「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標
(比叡山延暦寺 東塔北谷)

比叡山延暦寺の3D地図

比叡山延暦寺の広域地図(3D地図)
比叡山延暦寺の大比叡・東塔・西塔の地域の3D地図
比叡山延暦寺の小比叡・横川の地域の3D地図

角川新書(1960年)3D地図の制作者:倉田幸暢

地図データの出典:国土地理院「地理院地図」( https://maps.gsi.go.jp/ )(「地理院地図」のデータを加工・編集して使用しています。)

上記の3D地図を制作するにあたって参照した参考文献(一部)
武覚超『比叡山諸堂史の研究』
・『山門名所旧跡記』(延享本)(『天台宗全書 第24巻』収載)
・『山門堂社由緒記』(明和本)(『天台宗全書 第24巻』収載)
・『渓嵐拾葉集』(『大正新脩大蔵経 第76巻 (続諸宗部 第7)』(1968年)収載)
・『比叡山堂舎僧坊記』(『比叡山堂舎僧坊之記』)(『天台宗全書 第24巻』収載)
・『山門堂舎記』(『群書類従 第24輯 (釈家部) 訂正三版』(1960年)収載)
・『叡岳要記』( 『群書類従 第24輯 (釈家部) 訂正三版』(1960年) 収載)
寒川辰清(編)『校定頭註近江輿地志略 全』, 1968年
吉田東伍『大日本地名辞書 第2巻 (上方) 増補版』, 1969年
『日本歴史地名大系 第25巻 (滋賀県の地名)』, 平凡社, 1991年
野本覚成「叡山大師時代の山王信仰」『叡山学院研究紀要』(14)
野本覚成「最澄・義真撰「比叡山寺僧院記」(三井寺蔵・国宝)の検討」『天台学報』(通号 31)
景山春樹『比叡山寺 : その構成と諸問題』
景山春樹『比叡山』, 角川新書, 角川書店, 1966年
江頭務「日吉大社 山王三聖の形成」『イワクラ(磐座)学会会報』28号
久保田淳(監修)『和歌文学大系 2 万葉集』, 明治書院
『新日本古典文学大系 38 六百番歌合』, 岩波書店
など。

比叡山延暦寺の古道の道筋を撮影した映像の動画

根本中堂薬師如来像の御衣木旧跡までの道筋
(比叡山延暦寺 東塔駐車場から)

根本中堂の本尊である薬師如来像の御衣木旧跡の周辺

本願堂旧跡までの道筋
(比叡山延暦寺 東塔駐車場から)

小比叡明神社旧跡への道筋
(釈迦如来・多宝如来の石仏(せりあい地蔵)からの道筋)

八部院(妙見堂)までの道筋(東塔駐車場から)

東塔北谷墓地(八部尾)までの道筋(東塔駐車場から)

浄土院までの古道の道筋(東塔駐車場から)

浄土院から古道を通って椿堂を経由して西塔(巡拝受付所)に至る道筋

古道を通って東塔駐車場から西塔(巡拝受付所)に至るまでの道筋

狩籠岡(狩籠の丘)
(伝教大師最澄が悪鬼魍魎を封じ籠めた場所)

玉体杉(阿字休息峰)

根本中堂の本尊である薬師如来像の御衣木旧跡

「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標
(比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)
「根本中堂 薬師如来 御衣木旧跡」 の石標 (比叡山延暦寺 東塔北谷)

虚空蔵尾(明星尾)の本願堂旧跡

「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)
「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑
(比叡山延暦寺 東塔北谷)
「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)
「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)
「伝教大師初入山之地 虚空蔵尾 本願堂旧跡」の石碑(比叡山延暦寺 東塔北谷)

日本天台宗の開祖である伝教大師最澄は、比叡山に入山して、神宮寺(神宮禅院)で修行したあとに、さらに大宮川をさかのぼって比叡山の奥に分け入り、虚空蔵尾と呼ばれる尾根の地域にある小さい台地に草庵をつくって、そこで修行をしました。(ちなみに、虚空蔵尾は、明星尾や、白狐尾とも呼ばれたそうです。)その場所には、その後、桓武天皇の御願寺として本願堂が建てられました。現在、その場所である虚空蔵尾の台地には、本願堂旧跡の石碑が立っています。ここに掲載している写真は、その虚空蔵尾の台地に立っている本願堂旧跡の石碑の周辺の写真です。

この本願堂旧跡の石碑がある場所から、南方を仰ぎ見た上方の、目と鼻の先には、かつて、一乗止観院(薬師堂と、文殊堂と、経蔵からなる寺院)(別名:比叡山寺)と呼ばれ、その後、根本中堂と呼ばれるようになった大伽藍が立っています。

逸翁美術館蔵『大江山絵詞』(香取本)の絵巻物や、能楽の謡曲『大江山』のなかでは、巨大な楠(くすのき)に変身した酒呑童子が、最澄によって比叡山から追い出される、という話が語られています。

ですが、もしかすると、実際のところは、比叡山に寺院をつくろうとした最澄が、比叡山の地主神である鬼(「酒呑童子」)のご神体であった霊木を伐り出してしまった、ということなのかもしれません。そして、比叡山の地主神である鬼(「酒呑童子」)のご神体であった霊木は、もしかすると、現在、この本願堂旧跡の石碑が立っている虚空蔵尾(明星尾)の台地のあたりに鎮座していたのかもしれません。 さらに言えば、最澄が自ら霊木を彫ってつくり、一乗止観院の薬師堂に安置したといわれ、現在も根本中堂の本尊になっている薬師如来像は、もしかすると、もとをただせば、比叡山の地主神である鬼(「酒呑童子」)のご神体であった霊木の、落魄した姿なのかもしれません。

以下、本願堂旧跡の石碑の表側に刻まれた言葉より。

伝教大師初入山之地
虚空蔵尾
本願堂旧跡
維時平成二十一年秋
第二五六世天台座主孝淳

以下、本願堂旧跡の石碑の裏側に設置されたプレートの文章より。

本願堂旧跡(伝教大師初入山の地)

この地はもと伝教大師最澄上人が延暦四年(七八五)七月中旬、二十歳の時、初めて比叡山に登り草庵を結ばれた霊跡である。『叡岳要記』によれば、ここは仙人経行の処、明星天子来下の庭といわれ、険しき山谷にあって手掌(てのひら)のごとき平坦な地であり、仙人数十余人が法華経を誦し仏道を習っていたという。最澄上人はここで仙人から明星尾(虚空蔵尾)にある薬師仏の霊木の在処(ありか)を教えられ、一乗止観院の本尊を刻んだと伝えている。
一乗止観院(根本中堂)創建より三年後の延暦十年(七九一)には、ここに「本願堂」を建立して義真座主自刻の三尺の薬師如来を本尊に祀り桓武天皇の御願寺となした。
その後、根本中堂修造の折にはここに中堂の本尊を遷して外遷座道場としての機能を果たした。元亀焼き討ち後は、慶長十八年(一六一三)に四間五間の堂宇が再興され、寛永・寛文・元禄・宝永・宝暦等に修理が行われたが、平成二十一年(二〇〇九)礎石のみを残して伝教大師初入山の聖地として整備した。