司馬遼太郎さんの歴史小説を読むと、いつも時間のたつのを忘れる。『龍馬がゆく』はもとよりのこと『関ヶ原』でも、『国盗り物語』でも、また、最近の『峠』でも、わたしは、司馬さんの作品には、すっかり魅了されてしまうのだ。
 その魅力、ないし魔力はどこにあるのだろうか、とわたしはしばしば考える。
 いろんな理由があろう。司馬さんのみごとな史観、そして、着実な史料研究。簡潔な文体。かぞえあげていけば、司馬文学の魅力はいくらでも語ることができる。しかし、わたしが、平凡な読者として司馬さんの小説にすべてを忘れて没入しているときのことを内省的に考えてみると、とにかく、主人公の生き力がおもしろいのである
 おもしろい、というのは適切なことばではない。呆気にとられ、また、惚れぼれするような、あざやかな人生の軌跡―それにわたしは圧倒されてしまっているのである。竜馬の場合がそうだし、斎藤道三がそうだし、島左近がそうだ。それぞれの人物が生きた時代の背景はちがう。しかし、これらの人物には、かなり共通した人生への態度がある
 かれらは、人間のなかに、ふつふつと煮えたぎるなにものかをもっていた。それは、人間活力とでもいうべきものかもしれない。その活力を、いわば、バルブ全開で、これらの人物は放出しつづけたのである。あたかもそれは、ジェット噴射によって、全速で飛びつづける超音速機のようなものだ。活力のありったけをつねに出しつづけ、あれよあれよという間に大空の彼方に見えなくなってしまう。司馬さんは、その超音速の飛行機雲のなかにわれわれを誘いこんでくれるのだ。
 これらの人物は、なによりもまず、世界を粘土のようなものとしてとらえた。粘土のような、といってはぐあいがわるい。形のないもの、あるいは形の定まらないもの、としてとらえた。形がないから、どうにでもそれは変えることができる。あるいは、形がないからこそ形をつける、というおもしろさがある。かれらの活力は、そのような世界を相手に放出された。
 たとえ話ばかりで恐縮だが、たとえば、二〇〇号くらいの大カンバスに、太筆でぐっと一本の線を引くようなさわやかさが、これらの人物にはある。わたしが惹かれるのは、おそらくそのさわやかさであり、また、多数の読者が司馬文学に惹かれるのも、そのさわやかさなのではあるまいか。
 『竜馬がゆく』を読んでいて、竜馬がある決断をし、それを行動にうつしていくときの屈託のなさに、わたしなどは一種の羨望をもつ。竜馬の精神はいつも張りつめていて、その活力は尽きることがない。かれの頭のなかにつくられた大きな構図―それにむかって、かれはまっしぐらに突きすすんでいく。ためらい、というものがこれっぱかしもない。あれこれと気兼ねしないのである。
 竜馬にとっては人生も、世界も、たぶんおもしろくてたまらなかったろう。自由というものをかれは知っていた。かれの人格のなかにはとどまることのない噴射エンジンのようなものが内蔵されており、人生には、少しも不燃焼ガスのごときものが残らない。きれいさっぱり完全燃焼なのだ

加藤秀俊、「カプセルと飛行機雲」、「生きがいの周辺」[1] [2]

 

 感覚として「しあわせ」というやつに一番近いものは「夢中」なのではないかとぼくは思っている。いつも夢中でいられるというのは、やっぱり最高だろう。

 あらゆるものが目に入らなくなるぐらいに、なにかに夢中になっていられるというのが、いいなぁと思う。

 その「夢中」を突き詰めると「全力を尽くす」という状態になるだろう。

 たぶん、誰でも、全力を尽くしているという状態は、いちばんうれしいのではないだろうか。

 仕事の悩みとは、「状況のせいで、やるべきことに、全力を尽くすことができないから」なのかもしれない。

 お金がない悲しさも、「お金があれば尽くせる全力を、尽くせないから」なのかもしれない。

 好きな人にふりむいてもらえない悲しみも、「相手のためになることを、全力を尽くしてやりつづけられないから」なのかもしれない。

 つまり、ぼくは、「あらゆる不幸は、全力を尽くせないという悲しみにあるのではないか?」と考えているのだ。

 逆に言えば、不幸に思える環境でも、全力を尽くすことができたら、ものの見方ひとつで、死ぬ前に「あぁ、面白い人生だった!」とつぶやくことができるかもしれない。

(糸井重里、『ほぼ日刊イトイ新聞の本』[3] [2]

 

 


脚注
  1. 加藤秀俊、「カプセルと飛行機雲 1」、「生きがいの周辺」『加藤秀俊著作集 10』(10巻「人物と人生」)、中央公論社、1980年、9~10ページ)[Back ↩]
  2. (引用文中の太字・赤字の文字装飾は、引用者が加えた文字装飾です。)[Back ↩][Back ↩]
  3. (糸井重里、「第八章 その後の『ほぼ日』」、『ほぼ日刊イトイ新聞の本』、講談社文庫、講談社、2004年、351~352ページより)[Back ↩]