いわば、イデオロギッシュなものが、エロスと暴力こき混ぜた波瀾の物語に導いたわけで、皮肉ともいえるが、そこに人間の不思議と中世という時代の一面がある。中世の多くのイデオロギー説は、外見の厳めしさとはうらはらに、実際には人間の生の現実性、欲望や体臭とないまぜの形でしか存在しえなかったのである。
―― 高橋昌明『酒呑童子の誕生』 (*1)
もとより「説話」は、截然と切りとられた「形」で「存在」した“ためし”はなく、諸「領域」に或時ははめこまれ、或時は埋没伏流しつ浮遊しているのである。
―― 牧野和夫「中世聖徳太子伝と説話」 (*2)
真実の存するところ、それを世俗の人が失うとは悲しいことだ。私はかくなることを恐れたがゆえに、そのために注解を作り、その障害を取りのぞき、荒地をひらき、この深義を理解し、その深浅を標示した。こいねがわくは名文をしてこの世より失せず、珍しい物語が今日より絶えることがなければ、夏后の事績は将来にわたって忘れさられることなく、八方の世界の果の事も後世の人びとに伝わることであろう。これもまたよいことではないか。
―― 郭璞「山海経序」, 『山海経』 (*3)
(注:この記事は、制作中のものであり、随時内容を修正しています。)
鎌倉時代~南北朝時代(室町時代前半)ごろにつくられたとされている、現存最古の酒呑童子説話をつたえる『大江山絵詞』(香取本 (*4))という絵巻物があります。(この絵巻物は、現在、公益財団法人 阪急文化財団が運営している逸翁美術館に所蔵されています。このことから、この絵巻物は「逸翁本」や「逸本」と呼ばれることもあります。)
その『大江山絵詞』の、詞書の文章や、詞書の釈文や、詞書の現代語訳や、詞書と絵図の本来の並び順、などについてお話します。
酒呑童子の説話をいまにつたえる代表的な2大文化財である、香取本『大江山絵詞』(逸翁美術館所蔵)と、古法眼本『酒伝童子絵巻』(サントリー美術館所蔵)の、2つの絵巻物について
ちなみに、酒呑童子の説話をいまにつたえる代表的な2大文化財(絵巻物)として、香取本『大江山絵詞』(逸翁美術館所蔵)と、古法眼本『酒伝童子絵巻』(サントリー美術館所蔵)の、2つの絵巻物があります。
香取本『大江山絵詞』は、現在、重要文化財に指定されています (*6)が、1950年までは、国宝(いわゆる「旧国宝」)に指定されていました。1950年8月に文化財保護法が施行されたことで、それまで国宝(いわゆる「旧国宝」)であった香取本『大江山絵詞』は、重要文化財に指定されました (*7)。
もうひとつの代表的な酒呑童子説話の文化財(絵巻物)として、サントリー美術館に所蔵されている、古法眼本『酒伝童子絵巻』という絵巻物があります。この絵巻物も、現在、重要文化財に指定されています (*9)。古法眼本『酒伝童子絵巻』の絵図は、狩野派2代目の絵師である狩野元信が描いたとされている絵図です。狩野元信は、通称「古法眼」とも呼ばれます。サントリー美術館所蔵の『酒伝童子絵巻』は、古法眼(狩野元信)が絵図を描いた絵巻物なので、「古法眼本」と呼ばれることもあります。また、この絵巻物は、サントリー美術館に所蔵されていることから、「サントリー本」や「サ本」と呼ばれることもあります。
酒呑童子の説話は、中世から現在までの約600年以上の長い歴史のなかで、絵画や、文学、能楽(謡曲)、浄瑠璃、歌舞伎、演劇、唱歌・楽曲、映画、マンガ、アニメ、ゲームなどなど、数え切れないほどたくさんの文化や芸術に取り入れられてきました。そのように、酒呑童子の説話は、これまでの日本の文化や芸術に大きな影響を与えてきましたし、いまの日本の文化や芸術にも大きな影響を与え続けていますし、これからの日本の文化や芸術にも大きな影響を与え続けていくことでしょう。また、その文化的・芸術的影響は、日本だけにとどまらず、世界中に広がりつづけています。そうした、酒呑童子の説話の影響の大きさを考えると、酒呑童子の説話をいまにつたえている代表的な2大文化財(絵巻物)である、香取本『大江山絵詞』(逸翁美術館所蔵)と、古法眼本『酒伝童子絵巻』(サントリー美術館所蔵)の2大絵巻物が、文化財として、とても価値が高いものであるということが、おわかりいただけるかとおもいます。
だれにもわからない、香取本『大江山絵詞』の、絵図と詞書の正しい並び順
後魏の酈道元は『水経』に注をして、『山海経』は世に埋もれること歳久しく、韋編ほとんど絶え、書策の順序は乱れて編集しがたく、後人が仮に綴り合わせたから、古人の遠意と異なるところが多いという。まことに古経の残簡の復元しがたいのは昔からなのである。
―― 高馬三良「解説」『山海経』 (*12)
現在、逸翁美術館に収蔵されている香取本『大江山絵詞』の絵巻物の、絵図と、詞書は、現状では「上巻」「下巻」「詞書巻」の三巻の巻物のかたちになっています。ですが、この三巻の巻物のかたちにまとめられる以前は、絵図と詞書が巻物のかたちにまとめられていたわけではなく、絵図と詞書がバラバラになっている状態だったそうです。しかも、詞書の文章や、絵図の一部が欠損している状態であったそうです。そのため、香取本『大江山絵詞』の絵巻物の、もともとの絵図と詞書の正しい並び順は、わからなくなってしまっているのです。ですので、現状の香取本『大江山絵詞』の絵巻物の、絵図と詞書の並び順は、正しい並び順ではなく、並び順がまちがっている部分もあるようです。 (*13)
香取本『大江山絵詞』の、絵図と詞書の、正しい並び順については、榊原悟さん (*14) や、高橋昌明さん (*15)が、復元案を提示されています。
- 高橋昌明 (2005年) 「四、叡山で跳躍する」, 「第六章 酒呑童子説話の成立」, 『酒呑童子の誕生 : もうひとつの日本文化』, 中公文庫, 中央公論新社, 235ページ.[↩ Back]
- 牧野和夫 (1993年) 「中世聖徳太子伝と説話 : “律”と太子秘事・口伝・「天狗説話」」, 本田義憲 [ほか]編, 『説話の講座 第3巻 (説話の場 : 唱導・注釈)』, 勉誠社, 227ページ.[↩ Back]
- 出典:郭璞「山海経序」, 高馬三良(翻訳), (1994年), 『山海経:中国古代の神話世界』, 平凡社ライブラリー, 平凡社, 12~13ページ. [↩ Back]
- 「香取本」というのは、「香取神宮本」の略称です。もともと、『大江山絵詞』は、香取神宮の宮司家が所蔵していたものなので、このような通称で呼ばれています。[↩ Back]
- この絵図のイメージ画像は、香取本『大江山絵詞』の絵図(現状の絵巻の原本の「下巻 第七絵図」)をもとにして、筆者(倉田幸暢)が制作したものです。[↩ Back][↩ Back]
- 参考文献:(1992年) 「8 大江山絵詞」, 「作品解説」, 逸翁美術館(編), 『逸翁清賞 : 逸翁美術館名品図録』(改訂版), 逸翁美術館, 96ページ.[↩ Back]
- 参考文献:榊原悟 (1984) 「「大江山絵詞」小解」, 「一 伝来」, 「第二章「大江山絵詞」の概要」, 小松茂美(編), 『続日本絵巻大成 19』(土蜘蛛草紙 天狗草紙 大江山絵詞), 中央公論社, 144ページ.[↩ Back]
- 逸翁美術館とその周辺を撮影したこれらの写真は、筆者が2017年9月に撮影した写真です。[↩ Back]
- 参考文献:(2017年) 「60 重要文化財 酒伝童子絵巻」, 「第四章 和漢を兼ねる」, 「作品解説」, 狩野元信(画), 池田芙美 ほか(編), 『狩野元信 : 天下を治めた絵師 : 六本木開館10周年記念展』, サントリー美術館, 224~225ページ.[↩ Back]
- サントリー美術館とその周辺を撮影したこれらの写真は、筆者が2017年8月に撮影した写真と2017年9月に撮影した写真です。[↩ Back]
- この「香取本『大江山絵詞』の絵巻のイメージ画像(「上巻」「下巻」「詞書巻」の三巻(絵巻の原本の現状))」の画像は、『続日本絵巻大成 19 (土蜘蛛草紙・天狗草紙・大江山絵詞)』の147ページに掲載されている「大江山絵詞 現装」の写真の挿絵をもとに筆者(倉田幸暢)が制作したものです。)[↩ Back]
- 高馬三良 (1994年) 「解説」, 『山海経:中国古代の神話世界』, 平凡社ライブラリー, 平凡社, 181ページ. [↩ Back]
- 参考文献:高橋昌明 (2005年) 「【付録】『大江山絵詞』復元の試み」, 『酒呑童子の誕生 : もうひとつの日本文化』, 中公文庫, 中央公論新社, 260~263ページ. [↩ Back]
- 参考文献:榊原悟 (1984年) 「二 現状・錯簡と復原」, 「第二章 「大江山絵詞」の概要」, 「「大江山絵詞」小解」, 小松茂美(編), 『続日本絵巻大成 19』(土蜘蛛草紙 天狗草紙 大江山絵詞), 中央公論社, 149~152ページ. [↩ Back]
- 参考文献:高橋昌明 (2005年) 「【付録】『大江山絵詞』復元の試み」, 『酒呑童子の誕生 : もうひとつの日本文化』, 中公文庫, 中央公論新社, 260~285ページ. [↩ Back]