Darwin Monkey (ダーウィン・モンキー)
ダーウィン・モンキー [1]

口にできない考えを抱かないほうが、ほぼ間違いなくどこかおかしいんだ

――― ポール・グレアム、『ハッカーと画家』 [2]

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言わザル 言うサル

徳ある者は必ず言あり

――― 孔子、『論語』 憲問篇 [3]

「現代のハッカー」と「幕末の洋学者」に
共通する点はいくつかあります。

そのなかから、今回は、

「常識はずれなことを考える」

という共通点についてお話していこうと思います。

現代のハッカーたちも、幕末の洋学者たちも
彼らが生きている時代からすれば
かなり常識はずれなことを考えています。

たしかに、「常識的な」一般の人々の目に映る彼らの言動は、
常識はずれなものばかりのようです。

鎖国状態にあり、海外との交流が禁止されていた江戸時代に
ときに命の危険を冒してまで異国の珍奇な物事を知ろうとしていた
洋学者たちや、

ときに寝る間も惜しんで何時間もぶつぶつ言いながらパソコンとにらめっこしたり
意味不明なアルファベットの羅列に美しさを感じたりしている
ハッカーたち、

彼らは、一言でいえば、「へんな奴ら」なのです。

では、なぜ彼らはこのような常識はずれなことを考るのでしょうか?

その理由は、つねに現実に対して疑問をもっているからです

幕末に活躍した洋学者たちや、現代のハッカーたちにとっては、
なにかに対して疑問をもつということは、息をすることと同じように
ごく自然に身についていることのようです。

ですが、ここで彼らの前に大きな壁がたちはだかります。

それは、

「常識の壁」

ともいうべきものです。

この「常識の壁」とは、
時代によって、あるいは場所によって、
その雰囲気のなかにいる人々のほとんど全員が
まるで太古の昔からの「常識」であるかのように思い込んでいて、
それを破るなどということは、考えたこともない、
または、まわりの目が恐くてできない、
と感じているものです。

たとえば、典型的な例で言えば、

「女性は結婚してこどもを生むべきだ」
「男は家庭をもってこそ一人前だ」
「こどもは学校にいかなければならない」
「先生のいうことは聞かなければならない」
「離婚はしてはいけない」

などです。

現代では、これらの「常識」は、
多くの人々にとって、もはや常識ではなくなってきています。

しかし、一昔前までは、これらの「常識」は
まるで鉄の掟であるかのように思われていたのです。

そして、それを破った人は、
まるで罪人であるかのような扱いを受けることもありました。

余談ですが、
工業化社会の終わりと次に来る新しい時代について提唱した
『第三の波』の著者として有名なアルビン・トフラーは、
「結婚」という制度に対する人々の考え方の変化について、
次のように語っています。

結婚したカップルのうち50パーセントが離婚しているのはなぜだろう。アメリカの若者はいまでは、最初の結婚はいわばリハーサルなので子供を作らないようにし、ほんとうの結婚はその後にすると考えるようになっている。

(アルビン・トフラー、 『富の未来』下巻) [4]

このように、「結婚」という制度について考えただけでも、
これまでの「常識」が通用しなくなっていることが分かります。

さて、話を元に戻すと、
上のような「その時代に一般に受け入れられている常識」のことを、
ポール・グレアムは「流行の道徳」という言葉で表現しています。

この「流行の道徳」について、彼は次のように述べています。

道徳にも流行があることを思うと、ちょっと恐ろしくなる。道徳の流行も服装と同じように何でもありで、しかもたいていの人には見えない。だが、それは服装の流行よりずっと危険だ。流行の服装は良いデザインと誤解されるのに対し、流行の道徳は善と誤解される。変な格好をしていても笑われるだけだが、道徳の流行に逆らうと、首になったり、仲間外れになったり、投獄されたり、殺されることさえある。

(ポール・グレアム、『ハッカーと画家』) [5]

社会への適応が尊重されていた時代には、口にできないような考えを抱くというだけで、どこかおかしいと思われていた。だが本来は逆だ。口にできない考えを抱かないほうが、ほぼ間違いなくどこかおかしいんだ。

(ポール・グレアム、『ハッカーと画家』) [2]

そして、幕末に生きた村田蔵六も同じく、
彼自身が生きた時代の「流行の道徳」に対して
強い疑念を抱いていました。

蔵六が逆らおうとした当時の「流行の道徳」とは、
徳川幕府が築いてきた「封建身分制」でした。

彼は、この「封建身分制」を嫌悪していました。

では、この「封建身分制」とはどのようなものだったのでしょうか?

蔵六の見た幕末の「封建身分制」

当時の「封建身分制」について知るために、
司馬遼太郎が、小説『花神』のなかで描いている一場面を
見てみましょう。

その場面とは、
宇和島藩の城下町に住む、「嘉蔵(かぞう)」という、
身分は低いものの、とても有能な職人に関する場面です。

(嘉蔵、後の前原巧山 - Wikipedia

・・・と、その話の前にすこし前置きを。

嘉永6年(1853年)、
アメリカ海軍提督ペリーが黒船と呼ばれた艦隊をひきいて浦賀へ来航したその年、
蔵六は伊予の宇和島藩(現在の愛媛県宇和島市)に招かれ、
そこに身をおいていました。

このころ、宇和島藩では、
アメリカやイギリスなどの西洋の列強諸国に対抗するために
日本人の独力で蒸気船を作ろうとしていました。

ちなみに、このプロジェクトがどれだけ遠大なものであったかということを
司馬さんは

いってみればこんにちの宇和島市が、市の独力で人工衛星をあげるにも似ていた

(司馬遼太郎、『花神 (上巻)』) [6]

と表現しています。

そして、そのプロジェクトのプロジェクトリーダーとして抜擢されたのが蔵六でした。

当時は、オランダ語が西洋の知識を得るための唯一の手段でしが、
当時はオランダ語の翻訳ができる人は少数しかいませんでした。

そのため、彼がオランダ語に精通していたことは、
彼がこのプロジェクトのリーダーに選ばれたことの大きな理由のひとつでした。

このときの蔵六の役職について、司馬さんは

藩の科学技術部門の最高官

(司馬遼太郎、『花神 (上巻)』) [7]

であると表現しています。

・・・さて、ここでやっと前置きはおわりです。

こうして、蔵六を筆頭にはじまったこのプロジェクトですが、
蒸気機関を実際に作り上げるためには
蔵六という頭脳だけではなく、
彼を補佐し実際にそれをつくる技術者、職人が必要だという話になります。

そこで、職人探しがはじまり
桑折(こおり)という家老がその役をひきうけ、
このプロジェクトを担うにふさわしい有能な職人を探し始めます。

桑折は、町の顔役である市郎左衛門という人に
心当たりはないか、たずねました。

その際に候補にあがったのが、嘉蔵(かぞう)でした。

しかし、そこにはひとつ問題がありました。

 町人以下の階級を、借家人といった。
「借家人か」
 桑折はどんな身分の者でもいいとおもった。もっとも借家人にも二通りの階級がって、町の表通りに住むのを表借家人と言い、裏通りの者を裏借家人という。落語に出てくる熊公八公はこの階層である。
「それも裏借家人でございます」
 と、市郎左衛門がいったから、桑折もさすがに声をのんだ。裏借家人ごときに殿さまの御用を言いつけてよいかどうか。が、桑折は胸中踏みきった。
「連れてきてくれ。それでもいい」
 といった。この瞬間、見えざる場所で封建制というものが崩壊したといっていい。
 その裏借家人は、
「嘉蔵」
 といった。

(司馬遼太郎、『花神 (上巻)』) [8]

このように、身分が低いという問題はあったものの、
嘉蔵という優秀な職人の存在を知った桑折は
さっそく嘉蔵(かぞう)を呼び出しました。

その対面の場面。

 桑折はひざに扇子を立てて、座敷。
 町年寄の市郎左衛門は町人ながらも苗字帯刀の身分だから、板敷きの縁にすわっている。嘉蔵にいたっては裏借家人だから、縁の下の地面に土下座して、ときどきひたいを土にこすりつけている。これが封建身分制というものである。さらには桑折が嘉蔵に質問しても、嘉蔵は直答することができず、市郎左衛門のほうにむかってものをいう。

(司馬遼太郎、『花神 (上巻)』) [9]

この場面でもわかるように、当時は
同じ人間でも、身分が違うだけで、これほど扱いが違いました。

このあと、嘉蔵は
蒸気機関の試作品をつくることになります。

このとき、嘉蔵は黒船や船舶用機関などを一切見たことがないにもかかわらず
想像力を駆使してひとつの機械をつくりあげます。

 高さ二尺五寸、横一尺、奥行一七寸ほどのほそながい箱のようなものに車輪が四つついている。その箱のなかが機械室で、大小の歯車がいくつとなくかみあっており、そのうちの心棒を一回転させると車輪が三回転するというしくみになっていた。こころみに松根図書が心棒をまわすと、
 ――あっ。
 と、桑折が声をあげたほどの早さで、箱車が走り出した。やがてとまった。どこまでも走らないのは動力がないからで、この伝動装置に動力さえつければ、もうりっぱに蒸気機関である。
「このようなものでございましょうか」
 嘉蔵は、蒸気機関という動力を生む実体を知らないから、黒船は自走する、といわれただけで想像したものはこれがぎりぎりのところだった。

(司馬遼太郎、『花神 (上巻)』) [10]

これよりすこし遅れて、蔵六も嘉蔵がつくった機械をみることとなります。

 翌日、蔵六は藩庁で、嘉蔵のつくった箱車をみた。
 蔵六がむしょうに腹が立ってきたのは、これに驚嘆したあとだった。嘉蔵がヨーロッパにうまれておればりっぱに大学教授をつとめているであろう。それを思えば、嘉蔵の身分のあわれさもさることながら、もっと大きいものへの腹立ちを感じたのである。

(司馬遼太郎、『花神 (上巻)』) [10]

このとき、蔵六が感じた

「もっと大きいものへの腹立ち」

これがまさに、「身分制」という名の不条理への怒りだったのでしょう。

そして、その後、協力して蒸気船をつくる者同士として、
蔵六と嘉蔵ははじめて顔をあわせることになります。

それは、嘉蔵が蔵六の住まいを訪れたときでした。

 ――お取次ぎの方はいらっしゃいませぬか。こなたは裡町の平兵衛店に住む嘉蔵と申す者でござります。
 と、きこえてきた。
(あの男だ)
 蔵六は、宇和島にきてこのときほど心が躍ったことがない。かれは、ヨーロッパ人に対抗できるほんものの日本人とは嘉蔵のような男だとひそかにおもっていた。

(司馬遼太郎、『花神 (上巻)』) [11]

 嘉蔵は小男で、まるい顔に薄あばたがある。蔵六がものをいうたびにペコペコ頭をさげていたが、やがて話が蒸気船のことになると、嘉蔵のなかから卑屈さが消え、堂々と語りはじめた。(こういう男が尊敬されるような世の中をつくらねば日本はほろびるのだ。)
 と、蔵六はしみじみおもった。ヨーロッパのことはよくわからないが、日本は人間についての価値観がどうやらまちがっている。

(司馬遼太郎、『花神 (上巻)』) [12]

このように、蔵六は身分の差に関係なく、
嘉蔵という優秀な人物に対して敬意をはらっていました。

「ところで、あなたは、どういうご身分になられました」
 と、蔵六はきいてみた。
「おかげさまにて御船手方の御雇にしていただきました」
 と嘉蔵はよろこんでいるが、要するに藩のお雇いの大工という身分である。階級でいえば中間程度で、足軽などのほうがはるかに上である。下しおかれるお扶持は、二人扶持五俵であった。
(それが封建制というものだ)
 蔵六は、おもった。嘉蔵ほどの男が、この宇和島十万石に一人でもいるのかといいたいのである。

(司馬遼太郎、『花神 (上巻)』) [13]

これ以外のところでも、
蔵六は「身分制」を無意味な制度であるとして
批判を加えています。

 蔵六は、士族の特権を廃止して百姓・町人を基盤とする兵制を考えている。このことが洩れて「士族のあいだで不穏の空気がある」と木戸は蔵六にいった。ゆくと殺される、とまでいったが、蔵六は翻意しなかった。

(司馬遼太郎、『花神 (下巻)』) [14]

異端者の死

結果的に、蔵六は暗殺されてしまいます。

 要するに蔵六は、どこにでもころがっている平凡な人物であった。
 ただほんのわずか普通人、とくに他の日本人とちがっているところは、合理主義の信徒だったということである。このちがいは一見ほんのわずかに見えるが、考えようによっては、日本的風土のなかでは存在しがたいほどに強烈なもので、その強烈さのために蔵六はその風土を代表する政治的狂人のために殺された。
 若いころ、田舎医としての蔵六は、はやらない医者であった。すでにこの作品のなかでふれたように、患者が「お暑うございます」とあいさつすると、「夏は暑いのがあたりまえです」と人の顔を逆撫でするようなことをいった。患者たちは腹をたてて近寄らなくなった。この調子を後年、蔵六はぬけぬけと日本的規模のなかでやってのけて、腹をたてた「患者」どもから国賊として殺されてしまったのである。

(司馬遼太郎、『花神 (下巻)』) [15]

こうして蔵六は、ポール・グレアムのいう「流行の道徳」、
つまり、「江戸時代の封建身分制」という「流行の道徳」を犯したために、殺されることになってしまったのです。

ポール・グレアムは、村田蔵六のように、「流行の道徳」に捕らわれず、自分の信念のままに行動するハッカーたちについて、次のように語っています。

彼らが不適切な発言をするのは、彼らが流行おくれの服装をして、良いアイディアをもっていることと同じ理由による。常識にあまりとらわれないからだ。

(ポール・グレアム、『ハッカーと画家』) [5]

余談ですが、
エドワード・W・サイード(Edward Wadie Saïd)が「知識人」について語った言葉のなかにも、これと同様のことが述べられています。

知識人の表象とは、懐疑的な意識に根ざし、絶えず合理的な探求と道徳的判断へと向かう活動そのものである。またそうであるがゆえに、知識人たらんとする個人は、人々の記憶に刻まれたり、危険な目にあったりするわけである。

(エドワード・W・サイード、『知識人とは何か』) [16]

このエドワード・W・サイードの言葉を見ると、まさに、これまで見てきたような、幕末の洋学者たちや、現代のハッカーたちのことを言い表しているかのように思えます。

それもそのはずで、
幕末の洋学者たちも、現代のハッカーたちも、自分の知性を武器にして世の中を渡っているという意味では、どちらも紛うことなき「知識人」なのです。

現代の常識に潜む誤り

たとえば、「平等」という概念は当たり前のことで、
「平等」という言葉を口にするだけで命を狙われる、
という状況は、現代に生きるわれわれには
理解しがいものかもしれません。

ですが、そのような状況は、これまでの人類の歴史を振り返れば、
つい最近まで、世界中であったことなのです。

そのような暗黒時代は、もはや遠い過去のことで、現在のわれわれには無関係なことなのでしょうか?

「現在はもう、昔のような狂った時代ではない」と、はたして言い切れるのでしょうか?

ポールグレアムは言います。

歴史上のすべてのほかの時代と同じように、現代の道徳にもいくつか誤りがあることはまず間違いない。

(ポール・グレアム、『ハッカーと画家』) [17]

将来の人々が馬鹿げたことだと思うことを私たちが信じているかもしれない。

(ポール・グレアム、『ハッカーと画家』) [17]

これまでの歴史を踏まえてよく考えてみると、
どうやら、我々も気をつける必要がありそうです。

知らず知らずのうちに、
どこの誰ともわからない赤の他人の価値観を、自分自身の価値観だと、勘違いしてしまっているかもしれません。

このような、「生まれたときから他人に決められたルールを無自覚に受け容れる」ということについて、アニメーション監督の幾原邦彦さんは、つぎのように語っています。

基本的に世界を変えたいとか革命したいという感情は健全なものなんだよ。一連の宗教事件なんかでさ、わりとそういうことが気分の悪いことだみたいに喧伝されているけど、実はそうじゃない。生まれたときから他人に決められたルールを無自覚に受け容れる方がどうかしてるよね。

(幾原邦彦、『アニメージュ 1997年7月号』) [18]

それでは、最後に、
幕末の洋学者たちや、現代のハッカーたちのような、
「知識人」の定義として、
エドワード・W・サイードが語った言葉をご紹介して、
今回のお話を終えたいと思います。

わたしが使う意味でいう知識人とは、その根底において、けっして調停者でもなければコンセンサス形成者でもなく、批判的センスにすべてを賭ける人間である。つまり、安易な公式見解や既製の紋切り型表現をこばむ人間であり、なかんずく権力の側にある者や伝統の側にある者が語ったり、おこなったりしていることを検証もなしに無条件に追認することに対し、どこまでも批判を投げかける人間である。

(エドワード・W・サイード、『知識人とは何か』) [19]

 


脚注
  1. (Darwin Monkey (ダーウィン・モンキー) (Photo by 3DWiki at Wikimedia Commons))[Back ↩]
  2. (ポール・グレアム (川合史朗 訳) 『ハッカーと画家:コンピューター時代の創造者たち』、オーム社、2005年、p.41)[Back ↩][Back ↩]
  3. (貝塚茂樹訳注、『論語』、中公文庫、中央公論新社、1973年、p.385)[Back ↩]
  4. (アルビン・トフラー、ハイジ・トフラー (山岡洋一 訳) 『富の未来』下巻、講談社、2006年、p.26)[Back ↩]
  5. (ポール・グレアム (川合史朗 訳) 『ハッカーと画家:コンピューター時代の創造者たち』、オーム社、2005年、p.39)[Back ↩][Back ↩]
  6. (司馬遼太郎 『花神 (上巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.205)[Back ↩]
  7. (司馬遼太郎 『花神 (上巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.151)[Back ↩]
  8. (司馬遼太郎 『花神 (上巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.166)[Back ↩]
  9. (司馬遼太郎 『花神 (上巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.168)[Back ↩]
  10. (司馬遼太郎 『花神 (上巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.169)[Back ↩][Back ↩]
  11. (司馬遼太郎 『花神 (上巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.170)[Back ↩]
  12. (司馬遼太郎 『花神 (上巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.171)[Back ↩]
  13. (司馬遼太郎 『花神 (上巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.172)[Back ↩]
  14. (司馬遼太郎 『花神 (下巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.391)[Back ↩]
  15. (司馬遼太郎 『花神 (下巻)』、新潮文庫、新潮社、1976年、p.420)[Back ↩]
  16. (エドワード・W・サイード(Edward Wadie Saïd) 『知識人とは何か』、平凡社ライブラリー、平凡社、1998年、p.50)[Back ↩]
  17. (ポール・グレアム (川合史朗 訳) 『ハッカーと画家:コンピューター時代の創造者たち』、オーム社、2005年、p.40)[Back ↩][Back ↩]
  18. (幾原邦彦、「【少女革命ウテナ】 カルトの魔力 対談・幾原邦彦(監督) VS 榎戸洋司(シリーズ構成)」、『アニメージュ 1997年7月号』、徳間書店)[Back ↩]
  19. (エドワード・W・サイード(Edward Wadie Saïd) 『知識人とは何か』、平凡社ライブラリー、平凡社、1998年、p.54)[Back ↩]