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葛川護法尊かつらがわごほうそん」(葛川童子かつらがわどうじ)(護法童子)のお札

★「清賢筆春日赤童子像」(絹本著色春日赤童子画像)(植槻八幡神社所蔵)模写_embed_001
植槻八幡神社本うえつきはちまんじんじゃぼん 春日赤童子像かすがあかどうじぞう[1]の模写

御伽草子. 第23冊 (酒てん童子)_コマ番号:22_切り抜き_008
まさかりを杖のようにして地面に突いて立っている酒呑童子しゅてんどうじ
(『御伽草子』所収の「酒てん童子」(酒顚童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)の挿絵〔部分図〕) [2]

 

善神よきかみ悪神あしき神と、其神性そのかむながおの〳〵ことにして、まことに黒白違へる事なれども、善神なりとても、御心にふさはず、いかり給ふ時などは、あしき事も、たへて無しとは云べからず。

―― 平田篤胤ひらたあつたね鬼神新論きしん しんろん[3] [4]

酒天童子なる存在も、当然、護法という視点から見直される必要があろう。すると、酒天童子こそ護法の属性をことごとく備えた存在であることに気づくのである。
〔中略〕
諸絵巻に描かれた酒天童子の姿は葛川明王院の碑伝に描かれた護法と驚くべき類似を示している

―― 天野文雄「酒天童子と護法童子と」,「「酒天童子」考」 [5]

 

目次
  1. 葛川かつらがわ護法尊(護法童子)と、栂尾高山寺とがのお こうざんじの護法神像と、春日赤童子かすがあかどうじと、制吒迦童子せいたかどうじと、酒呑童子しゅてんどうじとのつながり
    1. 酒天童子しゅてんどうじ(酒呑童子しゅてんどうじ)と護法童子の類似性
    2. 息障明王院(葛川明王院)の葛川護法尊かつらがわごほうそん葛川童子かつらがわどうじ)(護法童子)
    3. かくれ里の巨大な塔婆に描かれた護法童子
    4. 葛川かつらがわの護法童子と、栂尾とがのおの護法神像と、春日赤童子かすがあかどうじ
    5. 赤童子の絵図
      1. 赤童子あかどうじの絵図(『仏像図彙』より)
      2. 「伝春日光長筆 赤童子あかどうじ画像(木版着色摺)」
  2. 植槻八幡神社本うえつきはちまんじんじゃぼん 春日赤童子像かすがあかどうじぞう」(絹本著色春日赤童子画像けんぽん ちゃくしょく かすがあかどうじ がぞう)(筆者:清賢太輔公)(奈良国立博物館所蔵(寄託))
    1. 植槻八幡神社本うえつきはちまんじんじゃぼん 春日赤童子像かすがあかどうじぞう」の模写
  3. 渋川版『御伽草子』のなかの「酒呑童子」のまさかりを杖のように地面に突いて立つ酒呑童子しゅてんどうじの絵図

葛川かつらがわ護法尊(護法童子)と、栂尾高山寺とがのお こうざんじの護法神像と、春日赤童子かすがあかどうじと、制吒迦童子せいたかどうじと、酒呑童子しゅてんどうじとのつながり

酒天童子しゅてんどうじ(酒呑童子しゅてんどうじ)と護法童子の類似性

仏像図彙. 三_コマ番号:009_春日赤童子_002_002_1457x1457
赤童子あかどうじ春日赤童子かすがあかどうじ

真美大観. 第17巻_コマ番号:024_春日赤童子_003_002_3693x3693
赤童子あかどうじ春日赤童子かすがあかどうじ
(「伝春日光長筆 赤童子画像(木版着色摺)」)

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葛川護法尊かつらがわごほうそん」(葛川童子かつらがわどうじ)(護法童子)のお札

現存最古の酒天童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)の伝説(説話)が描かれている、香取本『大江山絵詞』(かとりぼん・おおえやまえことば)という絵巻物があります。

ぼくはいま、その絵巻物に描かれている酒天童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)という鬼の伝説について研究しています。

その過程で、天野文雄さんの「「酒天童子しゅてんどうじ」考」という論文に出会いました。その論文のなかの下記の文章のなかには、「酒天童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)の姿と、葛川明王院碑伝ひでに描かれた護法童子の姿が、よく似ている」というような意味のことが書かれていました。

(※碑伝ひでというのは、修験者(密教行者)が、山岳での修行を終えたあとに建立する石碑や木碑(参籠札、卒塔婆)のことです。)

酒天童子なる存在も、当然、護法という視点から見直される必要があろう。すると、酒天童子こそ護法の属性をことごとく備えた存在であることに気づくのである。

〔中略〕

延暦寺の別院である葛川明王院には元久元年(一三〇四)の年記をもつ碑伝ひでが現存するが、そこに描かれている蓬髪裸身の護法童子は、まさに「身体肥壮」という体であって、『信貴山縁起絵巻』の剣の護法の体躯ともども、護法の典型を表していると思われる。ところで、諸絵巻に描かれた酒天童子の姿は葛川明王院の碑伝に描かれた護法と驚くべき類似を示している〔後略〕

(天野文雄「二、酒天童子と護法童子と」, 「「酒天童子」考」) [5]

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息障明王院(葛川明王院)の葛川護法尊かつらがわごほうそん葛川童子かつらがわどうじ)(護法童子)

上記の天野文雄さんの「「酒天童子しゅてんどうじ」考」の論文を読んだことだけが理由のすべてではないのですが、息障明王院(葛川明王院)に興味を持ち、実際に現地に行ってみました

※息障明王院(葛川明王院)は、滋賀県大津市葛川坊村町にあります。


息障明王院(葛川明王院)の所在地
(滋賀県大津市葛川坊村町)

そのときに、息障明王院(葛川明王院)の納経所で、下記の写真のような、「葛川護法尊かつらがわごほうそん」という題名がつけられた、護法童子のお札が、御朱印などとともに販売されていました。

下記の写真のお札に描かれている「葛川護法尊かつらがわごほうそん」の絵は、まさに、さきほどの天野文雄さんの「「酒天童子しゅてんどうじ」考」という論文の末尾に、「付図」(参考資料)として掲載されていた「葛川明王院の碑伝に描かれた護法」の絵と、おなじものでした。

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葛川護法尊かつらがわごほうそん」(葛川童子かつらがわどうじ)(護法童子)のお札

この下の写真は、息障明王院(葛川明王院)の納経所と、そこで販売されている「葛川護法尊かつらがわごほうそん」のお札や、御朱印などです。

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息障明王院(葛川明王院)の納経所

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息障明王院(葛川明王院)の納経所

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息障明王院(葛川明王院)の納経所

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葛川護法尊かつらがわごほうそん」(葛川童子かつらがわどうじ)(護法童子)のお札

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かくれ里の巨大な塔婆に描かれた護法童子

また、白洲正子さんの『かくれ里』という本のなかの、「葛川 明王院」という章のなかに、「息障明王院(葛川明王院)の本堂のなかに、護法童子(葛川護法尊かつらがわごほうそん)の墨絵が描かれた卒塔婆(参籠札、碑伝ひで、木碑)がある」というような意味のことが書かれています。

この下の引用文は、白洲正子さんの『かくれ里』の本のなかの、その部分の文章です。

(※ちなみに、この下の引用文が書かれているページの次のページには、上記の写真に写っている「葛川護法尊かつらがわごほうそん」(護法童子)の絵と、おなじ絵が挿図として掲載されています。その挿図の下には「明王院本堂にある参籠札に描かれた護法童子像」と書かれています。)

 境内の様子は、鎌倉時代の絵図とほぼ変りはなく、ただ地主神社が前方に遷っただけで、かつて神社があった所は、「地主平」と呼ばれている。絵図で見ると、そのまわりに、垣根のようなものが立っているが、これは行者たちが参籠したしるしの立札で、当時のものがたった一つ、本堂の中に残っていた。高さ四メートルに余る巨大な塔婆で、やはり桂の木で作ってあり、墨で護法童子が描いてある。本尊の不動明王と、ほとんど同じ姿のもので、これは相応が感得した影像を、桂の木に彫ったのをそのまま模したものに違いない。参籠の札も、時代が降ると小さくなり、足利義満や日野富子(義政夫人)が献納したものも残っているが、鎌倉時代の塔婆とは比べものにならない。

(白洲正子「葛川 明王院」, 『かくれ里 愛蔵版』) [6]

上記の引用文のなかに書かれている、息障明王院(葛川明王院)の本堂のなかにある「巨大な塔婆」(参籠札、碑伝ひで、木碑)というのは、おそらく、この下の写真の左側に写っている、壁際に立てられている「大きな木の板」のことではないかとおもいます。

おそらく、その「大きな木の板」の上部に、「葛川護法尊かつらがわごほうそん」(護法童子)の墨絵が描かれているのではないかとおもいます。

(※この写真を撮ったときは、「本堂のなかに、巨大な卒塔婆(参籠札、碑伝ひで、木碑)がある」ということを意識していなかったので、左側に写っている「大きな木の板」のことに注意が向いておらず、「大きな木の板」が見切れてしまっています(汗)。)

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息障明王院(葛川明王院)の本堂のなかにある
「巨大な塔婆」(参籠札、碑伝ひで、木碑)

このようにして、天野文雄さんの「「酒天童子しゅてんどうじ」考」という論文で紹介されていた、「酒天童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)の姿と、葛川明王院の碑伝ひでに描かれた護法童子の姿が、よく似ている」という話を、実際に自分の目でたしかめるために、息障明王院(葛川明王院)まで行ってみた次第です。

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葛川かつらがわの護法童子と、栂尾とがのおの護法神像と、春日赤童子かすがあかどうじ

Sekisuiin Kozanji Kyoto Kyoto06s5s4350
栂尾山高山寺とがのおさん こうざんじ石水院せきすいいん(国宝) [7]

Kozanji 01
栂尾山高山寺とがのおさん こうざんじの寺宝である「鳥獣人物戯画」ちょうじゅうじんぶつぎが(国宝) [8]
(一般的には、「鳥獣戯画」ちょうじゅうぎがと呼ばれる)

Butsugen Butsumo
仏眼仏母像ぶつげんぶつも ぞう栂尾山高山寺とがのおさん こうざんじ所蔵) [9]

 

そう帰る場所なんてもうどこでも良かったの
さよなら太陽 いざなう様に夜が昇ってく
大丈夫 世界は繋がる様に動いてるんだ
もう一回もう一回 ちゃんと笑って会える様に

―― 『ココ』(『京騒戯画』きょうそうぎがのオープニングテーマ曲) [10] [11] [12]

 

また、天野文雄さんの論文「「酒天童子しゅてんどうじ」考」を読んで、酒天童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)と、息障明王院(葛川明王院)の「葛川護法尊かつらがわごほうそん」(護法童子)とのあいだに、なんらかのつながりがある可能性があるということを知ってから、ほかにも、「葛川護法尊かつらがわごほうそん」(護法童子)についての情報を調べていました。

そのなかで、景山春樹さんの「葛川の護法童子と栂尾の護法神像」という論文に出会いました。この下の引用文は、その論文から抜粋した文章です。

(※ちなみに、この下の引用文に書かれている、栂尾とがのお高山寺こうざんじというのは、京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町にあります。)


栂尾とがのお高山寺こうざんじの所在地
(京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町)

この下の引用文のなかには、「葛川護法尊かつらがわごほうそん(護法童子)は、不動明王の両脇に侍する矜羯羅童子こんがらどうじ制吒迦童子せいたかどうじの2体の童子のうちの、制吒迦童子せいたかどうじにもとづいたものである」というような意味のことが書かれていました。

また、この下の引用文のなかには、栂尾高山寺のちかくにある一瀬護法神祠というお社に祀られている護法童子の像が、「葛川童子かつらがわどうじ」(葛川護法尊かつらがわごほうそん)の像とおなじものであることが紹介されていました。

さらに、この下の引用文のなかには、「栂尾には、古くから、「葛川童子かつらがわどうじ」(葛川護法尊かつらがわごほうそん)とよく似た姿をしている春日赤童子かすがあかどうじに対する信仰があった」ということも書かれていました。

この童子像が明王院の不動明王の使者である制吒迦童子に基づいたものである事は勿論言うまでもないが、もともとは参籠札に描かれた墨画の自然なまゝの風化を利用して摺ったものである為、像容の不明瞭なところも有ったようであるが、其はまた却ってそこに神秘的と言うか、一種の面白い味わいをみる事も出来たのであろう。

〔中略〕

この葛川の護法童子像が、山城の栂尾高山寺の信仰の中に入って来て居って、栂尾の一、瀬に在る護法神祠の本尊となっている事が最近分ったので以下其について述べてみる事としよう。
 梶尾から栂尾の白雲橋にかかる少し手前の道路傍に、清滝川に臨んで一つの小丘が在り土地の人達はここを一瀬護法神祠と呼んでいる。最近文化財保護委員会の近藤喜博氏が、調査されたところによると、一字の社殿には護法神を中央にして、その左右に天神と訶利帝母神とが祀られ、中央の護法神は土製の小偶像であるが、左右には夫々天神と訶利帝母神の板絵神像が奉祀されていると言う事である。そして天神像の裏面には「是者比天満大自在天神尊影也、安政二丁已年二月日蔵人所衆関白直廬預正六位下式部丞菅原朝臣為恭識」と言う冷泉為恭の款記がみられる。

〔中略〕

葛川と栂尾とは、願海阿闍梨と冷泉為恭の事に関して深い関係がある事は、既によく知られているところ。例えば明王院物になっている光明真言功徳絵詞などにも、高山寺の朱印が捺してあったりして、当時恐らく願海等はこの両地を幾度かは往復をしていたものと思れる。だから斯うした葛川童子が栂尾の信仰中に持ち込まれて、栂尾に古くから在ったこれとよく似た春日赤童子に対する信仰とも絡ばれて、斯うした護法神の姿をみせるようになったのは、願海達の影響であったにちがいないと私は思っている。そして上述した如く、これと一緒に祀られていた天神像の板絵には、為恭の款記があるところよりしても、やはりまたこの護法尊が訶利帝母と共に、冷泉為恭の画蹟に属する一連の作品ではなかったかと言う事も充分に考得られる訳である。嘉永二年と言えば、願海も為恭二十七才、時の高山寺の老師は考証好きの慧友上人でもあり恐らく斯うした事に就いては、三人共大いに話の合う間柄であった事と考えられるのである。

(景山春樹「葛川の護法童子と栂尾の護法神像」, 『滋賀郷土史』第1号) [13]

上記の引用文を読んで、「春日赤童子」(かすがあかどうじ)という護法童子が存在することを知りました。

そして、「春日赤童子かすがあかどうじ」のことを知って、つぎのように考えました。

酒天童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)と、葛川護法尊かつらがわごほうそん葛川童子かつらがわどうじ)(護法童子)は、姿がよく似ている。そして、その葛川護法尊かつらがわごほうそん葛川童子かつらがわどうじ)(護法童子)と、春日赤童子かすがあかどうじも、姿がよく似ている。そうすると、酒天童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)と、春日赤童子かすがあかどうじとのあいだにも、なんらかのつながりがあるかもしれない。」

そのように考えるようになったことで、春日赤童子かすがあかどうじについても、いろいろと調べるようになりました。そんなこんなで、現在も絶賛リサーチ中です。
(o≧ω≦)O

 

赤童子の絵図

これ以降のところで紹介しているのは、そうした、春日赤童子かすがあかどうじについて調べていくなかで見つけた、春日赤童子かすがあかどうじを描いた絵画のいくつかです。

赤童子あかどうじの絵図(『仏像図彙』より)

この下の画像は、『仏像図彙 三』という本に掲載されている、春日赤童子かすがあかどうじの姿を描いた絵です。

(※ちなみに、『仏像図彙 三』という本には、このほかにも、護法善神(諸天善神)や、神道の神々や、仏教の仏たちなどの絵が掲載されています。)

仏像図彙. 三_コマ番号:009_春日赤童子_002_002_1457x1457
赤童子あかどうじの絵図(『仏像図彙』より)

仏像図彙. 三_コマ番号:009_春日赤童子_001_002
護法善神(諸天善神)や神道の神々の絵図(『仏像図彙』より)

■画像の出典
赤童子あかどうじ」(春日赤童子かすがあかどうじ
仏像図彙. 三 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3442143/9
仏像図彙 三|書誌詳細|国立国会図書館オンライン
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000003-I3442143-00
仏像図彙 三
図書
土佐秀信 画
武田伝右衛門, 明治33
明治33年
1900年

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「伝春日光長筆 赤童子あかどうじ画像(木版着色摺)」

この下の画像は、『真美大観 第17巻』という本に掲載されている、春日赤童子かすがあかどうじの姿を描いた絵と、その解説文です。(絵の題名は、「伝春日光長筆 赤童子あかどうじ画像(木版着色摺)」です。)

真美大観. 第17巻_コマ番号:024_春日赤童子_003
「伝春日光長筆 赤童子あかどうじ画像(木版着色摺)」

真美大観. 第17巻_コマ番号:023_春日赤童子_002
「伝春日光長筆 赤童子あかどうじ画像(木版着色摺)」についての解説文

赤童子画像(絹本着色)
伝春日光長筆

(竪ニ尺四寸七分、横八寸九分)

東京 片野邑平君蔵

赤童子は密教正伝の神に非ず、役行者の所談に出でて修験宗葛城派の建立に係かり、金剛山金剛蔵王権現の一眷属たり、又役行者以来の伝説に依れば、天孫日向の高千穂峰に天降りし時従ひまつれる天押穂耳命は赤童子の垂迹にして、即ち春日大明神なりと云ふ。身色は其の名の如く赤くして、信仰上の神性は夜を守りて賊を防ぐに在り、蓋し不動明王眷属の童子等より翻案せられたるものならむ、本国近世の鑑定之を光長の筆と云へり、吾人は本国を以て当代の逸品なりと称するに躊躇せざるなり

(「伝春日光長筆赤童子画像(木版着色摺)」, 『真美大観 第17巻』) [14] [15]

■画像の出典
「伝春日光長筆赤童子画像(木版着色摺)」
真美大観. 第17巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849587/24
真美大観. 第17巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849587/23
真美大観 第17巻|書誌詳細|国立国会図書館オンライン
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000003-I849587-00
真美大観 第17巻
図書
田島志一 編
日本真美協会, 明32-41

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植槻八幡神社本うえつきはちまんじんじゃぼん 春日赤童子像かすがあかどうじぞう」(絹本著色春日赤童子画像けんぽん ちゃくしょく かすがあかどうじ がぞう)(筆者:清賢太輔公)(奈良国立博物館所蔵(寄託))

植槻八幡神社本うえつきはちまんじんじゃぼん 春日赤童子像かすがあかどうじぞう」の模写

★「清賢筆春日赤童子像」(絹本著色春日赤童子画像)(植槻八幡神社所蔵)模写_embed_001
植槻八幡神社本うえつきはちまんじんじゃぼん 春日赤童子像かすがあかどうじぞう」の模写

植槻八幡神社本うえつきはちまんじんじゃぼん 春日赤童子像かすがあかどうじぞう
絹本著色春日赤童子画像けんぽん ちゃくしょく かすがあかどうじ がぞう
(筆者: 清賢太輔公)
(奈良国立博物館所蔵(寄託))
の模写

〔画中の文字 (旧字体)〕
「晝夜各三変
 擁護修學侶
 龍華三會中
 當見佛聞法」

〔画中の文字 (新字体)〕
「昼夜各三変
 擁護修学侶
 龍華三会中
 当見仏聞法」

(参考文献: 『古筆学のあゆみ (古筆学叢林 ; 第5巻)』, 214ページ.) [16]

 

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渋川版『御伽草子』のなかの「酒呑童子」のまさかりを杖のように地面に突いて立つ酒呑童子しゅてんどうじの絵図

渋川版『御伽草子』所収の「酒呑童子しゅてんどうじ」(酒てん童子しゅてんどうじ酒顚童子しゅてんどうじ)のなかの挿絵のひとつに、鉞(まさかり)を杖のように地面に突いて立つ酒呑童子の姿(人形(ひとがた)の姿)が描かれている絵図があります。

御伽草子. 第23冊 (酒てん童子)_コマ番号:22_切り抜き_003
まさかりを杖のようにして地面に突いて立っている酒呑童子しゅてんどうじ
(『御伽草子』所収の「酒てん童子」(酒顚童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)の挿絵〔全体図〕) [2]

御伽草子. 第23冊 (酒てん童子)_コマ番号:22_切り抜き_008
まさかりを杖のようにして地面に突いて立っている酒呑童子しゅてんどうじ
(『御伽草子』所収の「酒てん童子」(酒顚童子しゅてんどうじ酒呑童子しゅてんどうじ)の挿絵〔部分図〕) [2]

 

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「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」

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脚注
  1. 植槻八幡神社本うえつきはちまんじんじゃぼん 春日赤童子像かすがあかどうじぞう」(絹本著色春日赤童子画像けんぽん ちゃくしょく かすがあかどうじ がぞう)(筆者:清賢太輔公)(奈良国立博物館所蔵(寄託)) [Back ↩]
  2. 画像の出典: まさかりを杖のようにして地面に突いて立っている酒呑童子〕, 『御伽草子. 第23冊 (酒てん童子)』, 国立国会図書館デジタルコレクション, コマ番号: 22 (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ) より, 元の画像を加工・編集して使用しています. [Back ↩][Back ↩][Back ↩]
  3. 出典: 平田篤胤 「鬼神新論」, 神道大系編纂会 [編集], (1986年), 「鬼神新論」, 『神道大系 論説編 26』, 神道大系編纂会, 483ページ. [Back ↩]
  4. 注記: 原文でカタカナ表記になっている振り仮名を、引用者がひらがな表記に変えました。また、原文では、句点「。」になっているところの一部を、引用者が読点「、」に変えました。 [Back ↩]
  5. 出典:天野文雄 (1979年) 「二、酒天童子と護法童子と」, 「「酒天童子」考」, 『能 : 研究と評論 (8)』, 22ページ 1段目. [Back ↩][Back ↩]
  6. 出典: 白洲正子 (2010年) 「葛川 明王院」, 『かくれ里 愛蔵版』, 新潮社, 311ページ. [Back ↩]
  7. 画像の出典: "Sekisuiin Kozanji Kyoto Kyoto06s5s4350.jpg" by 663highland on Wikimedia Commons (License: CC BY 2.5). [Back ↩]
  8. 画像の出典: "Kozanji 01.jpg" on Wikimedia Commons (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [Back ↩]
  9. 画像の出典: "Butsugen Butsumo.jpg" on Wikimedia Commons (著作権保護期間満了 (パブリックドメイン) ). [Back ↩]
  10. 出典: たむらぱん(歌手), 田村歩美(作詞), 田村歩美(作曲) (2013年) 『ココ』, 日本コロムビア, (アニメ『京騒戯画』きょうそうぎがのオープニングテーマ曲). [Back ↩]
  11. 参考情報: アニメ『京騒戯画』きょうそうぎがの物語のなかには、栂尾山高山寺とがのおさん こうざんじ石水院せきすいいん(国宝)や、栂尾山高山寺とがのおさん こうざんじの寺宝である「鳥獣人物戯画」ちょうじゅうじんぶつぎが(国宝)(一般的には、「鳥獣戯画」ちょうじゅうぎがと呼ばれる)や、栂尾山高山寺とがのおさん こうざんじ所蔵の仏眼仏母ぶつげんぶつもの掛け軸、などが、物語を彩る要素のひとつとして登場します。 [Back ↩]
  12. 参考: 「【公式】京騒戯画 第0話「予習編」 - YouTube」. [Back ↩]
  13. 出典: 景山春樹 (1958年) 「葛川の護法童子と栂尾の護法神像」, 『滋賀郷土史』第1号, 滋賀県郷土史学会, 15~17ページ. [Back ↩]
  14. 出典: (1907年 (明治40年) ) 「伝春日光長筆赤童子画像(木版着色摺)」, 田島志一(編), 『真美大観 第17巻』. [Back ↩]
  15. 注記: 引用者が本文中の旧字体の一部を新字体に変えました。 [Back ↩]
  16. 参考文献: 古筆学研究所(編集) (1995年) 『古筆学のあゆみ (古筆学叢林 ; 第5巻)』, 八木書店, 214ページ. [Back ↩]