
「根本中堂 薬師如来
御衣木旧跡」 の石標
(比叡山延暦寺
東塔 北谷 八部尾 仏母塚)
(*)
目照りが続く中、天台座主良真(一〇二二~一〇九六)は自宗天台宗を褒め称え、他宗(真言宗)を謗り、朝廷に対して比叡山の龍尾という山岳で七仏薬師法を修するようにアピールした。しかも良真は、雨をもたらす龍王が神泉苑の池ではなく、龍尾という山岳に遊戯しているとも主張した。
(中略)
深刻な旱魃が続くなか、天台座主良真は東密を批判し、東密の神泉苑の龍王信仰を天台宗に取り入れ、新たに比叡山で樹立させようとした。
(スティーブン・トレンソン「醍醐寺における祈雨の登場」, 『祈雨・宝珠・龍:中世真言密教の深層』) (*)
『小野類秘鈔』に「(中略)」という記述があり、それによれば水天供はすでに康平八年(治暦元年〔一〇六五〕)に比叡山で執り行われたこととなる。
(中略)
神泉苑の龍王は、東密の伝承(後述)ではインドより当苑に来住した無熱池の龍王とされた。だが、『孔雀経』によれば、無熱池の龍王は水天である。そのために、特に十一世紀後半から神泉苑の孔雀経御読経が盛行するようになった後、東密では神泉苑の龍が水天だという信仰が一般化したのである。
(中略)
要するに、東密の水天供は、古来の神泉苑龍神信仰のなかに胚胎していた水天信仰に基づいていたと推定されよう。
(中略)
況八大龍王皆蒙於閻浮提可降雨仏勅、若干眷属在法花坐、此曼荼羅中列諸龍王、因之修此法感雨也
(中略)
成尋は(中略)、彼の祖師である智証大師円珍(八一四~八九一)が、青龍寺の法全に就いて水天法及び倶梨伽羅龍王の祈雨法を学んだことを述べた。(中略)これにより、天台宗寺門派で水天の祈雨法が秘法とされていた事実が分かる。(中略)つまり、水天供が台頭した背景に、天台宗が古くから水天法の秘法を伝持しているという点を主張していたことが想像される。
(スティーブン・トレンソン「四 水天供の確立と隆盛」, 『祈雨・宝珠・龍:中世真言密教の深層』) (*)
下記の文章は、現存最古の酒呑童子説話をつたえる香取本『大江山絵詞』 (*)の上巻のなかの第5段の詞書の文章の一部を釈文にした文章です。赤文字や太文字などの文字装飾は、筆者によるものです。 (*) (*) (*)
頼光・保昌、同じ詞に、「同じくは、亭主の御出であらんこそ面白く侍るべけれ。我等許りは珍しからぬ同行共にてある」と言はれければ、暫くありて亭主の童子出で来り。丈一丈計りなるが、眼居・言柄誠に畏く、智恵深げにて、色々の小袖に、白き袴に香の水干をぞ着たりける。美しき女房達四、五人に、或は円座、或は脇息持たせて、辺りも輝く計りに由々しくぞ見えし。童子、頼光に問ひ申されけるは、「御修行者、何方より何なる所へとて御出で候ひけるぞ」と問ひければ、答へられけるは、「諸国一見の為に罷り出でたるが、漫ろに山に踏み迷ひて、是まで来る」由をぞ答へられける。童子、又我身の有様を心に懸けて語りけり。「我は是、酒を深く愛する者なり。然れば、眷属等には酒天童子と異名に呼び付けられ侍るなり。古はよな、平野山を重代の私領として罷り過ぎしを、伝教大師といひし不思議の房が此の山を点じ取りて、峰には根本中堂を建て、麓には七社の霊神を崇め奉らんとせられしを、年来の住所なれば、且は名残も惜しく覚え、且は栖もなかりし事の口惜しさに、楠木に変じて度々障碍をなし、妨げ侍りしかば、大師房、此の木を切り、地を平げて、「明けなば」と侍りし程に、其の夜の中に又、先のよりも大なる楠木に変じて侍りしを、伝教房、不思議かなと思ひて、結界封じ給ひし上、「阿耨多羅三藐三菩提の仏達、我が立つ杣に冥加あらせ給へ」と申されしかば、心は猛く思へども力及ばず、現はれ出でて、「然らば、居所を与へ給へ」と愁ひ申せしに依て、近江国かが山、大師房が領なりしを得たりしかば、然らばとて彼の山に住み替えてありし程に、桓武天皇、又勅使を立て宣旨を読まれしかば、王土にありながら、勅命さすがに背き難かりし上、天使来りて追ひ出せしかば、力無くして又、此の山を迷ひ出でて、立ち宿るべき栖もなかりし事の口惜しさに、風に託し雲に乗りて、暫くは浮かれ侍りし程に、時々其の怨念の催す時は、悪心出で来て、大風と成り旱魃と成りて、国土に仇を成して心を慰み侍りき。
「すごくおおざっぱなバージョン1」から始める
starting with a very crude version 1, then (f) iterating rapidly.
―― Paul Graham, Six Principles for Making New Things (*)
非常に粗雑なバージョン1から始め、その後(f)素早く繰り返す。
―― ポール・グレアム「新しいものを作る6つの原則」 (*) (*)
プログラマーで、エッセイストで、起業家で、投資家でもある、ポール・グレアム(Paul Graham)という人がいます。
そのポール・グレアムさんが、「新しいものを作る6つの原則」(Six Principles for Making New Things)というエッセーのなかで、「すごくおおざっぱなバージョン1からはじめましょう」(不完全でも、見ばえが悪くてもかまわないので、できるだけ早くはじめましょう。そして、そのあとで、改善をくりかえしていきましょう)というような意味のことを言っています。
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比叡山延暦寺の3D地図
古くからの登拝路は廃れ、表参道であった本坂でさえ今は草に埋もれている。いわんや谷に沿い、嶺をつたってひらかれた山間の諸道は、いずれも深い歴史を秘めていながら寺院関係者や、ここを生業の場所とする杣人に伝えられるばかりとなっている。
北村は故郷の山の変貌に気がついていた。「早よう聞いとかんと判らんようになる」といって坂本の人々に尋ねて歩いた。それは山林管理に長年従事してきた古老のような、山を熟知した人が少なくなったという危機感からであった。彼は伝承の収集と共に、限られた休暇をつかって山中を歩き、古道の踏査に精を出した。道標や石碑は克明に採寸し、文字を写し取っていった。こうした地味な作業を続ける内に、それらが比叡の歴史につながっているのを感じ始めていた。
―― 近江百山之会『祷の嶺:北村賢二遺稿集』 (*)
3D地図の操作方法
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地図1 比叡山延暦寺の広域地図(3D地図)
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