美しさは、ハーモニーのなかに

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Aria(アリア)

(その場に集うすべての存在とその文脈が、総合芸術としての作品をかたちづくる。)(*1)

 

「完成された美というものは、ただ一つの身体のうちに見出されるものではなく、数多くの身体のうちに分散して、希少なものである
 …
 最も優秀で、他の人々に抜き出て修行を積んだ画家ゼウクシスは、クロトンの近く、ルキナ神殿の公共から委嘱された一枚の絵を制作するため、今日のあらゆる画家のように、自分の才能に無分別に頼ろうとはしなかった。彼はただ一人の身体のうちには自分が求めているだけの美しさを発見出来ない、つまりそういう美しさは、自然がただ一人に授けるものではないと考えた。そこで、彼は、その土地の妙齢の女性のすべての中から最も美しい五人の娘たちを選び出し、その五人の各々から美しいところを取って描いた。」

――― レオン・バッティスタ・アルベルティ、『絵画論』(*2)

芸術とは総合芸術のこと

芸術とは総合的なものだとおもいます。

単独では「美」たりえないもの。

どんなに、単独で美しいとおもわれるものであっても、
実際には、純粋にただひとつの要素に対して美しさを感じる
ということはあまりないとおもいます。

じつは、ひとつの作品に対して、
無意識的にさまざまなものを感じとることで、
それを美しいとおもうのではないでしょうか?

音楽についていえば、
雑音が入らないクリアなデジタルの音源があるにもかかわらず、
時間と労力をかけて、あえて生演奏を聞きに行くのはなぜでしょうか?

それは、生演奏では、
ただの「音」だけではなく、
演奏者やほかの観客の人たちの息づかいや、
その創作物や創作者や演奏者の背後にあるストーリーに対する共感、
本来まじわるはずのなかった人たちが
おなじ場所に居合わせることによって
日常とはちがうなにかが起こるかもしれないという期待感など、

さまざまな要素がからみあい、それらがあわさることで
感動がうまれるからなのでしょう。

きっと、人は「総合的な芸術」を求めているのだとおもいます。

単体としての芸術ではなく、
相乗効果によって輝きを増す、総合芸術。

それこそが、
ほんとうに美しいもの、
ほんとうに芸術と呼べるものではないでしょうか?

文脈の交わりが、琴線を振るわせる

単体としての作品たちのあいだで、
それぞれの文脈が交わり、
そこでうまれる和音が琴線を振るわせ、
心を揺り動かす。

芸術とは総合的なもの。

美しさとは総合的なもの。

では、ここでいう文脈とは、なんのことでしょうか?

たとえば、絵画であれば、
その絵が書かれた理由や、その絵の主題、
作者の思いや、時代背景、
その絵に使われている画材や技法にまつわる歴史や、
その画材や技法の発祥と発展過程、
などなど、

それらのものが、重層的に重なり合って
深い味わいがでてくるのだとおもいます。

作品に、さまざまな意味が付加され、
さまざまな側面が姿をあらわしはじめ、
それらがたがいに共鳴しあって、
やがて、万華鏡のように輝き出す。

描いた人の物語、
見る人の物語、
描いた人のうれしさ、悲しみ、喜び、怒り、
見る人のうれしさ、悲しみ、喜び、怒り、
描いた人がおかれている、社会環境、時代背景、道徳、技術、
見る人がおかれている、社会環境、時代背景、道徳、技術、

きっと、作品というものは、
それそのものに、さまざまな意味が付与されて、
はじめて一個の作品となるのでしょう。

波が重なり、魂が響き合う

作品を感じるということ、

それは、人と人との響き合い。

波長が合い、

共鳴する。

リズムが合い、

同調する。

波が重なり合い、

シンクロする。

本来は別々で重なるはずのない
人と人の心が重なる瞬間。

魂が響き合う神秘。

交わることのなかったはずの感情が交わり
感動がうまれる。

「かぼそい声が幾千も合わさってひとつの旋律を歌っているかのように、ある種圧倒される何かが生まれる」

すべての見えない細部が組み合わさることにより、まるでほとんど聞こえないかぼそい声が幾千も合わさってひとつの旋律を歌っているかのように、ある種圧倒される何かが生まれる。

(ポール・グレアム、『ハッカーと画家』)(*3)

世界で最も美しい音楽、「Scene III」

FINAL FANTASY 1987-1994-01-Scene III - YouTube

ぼくは、この「Scene III」という音楽が、世界で最も美しい音楽だとおもいます。

最も美しい交響組曲(シンフォニック・スイート)であるだけではなく、
ぼくにとっては、世界中のどんな音楽よりも、この音楽が一番美しいとおもえます。

その背景にあるのは、
ぼくがこの音楽と出会った経緯、
おさないころに感じた、この音楽に対する感動、
この音楽を聞いたときに思い起こされる物語、
この音楽をくり返し何度も聞いて、この音楽といっしょに長い時を過ごしたこと、
この音楽が、ぼくにとって、「原点であり、最終目標」のような存在であること、
などなど。

そうった感情や文脈のすべてがからみあい、響きあって、
この音楽をぼくにとってのかけがえのない唯一無二の存在にしているのです。

あなたにも、おなじように
「世界で最も美しい作品」があるだろうとおもいます。

それはきっと、あなたとその作品とのあいだで交わされてきた感情や文脈のまじわりが、
その作品をあなたにとってのかけがえのない唯一無二の存在にしているからなのでしょう。

作曲:植松伸夫
「シンフォニック・スーツ・ファイナル・ファンタジー」 - シーン3
(「交響組曲ファイナルファンタジー」 - シーン3)
(Final Fantasy Symphonic Suite - Scene III)
『ファイナルファンタジー1987-1994』(*4)(*5)(Final Fantasy 1987-1994)収録

「この映像ってこんなに良かったっけ?なんだ、いいじゃん。鳥肌立ってくるねぇ」

正直な話、楽曲というものがこれ程大切なものだとは思わなかった――というか、これまで全く意識の端にも上がったことはないというのが本音だった。
もちろん作品の一要素として曲というものが、重要なポジションを占めている事は理解していたが、こんなにも重要で、こんなにも曲に助けられるとは思わなかった。
(中略)
いざ自分が監督をする段になって気付いたことがあった。齟齬感。何かがおかしい――。自分の描いた青写真との間に齟齬がある――。
そんな風に、上がってきた様々な映像を観て感じた。何か足りない――それは判っている。時間、質、意志の疎通――そういった物理的なものの不足が障害となって生まれてくる齟齬感であることは判っていた。このままではいかん――と焦った所で後戻りは出来ないことも十分承知していた。
その場に止まっていても仕方がないので、取りあえず先に出来ていた曲を重ねて見た。え?おおっ!?この映像ってこんなに良かったっけ?なんだ、いいじゃん。鳥肌立ってくるねぇ――それまで、意識の片隅で蜷局を巻いていた齟齬感は、そんな晴れ晴れとした印象に変容した。そして今改めて、映像が音に、曲に負けていることを再認識させられた。曲というものの大切さを気付かせられた。

高橋哲哉(「Xenogears」(ゼノギアス)監督・脚本)、「LINER NOTES」、作曲:光田康典、『ゼノギアス オリジナル・サウンドトラック』)(*6)

Xenogears(ゼノギアス)オープニング映像

「CD-ROMの登場によって、音楽と映像的演出が使えるようになったのは大きかったですね。カットが割れて歌も使えますし。音楽がシナリオだけでなくて映像とからめて物語を語れるというのはすごい進化でした。人の情動を左右するのは音楽ですから。」

「ウソだと思う方は一度感動した海外の映画などを音を消してご覧ください。感動は確実に減ります。」

前田圭士、『ゲームシナリオライターの仕事』)(*7)

「映画の半分は音でできてるんですよ」

(映画監督:押井守、映画『イノセンス』のメイキング映像より)(*8)

「《大いなる時間》のなかで、創作された時代におけるよりもはるかに強く、より完全に生きつづける」

この点についてソヴィエトの文学者ミハイール・バフチーンという人がすぐれたことをいっていますのでお伝えしたいと思います。
 バフチーンは文学作品を解釈するときに、それが創作された時代と先行する時代のなかにその作品を位置づけて解釈しようとする傾向が一般的であるとしたうえで、次のようにいっているのです。

 芸術作品はその根をはるか遠くにまで広げているものなのであり、それが創作された時代とは長い複雑な熟成過程をへて結実した果実のとり入れの問題にすぎないのである。作品をその同時代と先行する時代の状況のみから理解し、説明しようとすれば、作品のもつ意味論的深さを洞察することはできなくなってしまう。ひとつの時代に作品を閉じ込めてしまうと、その後の数世紀にわたる作品の未来の生命を理解することもできなくなってしまう。作品は時代の境界を突破し、数世紀にわたって生きつづけ、いわば《大いなる時間》のなかで、創作された時代におけるよりもはるかに強く、より完全に生きつづけるからである。……もしある作品が過去の数世紀から何かを吸収することがなかったとしたら、未来の数世紀を生きることはできない。
 
 もしある作品が完全に現在のなかに埋没し、その時代にしか生まれないものであって、過去からのつながりも、過去との本質的な絆ももたないとしたら、その作品は未来に生きることはないだろう。現在にしか属さないすべての事物は現在とともに滅びるのである。

(阿部謹也、『自分のなかに歴史をよむ』)(*9)

ヨーヨー・マのチェロ演奏と、リル・バックのポップダンスのハーモニー

チェリストのヨーヨー・マ(Yo-Yo Ma)によるチェロ演奏と、ダンサーのリル・バック(Lil Buck)によるポップダンスのハーモニー。

ヨーヨー・マのチェロ演奏と、リル・バックのポップダンスのハーモニー

「目で見る交響曲」

 デザインは目で見る交響曲でなければならないと思う。それぞれのポジションの一つ一つを全体のバランスをくずさずに、デザイン化していかなければならない。といってバランスばかりに気をかけすぎると、個性のない八方美人なデザインになってしまう恐れがある。不調和というものは調和に転化する一つの要素である。
 人間は、どこか抜けたところがないと面白くない。それを一つの魅力とか美しさにまで高めるのがデザインだと思う。

(本田宗一郎、『やりたいことをやれ』)(*10)

シューズと、テクノロジーと、音のハーモニー

シューズと、テクノロジーと、HIFANA(ハイファナ)の音のハーモニー。

「専門家の算出物は、ほかの専門家の算出物と統合されて初めて成果となる」

「専門知識は、それだけでは断片にすぎない。不毛である。専門家の算出物は、ほかの専門家の算出物と統合されて初めて成果となる。」

(ピーター・ドラッカー、『プロフェッショナルの条件』)(*11)

「全体の効果が一番大切なのである」

全体の効果が一番大切なのである。
一部のために全体を歪めるような編集は
最悪の編集だと言わねばならぬ。

(黒澤明)(*12)

指と、音と、CGのハーモニー

DJ/ダンサーのジェイファンク(JayFunk)の指と、音と、CG(コンピューター・グラフィックス)のハーモニー。

指と、音と、CGのハーモニー

ガリレオの指(*13)(*14)(*15)(*16)
Galileo's Finger

この指の遺物を軽んじてはならない。この右手が天空の軌道を調べ、それまで見えなかった天体を人々に対し明らかにした。もろいガラスの小さなかけらを作ることで、太古の昔に若き巨人たちの力をもってしてもできなかった偉業を大胆にも初めてしてのけたのだ。

(フィレンツェの科学史博物館に所蔵されている
ガリレオの指が入っている容器の台座に記された言葉)(*17)

アーティストはJayFunk(LA在)のパフォーマー。

JayFunkは下半身の機能不全により、

自分の意思で下半身を自由に動かす事ができない男性。

それでも踊りたい、体を動かしたいという彼が手にしたのは、

タッティングというダンスを使い、手や指をメインにしたダンス、

Finger Tutting(フィンガー・タッティング)。

(「フィンガー・タッティング - show69の日記」より)

ダンサーだったJulian JayFunk(ジュリアン・ジェイファンク)さんは下半身が不自由になってしまいました。

それでもどうにかして踊りたいという強い願いから手や指をメインにしたフィンガー・タッティング( Finger Tutting )というパフォーマンスを開発しました。

(「【900万再生突破】下半身が不自由でも踊れる!指と腕だけで踊る動画が超カッコいい! | BuZZNews(バズニュース) 世界の話題をあなたに!」より)

「ピカソがかつてこんなことを言った」

ピカソがかつてこんなことを言った。
「一枚の傑作を描くよりも、その画家が何者であるかということが重要である」

(横尾忠則、序文―「岡本太郎は何者であるか」、『今日の芸術』)(*18)

「町や村の景観は、すべてが関与してつくり上げられた総合美」

町や村の景観は、生きつくところそこに住む人々の心の余裕、歴史や伝統の重み、生活態度、学問と芸術、スポーツと音楽、自然と宗教、それらのすべてが関与してつくり上げられた総合美なのだ。

(大前研一、『遊び心』)(*19)

「それはきっとあなたのなかで、この曲が好きだった、遠い昔のだれかが生きているからですよ・・・」

「遠い約束」(Faraway Promise)(*20)

「音楽というのは
 ふしぎなものですね……。

 時に人の思いもよらぬものまで
 よびさましてしまう。
 忘れかけていた、さまざまな
 想い、感情、もちえぬ記憶……。

 聞く者がそれを望もうと
 望むまいと、ね……。」

「先生、これは……?

「昔の遺跡から発掘されたものです。
 まだ修理してる最中ですが、
 一種の音響装置のようですね。

 この曲を聞いて時にはげまされ、
 時に泣いたりしていたのでしょう。
 遠い昔の人たちも、きっと……。」

(中略)

「ねえ、先生……
 この曲を聞いてると、
 ふしぎな感じがしてくるよ。
 
 なんだか、胸の奥の方が
 ほっとあったかくなって
 くるような……。」
 
「それはきっとあなたのなかで、
 この曲が好きだった、遠い昔の
 だれかが生きているからですよ……。」

「………。」

(ウォン・フェイフォンとシタン・ウヅキの会話、『Xenogears』(ゼノギアス))(*21)(*22)

(*23)

  1. Aria(アリア)Photo by Roberta F. at Wikimedia Commons)) [↩ Back]
  2. レオン・バッティスタ・アルベルティ、(三輪福松 訳)、『絵画論』、中央公論美術出版、67ページより) [↩ Back]
  3. (ポール・グレアム、『ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち』、オーム社、平成17年(2005年)、33ページより) [↩ Back]
  4. (作曲:植松伸夫『Final Fantasy 1987-1994』) [↩ Back]
  5. (作曲:植松伸夫『ファイナルファンタジー1987-1994』) [↩ Back]
  6. 高橋哲哉(「Xenogears」(ゼノギアス)監督・脚本)、「LINER NOTES」、作曲:光田康典『ゼノギアス オリジナル・サウンドトラック』、スクウェア/DigiCube 、1998年、11ページより) [↩ Back]
  7. 前田圭士『ゲームシナリオライターの仕事 名作RPGに学ぶシナリオ創作術』、164ページより) [↩ Back]
  8. (映画監督:押井守、映画『イノセンス』のメイキング映像、「メイキング映像」、『イノセンス DVDコレクターズBOX』より) [↩ Back]
  9. 阿部謹也「過去との絆」、「第三章 未来への旅と過去への旅」、『自分のなかに歴史をよむ』、ちくま文庫、64ページより
    ) [↩ Back]
  10. 本田宗一郎、『やりたいことをやれ』、140ページより) [↩ Back]
  11. ピーター・F・ドラッカー、『プロフェッショナルの条件:いかに成果をあげ、成長するか』、88ページより) [↩ Back]
  12. (日本映画・テレビ編集協会、『図解映像編集の秘訣―映画とテレビ番組、コマーシャルから学ぶ映像テクニックのすべて』、81ページより) [↩ Back]
  13. (「この指は、1737年3月12日、ガリレオの亡骸がフィレンツェのサンタ・クローチェ教会の本堂へ移された際に、遺体から切り取れた。現在は、同じフィレンツェの科学史博物館にある。」、ピーター・アトキンス、(斉藤隆央 訳)、『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』、2004年、5ページ) [↩ Back]
  14. Galileo's Finger、Photo by NASA Blueshift at Flickr) [↩ Back]
  15. Galileos-finger.gif、Photo by NASA Blueshift at Wikimedia Commons) [↩ Back]
  16. MuseoGalileo20120420b.JPG、Photo by Plindenbaum at Wikimedia Commons) [↩ Back]
  17. (「指の入った容器にはアラバスター製の円柱状の台座が付いており、それにこう記されている。」、ピーター・アトキンス、(斉藤隆央 訳)、『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』、2004年、5ページ) [↩ Back]
  18. 横尾忠則、序文―「岡本太郎は何者であるか」、岡本太郎、『今日の芸術』(文庫版)、光文社文庫、5ページより) [↩ Back]
  19. 大前研一、「プロローグ」、『遊び心』、1988年、15ページより) [↩ Back]
  20. (「遠い約束」(Faraway Promise)、作曲:光田康典『ゼノギアス オリジナル・サウンドトラック』、スクウェア/DigiCube 、1998年) [↩ Back]
  21. (ウォン・フェイフォンとシタン・ウヅキの会話、「つかの間の平穏、山頂の家にて」、監督・脚本:高橋哲哉『Xenogears』(ゼノギアス)、スクウェア、1998年) [↩ Back]
  22. 「ゼノギアス台詞集 - つかの間の平穏、山頂の家にて -」) [↩ Back]
  23. (「つかの間の平穏、山頂の家にて」、監督・脚本:高橋哲哉『Xenogears』(ゼノギアス)、スクウェア、1998年) [↩ Back]

2 Responses to “美しさは、ハーモニーのなかに”

  1. 岡芹史郎 より:

    倉田さん

    ご無沙汰しております。
    フェイスブックガイドを運営していたワナビーズの岡芹です。
    (今は会社がシンガポールに移転したので会社名が変わりましたが、、)

    久しぶりに倉田さんのブログを拝見させて頂きましたが、
    さすがだなぁ、、、という思いが
    ひしひしと湧いてきました。

    これは昔の僕では気づかなかった細部に関して
    今だからこそ、
    わかることがあるのが、大きな要因のひとつなのかな、と思います。

    なんというか、倉田さんの優しさと知性が文章からにじみ出ています。

    僕もこんな情報発信を出来るようになりたいです。

    そのためには、まずは質の高いインプット→アウトプット、
    だけでなく「和えるプット(アエルプット)」、
    つまり自分の中にある一見バラバラに見える知識を
    再統合して抽象度を高め、
    一般化(料理でいうところの材料を和える)することが大切なのだと思いますが、まずはどこから学ぶべきか、
    イロイロと考えが堂々巡りしております。

    言うは易し、行うは難しですね。^^;

    また勉強させて下さい。
    今後の益々のご活躍に期待しております^^

    • 倉田 幸暢 より:

      岡芹さん

      お久しぶりです、コメントありがとうございます!
      m(_ _)m

      「和えるプット(アエルプット)」っておもしろい言葉ですね。

      たしかに、アウトプットって、じつはインプットした材料を和えることでうまれる「和えるプット(アエルプット)」ですね。

      ぼくも、いろんなものをどんどん、まぜこぜにして、和えていきたいとおもいます!
      (o≧ω≦)O

      これからも、シンガポールから世界を舞台に活躍しまくってください!
      o(≧∇≦)/”

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