないものは、なにかをほかのものよりも軽視したり、また別のなにかをほかのものよりも重視したりすることがありません。

死者は、なにも軽視しないので、「憎むことも殺すことも奪うこともしません」。

死者は、なにも重視しないので、「その肉を獣や虫に惜しみなく与え」、「風にはさらされるまま 雨にはうたれるまま それで一言半句の文句も言いません」。

このように、命をもたないものは、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」のです。

そのため、「すべてを平等に愛すること」(「愛」を体現すること)ができるのは、命をもたないものだけなのです。

ヴィリバルドが、「死は人間を完成させる」ということや、「愛の本質は死だ」ということを言っているのは、死者は命をもたないので、なにかを軽視したり重視したりせず、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」という、「すべてを平等に愛すること」(「愛」を体現すること)ができるからなのだろうとおもいます。

また、ヴィリバルドが語る「愛の定義」を理解したクヌートが、「雪や、太陽や、風や、木々や、山々が、愛だ」というようなことを言っているのは、これらのものが命をもたないものであり、なにかを軽視したり重視したりせず、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」という、「愛」を体現しているものだからなのだろうとおもいます。

 

クヌートが、「世界は美しいのに、人間の心には愛がない」というようなことを言っているのは、つまり、世界(自然(命をもたないもの))は、なにかを軽視したり重視したりせず、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」という、「愛」を体現しているのに、人間(生きているもの)は、なにかを軽視したり重視したりする「差別」しかできない、ということを嘆いて言っているのだとおもいます。

 

以上のようなことが、ヴィリバルドの言う「愛の定義」なのだろうとおもいます。

 

そして、上記のクヌートとヴィリバルドの会話の最後に、ヴィリバルドが言った、「私達は楽園から追放されたのです」という言葉が、クヌートが「楽土」を追い求めるきっかけになったようです。

▲ もくじへもどる

「叛逆の帝王」クヌートの「愛」と「楽土」

(*157)

 

宇宙服スーツはどうしたハチマキ!!

自分をよろわずにこの大宇宙で生きていけると思うのか!?

忘れるな!

宇宙に神はなく!

お前が生命を余す所なく謳歌するためには!!

ハチマキ!
お前は絶対でなければならない!!

――― ハチマキの自己像幻視、『プラネテス』第2巻 (*158)

 

わかるもんね

ハチマキ先輩 ムリしてる

――― タナベの言葉、『プラネテス』第2巻 (*159)

 

『ヴィンランド・サガ』には、クヌートという人が登場します。

クヌートは、デンマークとイングランドの2大国の覇者であるスヴェン王を父にもつ王子として、物語に登場します。

物語に登場した当初、クヌートは、人前でまともに話すこともできず、従者の影で弱々しく息を潜めているばかりでした。

ですが、王子である自分を利用しようとする者たちの争いの渦中におかれるなかで、父親同然の存在であった忠臣ラグナルを失ったことや、ヴィリバルドから人間が「愛」を失った生き物であることを知らされたこと、父であるスヴェン王が王位継承争いの火種になりかねない自分を殺そうとしていることを自ら認めたこと、などの一連の出来事をとおして、クヌートの言動はまるで別人になったかのように大きく変化します。

その変化を経たあとのクヌートの様子をいくつかご紹介したいとおもいます。

つぎの言葉は、ヴィリバルドから、「愛の定義」と、人間が「愛」を失い「楽園」を追放された存在であるということを聞かされたあとのクヌートが、正気を失い錯乱したビョルンに襲いかかられそうになったときに口にした言葉です。

・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・正気?

正気の人間がこの世のどこにいるのだ
 
 
みな同じ
みな同じだ

誰もが等しく愛することを知らぬのであろうが

生の意味を知らず
死の意味を知らず

己の戦う意味さえも知らぬ

もういい
もううんざりだ

(クヌートの言葉、『ヴィンランド・サガ』第6巻、77~79ページ) (*160)

ここで、クヌートが言っている「誰もが等しく愛することを知らぬ」というのは、すべての人間は、なにかを軽視したり重視したりする「差別」しかできないので、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」こと(「すべてを平等に愛すること」)ができない、ということを言っているのだとおもいます。

 

上記の言葉につづいて、クヌートは言います。

智を得て

かわりに失ったもの

最も大切なもの

そしてそれは

生ある限り私達の手には入らぬもの
 
 
手には入らぬ

それでも

それでも追い求めよというのか!

天の父よ!

(クヌートの言葉、「第39話 王の目覚め」、『ヴィンランド・サガ』第6巻、82~84ページ) (*161)

ここで、クヌートが言っている「智を得て かわりに失ったもの 最も大切なもの」というのは、ヴィリバルドの言う「愛」、すなわち、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」こと(「すべてを平等に愛すること」)だとおもいます。

また、「そしてそれは 生ある限り私達の手には入らぬもの」というのは、生きているものは、なにかを軽視したり重視したりする「差別」しかできないため、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」こと(「すべてを平等に愛すること」)はできない、ということだとおもいます。

この「生きているものには、「愛」はなく、「差別」しかできない」ということについては、さきほどヴィリバルドが語る「愛」と「差別」についてご説明したときにお話したとおりです。

また、「手には入らぬ それでも それでも追い求めよというのか!」というのは、人間には「愛」がないということが頭ではわかっていても、それでも、まるで乾ききった砂漠で水をもとめるかのように、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」(「すべてを平等に愛する」)という生き方がしたいと、どうしようもなく、つよく希求してしまうクヌート自身の心の叫びなのだろうとおもいます。

 

そして、クヌートは、自分に襲いかかろうとしたビョルンに詰め寄り、つぎのようなことを言います。

あわれな戦士
最も愛より遠き者

楽園を追われし者よ

そなた達の罰の苦しみは
死より他に終わらせる術がないのか!?

我々の生は!
試され耐え続けるためにのみあるというのか!
天の父よ!

あなたの与える試練ではこの者の魂は救えぬ!!
 
 

 
 
(父よ

 もはやあなたの救いは求めぬ

 あなたが与えてくれぬなら

 我々の手で

 この地上に再び楽園を・・・・・・!)

(クヌートの言葉、「第39話 王の目覚め」、『ヴィンランド・サガ』第6巻、86~91ページ) (*162)

ここで、クヌートが言っている「最も愛より遠き者」というのは、ノルド戦士ヴァイキングたちのことだとおもいます。

ヴァイキングたちがおこなっている、「自分の利益のために、平然と他者を傷つけ殺し奪う」という行為は、「なにかをほかのものよりも軽視する」という「差別」の最悪のかたちです。

これは、ヴィリバルドが言った、「奴隷に鞭打つ」行為(「軽視する差別」)を、極限まで残酷にしたものだと言えるでしょう。

そのような意味で、ヴァイキングたちがおこなっている行為(究極の「差別」)は、「愛」、つまり、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接すること」(「すべてを平等に愛すること」)から最も遠いところにある行為だと言えるとおもいます。

このようなことから、クヌートは、ノルド戦士ヴァイキングたちのことを、「最も愛より遠き者」と呼んでいるのだとおもいます。

また、「そなた達の罰」というのは、「愛」を失ってしまったことだろうとおもいます。

また、「死より他に終わらせる術がない」というのは、「生きているものには、「愛」はなく、なにかを軽視したり重視したりする「差別」しかできないので、生きているものが、「愛」、つまり、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接すること」(「すべてを平等に愛すること」)を体現しようとすれば、死んで命のないものになるしかない」ということを言っているのだとおもいます。

この、「生きているものには、「愛」はなく、「差別」しかできない」ということや、「命のないものだけが、なにかを軽視したり重視したりする「差別」をせず、「愛」を体現している」ということについては、さきほどヴィリバルドが語る「愛」と「差別」についてご説明したときにお話したとおりです。

 

また、「我々の生は! 試され耐え続けるためにのみあるというのか! 天の父よ!」というクヌートの言葉は、さきほどご紹介した、ヴィリバルドが「神の愛」に対する疑念を口にしていたときの言葉を受けての言葉ではないかとおもいます。

ヴィリバルドは、「神の愛」に対する疑念として、「何故あなたは私達に試練を与えるのですか? あなたが善き者も悪しき者も等しく愛されるというのなら 無力な私達の力を試すのは何のためですか」と言っていました。

このヴィリバルドの言葉の意味は、「すべての人に対して平等に分けへだてなく接することが「愛」であるはずなのに、人々に試練を与えて、その結果によって人々に対するあつかいに差をつけることは不平等であり、「愛」ではない」というような意味だろうとおもいます。

つまり、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」ことができるという「愛」を備えているはずの神が、人々に試練を与えることで、試練を耐え抜いた者と、試練に敗れてしまった者を選別して、それぞれの人々に対して異なるあつかいをするのは、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接する」という「愛の定義」からはずれているので、神のおこないとしてはおかしいのではないか、という疑問の提示なのではないかとおもいます。

そして、この場面での、「我々の生は! 試され耐え続けるためにのみあるというのか! 天の父よ!」というクヌートの言葉も、上記のヴィリバルドの言葉とおなじように、「神の愛」に対する疑念をあらわしているのではないかとおもいます。

 

こうして、「神との訣別」を宣言したクヌートは、失われた「愛」を取りもどし、「愛」の対極に位置する存在であるヴァイキングたちを救うために、人間の力で地上に「楽園」を築くことを決意します。

 

つぎに、クヌートは、「楽園」を築く力を得るために、父であるスヴェン王を倒して玉座を奪うべく動き出します。

下記の言葉は、クヌートが、ゲインズバラでスヴェン王を討ち取るための策謀をめぐらせる場面で口にした言葉です。

・・・・・・・・・・・・
神は・・・・・・

こうしている今も
我々のことを見ていらっしゃるのだろうな・・・・・・

友を失い
親と子が殺し合う

そんな様の全てを
天空の高みから見下ろしておられるのだろう
 
 
許せぬ
 
 
私はこの地上に楽土を作るぞ

平和で 豊かな

行き苦しむ者達のための理想郷を・・・

私の代では成し得ぬかもしれぬ

それでも 最初の一歩を私が踏み出すのだ

神はきっと私を
御許みもとへ召そうとするだろう

その時 私は神にこう言うのだ

『もはや天の国も試練も要らぬ
 我々の楽園は地上にある』とな
 
 
・・・・・・我々が失ったものを取り戻すのだ

そのためには鬼にもなろう

(クヌートの言葉、『ヴィンランド・サガ』第7巻、19~23ページ) (*163)

ここでもまた、クヌートの、「神との訣別」や、失われた「愛」を取りもどし、地上に「楽土」(楽園)を築く、という決意が語られています。

ちなみに、この言葉のなかの、「友を失い」というのは、「クヌートがラグナルを失ったこと」を指していて、「親と子が殺し合う」というのは、「スヴェン王とクヌートが互いを殺そうとしていること」を指しているのだろうとおもいます。

 

その後、アシェラッドの捨て身の機転のおかげで王座を得たクヌートは、「楽土」を築く力を得るために、強権的な軍事政策を推し進めていきます。

つぎの言葉は、そうした軍事政策の財源確保の一環として、富農であるケティル農場の富を奪うために動き出した場面でのクヌートの言葉です。

わらいたくば嗤うがいい
呪いたくば呪うがいい

すべては楽土建設のため・・・・・・

すべては 失われた愛のためだ

(クヌートの言葉、『ヴィンランド・サガ』第11巻、186ページ) (*164)

この言葉には、「愛」を取りもどし、「楽土」を築くために、あえて、ヴァイキングたちとおなじように、「自分の利益のために、平然と他者を傷つけ殺し奪う」という、最悪のかたちの「差別」に手を染めることもいとわないという、クヌートの悲壮な決意があらわれている気がします。

 

ですが、クヌートのこうした態度には、疑問を感じるかもしれません。

その疑問とは、「愛」、つまり、「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接すること」(「すべてを平等に愛すること」)を目指しているはずのクヌートが、なぜ、「自分の利益のために、平然と他者を傷つけ殺し奪う」という、最悪のかたちの「差別」に手を染めているのか、という疑問です。

この疑問については、つぎのトルフィンの言葉が、クヌートの考えを言い表しているような気がします。

お前の権力は
多くの人を助けて
少しの人を虐げる
そういう性質のものなんだろう

オレにはそれがいいことか悪いことかわからないし
お前の無茶を責める資格もない

(トルフィンの言葉、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻、132ページ) (*111)

おそらく、クヌートは、人間に「愛」(「すべての存在に対して平等に分けへだてなく接すること」(「すべてを平等に愛すること」))を取りもどし、「楽土」(「平和で豊かな行き苦しむ者達のための理想郷」)を築くためには、社会を大きく変える必要があると考えたのでしょう。

そして、社会を大きく変えるためには、どうしても、強権的な軍事政策を推し進める必要がある、と判断したのでしょう。

また、その過程で、「差別」(「あつかいにをつけて別々の対応をする」)のなかでも、最悪のかたちの「差別」である、「自分の利益のために、平然と他者を傷つけ殺し奪う」という行為を、自らおこなうことになってしまう、ということも覚悟のうえで決断したのでしょう。

おそらく、クヌートは、「「差別」がはびこり、苦しみに満ちた社会に対して、このままなにもせずに、見て見ぬふりをしつづければ、自分は手を汚さずに済む」ということと、「少数の人々を犠牲にすれば、「愛」を取りもどし、「楽土」を築くことができるが、そのかわり、自分が手を汚すことになる」ということを天秤にかけて、後者を選んだ、ということではないかとおもいます。

それが、上記のトルフィンの言葉のなかにあった、「多くの人を助けて少しの人を虐げる」ということなのだろうとおもいます。

 

つぎの会話は、ケティル農場をめぐる戦いが終わったあと、トルフィンとエイナルが、クヌートに対してケティル農場からの撤退をもとめたとき、それに対する回答として、クヌートが「なぜ自分がケティル農場の富を奪おうとしているのか」という理由を語っている場面の会話です。

「・・・・・・あの波を起こしている者が誰か
 知っているかそなた達」
 
 
「・・・・・・・・・」
 
 
「神だ
 
 この地上に楽土を築くということは
 やつの定めた条理に逆らうということ
 
 神への叛逆はんぎゃく
 
 奴の定めに従っていては人間は幸福になれぬ
 
 愛を失った生き物は
 苦しむように定められているからだ」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・叛逆・・・・・・」
 
 
「我らを見よ トルフィン
 我らヴァイキングを
 
 この混乱と破壊の担い手を
 恐怖の略奪者を
 
 我らに楽園に住む資格があると思うか?
 
 だがこれこそ人間なのだ
 
 罪を犯し迷い続ける人間の姿そのものなのだ
 
 神に捨てられたこの者達を救わぬことには
 楽土の建設など到底おぼつかぬ」
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・ヴァイキングを・・・・・・・・・・・・ 救う?」
 
 
「そうだ
 余こそはヴァイキングの帝王
 
 神の定めに逆らう者である
 
 この者達を征し 御し
 その力を束ね
 
 楽土の建設へ向かわせることができる者は
 余をおいて他におらぬ
 
 力が必要だ
 
 人間の力を束ね
 神と戦うのだ」

(クヌートとトルフィンとエイナルの会話、「第97話 叛逆はんぎゃくの帝王」、『ヴィンランド・サガ』第14巻、111~115ページ) (*165)

ここでのクヌートの言葉にある「力が必要だ」というのは、社会を大きく変えるようとしているクヌートにとっては、どうしても、強権的な軍事政策を推し進めるための「力」が必要だということなのでしょう。

そして、その「力」を維持し拡大するためには、ケティル農場の富を奪う必要がある、ということだとおもいます。

これについては、第11巻の「第75話 王と剣」でも、クヌートは、「王とは剣だ こんな世の中で武力を持たぬ王に何ができる」と言っています。 (*166)

こうした言葉のとおり、クヌートはケティル農場の人々に対して、「傷つけ殺し奪う」という、最悪のかたちの「差別」をおこない、その富を奪おうとしました。

ですが、それもすべて、「自分の手を汚し、少数の人々を犠牲にしてでも、「愛」を取りもどし、「楽土」を築く」という目的のためなのだとおもいます。

 

余談ですが、『ヴィンランド・サガ』の第14巻の「第97話 叛逆はんぎゃくの帝王」の112ページで、クヌートが上記の言葉のような「神への叛逆はんぎゃく」を口にする場面は、『プラネテス』の物語全体の最終話である、第4巻の「PHASE.26 What a Wonderful World」の304~305ページで、ロックスミスが「神が愛だと言うのなら 我々は神になるべきだ」と言っている場面と、とてもよく似ているとおもいます。

これらの場面での、クヌートの言葉も、ロックスミスの言葉も、どちらも、根底には、「神への失望と怒り」があり、どちらも、「人間には愛がない」ということを言い、どちらも、「神に刃向かう」ことを宣言しています。

また、これらの場面での、クヌートの絵の描写(第14巻112ページの2コマ目の絵)も、ロックスミスの絵の描写(第4巻304ページの3コマ目の絵)も、どちらも、左を向いていて、逆光で表情が見えにくい姿として描かれています。

こうした類似点があるのは、幸村誠さんが、クヌートが「神への叛逆はんぎゃく」を口にする場面を描くときに、ロックスミスが「神に刃向かう」ことを宣言する場面を意識して、意図的に、その場面と似せて描いたからなのかもしれません。

もし、そうであれば、ある意味、『ヴィンランド・サガ』第14巻の「第97話 叛逆はんぎゃくの帝王」の112ページ以降の113~115ページのクヌートの言葉は、『プラネテス』第4巻の「PHASE.26 What a Wonderful World」の304~305ページでのロックスミスの言葉の、「続き」だと言えるかもしれません。

つまり、『ヴィンランド・サガ』第14巻の113~115ページのクヌートの言葉は、もしかすると、本来は、『プラネテス』第4巻の305ページ以降につづいていたかもしれない、ロックスミスの言葉のつづきなのではないかとおもいます。

もし、そうだとすれば、ロックスミスが孤独や非難もいとわずに宇宙開発に邁進しているほんとうの理由は、クヌートが孤独や罪科もいとわずに戦乱の道を突き進んでいる理由とおなじように、「平和で豊かな生き苦しむ者達のための理想郷」である「楽土」を実現させるためだったのかもしれません。

「ロックスミスさんは現代のグスコーブドリなんだよ」 (*144)「研究者になって人間の幸せのためにたたかったんだ」 (*145)という、シン・ヤマガタの言葉の背景には、そういった知られざるロックスミスの姿があったのかもしれません。

 

このように、「愛」をもとめながらも、戦争を起こして「傷つけ殺し奪う」側の人間になってしまったクヌートですが、それでも、心の底では「傷つけ殺し奪う」ことをずっと忌み嫌っているようです。

そのことは、下記のようないろいろな場面でのクヌートの言動にあらわているとおもいます。

第7巻「第46話 二匹の孤狼」では、トルフィンとアシェラッドの決闘の立会人を務めたときに、「戦いには興味がない」というようなことを言っています。

第7巻「第49話 カルルセヴニ」では、ヨークヨルヴィークにおいて、自分の影武者となって死ぬことになってしまった奴隷の女性に対して心を砕いています。

第8巻「第50話 謀略」では、自分の影武者として死んだ奴隷の女性の一件のようなことをくり返さないように、「今後二度と私の身代わりを立てることは許さん」と言っています。

第8巻「第53話 ブリタニア王猛る」で、剣を握る手が震えていたことや、「第54話 END OF THE PROLOGUE」で、緊張のあまり手がこわばって剣から手を離すことができなくなっていたのも、人を傷つけることを忌み嫌っていたために、それまで剣をつかって人を殺傷した経験がなかったということのあらわれだろうとおもいます。

第9巻「第61話 血の道」で、制圧後のマーシア伯領で略奪をおこなっていた自軍の兵士を死刑にしているのも、「傷つけ殺し奪う」ことを忌み嫌っていることのあらわれだろうとおもいます。

第11巻「第72話 呪いの首」では、まるで亡霊のようにスヴェン王の首があらわれるようになりますが、これは、どちらかというと、スヴェン王の亡霊というよりは、「傷つけ殺し奪う」ことをくり返している自分自身に対するクヌートの罪悪感の象徴なのではないかとおもいます。

第11巻「第75話 王と剣」で、クヌートとウルフの戦闘教練の試合のとき、それを見ていたクヌートの妹姫であるエストリズが、「でも・・・・・・ 兄様・・・・・・ なんだかとっても つらそうだわ・・・・・・」という発言をしたのも、クヌートが試合が終わるとすぐに剣を放り投げたのも、どちらも、本当はクヌートが人を傷つける道具である剣を忌み嫌っている、ということをあらわしているのだろうとおもいます。

第13巻「第87話 最初の手段」では、クヌートが「人も財産だ 無闇に失いたくはない」と言っています。

第13巻「第90話 飯の代金」では、ケティル農場に到着したとき、クヌートは、「よい土地だ 血に染めるには惜しい」と言っています。

第14巻「第94話 降伏勧告」では、自軍が圧倒的な勝利を収めたにもかかわらず、クヌートは、自軍の兵士たちによる略奪を禁じています。

 

このように、クヌートは、目的を果たすために、多くの人々を犠牲にして「傷つけ殺し奪い」ながらも、本心ではそうした行為を忌み嫌っているようです。

そのため、人々を犠牲にしている自分の行為と、そのような行為を忌み嫌う自分の本心とのあいだで、矛盾に苦しんでいたのではないかとおもいます。

「スヴェン王の亡霊」という名の罪悪感にさいなまれていたのも、そのためではないかとおもいます。

 

そして、そんなクヌートの前に、「ヴィンランドに平和の国を作る」ことを決意したトルフィンがあらわれたのです。

「楽土」を目指すクヌートと、「ヴィンランド」を目指すトルフィン。

クヌートは、このときはじめて、「ふたつの楽土」について思いをめぐらせたのではないかとおもいます。

▲ もくじへもどる

「ふたつの楽土」

(*167)

 

問題はこの誰にでも平等に無慈悲な世界を
どう受け入れるかってことだったのかもな

――― ハチマキの言葉、『プラネテス』第1巻 (*168)

 

ケティル農場をめぐる戦いの和平交渉のために、クヌートの前にあらわれたトルフィンは、農場から撤退するようにクヌートにもとめますが、クヌートはそれを拒絶し、なんとしてでもケティル農場を奪おうとします。

下記の会話は、それに対するトルフィンの返答と、その後のクヌートとトルフィンの会話です。

「クヌート
 お前が権力にまかせて無茶を通すつもりなら
 オレは」
 
(あの男は危険だ
 羊飼いに従わぬ羊を許してはならぬ
 殺せ
 
 一頭の羊の暴走が群れ全体を惑わし
 断崖へ走らせることもある
 そうなる前に殺すのだ)
 
「オレは」
 
(殺せ)
 
「オレは 逃げる」

(トルフィンとクヌート(スヴェン王の亡霊)の言葉、『ヴィンランド・サガ』第14巻、127~129ページ) (*117)

お前の権力は
多くの人を助けて
少しの人を虐げる
そういう性質のものなんだろう

オレにはそれがいいことか悪いことかわからないし
お前の無茶を責める資格もない

だからもう・・・・・・
逃げるしかないだろ

お前の権力の届かない遠くまで

(トルフィンの言葉、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻、132ページ) (*111)

「はははははっ
 あはははははははははは!!
 
 
 よ 余と
 駆け引きをしたがる者は多い
 
 罠にはめようとする者も
 殺そうとする者も
 
 だが そなたは ハハッ
 ハハハハ なんだそなたは!
 大馬鹿者め!
 
 なんの切り札もない!
 
 寸鉄も帯びず 散々殴られ
 農場接収をやめろと言いに来ただけか!
 ハハハハハ!」
 
 
「・・・・・・そんなに面白いかよ」
 
 
「・・・・・・・・・・・・
 面白い・・・
 
 これほどくらだらない和平交渉は初めてだ・・・
 
 だが・・・・・・」
 
 
(美しい男だ・・・・・・
 
 ヴァイキングの中からこんな男が生まれ得るのか・・・・・・)

(クヌートとトルフィンの会話、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻、135~137ページ) (*169)

「オレは
 クヌート お前の力の届かない場所に
 お前とは違うやり方で平和な国を作るよ

 お前の作る世界では生きていけない人達のために

 お前と オレ自身のためにも」
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 余の事業の埋められぬ穴をそなたが埋めるというのか

 できるのか? そなたに」
 
「お前も努力してくれよ
 オレの力はお前よりずっと小さいんだ
 あんまりデカい穴は手に負えねェ

 お前がこの調子で人々を迫害し続けるなら
 そのうち誰にもお前を助けることはできなくなる

 お前も努力しろ
 オレの仕事を増やすな」

 

「・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・フッ

 ハハハッ

 は は は は は

 

 面白い

 これほど難しい和平交渉は初めてだ」

(トルフィンとクヌートの会話、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻、139~142ページ) (*170)

「楽土」を目指すクヌートと、「ヴィンランド」を目指すトルフィン。

クヌートはこのとき、トルフィンと話すなかで、「ふたつの楽土」が併存し得るということをはじめて知ったのでしょう。

孤独だったクヌートにとって、このときのトルフィンの姿は、「合わせ鏡に映ったもうひとりの自分」のように、たのもしく感じられたのではないかとおもいます。

・・・・・・・・・余は今まで・・・・・・・・・

余とともに戦う者はそなたぐらいしかおらぬと思っていた
 
 
だが 今日

新たな仲間を得た

異なる道で同じ目標を目指す仲間を
 
 
よい気分だ

(クヌートの言葉、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻、147~148ページ) (*114)

▲ もくじへもどる

「惑う人」星野八郎太の「愛」と「つながり」

(*171)

 

だからオレはそれ以外のことはいっさいしないと決めた
それ以外のことを考えるのもやめようと思った

でも

でも 愛し合うことだけが
どうしてもやめられない

――― ハチマキの言葉、『プラネテス』第4巻 (*172)

 

「プラネテス」(ΠΛΑΝΗΤΕΣ)という言葉は、「さまようものたち」や「迷い子たち」や「惑星たち」というような意味の古いギリシャ語の言葉だそうです。また、この言葉は、「惑星」を意味する英語の「プラネット」の語源となった言葉の関連語です。(詳細は後述します。

おそらく、幸村誠さんは、『プラネテス』の物語に登場する、迷い、悩み、さまよいながらも生きる人々の姿を、「さまようものたち」や「迷い子たち」や「惑星たち」を意味する「プラネテス」という言葉に仮託して描いているのだろうとおもいます。

『プラネテス』は、幸村誠さんのデビュー作です。

そのたいせつなデビュー作の作品タイトルにするほどに、幸村誠さんは「プラネテス」という言葉に思い入れがあるようです。

幸村誠さんのなかでは、「さまようもの」や「迷い子」という言葉のとおり、「迷い、悩み、さまよいながらも生きる人々の姿を描く」ということが、ひとつの大きなテーマになっているようです。

実際、『プラネテス』や、『ヴィンランド・サガ』の物語のなかには、いろいろなところで、「迷い、悩み、さまよいながらも生きる人々の姿」が見受けられます。

『プラネテス』や、『ヴィンランド・サガ』に登場する人々が「さまよい」ながら生きているのには、人それぞれにさまざまな理由があります。

ですが、そのなかでも、とくに、「愛を求めてさまよう人々」に焦点があてられることが多いようです。

その代表格が、ここまでお話してきた、「愛」を探し求める、ロックスミスや、ヴィリバルドや、クヌートなのではないかとおもいます。

もちろん、ロックスミスも、ヴィリバルドも、クヌートも、そのほかの人々も、それぞれが求める「愛」のかたちは、人によってすこしつづ異なるのだろうとおもいますが、それでも、みな「愛を求めてさまよう人々」であることはおなじようです。

こうした、「愛を求めて、迷い、悩み、さまよいながらも生きる人々の姿」は、下記のクヌートの言葉や、ラモン博士の言葉や、ハチマキの言葉にもあらわれている気がします。

我らを見よ トルフィン
我らヴァイキングを

この混乱と破壊の担い手を
恐怖の略奪者を

我らに楽園に住む資格があると思うか?

だがこれこそ人間なのだ

罪を犯し迷い続ける人間の姿そのものなのだ

(クヌートの言葉、『ヴィンランド・サガ』第14巻、113~114ページ) (*173)

宇宙は広い

どれほど広いのか見当もつかんくらいだ

昔の私はどうかしていたのだ

この宇宙を創り給うた神に身のほども知らず挑戦した

宇宙開発はその罰であり罪そのものだ
 
 
完全な愛を渇望して得られぬまま
 
 
それでも人間は

その渇望ゆえに宇宙をさまよわずにはいられない

(ラモン博士の言葉、『プラネテス』第4巻、312~313ページ) (*174)

 

『プラネテス』の主人公であるハチマキ(星野八郎太)は、自分の夢を叶えるために、大宇宙を相手にして、独りで生きて独りで死ぬことを目指します。

ですが、そんなハチマキも、迷い、悩み、さまよいながらも、だんだんと、他者とのつながりに目を向けるようになっていきます。

下記のそれぞれのハチマキの言葉は、そうした心境の変化の過程のそれぞれの段階におけるハチマキの言葉を、時系列順にならべたものです。

「楽になりたいか?」
 
「はっ はっ な なんだ こりゃ ははっ」
 
「まともに話せもしないか

 だろうな

 宇宙は真摯でない者を愛さないからさ」

「はっ はっ はっ 
 だれだ はっ おまえ はっ」

「放射線の嵐の中を漂いながら感じただろ?
 「くたばるかもしれない」って

 でも本当は 救われる気分だったろ?」
 
「はっ はっ」
 
「わかってるんだろ?

 一介のデブリ拾い屋にすぎない今の自分には
 宇宙船を手に入れることなんてできっこないって

 それでもえ続けたのは
 いつまでも夢の途中でいたかったからさ

 たたかいきれないお前は
 ようやく今頃になって言い訳を探し始めている

 この病はお前が望んだんだぜ?」
 
「・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・うるせえ」
 
地球おかに降りて 結婚して年くって
 シリウスのかがやきを見上げながら
 「あの病がなければオレも今頃は・・・・・・」

 そう言い逃れる権利をお前は欲したんだ」
 
「うるせえ黙れ」
 
「認めろ

 受け入れて楽になって
 嘘をわびるんだ

 宇宙はお前を愛してはくれないが許してはくれる」
 
「黙れ!」

(ハチマキとハチマキの自己像幻視の会話、『プラネテス』第1巻、209~213ページ) (*175)

「独りで生きて
 独りで死ぬんだ
 
 それが完成された宇宙船員ふなのりだ!
 
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そのオッサンはな
 地球おかの上で満足できる人じゃねェんだよ
 
 オレにはわかる」
 
 
「独りで生きて 死んで
 なんで満足できるんですか バカみたいよ
 
 宇宙は独りじゃ広すぎるのに」

(ハチマキとタナベの会話、「PHASE.7 タナベ」、『プラネテス』第2巻、79~81ページ) (*176)

・・・・・・くそっ

仕方ねェんだ
仕方ねェんだよ

他にいいやり方なんかねェ

オレに必要なのは
あんた達じゃねェんだ

必要なのは
血の沸くような
自分への怒り―――
 
 
 
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・くそったれ

・・・・・・・・・・・・
タナベだ
あいつのせいだ・・・・・・

(ハチマキの言葉、「PHASE.10 惑う人達」、『プラネテス』第2巻、184~185ページ) (*177)

うるせえ!
助けろなんていってねェぞ!!

独りで生きて!
独りで死ぬんだ!!
オレ達は!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・どうして・・・

どうして助けにくるんだよ
どうして優しくするんだ・・・・・・

どうして・・・・・・
独りにしてくれないんだ・・・・・・
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
クソッタレ・・・・・・

こいつを・・・・・・
助けてやってくれ・・・・・・

(ハチマキの言葉、「PHASE.10 惑う人達」、『プラネテス』第2巻、194~196ページ) (*178)

上記の場面は、ハチマキが、重傷を負ったレオーノフを助けてくれるように、タナベに頼む場面です。

ですが、この場面で、ハチマキが言った「助けてやってくれ」という言葉は、ただ単に、「レオーノフの命を助けてくれ」という意味だけではなく、「自分(ハチマキ)の心を助けてくれ」という意味でもあるのだろうとおもいます。

「・・・・・・ああ
 ああそうか
 かんたんなことだったんだ

 オレの宇宙はちっぽけだったんだ

 この世に宇宙の一部じゃないものなんてないのか

 オレですらつながっていて
 それではじめて宇宙なのか」

「・・・・・・・・・・・・
 頭とか・・・・・・打ってないか? 兄ちゃん」

「おじさん」

「? はいよ」

「・・・・・・ありがとう
 助けてくれて」

(レオーノフ
 お前のいるその病室も宇宙なんだ)

「・・・・・・どういたしまして」

(ここも宇宙なんだ)

(ハチマキとトラックの運転手の会話、「PHASE.11 СПАСИБО」、『プラネテス』第2巻、243~246ページ) (*179)

宇宙服ごしに死の世界と隣り合って暮らしていく方法
誰でも知ってるようなことさ

オレァ カンが悪いから気付くのが遅れたよ

独りじゃないから
オレは生きていられるんだ

(ハチマキの言葉、「PHASE.16 ハチマキ」、『プラネテス』第3巻、187~188ページ) (*180)

・・・・・・ははは
ざまーみろ
無理矢理 関係してやった

この宇宙にオレに関係ない人間なんか一人もいねーんだ

はっはっは はっは
はっ はっ

(ハチマキの言葉、「PHASE.25 光の速さで45分」、『プラネテス』第4巻、281ページ) (*181)

スッゲーがんばんないと宇宙船なんか手に入らない
マジにならないとダメなんだ

だからオレはそれ以外のことはいっさいしないと決めた
それ以外のことを考えるのもやめようと思った

でも

でも 愛し合うことだけが
どうしてもやめられない

(ハチマキの言葉、「PHASE.26 What a Wonderful World」、『プラネテス』第4巻、320~321ページ) (*172)

▲ もくじへもどる

 

「プラネテス」の意味は「迷い子たち」

Plane tree Grove Tsav River2

(プラタナス) (*182)

幸村誠さんのマンガ『プラネテス』のタイトルである「プラネテス」(ΠΛΑΝΗΤΕΣ)という言葉は、複数形の言葉であり、「さまようものたち」や「迷い子たち」や「惑星たち」というような意味の古いギリシャ語の言葉だそうです。 (*183) (*184) (*185) (*186) (*187)

   ※「ΠΛΑΝΗΤΕΣ」(プラネテス):大文字での表記。
   ※「πλανήτες」(プラネテス):小文字での表記。

この「プラネテス」(ΠΛΑΝΗΤΕΣ)という複数形の言葉のなかの、最後から2つ目の文字の「Ε」を「Η」に変えると、この言葉の単数形である「プラネーテース」(ΠΛΑΝΗΤΗΣ)という言葉になります。

   ※「ΠΛΑΝΗΤΗΣ」(プラネーテース):大文字での表記。
   ※「πλανήτης」(プラネーテース):小文字での表記。

この「プラネーテース」(ΠΛΑΝΗΤΗΣ)という単数形の言葉には、「さまようもの」や「惑星」という意味があります。 (*188) (*189) (*186) (*190) (*191)

この「プラネーテース」(ΠΛΑΝΗΤΗΣ)というギリシャ語(ギリシャ文字アルファベット)の言葉を、ローマ字(ローマンアルファベット)で書くと、「PLANETES」(小文字:planetes)という表記になります。

このローマ字表記の「planetes」という言葉は、「惑星」を意味する英語の「プラネット」(planet)という言葉の語源になった言葉だそうです。

 

「さまようもの」を意味する「プラネーテース」という言葉が、「惑星」(まどう星)を意味するようになったのは、つぎのような理由からだそうです。

古代ギリシャにおいて、ほかの星々とちがう動きをするため「さまよっている」ように見える星のことを、「プラネーテース」(「さまようもの」)と呼んだ、ということのようです。

そして、この「プラネーテース」(「さまようもの」)という言葉が巡り巡って、漢字に翻訳されることになったときに、「まどう星」を意味する、「惑星」という言葉ができた、ということのようです。 (*192)

 

ちなみに、マンガ『プラネテス』のなかには、「PHASE.10 惑う人達」というサブタイトルがついた話があります。

また、アニメ版の『プラネテス』のなかには、「Phase 25 惑い人」というサブタイトルがついた話があります。

これらの「惑う人達」や「惑い人」というサブタイトルは、この作品のタイトルであり、「さまようものたち」や「迷い子たち」や「惑星たち」を意味する、『プラネテス』という言葉に由来するタイトルなのだろうとおもいます。

 

幸村誠さんが、この「プラネテス」という言葉について語った内容は、幸村誠さんに対するインタビュー記事や、『ふたごのプラネテス』という本の「あとがき」(「あとがきにかえて」)のところに掲載されています。

当時、大学でギリシア語を専攻していた中学校の頃からの友人に相談したら、宇宙の話だったら『プラネテス』はどうだろう、と名づけてくれたんです。

(幸村誠、「コミックDAYSインタビューシリーズ」) (*193)

 「プラネテス」という名前は友人に付けてもらいました。惑星という意味の古いギリシャ語です。我が家のFAXからこの単語がジキジキと出て来て、初めて目にしたときの印象は、「・・・・・・ヘンな名前」でした。観葉植物みたい。花屋さんの店先に並んだベゴニアとポトスの間にプラネテスっていう南米産の植物があってもおかしくないなって気がします。自分で古ギリシャ語訳を頼んでおいてなんですが。ともあれ、その観葉植物みたいなのが、ボクのデビュー作のタイトルになりました。
 『プラタナス』と呼ばれたこともありました。『プテラネス』というのもありました。『プラテネス』、う~ん、おしい! ・・・・・・いえ、あのー、覚えにくいのを承知でこの名にしたのには理由が、というよりこだわりがありまして。この『プラネテス』という単語には、惑星という意味の他に「迷い子」「迷ってる人」といった感じの意味もあるんだそうです。複数形だから、「迷い子たち」が正しいのかな。
 幼い頃、ボクは江の島という所で迷い子になった事があります。海水浴場です。夏でした。ものすごい人出で、この中から両親を見つけるなんてとてもムリだと思いました。怒った時の母がよく口にする、「お前なんかウチの子じゃない、橋の下から拾ってきたんだ」という言葉を思い出してビービー泣きました。次は誰に拾われるんだろう。
 ここはどこだろう、家までどのくらいだろう、ひょっとして、ボクはかなり悪ガキだから、父さん母さんは最初からボクの事を捨てるつもりだったのかも。この間も父さんのカメラ壊したし。ああ、ボクどうなっちゃうんだろう・・・・・・。
 というのが、今のボクの最も古い記憶です。たぶん、4~5才。2004年の現在、ボク28才。・・・・・・んー、あんまりかわってません。今もボクは迷いや不安や疑心で一杯です。後悔は10倍にふくれあがっています。きっと死ぬまでこのままでしょう。
 迷い子体質なんです、ボク。もう、しょうがないです。治りません。これがボクなんです。あきらめました。
 そんな僕のデビュー作のタイトルが「迷い子」。我ながら相応しいと思います。あーあ。
 たぶんこれからも、ボクはマンガを描き続けるのでしょう。タイトルに込めた初心を忘れず、めいっぱい迷い、疑り深く、やっていきたいと思います。プラネテスを楽しんで下さった皆さん、ありがとうございます。長文失礼しました。
 ・・・・・・いつか、迷いようのないものが見つかるといいなぁ。ひとつでいいから。・・・・・・ムリかなぁ・・・・・・どうだろう・・・・・・。

(幸村誠、「あとがきにかえて」、『ふたごのプラネテス』、146~148ページ) (*187)

 

余談ですが、上記の『ふたごのプラネテス』という本の「あとがき」のなかの、幸村誠さんの、「・・・・・・いつか、迷いようのないものが見つかるといいなぁ。ひとつでいいから。・・・・・・ムリかなぁ・・・・・・どうだろう・・・・・・」という言葉は、『プラネテス』第4巻の「PHASE.25 光の速さで45分」 (*194)の270~273ページのところの、ハチマキの言葉と、どこかかさなり合うものをかんじます。

そのハチマキの言葉というのは、下記の、「PHASE.25 光の速さで45分」の270~273ページの場面の会話で、ハチマキがサニーに対して、「すべての人類を感動させる名スピーチができれば、人類が銀河連邦に加盟するための条件が満たされるのではないか」という推測を語っている会話での言葉です。

「銀河連邦はオレ達人類が連邦に加盟する日をな
 心待ちにしてるんだそうだ」

「へーえ
 連邦加盟の条件は?」

「それはヒミツらしい

 オレ達人類が自分の力で発見して
 自分の力で体得しないといけないらしい」

(中略)

「・・・・・・・・・・・・
 船長がさ もしも彼の目指す通りにさ
 人間みんな一人残らず 赤ン坊からじいちゃんまで
 心から感動させる名スピーチができたならさ・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・なるほど

 でもムリでしょ」

「・・・・・・・・・・・・ムリかなぁ」

「ムリよ

 船長にはムリっていう事じゃなくてね

 人の心はわからないものよ
 たとえそれが親友や家族であっても ね

 でもさ

 だからこそ生きるのが面白いんじゃないの?」

「・・・・・・
 ムリかなあ・・・・・・

 そうかなぁ・・・・・・」

(ハチマキとサリーの会話、「PHASE.25 光の速さで45分」、『プラネテス』第4巻、270~273ページ) (*195)

おそらく、上記の場面で語られている、「人類をはるかに超えた文明をもつ銀河連邦に加盟する」ということも、「すべての人類を感動させる名スピーチをする」ということも、どちらも、一種の比喩であり、その意味するところは、「人類がゆるぎない絶対的なものを手にする」ということを言い換えたものなのではないかとおもいます。

この「人類がゆるぎない絶対的なものを手にする」ということは、つまり、さきほどの「あとがき」の幸村誠さんの言葉のなかにあった、「迷いようのないものを見つける」ということと、おなじなのではないかとおもいます。

ですが、サリーの言うように、やっぱり、そのような「迷いようのないものを見つける」ことは人間にはできず、人間はいつまでも「迷い子たち」として「宇宙」をさまよいつづけることになるのでしょう。

でも、もしかしたら、「だからこそ生きるのが面白い」のかもしれません。

▲ もくじへもどる

「人は人にとって」

この「「愛」とはなにか?」の章では、ここまでお話してきたように、『プラネテス』の物語と、『ヴィンランド・サガ』の物語に通底して流れている、「愛とはなにか?」という問題について考えてきました。

 

ところで、『ヴィンランド・サガ』の物語における、ケティル農場での一連の出来事の、最初のエピソードである第8巻「第55話」の巻頭句と、最後のエピソードである第14巻「第99話」のつぎの「第100話」の巻頭句は、どちらも「オーディンの箴言」から引用された言葉になっています。

つまり、ケティル農場での一連の出来事は、最初に「オーディンの箴言」ではじまり、最後も「オーディンの箴言」で締めくくられる、というかたちになっているのだとおもいます。

ケティル農場での一連の出来事とその結末を知ったうえで、あらためてこの「2つのオーディンの箴言」を見ると、そのそれぞれから感じとれるものが、はじめとはちがったものなっているのではないかとおもいます。

また、幸村誠さんの作品が、「愛を求めて、迷い、悩み、さまよいながらも生きる人々の姿」を描くことを大きなテーマのひとつにしているということも、これらの「2つのオーディンの箴言」からつたわってくるのではないかとおもいます。

 

この「「愛」とはなにか?」の章の、いちばん最初の冒頭の引用句は、これらの「2つのオーディンの箴言」にならって、「最初のオーディンの箴言」である第8巻「第55話」の巻頭句の言葉にしました(「不毛の地に立つもみの木は枯れる 樹皮も葉もそれを保護しない 誰にも愛されぬ人もこれと同じだ どうして長生きしなければならないのか」)。

ですので、それに対応するように、この「「愛」とはなにか?」の章の最後の言葉も、これらの「2つのオーディンの箴言」にならって、「最後のオーディンの箴言」である第14巻「第100話」の巻頭句である、つぎの言葉でおわりたいとおもいます。

 

昔は私も若かった。
独りで旅をして道に迷った。
人に出会った時、自分が豊かになったような気がした。
人は人にとって喜びなのだ。

―――オーディンの箴言より

――― 第100話の巻頭句、『ヴィンランド・サガ』第14巻 (*196)

(*197)

 

▲ もくじへもどる

なぜ生きるのか、なぜ描くのか

ここからは、幸村誠さんがご自身の言葉として語っておられる言葉をご紹介したいとおもいます。

これらの言葉からは、「なぜ生きるのか、なぜ描くのか」という幸村誠さんの気持ちがつたわってくるような気がします。

「漫画という「考える装置」」

以下は、インタビューのなかで幸村誠さんが語られた言葉です。

なぜ生まれてきたのか。どう生きたらいいのか。若いのに、そういうことを考えないほうがおかしいかもしれなくて……。僕は、そういう疑問を、『プラネテス』を描きながら考えていたところがあったように思います。

運のいいことに、僕はこの作品を4巻ぶん描くまでの間にある程度ではあるけれど、我が身ひとつのことについてだけで言うのなら「こうしたらいいのではないか」という方針をなんとか見つけることができたんです。それが『プラネテス』の作品内にも表れている。

自分には、漫画という「考える装置」みたいなものがあって良かったな、とつくづく思うんです。

(幸村誠、「コミックDAYSインタビューシリーズ」) (*193)

漫画って不思議なものですね。漫画がなければ僕は溜まったものを発散できる場がなくて、SNSを大炎上させてから「世の中すべて燃やしてやる!」みたいに思っていたかもしれません。

でも、今の僕には思ったことを描いたら読んでもらえる場があり、おもしろいとさえ言ってもらえて、なんという幸運だろうと思います。

だから、僕は今すっきりしています。

(中略)

まぁ、僕にとっての漫画はそうやって心が解放されるものと言うか、人前ではなかなか言えない本心を間接的に叫ぶこともできる「王様の耳はロバの耳」の穴のようなものなのかもしれませんね。

(幸村誠、「コミックDAYSインタビューシリーズ」) (*198)

▲ もくじへもどる

「ボクは、ボクが教わったことを全力でこの漫画に描くつもりです」

 

実は僕も、分からないなりに宇宙へ行く人々の気持ちをマンガで描こうとしたつもりです。10年後や100年後の人々が、どんな幸せや豊かさを、それこそ宇宙空間も含めて広がりをもって感じているか、と考えたりするんですよ。ひとりの人間にとってみれば、100年はもて余す時間ですけど、そんな自分の、人生を超えた未来を見つめて取り組める、未来のために今やらなくちゃいけないことがやれる・・・・・・苦しいだろうけど、本当にすばらしいですね!

――― 幸村誠、「初代“ハチマキ”と未来宇宙を語る」 (*199)

 

『ヴィンランド・サガ』第6巻(冊子版)のカバーの折り返しのところに、作者である幸村誠さんの言葉として、下記のような文章が掲載されています。 (*16)

2008年、次男が生まれました。長男はもう2歳です。漫画が読めるようになる日も近いでしょう。
・・・しかし、まー、どうしましょう? はっきりいってこの漫画は子供たちに勧められるよーな内容じゃございません。殺人多過ぎ。それでも、やっぱり読んでくれるとうれしいな。大人になる前に読んでほしい。どんなに頭のいい子でも、先人から教わらなければ絶対にわからないことが一つあります。ボクは、ボクが教わったことを全力でこの漫画に描くつもりです。読んでくれるかなー? わりと面白いことだよ?ギャグとかもっと入れたほうがいいかしら?どう? 息子たち。

(幸村誠、『ヴィンランド・サガ』第6巻、カバーの折り返しのところの文章) (*200)

 

Over the Death Fence(*1)

 

 

▲ もくじへもどる

 

そのほかの話題

ここからは、ここまでの考察のなかでおつたえできなかった、『プラネテス』や、『ヴィンランド・サガ』についての、そのほかのいくつかの話題についてお話したいとおもいます。

2つの「プロローグの終わり」

 

「奴隷編」に入る直前なんて「これで、ついにじわじわ積み重ねてきた最初のエピソードが完結する……!」と感極まって、万感の思いをこめてページの最後に「The prologue reached its climax」とアオリを入れたんです。

それを読んだある書店員の方から「ふざけないでください。どんだけプロローグが長いんだ……!」って突っ込みの電話がかかってきたけれども(笑)。

――― 金井暁(『ヴィンランド・サガ』の担当編集者) (*201)

 

『ヴィンランド・サガ』の第8巻のなかの第54話の題名である「END OF THE PROLOGUE」は、「プロローグの終わり」という意味です。

つまり、第8巻の第54話までのお話は、じつは、長い長い物語のほんの序章だったということです。

ですので、本当の物語は、そのつぎの話数である「第55話 奴隷」からはじまります。

ですが、本当の、本当の、本当の物語がはじまるのは、じつは、第14巻のなかの「第100話 帰郷」からなのだろうとおもいます。

なぜなら、トルフィンが、「ヴィンランドに平和の国を作る」という「本当の戦い」を戦うことを決意するのは、ケティル農場においてのことであり、ケティル農場でのいろいろな出来事に決着がつくのが、「第99話 船出」の話数だからです。

つまり、「第1話 北人ノルマンニ」~「第99話 船出」までは、トルフィンが「ヴィンランドに平和の国を作る」という「本当の戦い」を戦うことを決意するまでの、前段階の物語だったといえるのではないかとおもいます。

ですので、この物語の全体からみると、第1話 ~ 第99話までは、長~~~~~いプロローグだった、という見方もできるのではないかとおもいます。

第100話までのお話も、とてもおもしろいですが、それ以降のお話も、またとてもおもしろいので、もし興味があれば、ぜひ『ヴィンランド・サガ』を読んでみていただければとおもいます。

▲ もくじへもどる

実在の人物であるトルフィン

Thorfinn Karlsefni 1918

(Thorfinn Karlsefni(ソルフィン・カルルセフニ(トルフィン・カルルセヴニ侠気のトルフィン))の像) (*202)

『ヴィンランド・サガ』のマンガの物語自体はフィクションですが、主人公のトルフィンは、じつは、歴史上の実在の人物です。

下記のURLのWikipediaのページでは、「トルフィン・トールズソン」(トールズの息子のトルフィン)という日本語表記ではなく、「ソルフィン・ソルザルソン」(ソルザルの息子のソルフィン)という日本語表記になっています。

(注:下記のURLのページを見てしまうと、すこしだけですが、今後の話のネタバレになってしまうかもしれません。)

(参考)
ソルフィン・ソルザルソン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3

下の動画は、「The Association for Public Art」という組織のウェブサイトに掲載されている「ソルフィン・ソルザルソン」の像についての紹介動画です。

この像は、アメリカ合衆国の東海岸のペンシルベニア州にあるフィラデルフィアという都市にあります。

この動画のタイトルのなかの「Thorfinn Karlsefni」(ソルフィン・カルルセフニ)という言葉は、『ヴィンランド・サガ』の物語のなかにも登場するトルフィンのあだ名である「トルフィン・カルルセヴニ」という言葉の英語版の言葉です。(「トルフィン・カルルセヴニ」という言葉は、『ヴィンランド・サガ』の物語のなかでは、「侠気のトルフィントルフィン・カルルセヴニ」と訳されています。)

(参考)
「The Association for Public Art」のウェブサイトのなかの「ソルフィン・ソルザルソン」の像についてのページ
Thorfinn Karlsefni - Association for Public Art
http://www.associationforpublicart.org/artwork/thorfinn-karlsefni/#mww--video

下の地図は、フィラデルフィアにあるこの「ソルフィン・ソルザルソン」の像がある場所の地図です。

緯度経度でいうと、北緯:39.970194、西経:-75.190056、のところです。

ストリートビューで見ると、「ソルフィン・ソルザルソン」の像が立っている様子を見ることができます。

 

ちなみに、トルフィンだけでなく、クヌートや、レイフ・エイリクソンや、スヴェン王や、ルキウス・アルトリウス・カストゥスも、歴史上の実在の人物です。

▲ もくじへもどる

アニメ版の『プラネテス』のご紹介

ここでは、まだ『プラネテス』をご存じない方のために、アニメ版の『プラネテス』をご紹介したいとおもいます。

下の動画は、アニメ版『プラネテス』のPV動画です。

これらの動画を見ていただくだけでも、アニメ『プラネテス』の世界観がつたわってくるのではないかとおもいます。

 

以下は、数々のすばらしいアニメ語りで有名な氷川竜介さんが、アニメ版『プラネテス』について語られた言葉です。

 紙面の都合で全スタッフに触れるわけにはいかないが、こうしたスタッフ同士の関係が奏でるアンサンブルもぜひ肌で感じとって欲しい。その人と人との響きあいは、まさに原作・アニメ共通に貫かれているテーマの「人のつながり」と相似形を描いている。その「かたち」が観客とも響くからこそ、感動が生まれる。何ひとつ誰ひとりとして無駄なく緻密に連携し、全体で大きなものが浮かぶアニメ版の構成とは、実はこの共鳴のためにこそ用意されたとわかると、感動も二倍増しになるだろう。
 切なくなるほど苦く、胸をかきむしりたいほど温かい矛盾した感情。涙目で夜空を見上げたくなるような感慨をもたらすアニメ版『プラネテス』の芳醇な味わいとは、こうした世の中に普遍的にある「真実」に裏打ちされているのだ。
 『鉄腕アトム』以来、40年間かけてさまざまな作品を提供して来たTVアニメは、ようやくあらゆる点で「大人のドラマ」と呼ぶにふさわしいものを生み出すところまで来た。踏み出した開拓への第一歩は、作り手・観客に眠る潜在的な力を刺激し、やがて結実のときを迎えるだろう。そのことを宇宙の広大さをもって確信させてくれた、大きなアニメ作品であった。

(氷川竜介、「解説 等身大の「人のドラマ」・・・・・・ 大きな共鳴を感動に結びつけたアニメ版『プラネテス』」、『ふたごのプラネテス』、86ページ) (*203)

 

アニメ版の『プラネテス』は、下記のウェブサービスで視聴することができます。

下記のウェブサービスのほとんどで、アニメ版『プラネテス』の第1話を無料で視聴できるようになっているので、興味があれば一度見てみていただければとおもいます。

(第1話 無料)
「プラネテス」 | バンダイチャンネル
http://www.b-ch.com/ttl/index.php?ttl_c=3225

(第1話 無料)
プラネテス 話数限定[B-ch] PHASE-01 大気の外で-動画[無料]|GYAO!|アニメ
https://gyao.yahoo.co.jp/player/00066/v12476/v1000000000000012602/

(第1話 無料)
プラネテス | 動画 | Amazonビデオ
http://amzn.to/2BGgngp

プラネテス | Netflix (ネットフリックス)
https://www.netflix.com/jp/title/80146189

(第1話 無料)
「プラネテス」の動画視聴・あらすじ | U-NEXT
https://video.unext.jp/title/SID0016671

(第1話 無料)
無料視聴あり!アニメ『プラネテス』の動画まとめ|ネット動画配信サービスのビデオマーケット
https://www.videomarket.jp/title/300B15

 

ちなみに、このアニメ版『プラネテス』の原作である、マンガ版の『プラネテス』も、とてもおすすめです!

アニメ版と、原作であるマンガ版は、話が異なる部分がたくさんありますが、どちらもとてもおもしろいです。

マンガ版(原作版)の『プラネテス』の各巻の一覧リストはこちらにあります。

▲ もくじへもどる

アニメ版の、いろいろな言語での「プラネテス」という言葉のモーフィング映像について

アニメ版の『プラネテス』の、各話の前半部分と後半部分(「Aパート」と「Bパート」)のあいだに挿入されている映像は、「惑う人達」や「さまようものたち」を意味する「ΠΛΑΝΗΤΕΣ」(プラネテス)という言葉を、いろいろな言語に翻訳して、つぎつぎと変形させていくモーフィング映像になっています。

「ΠΛΑΝΗΤΕΣ」(プラネテス)という言葉の意味についての詳細はこちら。

このモーフィング映像のなかにあらわれる、いろいろな言語に翻訳された「ΠΛΑΝΗΤΕΣ」(プラネテス)という言葉について、説明させていただきたいとおもいます。

 

■モーフィング映像の1番目

モーフィング映像の1番目「プラネテス」「ΠΛΑΝΗΤΕΣ」

モーフィング映像の1番目「プラネテス」「ΠΛΑΝΗΤΕΣ」

・「プラネテス」
日本語(カタカナ)

・「ΠΛΑΝΗΤΕΣ」(大文字)
(小文字:πλανήτες)
(発音:プラネテス)
古いギリシャ語(ギリシャ語アルファベット)で、「さまようものたち」や「迷い子たち」や「惑星たち」というような意味の言葉。
この「ΠΛΑΝΗΤΕΣ」(プラネテス)という言葉の意味については、こちらでくわしく説明しています。

 

■モーフィング映像の2番目

モーフィング映像の2番目「헤매는사람」「umger wandern manen」

・「헤매는사람」
(発音:ヘメネンサラン(hemaeneunsalam))
韓国語で、「迷う人」という意味の言葉。
헤매는(ヘメネン(hemaeneun)):韓国語で、「迷う」という意味の言葉。
사람(サラン(salam):韓国語で、「人」という意味の言葉。

・「umger wandern manen」
確証はありませんが、おそらく、オランダ語だろうとおもいます。
(もしくは、ドイツ語か、その近親の言語かもしれません。)
umger:(この言葉の意味はわかりませんでした。)
manen:オランダ語で、「月(地球の衛星)」や、「衛星」を意味する言葉である「maan」の複数形。
wandern:確証はありませんが、おそらく、オランダ語で、「放浪する」という意味の言葉なのだろうとおもいます。
wandern:ドイツ語で、「歩き回る」や、「徘徊する」、「ハイキング」を意味する言葉。

 

■モーフィング映像の3番目

モーフィング映像の3番目「wanderers」「流浪人」

・「wanderers」
(発音:ワンダラーズ)
英語で、「さまよう人々」という意味の言葉。
wanderers:英語で、「放浪者」や、「さまよい歩く人」を意味する言葉である「wanderer」の複数形。

・「流浪人」
(発音:リウランレン(Liúlàng rén))
中国語で、「放浪者」という意味の言葉。

 

■モーフィング映像の4番目

モーフィング映像の4番目「pueblo errante」「СТРАННИКОВ」

モーフィング映像の4番目「pueblo errante」「СТРАННИКОВ」

・「pueblo errante」
(発音:プエブロエランテ)
スペイン語で、「さまよう人々」という意味の言葉。
pueblo(プエブロ):スペイン語で、「人」や、「人々」を意味する言葉。
errante(エランテ):スペイン語で、「さまよう」や、「放浪」を意味する言葉。

・「СТРАННИКОВ」(大文字)
(странников(小文字))
(発音:ストラニコフ(strannikov))
ロシア語で、「放浪者」や、「巡礼者」という意味の言葉。

(参考)
この「странников」(ストラニコフ(strannikov))という言葉の類語として、「странники」(ストラニキ(stranniki))という言葉もあるようです。
странники(ストラニキ(stranniki)):ロシア語で、「放浪者」や、「旅人」を意味する言葉である「странник」(ストラニク(strannik))の複数形。

▲ もくじへもどる

『ヴィンランド・サガ』が、ついにアニメ化!

ついに、『ヴィンランド・サガ』がアニメ化されるというニュースが発表されました!!!

このニュースは、この投稿を公開してから3週間ほど後に発表されたものですが、ここでもおつたえさせていただきたいとおもいます。

『ヴィンランド・サガ』は、いつかアニメ化してほしいとおもっていたので、うれしいかぎりです!
ヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。

TVアニメ『ヴィンランド・サガ 』ティザーPV

TVアニメ「ヴィンランド・サガ」公式サイト
https://vinlandsaga.jp/

TVアニメ「ヴィンランド・サガ」公式(@V_SAGA_ANIME)さん | Twitter
https://twitter.com/V_SAGA_ANIME

「ヴィンランド・サガ」WIT STUDIO制作でTVアニメ化、幸村誠も歓喜(コメントあり / 動画あり) - コミックナタリー
https://natalie.mu/comic/news/274250

▲ もくじへもどる

『ヴィンランド・サガ』のトルフィンが、ゲームや、ショートアニメに登場!

ここでは、『ヴィンランド・サガ』のトルフィンが登場するゲームや、ショートアニメをご紹介します。

 

『血晶事変』!月刊アフタヌーン「ヴィンランド・サガ」コラボレーション使い魔カード「トルフィン」

『ロード オブ ヴァーミリオン IV ―血晶事変―』というタイトルの、アーケード用のオンラインマルチ対戦型トレーディングカードゲームのなかの使い魔カードとして、「トルフィン」の使い魔カードが登場するそうです。

ちなみに、このゲームのなかで、トルフィンの声を演じている声優さんは、松岡禎丞さんです。

 

PONKOTSULAND SAGA -ポンコツランド・サガ-

魔物たちのボケとツッコミが人気のショートアニメ『ポンコツクエスト~魔王と派遣の魔物たち~』と、『ヴィンランド・サガ』とが、コラボレーションした動画です。

▲ もくじへもどる

『プラネテス』に登場した印象的な言葉

ここでは、マンガ版(原作版)やアニメ版の『プラネテス』の物語のなかにでてきた言葉のなかで、ぼくが個人的に印象深かいとおもった言葉を、いくつかご紹介したいとおもいます。

君は知っている

そばにいる者を踏み台にでもしない限り

星々の高みに手など届かんということを

(ハキム・カシム、「PHASE.8 サキノハカという黒い花 前編」、『プラネテス』第2巻、117ページ) (*204)

「どうして・・・
 
 どうしてなんでしょう・・・?
 
 ここからは 国境線なんて見えないのに・・・
 
 ただ 地球があるだけなのに・・・」

(テマラ・ポワチエ、「Phase 11 バウンダリー・ライン」、アニメ『プラネテス』) (*205)

「宇宙はごく一部の国だけが独占する世界になってしまった・・・
 
 それは正すべきだろう?
 やり直すべきだろう?
 
 すべての国を あるべき姿に!」
 
「国?
 
 うん! ちゃんと習ったよ
 
 そういうので分かれてるんだってね 地球は」
 
「・・・!」
 
「私ね ルナリアンなの
 
 月生まれの月育ち
 
 だから国とかって見たことないんだ」
 
「・・・」
 
「おじさんの国は地球のどこにあるの?」
 
「・・・」
 
「ここから見える?」
 
「・・・
 
 たしかに・・・」
 
「えっ?」
 
「たしかに見えないな そんなものは・・・」
 
「?」
 
「だがしかし・・・
 
 それでも私は・・・」

(ノノとハキムの会話、「Last Phase そして巡りあう日々」、アニメ『プラネテス』) (*206)

▲ もくじへもどる

参考資料

ここでは、このページの記事を書くにあたって参考にさせていただいた本やウェブサイトなどの情報を紹介します。

参考資料:マンガ『プラネテス』関連

▲ もくじへもどる

インタビュー記事

『プラネテス』は「原稿をなくしたから」生まれた!? 幸村誠インタビュー(1) - コミックDAYS-編集部ブログ-
https://comic-days.com/blog/entry/2017/10/23/110000

原稿の遅さが「売り」!? 幸村誠インタビュー(2) - コミックDAYS-編集部ブログ-
https://comic-days.com/blog/entry/2017/10/30/111300

お前の漫画を読みたい人なんて誰ひとりいない!? 幸村誠インタビュー(3) - コミックDAYS-編集部ブログ-
https://comic-days.com/blog/entry/2017/11/06/111300

▲ もくじへもどる

参考資料:アニメ『プラネテス』関連

アニメ版の『プラネテス』は、下記のウェブサービスで視聴することができます。

下記のウェブサービスのほとんどで、アニメ版『プラネテス』の第1話を無料で視聴できるようになっているので、興味があれば一度見てみていただければとおもいます。

(第1話 無料)
「プラネテス」 | バンダイチャンネル
http://www.b-ch.com/ttl/index.php?ttl_c=3225

(第1話 無料)
プラネテス 話数限定[B-ch] PHASE-01 大気の外で-動画[無料]|GYAO!|アニメ
https://gyao.yahoo.co.jp/player/00066/v12476/v1000000000000012602/

(第1話 無料)
プラネテス | 動画 | Amazonビデオ
http://amzn.to/2BGgngp

プラネテス | Netflix (ネットフリックス)
https://www.netflix.com/jp/title/80146189

(第1話 無料)
「プラネテス」の動画視聴・あらすじ | U-NEXT
https://video.unext.jp/title/SID0016671

(第1話 無料)
無料視聴あり!アニメ『プラネテス』の動画まとめ|ネット動画配信サービスのビデオマーケット
https://www.videomarket.jp/title/300B15

 

▲ もくじへもどる

参考資料:マンガ『ヴィンランド・サガ』関連

▲ もくじへもどる

インタビュー記事

『プラネテス』は「原稿をなくしたから」生まれた!? 幸村誠インタビュー(1) - コミックDAYS-編集部ブログ-
https://comic-days.com/blog/entry/2017/10/23/110000

原稿の遅さが「売り」!? 幸村誠インタビュー(2) - コミックDAYS-編集部ブログ-
https://comic-days.com/blog/entry/2017/10/30/111300

お前の漫画を読みたい人なんて誰ひとりいない!? 幸村誠インタビュー(3) - コミックDAYS-編集部ブログ-
https://comic-days.com/blog/entry/2017/11/06/111300

▲ もくじへもどる

  1. 無料の写真: 手, ブーケ, フェンス, ギフト, 与えます, 祝います, 関係 - Pixabayの無料画像 - 1549224 by klimkin on Pixabay) [↩ Back] [↩ Back]
  2. (幸村誠、(冊子のカバーの折り返しのところに掲載されている著者による文章)、『プラネテス』第3巻(冊子版)、アフタヌーンKC、講談社、2003年) [↩ Back] [↩ Back]
  3. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第93話 戦士の誕生」、『ヴィンランド・サガ』第13巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2013年、185~190ページ)) [↩ Back]
  4. ピエタ(聖母子像(亡骸となったキリストを抱く母マリアの像))、(File:Luty 1993 Gorczyn cemetery in Poznan.jpg on Wikimedia Commons)) [↩ Back]
  5. (アルネイズの言葉(幸村誠、「第92話 百数える間」、『ヴィンランド・サガ』第13巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2013年、148~149ページ)) [↩ Back]
  6. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第92話 百数える間」、『ヴィンランド・サガ』第13巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2013年、154ページ)) [↩ Back]
  7. (アルネイズの言葉(幸村誠、「第93話 戦士の誕生」、『ヴィンランド・サガ』第13巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2013年、162~163ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  8. (「かつて、父であるトールズが死にゆく逃亡奴隷の男性に語りかけたときとおなじように」、参考:トールズの言葉(幸村誠、「第4話 解かれ得ぬ鎖」、『ヴィンランド・サガ』第1巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2006年、181~182ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  9. (『ヴィンランド・サガ』第13巻の168ページの1コマ目の時点で、アルネイズは亡くなっているのだろうとおもいます。このコマで、トルフィンは、アルネイズの瞳孔が開いているのを確認した(死亡したと判定した)のだろうとおもいます。(幸村誠、「第93話 戦士の誕生」、『ヴィンランド・サガ』第13巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2013年、168ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  10. (アルネイズの問いに対して語りかけるトルフィン(幸村誠、「第93話 戦士の誕生」、『ヴィンランド・サガ』第13巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2013年、169~171ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  11. 無償のイラストレーション: 海, 風景, 海岸線, 水, 空, 夏 - Pixabayの無料画像 - 2055434 by TheDigitalArtist on Pixabay、(この元画像を、一部加工して使用しています。)) [↩ Back]
  12. (トルフィンとエイナルの会話(幸村誠、「第93話 戦士の誕生」、『ヴィンランド・サガ』第13巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2013年、185~190ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  13. File:Starr 041029-0266 Cenchrus ciliaris.jpg - Wikimedia Commons、(この元画像を、一部加工して使用しています。)) [↩ Back] [↩ Back]
  14. File:A Heron in flight at Loch Spynie - geograph.org.uk - 1408177.jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  15. (幼いころのトルフィンに対してヴィンランドのことを語るレイフ・エイリクソン(幸村誠、「第2話 ここではないどこか」、『ヴィンランド・サガ』第1巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2006年、129~130ページ)) [↩ Back]
  16. (この文章は、冊子版でしか見ることができず、残念ながら、Kindle版には載っていません。) [↩ Back] [↩ Back] [↩ Back] [↩ Back] [↩ Back] [↩ Back]
  17. (幸村誠、(冊子のカバーの折り返しのところに掲載されている著者による文章)、『プラネテス』第4巻(冊子版)、アフタヌーンKC、講談社、2004年) [↩ Back]
  18. (幸村誠、(冊子のカバーの折り返しのところに掲載されている著者による文章)、『ヴィンランド・サガ』第13巻(冊子版)、アフタヌーンKC、講談社、2013年) [↩ Back]
  19. (火宅、(無料の写真: 太陽は火をWend, 火, 炎, 夏至, 真夏, 残り火, グロー - Pixabayの無料画像 - 2447455 by LMoonlight on Pixabay)) [↩ Back]
  20. (『プラネテス』第4巻の185ページの「PHASE.23 疾る犬」の扉絵をイメージした画像です。(幸村誠、「PHASE.23 疾る犬」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、185ページ)) [↩ Back]
  21. (ロイ・ブライアント(おいちゃん)、作者:幸村誠、「PHASE.23 疾る犬」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、188ページ) [↩ Back]
  22. (ハキムの名前は、マンガ(原作)版と、アニメ版と、小説版で、すこしずつ異なります。マンガ(原作)版での名前は、ハキム・カシムです。アニメ版での名前は、ハキム・アシュミードです。小説版では、ハキム・イズディハール・ムバラク神に祝福された賢人の繁栄という名前になっています。) [↩ Back] [↩ Back]
  23. (ホルザランドの言葉(幸村誠、「第2話 ここではないどこか」、『ヴィンランド・サガ』第1巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2006年、126~127ページ)) [↩ Back]
  24. (トールズに問いかけるトルフィン(幸村誠、「第4話 解かれ得ぬ鎖」、『ヴィンランド・サガ』第1巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2006年、192~193ページ)) [↩ Back]
  25. (フィー・カーマイケルの言葉(幸村誠、「PHASE.21 少女と負け犬」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、158ページ)) [↩ Back]
  26. (フィー・カーマイケルの言葉(幸村誠、「PHASE.23 疾る犬」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、192~193ページ)) [↩ Back]
  27. (グズリーズの言葉(幸村誠、「第142話 バルト海戦役 (18)」、『ヴィンランド・サガ』第20巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2017年、134~135ページ)) [↩ Back]
  28. (トールズの言葉(幸村誠、「第4話 解かれ得ぬ鎖」、『ヴィンランド・サガ』第1巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2006年、181~182ページ)) [↩ Back]
  29. (「放たれたアジサシクリーア」、(アジサシ(英語:Common tern))、File:Arctic Tern (Sterna paradisaea), Ward of Clugan - geograph.org.uk - 1357999.jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  30. (トルフィンとハーフダンの会話(幸村誠、「第105話 繋がれたアジサシクリーア (5)」、『ヴィンランド・サガ』第15巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、110~113ページ)) [↩ Back]
  31. (グズリーズの言葉(幸村誠、「第106話 繋がれたアジサシクリーア (6)」、『ヴィンランド・サガ』第15巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、136~158ページ)) [↩ Back]
  32. (グズリーズの言葉(幸村誠、「第108話 繋がれたアジサシクリーア (8)」、『ヴィンランド・サガ』第16巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、15~17ページ)) [↩ Back]
  33. (幼いころのグズリーズの言葉(幸村誠、「第102話 繋がれたアジサシクリーア (2)」、『ヴィンランド・サガ』第15巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、34ページ)) [↩ Back]
  34. (船出の朝日、File:Eforie Sud - Black Sea - The Beach - Sunrise - panoramio - jeffwarder.jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  35. (ないているアジサシクリーアの仔、(アジサシ(英語:Common tern))、File:Common tern immature.jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  36. (著者:常盤陽、原作者:幸村誠、「11 家なき鳥」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、講談社、2007年、256~259ページ) [↩ Back] [↩ Back]
  37. (ハキムの名前は、マンガ(原作)版と、アニメ版と、小説版で、すこしずつ異なります。マンガ(原作)版での名前は、ハキム・カシムです。アニメ版での名前は、ハキム・アシュミードです。小説版では、ハキム・イズディハール・ムバラク神に祝福された賢人の繁栄という名前になっています。) [↩ Back]
  38. (著者:常盤陽、原作者:幸村誠、「8 カラム、カラム」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、講談社、2007年、182~183ページ) [↩ Back]
  39. (著者:常盤陽、原作者:幸村誠、「9 傲慢 対 傲慢」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、講談社、2007年、219~220ページ) [↩ Back]
  40. (著者:常盤陽、原作者:幸村誠、「10 ひとりの反乱」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、講談社、2007年、235~237ページ) [↩ Back]
  41. (著者:常盤陽、原作者:幸村誠、「10 ひとりの反乱」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、講談社、2007年、238~239ページ) [↩ Back]
  42. (著者:常盤陽、原作者:幸村誠、「10 ひとりの反乱」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、講談社、2007年、244~245ページ) [↩ Back]
  43. (著者:常盤陽、原作者:幸村誠、「11 家なき鳥」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、講談社、2007年、280ページ) [↩ Back]
  44. (ギガルト・ガンガラガッシュの言葉、「Phase 22 暴露」、アニメ『プラネテス』) [↩ Back]
  45. (著者:常盤陽、原作者:幸村誠、「12 サキノハカという名の黒い花」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、講談社、2007年、286ページ) [↩ Back]
  46. (著者:常盤陽、原作者:幸村誠、「12 サキノハカという名の黒い花」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、講談社、2007年、315~316ページ) [↩ Back]
  47. (著者:常盤陽、原作者:幸村誠、「12 サキノハカという名の黒い花」、『家なき鳥、星をこえる プラネテス』、講談社、2007年、335~336ページ) [↩ Back]
  48. (仲間たち、(アジサシ(英語:Common tern))、File:Batalla de golondrinas de mar (Sterna hirundo).jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  49. (トルフィンとヘルガの会話(幸村誠、「第101話 繋がれたアジサシクリーア (1)」、『ヴィンランド・サガ』第15巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、24~26ページ)) [↩ Back]
  50. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第95話 忘れ物」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、40ページ)) [↩ Back]
  51. (幸村誠、(冊子のカバーの折り返しのところに掲載されている著者による文章)、『プラネテス』第1巻(冊子版)、アフタヌーンKC、講談社、2001年) [↩ Back]
  52. (スヴェルケルの言葉(幸村誠、「第84話 都合のいい夢」、『ヴィンランド・サガ』第12巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2012年、141ページ)) [↩ Back]
  53. (幸村誠、(冊子のカバーの折り返しのところに掲載されている著者による文章)、『ヴィンランド・サガ』第12巻(冊子版)、アフタヌーンKC、講談社、2012年) [↩ Back]
  54. (著者:ルーネル・ヨンソン(Runer Jonsson)、イラスト:エーヴェット・カールソン(Ewert Karlsson)、翻訳:石渡利康、『小さなバイキングビッケ』(評論社の児童図書館・文学の部屋)、評論社、2011年) [↩ Back]
  55. バイキング ノルマンディー ハンドル · Pixabayの無料画像) [↩ Back]
  56. (トールズの言葉(幸村誠、「第40話 トールズ伝」、『ヴィンランド・サガ』第6巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2008年、128ページ)) [↩ Back]
  57. (フェロー諸島のストレイメイ島についての記述は、『ヴィンランド・サガ』の第2巻の「第9話 絶海の罠」(68ページ)と、第16巻の「第110話 北海横断」(55ページ)に、それぞれ記載されています。) [↩ Back]
  58. フェロー諸島Faroe Islands)の「ストレイメイ島」の表記には、「ストレイモイ島」(Streymoy)という表記もあるようです。) [↩ Back]
  59. (トールズの言葉(幸村誠、「第15話 本当の戦士」、『ヴィンランド・サガ』第2巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2006年、190~191ページ)) [↩ Back]
  60. File:King-Arthur's-Castle-q75-1759x1228.jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  61. (トールズが死んでから、トルフィンが「本当の戦い」を戦うことを決意するまでの期間は、16年間以上です。
    トールズが死んだとき、トルフィンは6歳でした。これについては、作者である幸村誠さんは、インタビューのなかで、(トルフィンを)「6歳の男の子からスタートして、ある程度ではあるけれど、漫画の物語を通して経験を重ねた男性にまで育てあげた」と言っています(「お前の漫画を読みたい人なんて誰ひとりいない!? 幸村誠インタビュー(3)」より)。また、第2巻の「第7話 剣」(29ページ)で、トルフィンの遊び友達の父親が、その時点(トールズが死ぬ前の時点)でのトルフィンの年齢を「6つ」と言っています。また、第7巻の「第48話 再会」(158ページ)で、レイフが、トールズが死んだ時点でのトルフィンの年齢を「6~7歳」と言っています。また、第14巻の「第100話 帰郷」(175ページ)で、トルフィンが、自分が家出したときの年齢について「6つかそこらで家出して」と言っています。また、第14巻の「第100話 帰郷」(182ページ)で、ユルヴァが、トールズが死んだ時点でのトルフィンの年齢を「6歳」だと言っています。
    また、ケティル農場での一連の出来事のあと、アイスランドに帰郷したときのトルフィンの年齢は22歳です。これについては、第15巻の「第101話 繋がれたアジサシクリーア (1)」(14ページ)で、ユルヴァがトルフィンの現在の年齢を「22歳」だと言っています。) [↩ Back]
  62. (アシェラッドが、「本当の戦い」を戦うことは、「本当の戦士」になることだと言っている場面の一例:「トールズの行った世界のその先へ・・・・・・ トールズの子のお前が行け それがお前の・・・ 本当の戦いだ 本当の戦士になれ・・・・・・ トールズの・・・・・・・・・子・・・・・・・・・」、アシェラッドの言葉(幸村誠、「第54話 END OF THE PROLOGUE」、『ヴィンランド・サガ』第8巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2009年、120~122ページ)) [↩ Back] [↩ Back] [↩ Back]
  63. (アシェラッドが、「本当の戦い」を戦うことは、「本当の戦士」になることだと言っている場面の一例:「そいつらをぶら下げたまま! 登れ! 登れ!! それがお前の戦いだ! 行けェ!! お前が殺したそいつらを連れて!! 本当の戦いを戦え!! 本当の戦士になれ!! トルフィン!!」、アシェラッドの言葉(幸村誠、「第71話 誓い」、『ヴィンランド・サガ』第10巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2011年、202~205ページ)) [↩ Back] [↩ Back] [↩ Back]
  64. フェロー諸島の「ストレイメイ島」の表記には、「ストレイモイ島」(Streymoy)という表記もあるようです。) [↩ Back] [↩ Back]
  65. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第110話 北海横断」、『ヴィンランド・サガ』第16巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、61~62ページ)) [↩ Back]
  66. (アーサー王、File:Charles Ernest Butler - King Arthur.jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back] [↩ Back]
  67. (古代ローマの軍人であったルキウス・アルトリウス・カストゥスLucius Artorius Castus)が、アーサー王物語におけるアーサー王のモデルになったという説もあるようです。) [↩ Back] [↩ Back] [↩ Back] [↩ Back] [↩ Back]
  68. (アシェラッドの言葉(幸村誠、「第15話 本当の戦士」、『ヴィンランド・サガ』第2巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2006年、192~193ページ)) [↩ Back]
  69. (アシェラッドの言葉(幸村誠、「第24話 対岸の国」、『ヴィンランド・サガ』第4巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2007年、92ページ)) [↩ Back]
  70. (クアシェラッドの言葉(幸村誠、「第47話 英雄不在」、『ヴィンランド・サガ』第7巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2009年、129~132ページ)) [↩ Back]
  71. (アーサー王の死、File:The Death of King Arthur by John Garrick.jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  72. (幼いころのアシェラッドにアヴァロンのことを語り聞かせる母リディア(幸村誠、「第34話 アヴァロン」、『ヴィンランド・サガ』第5巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2007年、165~167ページ)) [↩ Back]
  73. (クアシェラッドの言葉(幸村誠、「第47話 英雄不在」、『ヴィンランド・サガ』第7巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2009年、145~146ページ)) [↩ Back]
  74. File:Marauding expedition of northmen.gif - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  75. File:Arbo-Olav den helliges fall i slaget på Stiklestad.jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  76. (アシェラッドの言葉(幸村誠、「第34話 アヴァロン」、『ヴィンランド・サガ』第5巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2007年、179~180ページ)) [↩ Back]
  77. File:Boys King Arthur - N. C. Wyeth - p16.jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  78. (アシェラッドの言葉(幸村誠、「第54話 END OF THE PROLOGUE」、『ヴィンランド・サガ』第8巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2009年、120~122ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  79. 無料の写真: 地平線, 海, 反射, 海景, 空, 太陽, 水 - Pixabayの無料画像 - 1836480 by Pexels on Pixabay、(この元画像を、一部加工して使用しています。)) [↩ Back]
  80. File:Rhinegold and the Valkyries p 070.jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  81. (ガルムの言葉(幸村誠、「第141話 バルト海戦役 (17)」、『ヴィンランド・サガ』第20巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2017年、103ページ)) [↩ Back]
  82. (トルケルの言葉(幸村誠、「第22話 戦鬼トロルの子」、『ヴィンランド・サガ』第4巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2007年、27~28ページ)) [↩ Back]
  83. (トルケルの言葉(幸村誠、「第37話 愛の定義」、『ヴィンランド・サガ』第6巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2008年、42~43ページ)) [↩ Back]
  84. (トルケルの言葉(幸村誠、「第40話 トールズ伝」、『ヴィンランド・サガ』第6巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2008年、139~140ページ)) [↩ Back]
  85. (トルケルの言葉(幸村誠、「第42話 裁定」、『ヴィンランド・サガ』第6巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2008年、211~212ページ)) [↩ Back]
  86. 洞窟 暗い 岩 · Pixabayの無料写真、(この元画像を、一部加工して使用しています。)) [↩ Back] [↩ Back]
  87. (参考:「アシェラッドを追ってオレは戦場へ出たんだ 父親の仇を討つために 10・・・11年戦った」(トルフィンの言葉)(幸村誠、「第68話 カラッポな男」、『ヴィンランド・サガ』第10巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2011年、103ページ)) [↩ Back]
  88. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第59話 蛇」、『ヴィンランド・サガ』第9巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2010年、84~85ページ)) [↩ Back]
  89. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第59話 蛇」、『ヴィンランド・サガ』第9巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2010年、98ページ)) [↩ Back]
  90. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第68話 カラッポな男」、『ヴィンランド・サガ』第10巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2011年、107~108ページ)) [↩ Back]
  91. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第69話 いじめ」、『ヴィンランド・サガ』第10巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2011年、131~133ページ)) [↩ Back]
  92. (トールズの言葉(幸村誠、「第70話 夢の中身」、『ヴィンランド・サガ』第10巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2011年、173~175ページ)) [↩ Back]
  93. (「殺し合いの地獄」(「そんなんじゃあ・・・・・・ あの殺し合いの地獄からは抜け出せない」、トルフィンの言葉(幸村誠、「第83話 償い」、『ヴィンランド・サガ』第12巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2012年、114ページ))) [↩ Back]
  94. https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Defeat_of_the_Saxons_by_Arthur.jpg) [↩ Back]
  95. 仏教の地獄 タイ 宗教 · Pixabayの無料写真) [↩ Back]
  96. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第71話 誓い」、『ヴィンランド・サガ』第10巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2011年、198~200ページ)) [↩ Back]
  97. (アシェラッドの言葉(幸村誠、「第71話 誓い」、『ヴィンランド・サガ』第10巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2011年、202~205ページ)) [↩ Back]
  98. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第71話 誓い」、『ヴィンランド・サガ』第10巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2011年、210~213ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  99. 濁った 汚い 冬期道路 · Pixabayの無料写真) [↩ Back] [↩ Back]
  100. 霧 ミスト 道路 · Pixabayの無料写真) [↩ Back]
  101. (トルフィンとエイナルの会話(幸村誠、「第73話 自由になったら」、『ヴィンランド・サガ』第11巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2012年、44~45ページ)) [↩ Back]
  102. (トルフィンとエイナルの会話(幸村誠、「第83話 償い」、『ヴィンランド・サガ』第12巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2012年、106~109ページ)) [↩ Back]
  103. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第83話 償い」、『ヴィンランド・サガ』第12巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2012年、110~112ページ)) [↩ Back]
  104. (トルフィンとエイナルの会話(幸村誠、「第83話 償い」、『ヴィンランド・サガ』第12巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2012年、114~118ページ)) [↩ Back]
  105. (トルフィンとエイナルの会話(幸村誠、「第87話 最初の手段」、『ヴィンランド・サガ』第13巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2013年、21~25ページ)) [↩ Back]
  106. 未舗装の道路 霧 ミスト · Pixabayの無料写真) [↩ Back]
  107. 手 ご挨拶 契約 · Pixabayの無料写真、(この元画像を、一部加工して使用しています。)) [↩ Back]
  108. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、139ページ)) [↩ Back]
  109. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第96話 無敵」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、88ページ)) [↩ Back]
  110. (トールズの言葉(幸村誠、「第7話 剣」、『ヴィンランド・サガ』第2巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2006年、39~41ページ)) [↩ Back]
  111. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、132ページ)) [↩ Back] [↩ Back] [↩ Back]
  112. (トルフィンとクヌートの会話(幸村誠、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、139~141ページ)) [↩ Back]
  113. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第132話 バルト海戦役 (8)」、『ヴィンランド・サガ』第19巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2017年、63ページ)) [↩ Back]
  114. (クヌートの言葉(幸村誠、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、147~148ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  115. (オルマルと蛇の言葉(幸村誠、「第94話 降伏勧告」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、27~30ページ)) [↩ Back]
  116. (幸村誠、(冊子のカバーの折り返しのところに掲載されている著者による文章)、『ヴィンランド・サガ』第14巻(冊子版)、アフタヌーンKC、講談社、2014年) [↩ Back]
  117. (トルフィンとクヌート(スヴェン王の亡霊)の言葉(幸村誠、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、127~129ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  118. (トルフィンとクヌートの会話(幸村誠、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、136~137ページ)) [↩ Back]
  119. ドア 選択肢 選択 · Pixabayの無料写真) [↩ Back]
  120. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第87話 最初の手段」、『ヴィンランド・サガ』第13巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2013年、24~25ページ)) [↩ Back]
  121. (ガルムとトルフィンの会話(幸村誠、「第135話 バルト海戦役 (11)」、『ヴィンランド・サガ』第19巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2017年、137~140ページ)) [↩ Back]
  122. (トルフィンの言葉(幸村誠、「第135話 バルト海戦役 (11)」、『ヴィンランド・サガ』第19巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2017年、143ページ)) [↩ Back]
  123. (著者:ルーネル・ヨンソン(Runer Jonsson)、イラスト:エーヴェット・カールソン(Ewert Karlsson)、翻訳:石渡利康、『ビッケと弓矢の贈りもの』(評論社の児童図書館・文学の部屋)、評論社、2011年) [↩ Back]
  124. (オルマルの言葉(幸村誠、「第99話 船出」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、154ページ)) [↩ Back]
  125. (幸村誠、(冊子のカバーの折り返しのところに掲載されている著者による文章)、『ヴィンランド・サガ』第17巻(冊子版)、アフタヌーンKC、講談社、2016年) [↩ Back]
  126. (幸村誠(取材・構成:木村俊介、「6歳から描いたのは読者との断絶を埋めるため」、「お前の漫画を読みたい人なんて誰ひとりいない!? 幸村誠インタビュー(3)」、「第1回 「幸村誠」(3)」、コミックDAYSインタビューシリーズ、編集部ブログ、コミックDAYS、2017年11月06日、(閲覧日:2017年12月27日))) [↩ Back]
  127. (トルフィンの体中の無数の刀傷があらわれている場面(幸村誠、「第73話 自由になったら」、『ヴィンランド・サガ』第11巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2012年、35~40ページ)) [↩ Back]
  128. (トルフィンがキツネに左耳を斬られる場面(幸村誠、「第59話 蛇」、『ヴィンランド・サガ』第9巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2010年、86ページ)) [↩ Back]
  129. (トルフィンが蛇に斬りつけられて右頬に切り傷を負う場面(幸村誠、「第86話 帰れないふたり」、『ヴィンランド・サガ』第12巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2012年、168~169ページ)) [↩ Back]
  130. (トルフィンがガルムの槍に左耳の耳輪を突き斬られる場面(幸村誠、「第132話 バルト海戦役 (8)」、『ヴィンランド・サガ』第19巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2017年、63ページ)) [↩ Back]
  131. 無料の写真: 荒海, 海, ブート, 暗い雲, ランタン, グロー, 月光 - Pixabayの無料画像 - 2624054 by Myriams-Fotos on Pixabay) [↩ Back]
  132. (第55話の巻頭句(幸村誠、「第55話 奴隷」、『ヴィンランド・サガ』第8巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2009年、145ページ)) [↩ Back]
  133. (シン・ヤマガタの言葉(幸村誠、「PHASE.18 グルコーブドリのように」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、46ページ)) [↩ Back]
  134. (幸村誠さんが司会者から話題を振られて語った言葉、「27歳の宇宙地図 デモーニッシュとイノセント」(小川一水、幸村誠、司会:松浦 晋也、「『第六大陸』刊行記念対談 27歳の宇宙地図--デモーニッシュとイノセント 小川一水×幸村誠」『SFマガジン』 44(8) (通号 568)、早川書房、2003年8月、109ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  135. (編著:プラネテス探査チーム(笠井修、佐藤剛、坂本伸之、藤井勝一路、江頭豊広、池上隆之、東部戦線、樽高冬、梅崎正行、さまよえるライターやスペシャリストたち)、監修:幸村誠、監修:モーニング編集部、「フォン・ブラウン ロケット開発のために"悪魔に魂を売った"男」、「MISSION-6 先駆者の肖像 ―宇宙開発者列伝―」、『プラネテス公式ガイドブック 2075年宇宙への挑戦』、2004年、196~197ページ) [↩ Back]
  136. (ロックスミスの言葉(幸村誠、「PHASE.6 走る男」、『プラネテス』第2巻 Kindle版、講談社、2001年、17~18ページ)) [↩ Back]
  137. (星野五郎の言葉(幸村誠、「PHASE.6 走る男」、『プラネテス』第2巻 Kindle版、講談社、2001年、36ページ)) [↩ Back]
  138. (ウェルナー・ロックスミスの言葉(幸村誠、「PHASE.14 おとこのコとおんなのコ」、『プラネテス』第3巻 Kindle版、講談社、2003年、96ページ)) [↩ Back]
  139. (ロックスミスの言葉(幸村誠、「PHASE.18 グルコーブドリのように」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、41ページ)) [↩ Back]
  140. (参考:幸村誠、「幸村 誠・近況報告集」、『ふたごのプラネテス』(編集・制作:モーニング編集部、「2003年33号」(文:幸村誠)、「幸村 誠・近況報告集 1999年7号~2004年6号・モーニング掲載分より」、『ふたごのプラネテス Comic,Animation & Stuffs』、講談社、2004年、62ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  141. (参考:幸村誠、「コミック「宇宙葬」」(編集:プラネテス探査チーム(笠井修、佐藤剛、藤井勝一路、江頭豊広、池上隆之、東部戦線、樽高冬、梅崎正行、さまよえるライターやスペシャリストたち)、監修:幸村誠、監修:モーニング編集部、コミック「宇宙葬」、『プラネテス公式ガイドブック 2075年宇宙への挑戦』、2004年、4~8ページ)) [↩ Back]
  142. (ロックスミスとカナの会話とロックスミスとボディーガードの男性の会話(幸村誠、「PHASE.18 グルコーブドリのように」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、55~64ページ)) [↩ Back]
  143. (ロックスミスの言葉(幸村誠、「PHASE.26 What a Wonderful World」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、304~305ページ)) [↩ Back]
  144. (シン・ヤマガタの言葉「ロックスミスさんは現代のグスコーブドリなんだよ」(幸村誠、「PHASE.18 グルコーブドリのように」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、44ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  145. (シン・ヤマガタの言葉「研究者になって人間の幸せのためにたたかったんだ」(幸村誠、「PHASE.18 グルコーブドリのように」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、45ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  146. (ロックスミスの言葉(幸村誠、「PHASE.26 What a Wonderful World」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、324ページ)) [↩ Back]
  147. 無料の写真: 収穫, アップル, バウアー, 秋, フルーツ, 自然, 赤, 感謝祭 - Pixabayの無料画像 - 2733443 by Nordseher on Pixabay) [↩ Back]
  148. (第27話の巻頭句(幸村誠、「第27話 戦士と修道士」、『ヴィンランド・サガ』第4巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2007年、151ページ)) [↩ Back]
  149. (『ヴィンランド・サガ』第3巻の「第21話 ヴァルハラ」の184ページで、トルケルがヴィリバルドのことを、「酒呑み坊主」と呼んでいます。(幸村誠、「第21話 ヴァルハラ」、『ヴィンランド・サガ』第3巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2006年、184ページ)) [↩ Back]
  150. (『ヴィンランド・サガ』第4巻の「第27話 戦士と修道士」の155ページで、アトリがヴィリバルドのことを、「酒漬け坊主」と呼んでいます。(幸村誠、「第27話 戦士と修道士」、『ヴィンランド・サガ』第4巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2007年、155ページ)) [↩ Back]
  151. (参考:『ヴィンランド・サガ』第4巻の「第27話 戦士と修道士」の156ページの2コマ目で、ヴィリバルドが「私は酒が好きなわけではありません」と言っています。(幸村誠、「第27話 戦士と修道士」、『ヴィンランド・サガ』第4巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2007年、156ページ)) [↩ Back]
  152. (ヴィリバルドとアシェラッド兵団の団員たちの会話(幸村誠、「第24話 対岸の国」、『ヴィンランド・サガ』第4巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2007年、86~88ページ)) [↩ Back]
  153. (アトリとトルグリムとヴィリバルドの会話(幸村誠、「第27話 戦士と修道士」、『ヴィンランド・サガ』第4巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2007年、152~155ページ)) [↩ Back]
  154. (ヴィリバルドの言葉(幸村誠、「第29話 父と子」、『ヴィンランド・サガ』第5巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2007年、22~25ページ)) [↩ Back]
  155. (クヌートとヴィリバルドの会話(幸村誠、「第36話 戦場のふたり」、『ヴィンランド・サガ』第6巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2008年、28~30ページ)) [↩ Back]
  156. (クヌートとヴィリバルドの会話(幸村誠、「第37話 愛の定義」、『ヴィンランド・サガ』第6巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2008年、57~68ページ)) [↩ Back]
  157. 無料の写真: 彫刻, 像, 瞑想, ゴールデン, 男, クラウン, 手 - Pixabayの無料画像 - 3101349 by elvina3571332 on Pixabay) [↩ Back]
  158. (ハチマキの自己像幻視(ホートスコピー(heautoscopy))(幸村誠、「PHASE.11 СПАСИБО」(СПАСИБО(スパシーバ))、『プラネテス』第2巻 Kindle版、講談社、2001年、222ページ)) [↩ Back]
  159. (タナベの言葉(幸村誠、「PHASE.8 サキノハカという黒い花 前編」、『プラネテス』第2巻 Kindle版、講談社、2001年、99ページ)) [↩ Back]
  160. (クヌートの言葉(幸村誠、「第38話 ゆりかごの外」、『ヴィンランド・サガ』第6巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2008年、77~79ページ)) [↩ Back]
  161. (クヌートの言葉(幸村誠、「第39話 王の目覚め」、『ヴィンランド・サガ』第6巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2008年、82~84ページ)) [↩ Back]
  162. (クヌートの言葉(幸村誠、「第39話 王の目覚め」、『ヴィンランド・サガ』第6巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2008年、86~91ページ)) [↩ Back]
  163. (クヌートの言葉(幸村誠、「第43話 王子生還」、『ヴィンランド・サガ』第7巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2009年、19~23ページ)) [↩ Back]
  164. (クヌートの言葉(幸村誠、「第78話 反逆罪」、『ヴィンランド・サガ』第11巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2012年、186ページ)) [↩ Back]
  165. (クヌートとトルフィンとエイナルの会話(幸村誠、「第97話 叛逆はんぎゃくの帝王」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、111~115ページ)) [↩ Back]
  166. (参考:クヌートが、グンナルに対して、軍事政策のための財源確保の必要性を説いている場面でのクヌートの言葉(幸村誠、「第75話 王と剣」、『ヴィンランド・サガ』第11巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2012年、93~97ページ)) [↩ Back]
  167. 無料の写真: 3 月, ビーチ, リトラル, ベイラ マール, スピード ボート - Pixabayの無料画像 - 2068423 by fgmsp on Pixabay) [↩ Back]
  168. (ハチマキの言葉(幸村誠、「PHASE.2 地球外少女」、『プラネテス』第1巻 Kindle版、モーニングコミックス、講談社、2001年、90ページ)) [↩ Back]
  169. (クヌートとトルフィンの会話(幸村誠、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、135~137ページ)) [↩ Back]
  170. (トルフィンとクヌートの会話(幸村誠、「第98話 ふたつの楽土」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、139~142ページ)) [↩ Back]
  171. 無料の写真: 個人, ネットワーク, 社会的なメディア, フォト アルバム, 世界 - Pixabayの無料画像 - 3108155 by geralt on Pixabay)(この画像をすこし加工して使用しています。) [↩ Back]
  172. (ハチマキの言葉(幸村誠、「PHASE.26 What a Wonderful World」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、320~321ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  173. (クヌートの言葉(幸村誠、「第97話 叛逆はんぎゃくの帝王」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、113~114ページ)) [↩ Back]
  174. (ラモン博士の言葉(幸村誠、「PHASE.26 What a Wonderful World」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、312~313ページ)) [↩ Back]
  175. (ハチマキとハチマキの自己像幻視(ホートスコピー(heautoscopy))の会話(幸村誠、「PHASE.5 IGNITION点火」、『プラネテス』第1巻 Kindle版、モーニングコミックス、講談社、2001年、209~213ページ)) [↩ Back]
  176. (ハチマキとタナベの会話(幸村誠、「PHASE.7 タナベ」、『プラネテス』第2巻 Kindle版、講談社、2001年、79~81ページ)) [↩ Back]
  177. (ハチマキの言葉(幸村誠、「PHASE.10 惑う人達」、『プラネテス』第2巻 Kindle版、講談社、2001年、184~185ページ)) [↩ Back]
  178. (ハチマキの言葉(幸村誠、「PHASE.10 惑う人達」、『プラネテス』第2巻 Kindle版、講談社、2001年、194~196ページ)) [↩ Back]
  179. (ハチマキとトラックの運転手の会話(幸村誠、「PHASE.11 СПАСИБО」(СПАСИБО(スパシーバ))、『プラネテス』第2巻 Kindle版、講談社、2001年、243~246ページ)) [↩ Back]
  180. (ハチマキの言葉(幸村誠、「PHASE.16 ハチマキ」、『プラネテス』第3巻 Kindle版、講談社、2004年、187~188ページ)) [↩ Back]
  181. (ハチマキの言葉(幸村誠、「PHASE.25 光の速さで45分」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、281ページ)) [↩ Back]
  182. (プラタナス(File:Plane tree Grove Tsav River2.jpg - Wikimedia Commons on Wikimedia Commons)) [↩ Back]
  183. (「プラネテス」という言葉は、ギリシャ語(ギリシャ文字アルファベット)の「ΠΛΑΝΗΤΕΣ」(大文字)(小文字:πλανήτες)という言葉を、日本語のカタカナ文字にした言葉です。) [↩ Back]
  184. (この複数形は、正確には、「複数主格」(nominative plural)と呼ばれる種類の複数形のようです。) [↩ Back]
  185. (参考:「Noun」、「Greek」、「πλανήτες - Wiktionary」、(閲覧日:2018年1月9日)) [↩ Back]
  186. (参考:「ΠΛΑΝΗΤΕΣ考察」、「女子大生の日 - イヨクニ燃えるコロンブス日記」、(閲覧日:2018年1月9日)) [↩ Back] [↩ Back]
  187. (幸村誠、「あとがきにかえて」、『ふたごのプラネテス』(編集・制作:モーニング編集部、「あとがきにかえて」(文:幸村誠)、『ふたごのプラネテス Comic,Animation & Stuffs』、講談社、2004年、146~148ページ)) [↩ Back] [↩ Back]
  188. (「プラネーテース」という言葉は、ギリシャ語(ギリシャ文字アルファベット)の「ΠΛΑΝΗΤΗΣ」(大文字)(小文字:πλανήτης)という言葉を、日本語のカタカナ文字にした言葉です。) [↩ Back]
  189. (参考:「Noun」、「Ancient Greek」、「πλανήτης - Wiktionary」、(閲覧日:2018年1月9日)) [↩ Back]
  190. (参考:「Etymology」、「planet - Wiktionary」、(閲覧日:2018年1月11日)) [↩ Back]
  191. (参考:「planet | Origin and meaning of planet by Online Etymology Dictionary」、(閲覧日:2018年1月9日)) [↩ Back]
  192. (参考:「惑星・遊星という呼称の由来」、「惑星 - Wikipedia」、(閲覧日:2018年1月11日)) [↩ Back]
  193. (幸村誠(取材・構成:木村俊介、「原稿の遅さが「売り」!? 幸村誠インタビュー(2)」、「第1回 「幸村誠」(2)」、コミックDAYSインタビューシリーズ、編集部ブログ、コミックDAYS、2017年10月30日、(閲覧日:2017年12月27日))) [↩ Back] [↩ Back]
  194. (ちなみに、「光の速さで45分」というのは、地球と木星のあいだの距離をあらわしているのだとおもいます。1光分(光分:光が1分間に真空中を進む距離)は、約1800万キロメートルです。ですので、「光の速さで45分」の距離、すなわち、「45光分」の距離は、約8億1千万キロメートルです。この距離が、作中でハチマキたちが木星系に入った時点ごろの、地球と木星のあいだの距離なのだろうとおもいます。) [↩ Back]
  195. (ハチマキとサリーの会話(幸村誠、「PHASE.25 光の速さで45分」、『プラネテス』第4巻 Kindle版、講談社、2004年、270~273ページ)) [↩ Back]
  196. (第100話の巻頭句(幸村誠、「第100話 帰郷」、『ヴィンランド・サガ』第14巻 Kindle版、アフタヌーンコミックス、講談社、2014年、169ページ)) [↩ Back]
  197. (「無料の写真: 冒険, 標高, アーム, 援助, アスリート, 男の子, 挑戦 - Pixabayの無料画像 - 1807524」 by sasint on Pixabay) [↩ Back]
  198. (幸村誠(取材・構成:木村俊介、「お前の漫画を読みたい人なんて誰ひとりいない!? 幸村誠インタビュー(3)」、「第1回 「幸村誠」(3)」、コミックDAYSインタビューシリーズ、編集部ブログ、コミックDAYS、2017年11月06日、(閲覧日:2017年12月27日))) [↩ Back]
  199. (幸村誠、「初代“ハチマキ”と未来宇宙を語る 星出彰彦[現役宇宙飛行士] VS. 幸村誠[作者]」(編著:プラネテス探査チーム(笠井修、佐藤剛、坂本伸之、藤井勝一路、江頭豊広、池上隆之、東部戦線、樽高冬、梅崎正行、さまよえるライターやスペシャリストたち)、監修:幸村誠、監修:モーニング編集部、「初代“ハチマキ”と未来宇宙を語る 星出彰彦[現役宇宙飛行士] VS. 幸村誠[作者]」、『プラネテス公式ガイドブック 2075年宇宙への挑戦』、2004年、172ページ)) [↩ Back]
  200. (幸村誠、(冊子のカバーの折り返しのところに掲載されている著者による文章)、『ヴィンランド・サガ』第6巻(冊子版)、アフタヌーンKC、講談社、2008年) [↩ Back]
  201. (金井暁(『ヴィンランド・サガ』の担当編集者)(取材・構成:木村俊介、「お前の漫画を読みたい人なんて誰ひとりいない!? 幸村誠インタビュー(3)」、「第1回 「幸村誠」(3)」、コミックDAYSインタビューシリーズ、編集部ブログ、コミックDAYS、2017年11月06日、(閲覧日:2017年12月27日))) [↩ Back]
  202. Thorfinn Karlsefniソルフィン・カルルセフニトルフィン・カルルセヴニ侠気のトルフィン))の像、File:Thorfinn Karlsefni 1918.jpg - Wikimedia Commons) [↩ Back]
  203. (氷川竜介、「解説 等身大の「人のドラマ」・・・・・・ 大きな共鳴を感動に結びつけたアニメ版『プラネテス』」(編集・制作:モーニング編集部、「ドラマのクオリティを支えたスタッフ」、「COMMENTS ON ANIMATION VERSION 解説 等身大の「人のドラマ」・・・・・・ 大きな共鳴を感動に結びつけたアニメ版『プラネテス』」(文:氷川竜介)、『ふたごのプラネテス Comic,Animation & Stuffs』、講談社、2004年、86ページ)) [↩ Back]
  204. (ハキム・カシムの言葉、幸村誠、「PHASE.8 サキノハカという黒い花 前編」、『プラネテス』第2巻、講談社、2001年、117ページ) [↩ Back]
  205. (テマラ・ポワチエの言葉、「Phase 11 バウンダリー・ライン」、アニメ『プラネテス) [↩ Back]
  206. (ノノとハキムの会話、「Last Phase そして巡りあう日々」、アニメ『プラネテス』) [↩ Back]