「適塾」タグの記事一覧

「適塾」とは

By Yukinobu Kurata (倉田幸暢)

適塾
緒方洪庵
(*1)
(*2)

 

「マア今日の学校とか学塾とかいうものは、人数も多く迚(とて)も手に及ばないことで、その師弟の間はおのずから公(おおやけ)なものになっている、けれども昔の学塾の師弟は正(まさ)しく親子の通り、緒方先生が私の病を見て、どうも薬を授くるに迷うというのは、自分の家の子供を治療してやるに迷うと同じことで、その扱いは実子と少しも違わない有様であった。」

「これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時は何時(なんどき)でも構わぬ、殆(ほとん)ど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻(しき)りに書を読んでいる。読書に草臥(くたび)れ眠くなって来れば、机の上に突っ臥して眠るか、あるいは床の間の床側(とこぶち)を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気が付いて『なるほど枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから』と初めて気が付きました。これでも大抵趣(おもむき)がわかりましょう。これは私一人が格段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵みなそんなもので、およそ勉強ということについては、実にこの上に為(し)ようはないというほどに勉強していました。」

――― 福沢諭吉、『福翁自伝』

幕末の大阪に、 続きを読む


脚注
  1. (適塾(photo by Reggaeman at Wikimedia Commons))[↩ Back]
  2. (緒方洪庵)[↩ Back]

「村田蔵六(大村益次郎)」とは

By Yukinobu Kurata (倉田幸暢)

天才、大村益次郎

司馬遼太郎の小説『花神』で描かれている
村田蔵六の人物像をご紹介します。

大村益次郎(村田蔵六)
大村益次郎(村田蔵六) (*1)

村田蔵六(後の大村益次郎)

彼は、日本の近代兵制の創始者であり、
幕末に徳川幕府を倒した討幕軍の司令官でもありました。

そのときの功績を評価され、明治維新後には、
最初の兵部大輔(軍事大臣)となりました。

しかし、それだけではなく、彼は

西洋医学を学んだ医師
西洋の科学技術を研究した学者
西洋の近代な軍事を研究した兵学者

などさまざまな顔をもっていました。

このように多方面にわたって才能を発揮した彼は、
まさに「天才」だったといえるでしょう。

著者である司馬遼太郎は、
村田蔵六の人物像についてこのように述べています。

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脚注
  1. (大村益次郎(村田蔵六)(Painted by エドアルド・キヨッソーネ From 国立国会図書館、「近代日本人の肖像」))[↩ Back]

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